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愛しのハク 〜ルームメイトは白猫氏編〜

一人暮らしをしている友人が唐突に猫を飼い始めたのはお互い浪人生だった頃だ。その後半年ほど経って子猫が4匹産まれた。
当時の彼女の家の惨状は筆舌に尽くし難いものがある。広いとは言えない部屋に総勢8匹のキャッツがいたこともあった。しかも溜り場になっていたためネコだけでなく学生達も昼夜出入りを繰り返していた。自分もそのうちのひとりであった。気をつけないと子猫を踏んでしまいそうだ。

実家には小さい頃から犬も猫もいた。彼女の部屋に入り浸っていて家の中に動物がいる幸せを思い出してしまった。
だが一人暮らしの自分にネコが飼えるのか?それでネコ氏は幸せになれるだろうか?ぐるぐるぐる。
玄関脇のちいさなカゴがお気に入りの生後2か月の真っ白いネコを「何日間か預かってもいい・・?」と消極的に提案し、自宅に連れ帰ってきた。その子猫は仲間うちで「ホワイティー(仮)」と呼ばれていた。

前にしょったリュックに子猫を入れて原チャリにまたがり真夜中の府中街道を走った。信号で止まるたびに「にーにー」と鳴き声が聞こえる。リュックから出ようとする子猫のアタマを片手で押さえながらよろよろ運転で帰宅した。そして言うまでもないがそのまま8年間我が家に留まっている。

数日後に電話で「このまま貰ってもいいかな」と告げると彼女は「絶対戻ってこないと思った」と笑った。大学1年の秋である。

リダイヤルで電話をかけたこともあるし(受話器から微かに「もしもーし」という友人の声が聞こえた)、帰宅したらクーラーがかかっていて部屋がキンキンに冷えていたこともある(夏真っ盛りのあの日)。
ある冬の日、電気ストーブに寄り添い過ぎてその真っ白な脇腹部分が茶色く焦げた。その部分をはさみでチョキチョキと切りながら、なんで気付かないのか本当に不思議だった。(友人は焦げてできた柄を見て「このまま三毛猫になるのかな?」と言った。多分ならない。)

彼は様々な都市伝説で楽しませてくれる。
普段なにも考えてなさそうに見えて季節の変わり目にはちゃんと毛が生え変わる。

彼の名を「ハク」と決定した。
こちら高円寺。1匹の猫と暮らしている。
全身真っ白。短いシッポが彼のアイデンティティーである。


本日の1曲
ミルク / Chara


MTV Cribs

トリノオリンピックが開催されることをつい最近知った。しかもそろそろ開幕のはずだ。完全に話題に乗り遅れている。
昨年の夏にケーブルTVに加入してから民放番組を見なくなった。ちょうどその頃は衆議院解散選挙の真っ只中であったように思う。世間を賑わすニュースにも流行りのお笑い芸人にもトンと疎くなった。ニュースはWEBでヘッドラインを読む程度なので何がどうなっているのか実際のところはほとんどわかっていない。

前の部屋でも、その前の部屋でもケーブルTVに加入していた。今の部屋に越してきてすぐスカイパーフェクTVのチューナーを購入したがマンションの都合で断念せざるを得なかった。ケーブル会社も当初は導入不可能と言っていたのに、その後営業の人が来てあっさり工事は完了した。(1年半のブランクは何だったのだ!?)
今や録画のためのハードディスクレコーダーも購入し、視聴体制は万端である。

しかしながらMTVで「Beavis and Butt-head」や「The Osbournes」が終了してしまったのは嘆かわしい。そして他人の金持ちっぷりに驚愕した「Cribs」も終了してしまった。

Cribs」はいわゆる音楽成金・・・失礼、人気アーティストのお宅訪問番組である。
そしてご多分に漏れず彼等は豪邸を所有している。ベッドルームやバスルームの数も日常を逸脱している。番組の冒頭で紹介される間取りのデータでその数が1ケタだと、見ているこっちは(なんだ、狭いな。)と思ってしまう。要するに感覚が麻痺してくる。プール、テニスコート、ホームシアター、地下のスタジオにはマイ・スターバックス。

