9月 23rd, 2016 by taso
はじめに。これまでの仕事のこととか
77年生まれは就職氷河期世代にあたる。とは言っても、ちゃんと準備をしていた大学のクラスメイトたちは内定を獲得していたから、新卒で就職しなかったのは世代のせいではない。就職活動にまるで興味を持てなかったのだ。皆の熱い話にもついていけなかった。
卒業後は学生の頃に始めた派遣の仕事を続けた。制作会社に転職し2社で正社員をやった。転職に手こずることもなく内定はすぐに出た。ブランクも作らず、退職日の翌日には新しい職場で自己紹介していた。
その後思いがけない休職と失業を経て2014年9月に非正規雇用で働き出した。その契約が今年(2016年)7月で終了し、10月から新しい会社(ブログではA社と書いています)で働くことになった。
今回の転職活動は苦戦した。内定が出たのは1社だけ。ほとんど書面だけで他人にジャッジされ続けるとは、なんてタフなイベントなんだ。新卒でやらなかったシューカツを15年後にやったのだ。あの時のクラスメイトたちも同じように一喜一憂していただろうか?
心を揺すりながら過ごした日々の記憶もやがて薄れる。時間のある今のうちに転職活動のあれこれを書いておくことにした。
もう一度正社員を目指してみる
非正規雇用で働いた1年10ヶ月間を振り返ると、会社に束縛されない気楽な面もあったけれど、関われる業務が限られていたり評価制度がなかったりしてやりがいに欠けた。年収だって正社員に比べれば何ランクか落ちる。企業の都合で一方的に契約終了する非正規雇用のもろさも思い知った。
来年5月には40歳になる。いわゆるヒラ社員経験しかなく、管理職を希望しない人が40代に突入したら正社員への転職は厳しくなりそうだ。実際は数ヶ月の差でも39と40では書類の印象が随分違う。30代で転職できる今のうちにもう一度正社員を目指そうと思った。
ところで、同世代の皆はどのように転職しているのだろう?
この歳になれば同業者に知り合いも増え、知人を介してスマートに転職する人もいるだろう。社会人の暗黙のルールなのか、たまたまなのかはわからないけれど、転職の経緯を同僚たちと話したことはほとんどない。
もし同じ疑問、―皆はどのように転職しているのか―を持つ人がいるのなら、今の自分だってひとつの答えではある。それなら転職活動のいろいろをブログ(今のブログ、「デイ・バイ・デイ」のほう)に書いてみようと思った。
書き始めたはいいが内定が出ず恥をかくだけになるかもしれない。大企業への華麗な転身もなさそうだし、職探しをやめて実家に逃げ帰るかもしれない。まあ、それも含めてひとつのケースにはなる。
転職活動中は気が休まらなくて、退職して時間ができても友人に会わなかった。ブログは友人への現状報告も兼ねていた。もちろん、通りすがりの人に(へえ)と思われるだけでも構わない。
6月上旬に始めた転職活動が終わったのは8月下旬。週いちで書いた「就職活動週報」は11週続いた。
活動準備。エージェントを初体験する
二年ぶりに転職サイトにアクセスした。新規登録したり、登録済みのサイトにログインする。念のため派遣専門のサイトにも登録した。6つのサイトそれぞれにプロフィールを登録する。学歴、職務経歴、経験業務、希望条件、自己PR……。項目は多く細かい。これだけで息が切れそう。
次に書類の準備。職務経歴書と履歴書とポートフォリオ(制作実績をまとめた資料)の作成にとりかかる。二年前のファイルを引っ張りだしてきて再構成し直近の仕事を追加した。味気ないと思っていた仕事も書類にするとそれなりに見えるのが妙だった。
一週間かけてエントリーの準備が整った。合否はともかく、これでどんな企業にもエントリーできる。
これまで実態がつかめなかった「転職エージェント」の存在。利用したという声もちらほら聞くし、どうやらエグゼクティブだけのものではないらしい。選択肢が増えるのならと利用することにした。
転職エージェントの利用はキャリアアドバイザーとの面談から始まる。週末や夜間に都心へ赴いたこともあったけれど、途中で電話面談でもいいのだと知って以降はそうした。転職サイトに掲載されている求人も、それが「社名非公開求人」であれば指定のエージェントを介して応募しなければならず、結果的に5社に登録することになってしまった。
転職エージェントは大手2社に登録すれば十分だと思う。
なんといっても大手は保有求人数が多い。保有求人は各社異なる(有名企業は重複している場合もある)のでより多く情報を得たければあと何社か登録すればいい。ちなみに、大手の2社だけで150件くらい紹介を受けた。その他の小〜中規模の3社は10件に満たなかった。
求人紹介件数とサポートの充実度で群を抜いていたのはリクルートエージェントだった。情報の閲覧や応募を専用のサイトで行えるので管理が楽だったし、フォローも手厚い。孤独になりがちな転職活動中に何度も励まされた。
キャリアアドバイザーたちは企業の採用担当者と直接やりとりしているので、求人票だけではわからない社風や内定者の傾向に詳しい。欲しい人材のイメージも細かくヒアリングしているので参考になるし、採用事情の「ぶっちゃけ」話もしてくれる。
仕事さがしの条件は?
