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村上春樹と君と僕

彼は時々、会話の途中でふと救いのない言葉を口にした。そしてこちらが口を開く前に静かに笑い、それを追いやった。
それはほんの数秒の間だったけれど、彼を思い出す時は決まってその顔が浮かぶ。彼はいつもそうして自分と「なにか」の間に折り合いをつけているように見えた。しかし、自分がいくら想像してみたところでその「なにか」が何であるのかわからない気がしていた。

彼は村上春樹の作品を好んでいるようだった。
そして文庫本の『ノルウェイの森』を書店で買い求めた。大学2年生のその当時まで本とはほとんど無縁だった。中学、高校時代共に本も漫画も読まなかった。『ノルウェイの森』が刊行されたのは87年で自分はまだ小学生だった。

その小説の中には自分の経験したことのない喪失感や、到底納得できないような出来事が描かれていた。しかしその作品世界の中で、それらは見事に辻褄が合っていた。普段は消化できないであろう事柄が自分の中にすとんと落ちていく感覚を味わった。
そして、彼を度々襲うその感情の「種類」を理解して暫くの間放心した。

言葉にできない思いを表現する為にあらゆる芸術は存在する、というのは自分の勝手な持論である。その感情のひだを埋めるような、文学や、音楽や、芸術作品を求めている。村上春樹という作家は一瞬の心の動きを数ページの文章に置換する。正確でありながら正当ではない比喩は時にフィジカルなアプローチでこちらに語りかける。

先日、キッチンで洗い物をしていてある風景が目に浮かんだ。それはエメラルドグリーンにクリームを溶かしたような淡い色合いの海の風景だ。砂浜には一人の中年の女性がデッキチェアにもたれかかっている。彼女は海を見ているのではなく、彼女と海の間に横たわる空間に目を遣っている。
その風景は確かな映像として脳内再生されていた。風がそよぎ、ぼんやりと樹木の影が揺らいでいる。皿を洗いながら、それはどこで見た何の映像なのか思い出そうとした。
それが氏の小説『ハナレイ・ベイ』のワンシーンであることに気がついたのは数分後である。

最初に村上春樹の小説に出会ってからもう何年も経った。そして何年も経ったおかげでそれなりに色々な感情を理解できる年齢になった。彼が幾度も飲み込んだその感情についても。
目の前で一瞬、遠い目をする彼に語りかけてみたところで、もう目の前に彼はいない。


本日の1曲
Give me a reason / Mondo Grosso


番外コラム

約1か月前、そもそもblogがなんなのかもよくわからないまま勢いで始めた黄昏コラムのカウントが1000を超えた。今月に入ってカウンタを設置してみたが、毎日その数字の推移を興味深く眺めている。

管理画面にログインすると、検索エンジンで何を検索して自分のblogに辿り着いたのかわかるのだけど、中には(こんなの書いたっけ?)的な検索ワードもある。「U2 ホテル 会う 2006」で検索した人は今度来日するU2のメンバーの泊まるホテルを調べていたはずで、きっと意図せずここに辿り着いてしまった。iPodの話題で「U2」が登場する1/18の記事と、浅草の「ホテル」で両親と「会う」2/5の記事がひっかかったのだろう。
他のサイトで情報は見つかっただろうか、と少し気に掛けてみたりする。

そっと誤字・脱字を指摘してくれる人や、メールで感想を送ってくれるシャイな人、旦那さんと共にページを眺めてくれる人や、毎日アクセスしくれる人もいる。どうもありがとう!
今までインターネットを利用するだけでそこに参加することはなかったから、発信側にまわって1000ヒットを数えたことは素直に嬉しい。

普段よく会う人たちも、そうはなかなかいかない人たちも、このblogで繋がっていられるとしたら立ち上げた意味は大ありなのだ。


極東の巣窟

今日初めてドンキホーテ中野駅前店に入店した。関東近郊にお住まいの方ならばお馴染みの激安の殿堂である。多くの人は一度は入店したことがあるのではないだろうか?