HIPHOP系アーティストは玄関の吹き抜けに巨大な自分の肖像画を掲げがちである。そして誇らしげに輝くゴールドディスク。螺旋階段と床の大理石。家の中のほとんどの事象は電気制御されているし、彼の歯には金でも銀でもなくダイヤモンドが埋め込まれている。

そして「クールだろ?」と言いながら紹介する部屋ごとに何故かセクシーなお姉さんがいる。彼の友達なのだろうか?仕込み?HIPHOPに詳しくない自分は、そもそもその誇らしげな彼自身がいったい誰なのかわからず、ますます怪しい。
そのえげつなさには、圧倒されつつも釘付けであった。


本日の1曲
Angel / Pharrell


深夜のiTunes Music Store

昨日の深夜iTunes Music Storeで曲を購入した。
昨年夏に日本でサービスが開始された当初は(遂に始まったか)と情報をチラ見した程度だった。

その数か月のち、あるバンドのライブ映像をインターネットでストリーミングしていて「!!」と思った曲があった。何度かリピートして聴いてみたが、やっぱりいい。今すぐフルで聴きたい。明日まで待てない!という興奮状態のまま、そういやiTunes Music Storeがあったナ・・・カタカタカタ→検索→ヒット→アカウント取得→ダウンロード。
そして数分後には自分のiTunesのリストに並んだ。・・・素晴らしい!
その感動はちょっと忘れられない。実にスピーディーでしかも安価だった。1曲150円はペットボトル1本分である。

購入に至るのはシングルのカップリングやremix、アルバム発売前の先行シングルなど。普段MTVやSPACE SHOWERを眺めていると気になる曲は結構ある。それにiTunes Music Storeオリジナルの音源はファン垂涎である。

前記のように真夜中にひとりで盛り上がってしまった時、CD屋の開店を待たずして購入できるのはありがたい。自分のような深夜活動型インドア人間にとってはちょっとしたショッピングモール気分。身勝手な深夜の音楽的覚醒に応えていただいている。
以前は「セレブリティーズ プレイリスト」を紹介するページがあり、アーティストのおすすめ曲を知ることができた。そこにはメジャー、マイナー問わず多くのアーティストが並んでいてappleらしさを感じさせるいい企画だった。プリントアウトしておかなかったことを後悔している。

デジタル音楽配信が定着しつつある今、様々な場面でその意見を耳にする。
これからはアーティストが頭をひねって考えたアルバムの曲順がリスナーによって編集し直されることも日常的になるだろうし、アルバムの収録曲のうち数曲だけを購入する人も多いはずだ。そして以前に比べてCD本体の売り上げが落ちるかもしれない。
アーティストは今まで以上に購入意欲をそそる作品を求められるし、その新しい流通形態とうまく付き合っていかなければならないだろう。

リスナーにとっては音楽との接点が増えたことになる。CDを買うきっかけにもなる。使い方は自分次第で、音楽の楽しみ方は人それぞれである。

何年か前に友人宅で「ちょっとCD借りに行こうよ」と誘われ夜中にレンタル屋に赴いた。彼はその時の気分でササッと何枚かピックアップし、一晩その音楽に耳を傾け翌日手元に何のデータも残さずに返却した。その時は正直かっこいいと思ってしまった。

自分にとってのiTunes Music Storeはそのスタイルに近いかもしれない。
CD離れが怪訝されているが自分に限ればその徴候はほとんどない。やっぱり銀盤と歌詞カードを手にしないと愛着が湧きにくいし、ライナーノーツを読む楽しみは捨て難い。

先日坂本龍一氏がTVのインタビューで「今の子供たちはインターネットやゲームなどに囲まれ、データ化された音楽を聴く。不安は感じないか?」と問われ「別にいいんじゃないのぉ?」とさらっと答えていた。
またしても、正直かっこいいと思ってしまった。
YMOは伊達じゃない。


本日の1曲
DISCOGRAPHY / ストレイテナー



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1/22 『iPod購入
1/18 『iPod買い換え直前


独身リンゲン

少し前に「シングルリンゲン」というリングが話題になった。
シングルであるという意思表示のためのリングだ。マリッジリングが既婚者であることを意味するように、その青いリングは未婚者であることを意味する。