前職は画像編集デザイナー、それ以前はWebコンテンツ制作・ディレクター、マーケター、サイト運営などをやってきた。
20代の頃から文章を書く仕事に就きたかった。しかしどういうわけか、編集部に応募しても別部署で採用され続けた(編集者に向いていないという忠告なのかもしれない)。メールマガジンやテキストコンテンツの執筆はしてきたものの「ライター」と言い切れる経歴ではない。しかし今回、最後のチャンスとばかりに書く仕事にこだわることにした。
実は、今後の転職を睨んで出版関係の資格を取りたいと思い始めたところだった。今回の転職には間に合わないけれど、その資格と職務内容が離れすぎない仕事にしようと決めた。
ところで、制作業は残業が多いのが前提である。ワーク・ライフ・バランスなんて言葉を口にするのもはばかられる。求人票でよく見るのは「残業月40時間」の文字。その数字に珍しさはないけれど、毎日2時間の居残りに付き合うつもりはない。
さらに給与欄には「みなし残業代◯◯時間込」とあったりする。ここが40(時間)の会社も経験したけれど、忌まわしいばかりだ。
条件の優先順位は、職種>残業20時間以内>年収。
「残業はあったとしても20時間以内」と言い続けた。(無謀なこと言わないでくださいよ制作系なのに)と、彼らは呆れていただろうか?
書類通過はたったの2割
当初は応募に慎重になりすぎて、気になる企業にはとりあえず応募するようにエージェントから忠告されてしまった。書類選考を通過する目安は応募数の2割だという。一度振り落とした求人を掘り起こして応募したりした。
志望度が低い企業でも面接は受けるようにしていた。オフィスや面接官の雰囲気で印象が変わることもあったし、面接後に辞退しても遅くはない。応募職種とは別のポジションを提案されたときも話を聞きにいった。企業側も人材配置をさぐっていてこちらの希望やスキルを考慮してくれることもある。実はA社はこのパターンだった。
辞退するときも転職エージェントを利用していれば直接言いにくい申し出を代行してくれる。減らせるストレスはなるべく減らして選考に集中したほうがいい。
1ヶ月半でエントリーした企業は26社。書類審査通過は6社。そのすべての面接を受けた。書類選考通過の割合を計算してみたら23パーセントだった。
・ 化粧品メーカー(A社)/ウェブマーケター、ライター
・ 化粧品メーカー/コピーライター
・ 求人広告代理店/ライター
・ 制作プロダクション/カタログ編集
・ IT(キュレーションサイト運営)/ディレクター
・ IT(EC運営)/Web編集
転職に経験者が有利なのは当然のこと。書く仕事にこだわった結果「求めるスキルと経歴が一致しない」という理由で採用の“お見送り”が続いた。
転職市場でWebディレクターのニーズは高い。しかしマルチタスク能力のない自分には向かないので除外した。キュレーションサイト編集の求人も多かったけれど個人的に思うところがあり積極的には応募しなかった。事業内容に興味を持てない企業や、ベンチャー・スタートアップも避けた。
過去の病気。カウンセラーとの会話
志望度が高い企業へは提案書を持っていった。採用されたら何をどうやるかをまとめ、面接時に説明の時間をもらった(A社でもこれをやった)。
取扱製品を購入したり、アプリをインストールしたり、サービスサイトに会員登録して感想を書き出しておいた。無職期間のブランクには前向きな理由を用意し、志望動機に繋がる個人的なエピソードを考えた。自己紹介と志望動機は暗唱した。面接の最後には大抵「質問はありますか」と聞かれるので「理想の社員像を教えてください」と聞いた。
面接に足を運ぶこと8回。本来関係をゆっくり築くタイプなのに、短時間で気に入られようと頑張ってしまう。朗らかで感じのいい人間を演出している自分に醒める。一時間の面接でどっぷり疲れて、寄り道する気にもならず逃げるように家に帰った。
8月に入っても内定は出なかった。面接を受けた企業からも次々と不採用通知が届く。
……どうして。面接ではあんなに話が弾んだじゃないか?
2012年春、職場の対人関係と多忙が原因で双極性障害とパニック障害を発症した。好きだった仕事も辞めなければならなかった。それ以来2014年末まで社会復帰を目標にしたカウンセリングを受けた。
傷病手当と失業手当も受給し尽していよいよ社会復帰しなくてはならなくなった時、カウンセラーに時短勤務を勧められた。
できることならそうしたいですよ。でもひとりで生活できるぶんを稼がないと。
制作業の正社員ではなく、事務などの派遣社員にしたらどうかとも言われた。
これ以上制作の仕事を離れると正社員に戻るのが難しくなるんです。
段階的な、正しい社会復帰を勧めてくるカウンセラーに苛立った。
転職活動が思うように進まなくなるとその苛立ちを苦々しく思い出すようになった。
ほら。やっぱり難しいじゃないか……!