中野在住の友人は入店してすぐサササとエレベーターのある場所に向かった。『6階行く?』6階もあるのか!とおののきながら待つその空間がなんと狭いことか。そもそもエレベーターの位置が売り場に埋もれていてパッと見ただけではわからない。店内にベタベタと貼られたチラシ群やファンシーな携帯のマスコットなどを無駄に眺めながらエレベーターを待つ。

安売りをアピールするシールがてんこ盛りの商品を眺める。店内はさながら祭りのようである。(田舎出身者はよくこの表現を使う)衣類売り場にはメイド衣装を売るコーナーまであった。中野は秋葉原、池袋に続くオタクTOWNであるらしい。

しかしながら店内はものすごい騒音である。ラジカセからは本来趣味の良いミディアムテンポの音楽が爆音でかかっている。極東の激安の殿堂でパワープレイされることになると彼は想像しただろうか。しかも彼の美しい歌声はたまに音飛びする。

階段で下階に降りると日用品コーナーに辿り着いた。やっと現実的な商品に巡り会いホッとする。
するとまたしても彼女はサササとデンタルケアグッズのコーナーに移動した。非常に熱心に商品に見入る彼女を横目にドイツ製デンタルペースト、settimaを手に取る。これ使ってみたかったんだよナ。
彼女は頼んでもいないのにホワイトニングアイテムを数点手に取り、やや一方的に「買ってやる」と言い放つ。それは最近彼女がホワイトニングに目覚めたからなのか、それとも彼女なりの警告なのか真意は不明だがおとなしく買ってもらうことにする。

以前住んでいた小平市にもドンキホーテがあった。その建設前、付近で建設反対の看板をいくつも見かけた。深夜営業の店舗は若者の溜り場になり騒音も迷惑だ、という理由なのだろう。
一方大学生で暇を持て余していた自分は(早く出来ないかナー)と開店を心待ちにしていた。当時の暇つぶしスポットはコジマ電機とカメラのキムラヤ、レンタルビデオのGEOだった。その一帯を勝手に「小平のメガロポリス」と呼び、店舗のはしごをしていたのだ。

そして数カ月後ドンキホーテがオープンした。開店後数日してからメガロポリスに出掛けると、ものすごい人混みである。反対していた住民は本当にいたのか!?と思うほどの盛況ぶりにやはり祭りを連想する。

国分寺には「ピカソ」という店があった。店構えはドンキホーテとほぼ同じ系列店であるが、なぜ店名がピカソなのか?周りの友人も誰も知らなかった。24時間営業している駅近くの店舗は居酒屋の帰りの日用品の買い物に重宝した。よくゴミ袋や洗剤を購入したものだ。

自分の思い浮かべるドンキホーテ的アイテムの最たるはヒョウ柄の座椅子だ。できればピンク色が好ましい。まったく節操のないヒョウ柄と座椅子という日用品の組み合わせは、この上なくドンキホーテ的である。


本日の1曲
This Love / Maroon 5


RUSH HOUR!

進学を目的に上京した人たちは最初に住んだ土地がテリトリーになり、その後も同じ路線に継続して住むことが多いようだ。自分もそのパターンで中央線上を移動しながら高円寺に辿り着いた。

東京での移動手段はもっぱら電車である。中央線80%、山手線10%、他10%という利用率を誇る自分は中央線LOVERである。以前渋谷や下北沢に行く時に利用していた井の頭線も高円寺に越してきてからは使わなくなってしまった。井の頭線は雰囲気が好きで敢えて選んで乗っていたりした。
今は快速で2駅の新宿に出れば、そこからどこへでも行ける。
よく言われるように中央線はよく止まるし、数年前には高架化工事の弊害で「開かずの踏切」騒動もあった。中央線関連書籍も話題になった(のは沿線の書店だけか)。

中央線は特別快速、快速、各駅停車に分類される。高円寺に特別快速は止まらない。土日は快速も止まらない。週末我が家に来る友人の多くは「間違えて快速に乗って荻窪まで行っちゃった」経験があるようだ。土日は三鷹まで中央線と並行に走る黄色い総武線に乗らなければいけない。