スウェーデンで生まれたシングルリンゲンは昨年日本に上陸した。ファッション誌でも度々取り上げられ、セレクトショップでも販売されている。
WEBサイトは各国言語に対応していてインターネットで注文すればエアメールで配達される。

既婚者全員がマリッジリングをしているわけではないし、女性に対して結婚しているのかを尋ねるのは勇気がいる。話の内容で判断するのも時間がかかるし、その気づかいのせいで折角の機会を逃している、と考えれば出会いを求めているシングル氏にとってはこの上ないアイテムだろう。

無事に相手を見つけた後は結婚式のブーケトスのようにシングルの友達にあげる・・・のがいいかどうかは別として、とかく悲観的色彩を帯びがちなシングルライフを割り切って楽しむことができる。と、ポジティブに考えてみようじゃないか。シンプルなデザインにも好感が持てるし、コンセプトもいいところをついている。

世界中で販売されているリングにはそれぞれシリアルナンバーが刻印されていて、Webサイトに登録すると同じナンバーのリングを持った相手とコンタクトが取れる。

Webが普及した今こそ世界中の人々とコンタクトが取れるアイテムは”実践的”だ。たった一人のその相手はこの世界のどこかにいる。

けれども肝心の相手が登録を怠って、いつまでたっても直接コンタクトが取れない可能性だってある。中にはそれを嘆く人もいるかもしれない。

たとえ世界のどこかにいる彼(彼女)のシングルリンゲンがベッドサイドテーブルに放り出されたままになっていたとしても、そうして誰かと繋がっていられるというのは素敵なことなんじゃないだろうか。
リングのことなどとっくに忘れて目先の週末のプランを考えるのに必死かもしれないし、提出期限の迫ったレポートを前に頭を抱えているかもしれない。

そんなことをぼんやり考えていたら小学校の時に手紙をつけて飛ばした風船を思い出して、少しセンチメンタルな気分になった。


本日の1曲
Have A Nice Day / Stereophonics


ANDY WARHOL

イタリアに旅行に行く知り合いのお姉さんに「おすすめの美術館を教えて」と言われ、わかんないなーと答えると彼女は不思議そうな顔をした。それはおそらく自分が美術大学出身だからである。

美大生は常に絵の具にまみれているわけではないし、必ずしも絵画に詳しいわけではない。
高校の美術の授業で、名画の解説ビデオを見た後に皆の前で感想を述べなければならなかった。その際「たとえ名画と呼ばれる作品を鑑賞しても、その何億という作品価格にしか興味を持てない」と発言した。何も言わずに頷いていた美術教諭氏。彼は油絵画家である。
実はその頃、途方もない時間をかけて描かれた名画の大作よりも、ポップアートに魅了されていた。特にアンディ・ウォーホルの作品に。

難解で、おそらく今読んでも意味の分からない現代美術の本を読み、作品集をめくった。東京都現代美術館で回顧展が開催された時は、ひとり新幹線で上京した。作品前のソファに腰かけ、巨大なマリリンの連作を眺めながらニューヨークに漂う空気を想像した。

彼の作品の手法はこれまで見知っていた絵画とは大きく違っていた。彼は”FACTORY”と呼ばれたアトリエでシルクスクリーンを刷り、作品を”生産”した。

マリリン・モンローやキャンベルスープの作品は誰もが目にしたことがあるのではないだろうか?それはアメリカのスーパーマーケットに陳列されているごくありふれた品物であり、誰もが知っている有名人であった。しかし彼の場合、他のアーティストとは違い、大量消費社会やマスメディアに対するアンチテーゼを提唱しているのではなかった。

アンディはそれらを心から愛していた。
そのアメリカ的な文化を。
”東京で一番美しいのはマクドナルド
ストックホルムで一番美しいものはマクドナルド
フィレンツェで一番美しいものはマクドナルド
北京とモスクワにはまだ美しいものがない”

そのセンセーショナルな登場で一躍有名になり、彼はアート界のポップスターになった。
ミュージシャンやファッションデザイナー、売れない俳優からホームレス、ゲイフレンドまであらゆる種類の人々が彼を取り巻いた。アンディは彼等を”スーパースター”と呼び、自分の映画に出演させたり作品のモデルにした。

『誰でも15分間だけは有名になれる』という彼の言葉は有名で、オリジナルの哲学を感じる好きな言葉だ。そして今や、アンディ自身が80年代のアメリカの象徴的なアイコンになった。(彼はやはりそれを望んだだろうか?)