土壇場の内定
明らかに意欲が減退していく中、義務感だけで求人情報に目を通した。週明けは特にメールが多い。仕事をしていた平日は意識がオンになっているけれど、退職してからはメールを見る気になれなかった。メールボックスには「JOB」のラベルのついた未読メールがびっしり並んでいる。
心の声を無視して無理に自分を鼓舞したくはない。
だけど、今だけ、今だけは頑張ろう。そう思ってやってきた。
8月中旬の時点でこのままでは転職活動を続けられないと確信した。選考中はA社だけだったので、A社の内定が出なかったら一旦休んで仕切りなおすことを決めた。
その数日後、A社内定の連絡がきた。
ベッドに倒れこみ大の字になって「……終わったああ!」と口にしたら初めて身体の力が抜けた。嬉しい気持ちより、もうやらなくていいんだという安堵が勝った。
これからのわたしと仕事
内定は出た。だけどすべてがオッケーになったわけじゃない。
体調を崩して社会と距離をとったあの時から、「働く」を取り巻くいろいろに懐疑を持たずにいられない用心深い人になってしまった。書面上の希望条件を満たしていても、不幸な職場があるのを知ったから。働けば働くほど幸せから遠ざかっていった虚しさは一生忘れられない。
転職活動中は押しやっていた迷いが噴出した。
今こそ頑張らない選択をする時なんじゃないのか。
心の負担を増やしてまでやりたい仕事を選ぶのか。
平日を犠牲にする働き方があわないんじゃないか。
独身で子供もいない人はなんのために働くのだろう。
東京にとどまる意味、これからの人生。
幸せな働き方って?
働いてお金を稼ぐことは生活の根幹で、それがなければ日々が成立しない。だから自分にあった仕事や働き方を見つけたいし、したい。
答えはすぐに出なくても構わない。ただし流されないように。立ち止まって考えられる人でいよう。迷いのない人生なんて、自分らしくないのだし。
本日の1曲
なんでもないや/RADWIMPS
4月 26th, 2012 by taso
trippen “Tyler”
€207,00
購入場所 trippen.com (online store)
trippenのシューズは昔から憧れていた。ひと目でそれとわかるデザインに革製品の硬派な色気。久々に会った友人氏がパンチングレザーの”Golf”を履いていたのを見てtrippen熱は再熱した。2月、神宮前の直営店に行くと、やはり”Tyler”が目をひいた。しかし、欲しかったブラックは全店舗的に在庫がなく、取り寄せもできないとのこと。
だから本国ドイツのtrippenのサイトから購入(個人輸入)することにした。
trippen.comでは、革の色・種類、ソールのデザイン、さらにインソールの厚さに至るまでカスタムできてしまう。牛革のblack waxにtrippenロゴの入ったKatmandu soleを選ぶ。ベーシックだけど、これが欲しかった。オーダーの翌日にさっそくメールが来て、スタッフが納期や在庫状況を教えてくれた。(以下はイメージ)
ベルリンから親愛なるあなたへ。
ごめんなさい、今はオーダー通りのシューズを作るストックがないのよ。でもあなたのために用意するわ。6-8weeks待ってもらえるならね。
ていねいな連絡をありがとう。事情はわかったよ。でもせっかくだからオーダー通りに作ってくれるかな? 時間がかかってもいいから!
オーケーわかったわ! あなたのシューズの用意ができたら連絡をするからしばらく待っていてね。
Kind regards from Berlin,
今回海外オーダーしたのは、製品の価格差の大きさも理由だった。”Tyler”の国内価格は¥38,850だが、trippen.comでは€207(約¥23,000)で購入できる。輸送費の€28を加えても価格差は大きい、むしろ大きすぎる。ベーシックカラーだけではなく、革の種類によってはパープルやレッドも選べるから個性的なtrippenが欲しい人にもおすすめ。
待つこと6weeks。ベルリンから発送メールが来た数日後に”Tyler”は到着した。厚みのある革が艶めき、ステッチも頑丈だ。わがままを言って指定したソールも職人がくっつけてくれたんだろう。各国から多数のオーダーが入るだろうに、ペンパル風のやり取りがいかにも靴工房らしく、素晴らしいと思った。
本日の1曲
2 Hearts / Digitalism
せっかくだからドイツ出身のアーティストを、と思ったのだけど
Digitalismぐらいしか浮かばず。
でもこれ、最近のランニンチューンでもあります。(無論”Pogo”もいいんだけど)
6月 8th, 2011 by taso
ラジオ体操連盟が主催する大会だけあって、スタート前には全員でラジオ体操をする。
しかも第2までやる。
先週の日曜日に行われた東京喜多(北)マラソン大会で、初めてのハーフマラソンに挑みました。フルマラソンの半分とはいえ、その距離21.0975キロメートル。新宿駅からならディズニーランドまで行ける距離です。練習ではだいたい10〜12キロを走りますが、走り終えたあとはいつも(もうこれ以上無理だ)と強く思うのです。