あろうことか月曜の夜、新宿駅のホームに停車中だった中央特快に乗ってしまった。中野を発車してすぐアナウンスで気付いたがもう遅い。友人と喋っていたのでホームの電光掲示板を確認しなかったのだ。
次の三鷹までノンストップだ。我が愛しの高円寺をあっさりと通過し、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺、三鷹・・・。郊外在住者には頼もしい中央特快だが、間違えると結構な時間をロスすることになる。初めての失態に我ながら呆れつつ、混雑した車内でポケっと時間を過ごすしかなかった。
三鷹駅に降り立って時計を見ると普段なら帰宅している時間だ。三鷹は嫌いではないが今は三鷹に用は無い。刹那的気分だ。急いで職場を後にした意味がまるでない。

中央線は東京駅から郊外のベッドタウンに向かって延びているため、上りの朝の通勤ラッシュは壮絶である。以前住んでいた国分寺から新宿までは中央特快で21分だった。しかしこれは昼間の話で、朝の中央線上は列車がダンゴ状態で連なるため実際はそれより随分時間がかかる。
朝の駅の光景は(一体どこからこんなに人が湧いてくるのか)と首を傾げるほどだった。その様子たるや人混みが人混みのまま移動しているようなものだ。わさわさ。
数分間隔で列車はやってくるのにホームに入る電車は充分に満員である。そんな状態にさらに乗り込まなければならない。パーソナルスペースとは無縁のその空間で、よくこれで電車が動くものだナ・・・(イテテテ)と感心してしまう。

通勤特快という国分寺から新宿までノンストップの電車がある。学生時代、新宿御苑のアルバイト先に通勤するためよく利用した。やはり早い。そしてご多分に漏れず、ひどく混む。
乗り込んだ瞬間の体勢でホールドされてしまうので乗車前は妙な緊張感がある。ミネラルウォーターを口に含み、カバンの口をしっかり閉める。さぁ!

一度片足を上げた状態で乗り込んでしまい、そのまま新宿まで片足が床につかなかったことがあった。しかしこんなのはわざわざ書くまでもないことだ。聞く話だと、中央線のラッシュはある人の高級傘の頑丈な柄を折り、ある人のろっ骨を折った。「TSUTAYAで借りた数巻のビデオですら武器」と友人が言ったのもまんざらオーバーな表現ではない。

高円寺に越してきても中央線のラッシュは相変わらずだが、乗車時間が短いせいで精神的負担は軽減した。新宿までわずか6分だ。ホームに到着したぎゅうぎゅうの車両に乗り込む時、(まだ乗るのかよ)的な目で皆が見ている気がする。
何を隠そう、自分は以前そう思っていた嫌なやつである。


本日の1曲
Transient happiness / DOPING PANDA


宙に消えた電気

今月も電気代が1万円を超えた。一人暮らしをしていても真冬と真夏に関してそれは驚く金額でもない。以前住んでいたアパートでは、ある時期の電気代が毎月2万を超えていた。

その金額を親に指摘されるまでまったく気が付かなかった。周りに聞くと「家族で住んでいても2万は高いよ」という人もいたが、部屋を見回してみれば家電製品も多い気がする。
昼夜逆転生活で常につけっぱなしのMacintoshと、運転し続けるエアーコンディショナー。ミュート状態のテレビとステレオの音楽。こんなものなのかなとなんとなく納得していた。

ある日の夜、突然ブレーカーが落ちた。
ソロソロと台所に行き配電盤を見上げると、配線部分がボォっとオレンジ色の光を放っている。よく見るとそこから細い煙が出ていた。これは多分、燃えている。
電力会社に電話を架けるとオペレーター氏は明らかに自分よりも動揺している。『け、煙ですか!』

電気がない、というのは想像以上に困った事態だった。真っ暗な部屋では思いのほか何も出来ない。言い換えればすることが何もない。青白い月明かりの元、ベッドに腰かけアイスティーを飲む。
真夏の夜の21時過ぎ。それまでの部屋の騒音が突然絶えた。

沈黙。
パチパチと音をたてる配電盤に目をやる。

ネコ氏をキャリーバックに押し込みアパートの外に出た。足元に置いたバックの中で彼は不服そうである。柵にもたれかかって通りを見下ろしながら車両の到着を待つ。
1時間ほどして電力氏が到着し、配電盤を交換してもらう。新しい配電盤は以前のものよりもひと回り小さく、明るくなった部屋にその跡がやけに目立った。

何に対して2万円を払い続けていたのだろう?