ポップアートとオルタナティブロックとの出会いは衝撃的で(こんなものがあったのか!)と田舎の高校生は自室でひっくりかえった。
それまでとまったく違った価値観を見せつけられると往々にして虜になってしまうものだ。
しかし残念なことに、そこまでのサプライズにはなかなか出会えない。


本日の1曲
I’m Waiting For The Man / The Velvet Underground




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○ANDY WARHOLに関するおすすめ書籍○

ぼくの哲学
ぼくの哲学
アンディ ウォーホル, Andy Warhol,

「その日コマーシャルで見たものを全部買いに行く」
暇つぶし方法や「高級レストランで嫌いなものだけを
注文し、帰りにごっそり通りに置いてくる」というダ
イエット方法も紹介。(彼曰く、ホームレスの食料に
もなるし一石二鳥らしい)。
役に立つかは気分次第。アンディ流哲学。


ウォーホル日記
ウォーホル日記
パット ハケット, Pat Hackett,

毎朝電話をかけてくる「日記係」との会話を記事にお
こしたもの。夜な夜なパーティーを渡り歩く華やかな
場面も魅力的だか、その合間にこぼす自意識過剰な独
り言がアンディらしい。


我が街、高円寺

中央線沿線に住み続けていたが、引越してくるまでは高円寺とはあまり縁が無かった。友人伝いに聞く話では「20000V」「牛丼太郎」がキーワードだった。彼女が「20000Vでライブを観た後に200円の牛丼を立ち食いする」と言っていたからだ。ハードコアだ。あとはかの有名な「純情商店街」か。

中央線沿線の不動産屋を廻り続け、やっと気に入った物件と出会った。
4件目のマイルームは高円寺に決定した。

家賃は高いが物価は安い、と巷のみなさんが口にするイメージはほぼ当たっている。純情、ルック、パル、あづま通り、と4つの商店街があり週末などは老若男女で賑わっている。モヒカン&鋲ジャンのパンクスのお兄さんもよく見かける。
郊外のように大きなホームセンターも無く、若者が集まる街というだけあって人通りが多い。
さすがに田舎の商店街とは違って活気がある。

自分が生まれ育った町の商店街を我が家では皮肉を込めて「シャッター通り」と呼んでいた。非常に残念ながら活気がまるでない。店舗も営業しているのか休業中なのかわからない状態で、夕方過ぎにはほとんどシャッターを降ろしている。パンクスなんかが歩いていたら「広報し○だ」に載ってしまうんじゃないかというくらい地味である。

そして中央線沿線の家賃はやっぱり高い。不動産を廻った感想だと、吉祥寺、中野、高円寺が高値TOP3なのではないだろうか。吉祥寺は学生時代によく遊びに出かけたし、大好きな街だ。平日の昼間にポケッとベンチに座っていてもまるで浮かない井の頭公園は素晴らしい。いつか必ず住んでみたい。

高円寺は古着の街、と巷のみなさんが口にするイメージはほぼ、というか完全に当たっている。
こんなに需要があるものか、と驚くくらい古着屋がある。
現にこの部屋の真下も古着屋である。隣も、向かいも・・・要するに四方八方を古着屋に囲まれている。残念なことに自分はあまり古着を着ないけれど、好きな人にとっては宝の山のような状態かもしれない。週末も昼過ぎになると街にワッと若者が増える。

あと特筆すべきはその商店街の中にある店舗の個性。
この街ではCDを買うよりもレコードを買う方がたやすい。実際、CDはどこで売っているのかいまいちわからない。街を歩いている限り目につくのは中古レコードばかりだ。

以前、流行りの海外ドラマにハマり、レンタルビデオ店をはしごしていた。通りを歩いていて目についたビデオ店に入店したところ、そこには日活ロマンポルノや寺山修司の実験映像のビデオが大々的に陳列されていた。
いや、嫌いではない。でもその時のマインドとは明らかに違っていた。
高円寺の、高円寺たる由縁を垣間見た出来事だった。


本日の1曲
Like A Rolling Stone / Bob Dylan


浅草ファンタズマ


昨深夜、母親から電話があり「東京に来ているから、明日一緒にお昼でも食べましょ」と誘われた。両親の誘いはいつも急だが、先の予定が決まっているのが不得手な自分の性格をよくわかっている。
浅草のホテルに宿泊中らしい。おそらく浅草寺にも行ったことがないので浅草で会うことにした。

雷門の前で両親と落ち合い、天ぷらを食らう。
そして浅草寺でおみくじを発見して飛びつく。おみくじについて全く無知なのでその「小吉」という結果がいいのかどうかもわからない。「吉だからいいのヨォ」という母親の言葉はフォローだったのだろうか。

釈然としないままお線香を買い、くすぶっているデカイ鉢のようなものに投げ込む。周りの皆は頭をペンペンと叩きながら煙を浴びまくっていた。なんとなく真似てみる。ペンペン。

そして歩いて両親の宿泊するホテルへ向かった。その辺りは数年前に行った大阪の新世界の雰囲気によく似ていた。
先端に「花やしき」と書いてある鉄塔のようなものがそびえ立っているのに気付いた。
これがかの有名な花やしきか!
入園に両親も乗り気だったが、時間がないのであえなく却下。
入場門から見えるメリーゴーランドはファンタジックで、真冬の空気に鮮やかに映えていた。


本日の1曲
ジュビリー / 中村一義


ROCKの聖地

ロックの聖地と呼ばれる場所は世界中にあるが、weezerファンの自分にとってやはりすぐ思い浮かぶのは「GARAGE」と呼ばれた彼等のプライベートスタジオである。

weezerの1stアルバムには「in the garage」という曲が収録されている。ロックキッズの片鱗をうかがわせる大好きな曲だ。

vo.リバースにとってガレージはまさに城。
壁には大好きなバンドKISSのポスターが貼ってある。’’ガレージにKISSのメンバーを待たせてるんだ’’と彼は歌う。
自分のお気に入りのものに囲まれて、変な歌 ’’stupid song’’ を歌っても誰にも聴かれることはない。
’’No one hears me sing this song’’

weezerファンにとって聖地だったこの場所もその後売却され、新しい老夫婦オーナーの意志によってあっさりと取り壊されてしまった。老夫婦にとっては単なる汚い倉庫に過ぎなかったのだろう。
しかし、そのエピソードがやけに自分の心を打った。

自分にとって大事な事柄も他人にとってはまったく価値がないこともある。言い換えれば、特定の人にしか分からない価値がある。

先日、NY伝説のライブハウス、CBGBが移転することが決定したらしい。経営の存続もあやぶまれていたが、世界中の支持者達が署名活動などを行って、閉店は逃れた。
かつてはパティ・スミスやラモーンズもその舞台に立ち、それまでアンダーグラウンドだったNYパンクを世に知らしめた。考えようによっては世界で一番有名なライブハウスと言っても過言ではない。3年前にNYに行った時、通りの突き当たりに突然CBGBの看板を見つけ興奮したものだ。

ところで、国分寺市から国立へ抜ける坂道「たまらん坂」はRCサクセションのファンにとっての聖地であるようだった。コンクリの壁には無数の落書きがあり、その音楽にはほとんど触れたことが無い自分でも胸が熱くなる風景だった。

高円寺駅前に深夜まで営業している「Yonchome Cafe」というお店がある。この自宅からも歩いて何分とかからない。
大槻ケンヂの『リンダリンダラバーソール』という本を読み、かつての筋肉少女帯のメンバーがYonchome Cafeに集合し、解散の決定を下したというエピソードを知った。
連日若者で賑わう街角のカフェも、彼等にとっては忘れられない場所なのかもしれない。


本日の1曲
In The Garage / Weezer


チケット争奪戦

また先行抽選にハズレた。
今年に入ってから2連勝だった。ストレイテナーは公演日直前の電話発売で運良く手に入れることができたし、数日前にはZAZEN BOYSのチケット当選の知らせが来た。
今年はチケット運がいいのかもしれない、というのは楽観だったようだ。

5、6年前に比べると明らかにチケットの争奪戦は激しくなっているんじゃないかと思う。実際にそう感じる。
(チケットってこんなに取れなかったっけ!?)と。

大学時代にNUMBERGIRLのライブによく行ったが、わりにすんなりとチケットが取れた記憶がある。SHELTERやLOFTのようなライブハウスでは店頭発売に並んだりしたがZEPP TOKYO、SHIBUYA-AX、赤坂BLITZくらいのハコであればチケットを手にすることができた。

NUMBERGIRLの場合はライブ会場で配られる「全国共通模試(懐かしい)」と呼ばれるアンケートに回答すると事前にDMが送られてきた。一度そのDMが届かず、慌てふためいて事務所にメールしたことがある。今思うと相当慌てていたはずでちょっと恥ずかしい。

当時もNUMBERGIRLは十分「人気」があったと思うのだ。でも行きたくても行けない状況はなかった。
だが今やチケットを手にするのにこんなに苦労する時代になったとは。

昨年の11月から年末にかけて、おそらく15連敗くらいした。
インターネットで先行抽選受付を申し込むたびに落選のメールが来た。もはや、人気のあるバンドはFESでしか観ることができない状態なのか。
「FESが定着し、ライブに行くことが特別なことではなくなってきた」とはよく言われるが、CDを聴く→ライブに行きたい→チケット購入、という思考の流れがよりスムーズになってきたのかもしれない。それこそアーティストには嬉しいことだろう。

大きな会場でのライブはオーディエンスの顔が見えないし、ライブの意味が希薄になると考えるバンドもいる。その意味は理解できるし、実際ライブ中にステージ脇のモニターを眺めるのはあまり好きではない。

しかしながら、約束された素晴らしい時間を、抽選で逃し続けるのは結構さみしい。


本日の1曲
Just Go On / Asparagus


夏の日、残像

昨年の7月半ばのこと。友人がASIAN KUNG-FU GENERATIONのCDを貸してくれた。一ヶ月後のサマーソニックで彼等がメインステージに登場するからだ。折角だから聴いてみなよ、と。

もちろんバンド名も知っていたし、何曲かは耳にしたことがあった。以前住んでいたアパートの取り壊しが決まり、急遽引越を余儀なくされていた折に「嗚呼 晴天の霹靂〜」というフレーズの「君という花」がケーブルTVでパワープレイされていたのでよく覚えていた。アパートの取り壊しは自分にとってまさに晴天の霹靂だったのだ。

印象的なメロディーと楽曲の疾走感、まっすぐな詩の世界に好感を持った。気付けば一日中CDを繰り返し聴いていた。
驚いたことにボーカルの後藤さんは同じ高校の先輩だった。
高校時代にも彼の存在は際立っていたが、まさか。パソコンのディスプレイの前で、無言。

上京して10年目。一方的にではあるが、アーティストとリスナーという立場で再会した。しかもちゃんとした流通ルートにのって。
ほどなくリリースされている作品を全て購入した。
2005年の夏、スピーカーからはASIAN KUNG-FU GENERATIONの音楽が流れ、それを呆然と聴き入る自分がいた。

今や彼の音楽に多くの人が耳を傾けている。自分自身を音楽で表現している。
表現者を志し、美術大学を卒業したが自分は何も成せていない。
口ばかり達者な自分は東京で何をしたというんだ?何をしたいのだ?
人に何かを伝達したいという思いが欠落しかかってはいないか?
人前に出る覚悟すらできずに言い訳ばかりがうまくなる。
そして段々、いろんなことに鈍感になってゆく。

彼の音楽に、続けることや諦めないことの尊さを見せつけられた気がした。あまりの衝撃に数週間はロクに食事もできなかった。
自分がとうに忘れてしまった、感傷の渦に思いを馳せた。

何千、何万の前で己をさらけ出している。勝負している。
サマーソニックのステージで、それは鮮烈すぎる夏の光景だった。


本日の1曲
夕暮れの紅 / ASIAN KUNG-FU GENERATION