しかしその一方、本格的な夏を迎える前にハーフマラソンを走ることは「計画どおり」でした。2011年をフルマラソン完走の年にするための計画です。まず10キロとハーフの2つのレースを経験しなくてはならないと思っていました。
そして3月に10キロレースに出場しました。10キロは練習で走る距離なので距離への達成感はありませんでしたが、大勢で走るレースの雰囲気を初めて味わいました。
計画どおりにいけば、次はハーフマラソンへのエントリーでしょう。しかし実は、このレースの前からトレーニングをさぼり始め、戦意喪失期に突入していました。大会情報を見てもエントリーしたいと思えなくなってしまったのです。
そんな状態の中、4月に迎えた中途入社。4年務めた会社を辞め、ランニング関連の職につきました。ランニング関連事業を展開しているだけあって、走ることも仕事のうち、社員の多くはランナーです。記録にこだわらないファンランナーもいれば、サブスリーを軽々と達成するエリートランナーもいます。
そして、入社日に渡された “入社後三ヶ月以内に達成しなくてはならない項目” のシートの中には、当然のように「大会参加」が含まれていました。
マラソンは夏が近づくにつれて大会の数が減っていきます。これもひとつのきっかけ。6月が終わるまでに出られるハーフマラソンを探し、東京喜多(北)マラソンにエントリーしました。大会名も知っていたし、会場が都内開催なのもうってつけでした。その気軽さに油断して、練習らしい練習をせずに当日を迎えたのです。
例年より随分早い梅雨入りで雨続きだった東京。しかし大会当日は晴天で気温も上昇。それでも夏場に比べたら大丈夫だろうと、なんの暑さ対策もせずに会場の荒川河川敷に着いたものの、周りにいるランナーを見て今更心許なくなってきました。ランナー達はキャップやサングラスを凛々しく装着し、初夏のレースにふさわしい身なりをしていたからです。
9時30分。まずはフルマラソンの部がスタート。ハーフマラソンはその15分後にスタートします。トイレの列に並びながらスタート地点を伺うと、スタートゲートをくぐるランナー達の上下する頭が見えました。フルマラソンに挑む実力と勇気を持った、色とりどりの頭。全員がエリートのように思えて、背伸びをしながらその光景を眺めていました。
スタート時刻が近づきストレッチをしながら列に並びます。日差しにさらされた身体がじわじわと熱くなっていきます。スタートの合図のあと、蛇行して続く列を進み約2分かかってスタートゲートをくぐりました。
後方のスタートだったため、周りには友人同士で会話しながら走るランナーもいます。蹴り出す脚が前のランナーにぶつかりそうです。スペースを探しながら、スピードがあがりすぎないように走ります。最初の5キロは練習と同じキロ6分ペースを守れました。
しかし練習と違ったのはその暑さでした。
なにしろ日陰がない河川敷を走り続けるわけですから体力がみるみる消耗していきます。そして7キロを過ぎたあたりで早くも失速し、リタイアか? 歩くか? を考えはじめました。
(後編へ続きます)
11月 27th, 2010 by taso
LED AQUOS LC-32SC1-R
¥64,800
購入場所 ヨドバシカメラ新宿西口店
先週末は実家に帰った。おばあちゃんとテレビを観ながら、食ったりしゃべったりして過ごした。でもなんだか、始終ぼんやり頭が痛い。
原因はテレビだった。今年新調した実家のハイビジョンテレビの画像に酔っていたのだ。画面がでかすぎるし、映像がクリアすぎる。出演者のシミやシワが気になって番組に集中できない。
そう。高円寺のこの部屋では、いまだにブラウン管テレビを使っている。立方体みたいな箱型で、愛猫ハク氏(故人)も上に乗って暖をとっていたゆとりのサイズ。目にも優しいし、たいていの女優は美人に見える。
しかしいよいよ、12月から家電エコポイントが減るという。そこでようやく地デジ対応テレビを買うことにした。(買うなら赤いAQUOSが良い)11月最後の土日は家電量販店も混雑するだろうと、前夜の金曜日に新宿へ。これが実に疲れた。
ビックカメラは店員との購入相談にも整理券を配布する騒ぎで、19時半の時点で81人が待っていた。ひっきりなしに大音量のマイクで番号が連呼され、パチンコ店のような騒がしさ。さらに大量のモニタに囲まれ頭はふらふらだった。
やっと番が巡ってきたものの、赤いAQUOSは在庫無しの取寄せ不可で買えなかった。
次はヨドバシカメラに行った。
ところで、ひと昔前まで新宿といえばヨドバシカメラだった。Macや高額なカメラをはじめ、これまであらゆる家電をヨドバシカメラで購入してきた。広くてきれいな競合他店が続々進出する中、ヨドバシカメラの華美な電飾や、天井の低い陰気な感じの売場に愛着さえ感じる。
テレビ売場は店員と客が同数くらいいて、すぐに相談に乗ってもらえた。みんな「広くてきれいな方」に行ったのだ。赤いAQUOSはここでも在庫が無く、取り寄せても納品は来年になるらしい。だめ押しにもう一軒まわることにした。
東口のLABIヤマダ電機は入り口付近がパイプ椅子で埋めつくされ、購入手続き待ちの客がぎゅう詰めに座らされていた。売り場の店員に話しかけても『整理券のお客様が優先なので!』と言われて逃げられてしまう。商品を指差して購入意思を伝えても『もう今日の分は締め切ったので!』と言われ、買えず。LABIは次々に店員が逃げて行く殺伐とした現場だった。