本日の1曲
Blue Light / Bloc Party


表参道ヒルズ


先週遂に表参道ヒルズがオープンした。大学生だった頃から同潤会青山アパート跡の建築計画は度々メディアに取り上げられていた。同潤会アパートのファンは多くその成り行きは自分も気になっていた。

同潤会アパートは戦前に建てられた国内初の鉄筋作りの集合住宅である。外壁をツタに覆われた重厚な様はまるで外国の古い建物のようだった。付近に華やかなブランドの路面店が並ぶ中、まさに時空を越えた存在としてそこに在った。
今日の夕方、思い立って表参道ヒルズに出かけた。

表参道からヒルズ内のショップに入店できるようになっているのは予想外だった。通りから気軽にアクセスできるのが自然に思えて好感を持った。
初めて六本木ヒルズを訪れた時は、そのつくりの複雑さに辟易した。広大な敷地面積がそうさせているのかもしれないけれど、行きたいショップになかなか辿り着けない!という事態に陥り、探索を諦めた経緯がある。
この表参道ヒルズの設計者、安藤忠雄は世界の名だたる建築家と同列で語られる存在である。期待が高まる。


地上3階、地下3階の吹き抜けが美しい。表参道のケヤキ並木の景観を損なわないよう、地下を掘削することで建物の高さを押さえている。壁と天井で空間を区切るという選択が最初からなかったかのような(これじゃなきゃだめだ)感がある。
館内はなだらかな斜面になっており、エスカレーターを使わずして全ての店舗を一巡できるようになっている。斜面の角度も表参道の傾斜と等しいそうだ。そして同潤会アパートの一部はヒルズに内包される形で残っており、周りの環境との調和が建物の重要なコンセプトであるのが伺える。

数カ月分の家賃に相当するJIMMY CHOOのバックの魅力に悩まされながら館内を歩いていると、いつの間にか地下3階に降りてきてしまった。再度エスカレーターで地上3階へ上がる。

建物の存在価値は人間を含んでこそ。そこに集まった人々は実にファッショナブルでその空間の完成に加担していた。街ごとに集まる人の種類が異なり、自分に適した場所を見つけることができるのは東京という都市の魅力のひとつだ。表参道には表参道的人間が集まる。

DOLCE & GABBANAの店内にはデニムの着こなしが僭越な若者がベンチに腰掛けている(彼はきっと会計を待っている)。上品な扉でそっと入り口を閉ざしているHARRY WINSTONは顧客と内緒話をしているようにも見える(入店できるのは予約客のみだ)。こんなラグジュアリーな空間では警備員ですらポケっとした顔をしていると浮きそうである。

現代の東京に、いかにもトーキョーらしいランドマークが誕生した。


本日の1曲
Why Not? / Fantastic Plastic Machine


クールなキッズには時間がない

浪人していた1年間は毎日デッサンを描き、絵の具にまみれていた。もう9年も前のことだ。
美大にも学科の試験がある。通っていた予備校では毎朝早くから「朝学科」と呼ばれる授業があった。大きな声では言えないが1年間の出席回数はおそらく10回にも満たない。そんな自分が通っていた武蔵野美術大学も今週あたり入試なのではないかと思う。

今でも付き合いの続く友人の多くとその予備校で出会った。着々と迫る受験を控えた同志である。その不安の状態が一層絆を深めたのではないか。
しかしそのプレッシャーは気付かないうちに自分を苦しめていた。秋頃には極度の貧血状態に陥り、よろよろと足元もおぼつかない有り様だった。

大学の特性上、周りの友人達とも同じ大学を受験することになる。
2月初頭、景気づけに受けたつもりの大学に不合格。その場にいた友人達と憂さ晴らしにバッティングセンターに繰り出したが、バッドは空を切るばかりで余計に憂さがたまった。
精神を立て直す暇もなくそれから怒濤の受験週間が始まった。画材を積んだカートをガラガラを引きながら全国各地からやってきた受験生と大群をなして試験会場に向かった。

親しい友人と、合格発表は別々に見に行こうと決めた。同じ大学を受験していても共に合格するとは限らない。大学近くへ向かうバスに乗るべく立川駅のバス停に並んでいると、向こうから当の友人が歩いてやってきた。苦笑しつつ一緒にバスに乗った。時間も、移動手段も同じとは。さすがいつもつるんでいるだけあるな、と妙に感心した。
大学構内の駐輪場に設けられた掲示板でお互いの合格を確認し、晴れて我々の進路は決定した。

立川駅の公衆電話で実家の祖母に電話をした後、国立へ向かった。
欲しかったプレイステーションを合格したら解禁しようと思っていたのだ。そしてあろうことか二人して本体と一緒に同じソフトを購入したのだった。貸し借りを考える冷静さはなかったようだ。

受験シーズンを迎えた朝の国分寺駅は毎年ガラガラとカートをひいた受験生達で溢れる。居酒屋で飲み明かし帰宅する途中にその光景に出くわして立ち止まったことがあった。
寝ていないぼやけた頭で彼らを眺めていたら、不安で仕方なかったあの頃を思い出して胸がいっぱいになった。


本日の1曲
1979 / Smashing Pumpkins


アンハッピー ニューイヤー

「はまったんじゃない・・・?」と助手席の彼女がおそるおそる口にする。
そう、きっとはまっている。認めたくないけれど。
運転席のドアを開けるとすぐ下に地面が見えた。振り返ると困惑した顔の彼女もちょっとだけ傾いている。車を降りて確認したら、右タイヤが道端の溝にすっぽりはまっていた。

ついさっきまで夜の海岸通りを気持ち良くドライブしていた。
すると何かの建物の門に突き当たった。なんだ行き止まりか、とUターンをした時ガクッと車体が傾いた。そのままアクセルを踏み続けたが、空回りするばかりで動く気配はない。

面倒なことになったなと思った。
原子力発電所の門の前で、溝にはまって傾いている親の車。そして状況を理解すればするほどダークな気分になってきた。2006年1月1日。遠回りをして帰ろうと無邪気な提案をした自分を呪った。

白い息を吐きながら門番のおじさんに状況を報告した。「何度もそこにはまったの見たけど、右側は珍しいナァ〜。」傾いた車に戻る途中(だったら溝に蓋をしてくれ)と思った。
そして携帯から104へ電話をしJAFの番号を問い合わせる。教えてもらったのは短縮ダイヤルだった。おおよその現在地と現場の状況を伝える。到着まで1時間半、費用は2万円くらいと説明された。幸いにもほとんど車通りもない。

左は鬱蒼とした山、右は黒々とした海。敷地の入り口は巨大な鉄扉に閉ざされ、その先には蛍光灯の明る過ぎる警備室。小さなテレビには呑気なバラエティー番組。背後で動き続ける原子炉。
誰が好き好んで真夜中にこんな場所に来るだろう?

JAFを待つ間に日付けが変わった。どうごまかしても確実に動揺している自分に「もう元旦じゃないから大丈夫!」と微妙に的を射ていない彼女のフォローがありがたい。

JAFの到着後、一緒にしゃがみこんで車体を確認したり運転席でアクセルを踏んだりして作業は20分程で完了。母親の車にもほぼ傷はついていないようだ。財布を握りしめ会計を待つ。「値引きして1万8千円にします」と言う。なんて頼もしい人なんだ。

次に年会費の支払い方法を確認された。年会費?
東京で車を持っていないので運転するのは専ら正月実家に帰ってきた時くらいだ。会員価格で1万8千円。さらに年会費を毎年4千円。聞くと会員に加入するかは任意のようだ。何の説明もなく加入前提で話が進んでいたのにも驚いたが、この状況である。有り金で解決できればそれでいいと思った。一刻も早く、ここから立ち去りたかったのだ。

すると彼女が止めに入った。「家族割引が利用できるなら親に加入してもらえばいいんじゃないの?」今度は的を射た意見だった。すると「家族割引は使えない」とさっきとは逆のことをJAF氏は言った。どうしても入会させたいらしい。
何分かの問答の末、その意志がないことを伝えると彼は明らかに不服そうな顔をした。「入っといた方がいいと思いますけどねぇ!」「今度依頼があっても来れないと思いますよ?」

その豹変ぶりに呆気に取られつつも「非会員価格で構わないから、入会はしない。」と告げた。彼は渋々それに応じ、作業代13600円を支払った。
13600円は最初に提示された会員価格よりも随分と安い。その計算式はよくわからなかったが、入会キャンペーンの胸のバッチが彼に圧力をかけているのは明らかだった。

せっせと撤収し走り去る車を見送った後、「最初はいい人だったのにネ」と彼女と苦笑しながら車を発進させた。


本日の1曲
What Ever Happened? / The Strokes


The Pillows

毎回のコラムに合わせて音楽をセレクトするのは、いろんなアーティストの音楽を改めて聴くいい機会になる。素直にその日に一番多く聴いた楽曲を選ぶ日もある。大体においては書き始める時には曲が決まっていない。

iTunesのパーティーシャッフルでThe Pillowsの「Funny Bunny」が流れて、それまで快調に記事をタイプしていた手が止まった。そして暫く手を休めてそれに聴き入った。
瞬間的にある種の誠実さが胸を打つことがある。

最初に断っておくと、The Pillowsに関して今現在アルバムを1枚持っているだけでライブも観たことがない。だからもしThe Pillowsファンの方がこれを読んだらその拙さに苦笑いするかもしれない。
ただ、その音楽の誠実さは確実に届いている。TVで、街中で、彼等の曲を耳にする度に。

結成は1989年。「彼等」なんて呼ぶのもはばかられる程である。まだ自分は小学生だった。もしその当時から同じことをずっと歌い続けているとしたら、それほど尊いものは他になかなか見つからない。
そして一度でもその楽曲に触れたことのある人なら、自分が言わんとしていることはわかってもらえると思う。

真剣に音楽で勝負しているのが聴いた瞬間にわかる。そのポップなメロディーと相反するかのような意志の強い歌詞。だから気分が滅入った時ほど聴きたくなる。

君の夢が叶うのは 誰かのおかげじゃないぜ 
風の強い日を選んで 走ってきた            
———Funny Bunny

楽曲の印象通り、vo.山中さわお氏がこんなに真っ直ぐに生きているのだとしたら、その生き方は辛くないだろうか。彼は永遠に器用な大人になれないのか。間違ったことにも頷く妥協は本当に必要ないのか。

しかしながら彼は16年もの間The Pillowsというバンドで自らの音楽を鳴らし続けている。その間ずっと音楽と自分自身と向き合ってきたのだ。自分のような若造が簡単に想像できるものではない。その説得力はこちらを黙らせるけれど、おそらく彼は誰かを黙らせるために歌っているのではない。

彼にはロックしかなかったんじゃないか。信じられるものも逃げ込める場所もロックしかなかった。優れたアーティスト達がそうであるように、そうやって彼は孤独を受け入れざるを得なかったのではないか。
だからその音楽は切実で、こんなにも胸を打つ。

時代が望んでも 流されて歌ったりしないぜ 
全てが変わっても 僕は変わらない
———Fools on the planet        

あるバンドはその解散ライブで「たくさんの希望と絶望をありがとう」とオーディエンスに告げてステージを去ったそうだ。
そうして信じた道を必死に生きていこうとする人達が好きだ。

音楽に関しては自分は所詮いちリスナーであるが、誠実な作品には誠実に耳を傾けたいと思う。所詮なりの、敬意を込めて。


本日の1曲
Funny Bunny / The Pillows


Online Banking

先月銀行に行った際、銀行名が変わっていてびっくりした。
そう、三菱東京UFJ。TVのニュースを見ない生活が祟っている。合併の話はなんとなく知っていたが信託とか証券の自分に関係のない分野の話だと思っていた。視界に入った看板を見上げて「うぇっ。」と声を上げた自分が情けない。

一人暮らしをしていると毎月家賃の振り込みという厄介なイベントがある。金銭と時間共に余裕が無い自分は月末になるとゾロゾロと新宿駅西口のATMの長い列に並んでいる。「はいー、次の方どーぞー」と警備のおじさんも忙しそうだ。
イソイソと振込を済ませATMを後にする。普段はコンビニATMを主に利用しているため通帳記入は滅多にしない。数日前に行った銀行でここぞとばかりに通帳記入。昨年夏からの印字にはすごく時間がかかり機械の前でