愛しのハク 〜MY CAT LOST編〜

ネコ氏と暮らし始めて1年が経過した頃、ネコ氏の人生について考えていた。外に出して自由な生活をさせてやったほうがよいのではないかと。
そのためにはそれなりの予防接種をしておいた方がよい。大学近くに合った動物病院に向かった。原付の荷台にネコ氏の入ったキャリーバックを乗せてヨロヨロと青梅街道を走った。

獣医氏に訪れた趣旨を説明すると彼は難しい顔をした。「屋外に出すということは危険が沢山あります。ワクチンは病気の感染を完全に防げるわけではないし、交通事故に巻き込まれる可能性だってあります。」彼が外に出すことに賛成していないのは明白だった。そして「家の中で安全に末永く暮らすか、楽しみを優先して危険にさらすか。」と獣医氏は静かに言った。

高校生の時、実家で飼っていたネコが亡くなった。家の前の車道で車に轢かれてしまったのだ。目立った外傷もなく、おそらく内臓破裂でこの世を去った。
のんびりと毛繕いを始めたネコ氏を眺めながら、ぼんやりとそのことを考えていた。
その日はワクチンを接種して帰宅したが、今に至るまで我が家のネコ氏はインドアキャットである。しかし脱走をしたことは数回ある。

気づくとネコ氏がいない。脱走しないように貼り付けたガムテープが緩んで、いつも締まっている網戸がほんの少し開いているのに気がついた。以前からその網戸を開ける仕草をすることがあった。そこから出て行ってしまったのだ。
当時住んでいたアパートの裏手は雑木林になっていた。そこは猫たちにとってはこの上ない遊び場であるようで、野良猫の姿もよく見かけた。

自分の猫がいなくなって初めて、雑木林に足を踏み入れた。斜面には草が生い茂り、黄色い土の中に埋もれそうな石の階段を上がると個性的なつくりの民家が見え、その奥には大きな駐車場のあるコンクリートのマンションがあった。アパートのすぐ裏手にあったにも関わらず、今まで存在すら知らなかった建物だった。

名前を呼んでみるが反応はない。部屋の窓を開け放し、一日中部屋に戻っては探しに出かけるのを繰り返した。雑木林からアパートの部屋にかけておかかをふりまき ”おかかの道” を作った。近所の人に聞いてみたところで白ネコを見た人はいなかった。気休めによく見かける猫たちに話し掛けた。
___ハク、いなくなっちゃったよ。

夜中には業務用おかかの袋をパカパカと開け閉めしながら雑木林をうろついた。彼はその音を聞きつけると家中のどこにいても走ってやってきた。しかし、その日ばかりはいくら名前を呼んでも彼は来なかった。

どこかの溝にはまって出られなくなっているのかもしれない。帰り道がわからなくなって数キロ先を途方に暮れて歩いているかもしれない。このまま外の生活が楽しくて戻ってこないかもしれない。
探せば探すほど不安が募る。頭の中を良くない妄想が支配し始めた。

翌日になってもネコ氏は戻らず、一層気分は落ち込んだ。張り紙を作ろうと考えた。電柱に貼ってある探しネコのポスターは何度も目にしたことがある。普段部屋の中で生活していたネコだ。首輪もしていない状態であの家のネコだ、とはわかってもらえないだろう。探していることをアピールしなければならない。
しかし思いついたところで到底そんな作業をする気にはなれなかった。ベッドに腰掛け目をつぶった。
友人に電話を掛け、話し相手になってもらう。必死で飼い猫を探している友人に何と言えばよいのか、彼女は必死に考えてくれていたと思う。

その時、窓の外にひょっこりハクが現れた。
こちらの大きな声で驚くでもなく、すんなりと部屋に入りごはんを食べ出した。真っ白い毛は灰色に汚れてボサボサになっていた。細かい葉っぱが体のあちこちについている。鼻をくっつけると乾燥した外気の匂いがした。足の裏には僅かに血が滲んでいる。


これが我が家のネコ氏の一番長い逃亡劇であった。
彼の生活を豊かにすることはできているだろうか。自分と一緒に暮らして満足してくれているだろうか。時々そんなことを考える。


本日の1曲
君は僕のもの / クラムボン


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2006/02/11 『愛しのハク 〜ルームメイトは白猫氏編〜


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