結局狭くて暗いヨドバシカメラまで戻って、地デジ対応テレビを買った。赤いAQUOSが買えてよかった。納期は来年2月だけど。
本日の1曲
Dig For Fire / Pixies
9月 13th, 2010 by taso
ASICS GT-2150 NEW YORK-2A
¥12,390
購入場所 アシックスストア原宿
ジムでランニングを始めて一年が経過。そろそろ新しい刺激が欲しくなってきた。ランナーで賑わっているであろう神宮外苑や皇居周辺を思うたびに、ヨシ!今から行くか? でもシューズ無いジャン!の状態。外ランへの第一歩、シューズを調達しなければ。
シューズはアシックスに決めた。ランナーに信頼の厚いメーカーだし、アシックスストア原宿は、ちょっと面白そうなことをやっているみたいだった。
表参道の原宿駅側、GOLD’S GYMのあるビルの地下にアシックスストア原宿はあった。シューズを探していることを伝えると、さっそく3次元足型計測機のブースへ案内された。そう、実はこれがやりたくてここに来た。足長だけではなく「足型」でシューズを探してみたかったのだ。
シューズ選びは、サイズのほかにも、走行ペースや走る目的、走る路面の種類などの要素が絡む。走り方の癖によっても適正なシューズは変わるはずで、そこまで考え出すと専門家の意見が欲しい。
片足づつ計測器のスキャン面に足を載せると、足長や足囲など細かな7項目のデータがプリントされた。どうやら平均よりも足囲が細いようだ。それも随分と。
プリントを持ってシューズコーナーに戻ると中年の店員氏がいた。とにかく声がでかくて饒舌、日に焼けたランナー体型をしている。見るからに走り込んでいそうな顧客の積極的な相談に応じていた。
しかし他の客の接客中にも関わらず、彼はデータを見せるように手を差し伸べてきた。先輩ランナーの顧客に遠慮しながらプリントを渡すと、医者がカルテを見るような表情でデータを睨んだ。そしてドクターは勢いよく上半身をひねり、一足のシューズを指差した。
それは外国人の狭い足幅を想定した海外モデルだった。この店舗は外国人客も多いので特別に置いているという。日本人でこのサイズがフィットするのは『マー、二ヶ月に一人くらいだね。』とドクターも目を見開く。今まで自分の足囲に無関心すぎたのかもしれない。
ドクターに処方されたシューズはぴったりだった。シンデレラ気分だった。実はアシックスのシューズを試着するのはこの時が初めてではなかった。何足か試したものの、くるぶし辺りに違和感を感じて購入を踏みとどまっていた。微かな違和感も、距離を重ねればあなどれない。でもなぜかこのシューズは快適だった。
最後に店内にあるトレッドミルでランニングフォームを撮影。再生しながらドクターにフォームを分析してもらった。
今回、ぴったりのシューズは一種類のみ、カラーも一色なので選ぶ余地もなく、カラーで迷っちゃうかもナー、という事前の心配も吹き飛ぶ潔い結果に。でも、専門家に全てを任せて対価を払う面白さが味わえた。
本日の1曲
1234 (Van She Remix) / Feist
最近のお気に入りランニン・チューン。
ランニングには歌の入った電子音楽がよくあいます。
ヌァーッとみなぎる盛り上がり感で頑張れる。
3月 15th, 2010 by taso
▼ 修理データ
持込店舗:クラチカ渋谷店/修理内容:両ハンドル、フチ部分の革交換/
修理費用:6,600円/修理期間:約3週間
父親が会社から帰ってくると、いつも鍵の揺れる音がした。父親のキーケースは革製で、中に5つくらいの鍵がつけられる金具がついていた。子供の頃から父親は同じキーケースを使い続けていた。今でもまだ使っていると思う。
中学生くらいになり、ルイ・ヴィトンというブランドを知った。そして、父親のキーケースも同じ柄をしていることに気がついた。当時はブランドもののバッグや赤い口紅がトレンディーだった。どうして大人はみんな同じような柄のバッグを持つのだろう? 自分の父親まで。
父親は20代の時にそのキーケースを買ったらしかった。当時の父親は40代半ばだったので、計算すると『父親の20代』といえば、『ひと昔前』だった。父親は、そのキーケースを何度か修理に出したことがあると言った。そう言われてあらためて観察すると、縫い目には所々細かなほつれがあった。でも革は艶やかで柔らかく手に馴染み、金具は金色に光っていた。
ブランドというものを見る目が変わった日だった。それは(多分父親が思っているよりもずっと)自分を驚かせた。そして、父親のようにものを修理して長く使うことに憧れるようになった。
大学生の時、おばあちゃんに買ってもらったヌメ革のトートバッグは、お気に入りの鞄だった。雨風も気にせず、特別な手入れもせずに使い倒し、ほつれや革のひび割れがひどくなっていつしか使わなくなった。
あの大きさなら、弁当箱や水筒も楽に入るな。底についたジッパーを開ければ、簡単に容量が増えるところも使い勝手がいいぞ。ジム通いの日にはTシャツも入りそうだし。
理想の鞄を考えれば、結局その鞄に行き着いてしまう。
だから、長い間しまったままになっていたトートバッグを引っ張りだした。まずは直営店に電話をして、店舗に鞄を持ち込む。修理品は職人の元へ送られ、一週間後に見積りの電話連絡がきた。それからまた二週間で修理は完了した。
ハンドルとフチの真新しい革は、ハリがあって若々しい。肩への掛け心地や鞄の重みも懐かしく感じる。
とうとう20代でルイ・ヴィトンを持つことはなかったけれど、(ルイ・ヴィトンではないにしろ)、直してまで使いたいと思わせる鞄に出会って、修理ができたことは少し特別な出来事だった。
本日の1曲
Doin’ It / Wagner Love
2月 9th, 2010 by taso
Get the flash player here: http://www.adobe.com/flashplayer
仕事からの帰り道、マンションに近付くと無意識に部屋の窓を見上げています。そして、そこにハクがいると思うと笑顔になりました。玄関のドアを開けるとすぐそこで待っているはずです。時々待っていないときもあるけれど、それでも。
人間がトイレに入ると、寝ていてもわざわざ起きてきて、不機嫌そうに扉の角に頭を器用に撫で付けたりして、そのうちこちらの尿意につられるのか、猫用のトイレに入って用をたします。ハクとの暮らしは、口元が緩む出来事の連続でした。一日残らず、微笑みをくれた愛しのハク。
去年の夏、盆のさなかに駆け込んだ病院で腎不全と診断、そのまま入院してから二週間、一度もこの部屋に戻ることがなくハクは永眠しました。週末には一時退院ができるかもしれないと希望を抱いていた金曜日の朝でした。
入院中、毎日見舞いに行きながらいろいろなことを考えました。衰弱しているハクにどこまで治療を続けるべきなのか、できることは全てしたいと思う自分の気持ちは本当に正しいのか。何が最善なのかわからず、ずっと気持ちが揺らいでいました。
『ハクちゃんもまだまだ美味しいもの食べたり、一緒にいたいと思ってると思いますよ。』と主治医の先生は静かに言いました。その言葉に頷いたら涙が床にポトと落ちました。
大学生になった年、1997年の秋、20才の時にハクはやってきました。ハクと暮らした12年間は、人生でもっとも多感で、もっとも雑多な時期だったでしょう。親元を離れた一人暮らしで、昼夜の境目もない生活を過ごしていました。
ハクがまだ元気だった頃から、いつかは訪れる別れに怯えていました。不安が訪れた時は、ハクのふかふかの体毛に顔を埋めて、両腕で体を強く抱きしめながら『ずっと一緒にいようナ。』と口に出して呟きました。やがて、全ての生き物は死を迎えるという動かしようのないゲンジツを思い、自分が先に死ぬよりも良いのだと気持ちを鎮めていました。
ハクが永眠した日も、翌日霊園に連れて行った日も、友人が付き添ってくれました。あやKはカラフルな花でバスケットの棺をデコレーションをしてくれ、あきCはハクの大好物を詰めたリボンかけのお弁当を棺に入れてくれました。
あの真っ白でふかふかとした体に二度と触れることができないと思うと、悲しくて悲しくて霊園からの帰り道は声を上げて泣きました。
しかし、予想もしなかったことに、あらゆる事象がハクとの別れを辛いだけにはしませんでした。
信頼できる先生方にハクを診てもらえたこと、諦めていた輸血が一度は叶ったこと、病状を心配してくれる友人達がいたこと、ブログに沢山のコメントをいただいたこと。友人達の贈ってくれた花がこの部屋で柔らかに香っていたこと。
もう息をしていなかったけれどハクとこの部屋で一晩一緒に眠れたこと。
ハクが可愛いハクのままで旅立ったこと。
冬が来れば、ハクのいない布団の隙間を持て余すし、ファンヒーターの前のハクの定位置を眺めてしまいます。台所に立てば、さわさわと足元にまとわりつく感触が恋しくなります。腕に点滴をしていたのに遠慮して、入院中はハクを抱きしめなかったけれど、体の半分でも抱きしめればよかったと後悔しています。
ハクはブログにもよく登場していました。ハクはもうこの部屋にいませんが、ハクの話題が出ないこの場所(ブログ)がずっと奇妙でした。たとえブログ上でも、ハクという猫がいたことを誰かが知っていてくれるのは本当に幸せなことだと思っています。だからいつかはここでハクの最後の記事を書きたいと思っていました。寂しさと向き合うのが嫌で書けなかった記事も、半年が経ち、ようやく報告することができます。
ハク。お前のおかげでずっと幸せだったよ。
ありがとうありがとうありがとう。
また、会おうね。
本日の1曲
恋はいつも幻のように / ホフディラン
▼ 関連エントリー
ハクが入院している間『デイ・バイ・デイ』で病状の経過を毎日報告していました。
8月16日から8月31日までの記録は8月のアーカイブからご覧いただけます。
●デイ・バイ・デイ 8月のアーカイブ
ハクとの出会いのエピソードや暮らしの様子は「愛しのハク」カテゴリーでご覧いただけます。
●リヴィング・トーキョー 「愛しのハク」カテゴリー
2008/03/01 『
愛しのハク 〜北風とナーバスな猫、編〜』
2007/11/18 『
愛しのハク 〜ぼく達のささやかな10年編〜』
2007/06/20 『
愛しのハク 〜クッションのあたたかな凹み編〜』
2006/12/11 『
愛しのハク 〜純白のファッショニスタ編〜』
2006/11/26 『
愛しのハク 〜我が家の冬支度編〜』
2006/11/09 『
愛しのハク 〜のっぴきならないお出かけ編〜』
2006/10/27 『
愛しのハク 〜オレ関せず編〜』
2006/10/11 『
愛しのハク 〜ハクの宅急便編〜』
2006/09/29 『
愛しのハク 〜研いで、候。編〜』
2006/08/11 『
愛しのハク 〜3時間のショートトリップ編〜』
2006/07/18 『
愛しのハク 〜人知れずタフネス編〜』
2006/07/04 『
愛しのハク 〜勝手にしやがれ編〜』
2006/06/11 『
愛しのハク 〜飼い猫も潤う6月編〜』
2006/05/03 『
愛しのハク 〜おかか純情編〜』
2006/04/10 『
愛しのハク 〜違いのわかるオトコ編〜』
2006/03/16 『
愛しのハク 〜眠れぬ夜は君のせい編〜』
2006/03/01 『
愛しのハク 〜MY CAT LOST編〜』
2006/02/11 『
愛しのハク 〜ルームメイトは白猫氏編〜』
12月 30th, 2009 by taso
上:ベトナム肉のせご飯 1,050円
下:本日の鎌倉野菜のナムル丼 1,000円
鎌倉駅から10分ほど歩いたところにカフェレストラン、ラ・ジュルネがある。今、鎌倉在住の友人コスモ氏が個展を開催しているので、久し振りに鎌倉に行くことにした。もらったメールを頼りに商店街を進み、通りで合流してラ・ジュルネへ行く。
鮮やかな青のペンキ塗りの扉がかわいらしいお店。店内には自然の形そのままの木のテーブルが壁から2つ伸び、カラフルな藤のスツールが並んでいる。左手にはカウンターがあって、その先に厨房がある。カウンターと厨房は天井まで伸びた木製の棚で仕切られている。棚には調味料やワインボトルがぎっしり並び、カウンターは野菜や下ごしらえ中の食材で埋まっていた。
15人も入れば満席になりそうな店内は、厨房から全ての客に目が届きそうな広さ。奥のテーブルには若い女性客が一人。手前のテーブルの入り口に一番近い席に座った。しばらくして常連らしき青年がやってきた。
メニューには写真がないので、友人おすすめのベトナム肉のせごはんとナムル丼を注文。
しばらくして運ばれて来た大きな皿にはバジルなどのハーブと野菜が山盛り。友人氏が慣れた手つきでスプーンとフォークでざくざくと混ぜると中に牛肉とご飯が見える。(ここでようやくこれがサラダではなく、ベトナム肉のせご飯であることを理解)
近隣で採れた鎌倉野菜を使っているそうで、新鮮で種類が豊富。野菜にもオイルが馴染んで生の野菜もぱくぱくと食べられる。塩とオイルのシンプルな味付けがとても美味しい。
続いて運ばれて来たナムル丼にさらに頬が緩んでしまう。鮮やかな色と素敵な盛り付けにときめきすら感じる料理。それなのに、食べて欲しいものを盛り付けているうちになんかきれいに出来ちゃったワという感じが伝わってくる。
ラ・ジュルネは女性オーナーが一人で料理を作る店。友人も時々お店を手伝っているというので、オーナーの綾さんを紹介してもらった。今はロハスやマクロビオティックの特集で取材を受けることも多いようだけれど、もう14年もここで営業しているとのこと。美しい盛り付けと料理のレシピは全て独学、オリジナルで料理も詳細なレシピを記録せず、味付けは目分量というチャーミングさ。
ラ・ジュルネの料理は本当に美味しかった。たくさんの野菜を頬張りながら、その美味しさがなんなのかとさぐり、感嘆しながら食べていた。そして気がつくと皿は空になっていた。野菜たっぷりなので、胃が重くならず心地良く満腹になれる料理なのだ。
食べることは毎日のお楽しみ。せっかくカメラを持ち歩いていることだし、料理を美味しそうに撮ることができたらこの先も楽しめそうな気がする。だから撮りたいと思わせる素敵な料理に出会いたい。
この日も最初から写真を撮るつもりでいた。順光になる位置に座り、配膳の前にテーブルに置いた荷物を退けておく。すると想像以上に美しい料理があらわれて、ちょっと忘れられないほど美味しかった。二品で店を出たのが惜しいほどで、もっと他のメニューも見てみたいと思わせた。
綾さんの『いろんな作品でお店の雰囲気を変えたい』という意向で、ラ・ジュルネではアーティストの作品展示も積極的に受け入れている。この日も若い女性がフライヤーを持ってお店を訪れていた。作品展示をしたアーティストとそれを観に来た友人達も、ラ・ジュルネの美しくて美味しい料理に魅了されてしまうかもしれない。まるで私たちのように。
本日の1曲
Hey Mama / Black Eyed Peas
穏やかで気さくな綾さんも実はラテンのりらしい。
La Journée(ラ・ジュルネ)
神奈川県鎌倉市由比ガ浜3-9-47 中丸ビル1F 【Google maps】
TEL&FAX 0467-23-6731
11:00-21:00(週末は22:00頃迄)TELにてお問い合せ下さい。定休日は、<今月のお休み>をご覧下さい。
最寄り駅は、江ノ島電鉄線の由比ガ浜駅で徒歩約3分。和田塚駅からも4分程度。鎌倉駅からはゆっくり歩いて15分程です。
鎌倉観光の際には少し足を伸ばしてお立ち寄りください!
ブログではオーナー綾さんのおいしいまかない飯が見られます。
http://lajournee.exblog.jp/
shoko akiyama silk-screen exhibition
[ dreamin’ dreamin’ ] in japan
コスモ氏こと、秋山祥子の個展情報はこちら。
http://www.momocosmos.com/
鎌倉ラ・ジュルネ開催は2010年1月11日までです。
2009年の上海開催を皮切りに、国内各地を回ります。
念願の個展開催に本人も気合十分。お近くの方はぜひお越しください!
【 鎌倉 in Kanagawa|La journee (ラ・ジュルネ)】
2009.12/12 sat 〜 12/25 fri vol.1 / chiristmas version
2009.12/26 sat 〜 2010.1/11 mon vol.2 / new year version
[open]12:00〜23:00(L.O.22:00) [close] 不定休
神奈川県鎌倉市由比ガ浜3-9-47中丸ビル1F tel. 0467-23-6731
→http://lajournee.exblog.jp/ ※定休日は、<今月のお休み>をご覧下さい。
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【 広島 in Hiroshima|Plaisir (プレジール)】
2010.3/14 sun 〜 3/21 sun
[open]18:00〜翌3:00(LO/food2:00・drink2:30)[close]月曜日
広島県広島市中区袋町4-1産業ビル2F tel. 082-248-8866
→http://www.syougeki.jp/syoukai/plaisir/index.shtml
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【 菊川 in Shizuoka|菊川赤レンガ倉庫 】
2010.4/11 sun 〜 4/18 sun
[open]11:00〜19:00
静岡県菊川市堀之内2丁目201 tel.0537-35-2876
→http://ikiiki2008.hamazo.tv/
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【 藤枝 in Shizuoka|アートカゲヤマ 】
2010.4/19 mon 〜 4/25 sun
[open]10:00〜19:00
静岡県藤枝市小石川町4-10-28 tel. 054-641-5850
→http://blog.livedoor.jp/artkageyama/
12月 18th, 2009 by taso
たとえば缶ジュースが飲みたくなってマンションの階段を降りて自動販売機に行くと、そのまま近所を散歩したくなることがある。それにしても部屋着のままだし、と部屋に戻れば、もう外に出るのが面倒になってしまう。いつもそんな調子なので、近所の景色はなんとなく見ることがない。
東京では形の整った街路樹を見るばかりで、ぼうぼうと茂り放題の樹木を目にする機会はほとんど無い。ここでは地滑りの心配も無いし、水はけが悪くて何日も乾かない泥のたまりに顔をしかめることも無い。行儀良く植わった植物を見ると、シュミレーションゲームでマス目に植えられた木を見ているような気持ちになる。植え込みのツツジは1マスから。4マスあったらケヤキの木。
その日、スーパーでの買い物のあとふらっと神社の境内に入ってみた。朝晩通りかかる神社なのに、境内に入ったことは数回しかない。我が家に遊びに来る友人達と、『こんなところに神社があるんだ。』『そうなんだよ。』というやりとりの元、何度か見学した気がする。
神社のすぐ前は車道になっていて、雨が降れば無数の銀杏の葉がコンクリの地面にぺったりと張り付き、翌日になれば乾燥した落ち葉が押し花のように路面に定着している。そう。毎日見るのは足元の落ち葉だった。だから休日の午後に鳥居の近くの大きな木をしげしげと見上げてみた。シリアルやらキャベツやらの入ったレジ袋を下げて。
12月の銀杏の木は大方の葉を落とし終えたみたいだった。遠目にもわかる先端の乾燥した枝の有様と、薄水色の空は紛れもない冬の景色で、こんなに近くにそんな景色があることに今更驚いた。そしてその時、どうしようもなく自分が時代遅れな人に思えてきた。
こんなところに佇んでいるのは自分だけではないのか。皆はもう違う場所に行ってしまったのではないか。自分が都会の景色の郷愁に浸っている間に暖かな安らぎを手に入れたのではないか。そんな風に思えて少し寂しくなった。
銀杏の木を見上げたまま体を反らせると冬の薄い水色の空が見える。ついでに更に更にふんぞりかえると、枝や白いマンションの外壁がカメラの四角い液晶画面に覆いかぶさってきた。
冬らしい空を目の当たりにし、東京には空が無いという有名なフレーズを闇雲に信じすぎていたのかもしれないと思った。この神社は狭いけれど、その印象の良し悪しに関わらずここにはここの空があって、冬の景色があって、自分はあの詩作の主人公ではないのだ。もっと色んな東京を見たいと思った休日だった。
本日の1曲
BYRD / EGO-WRAPPIN’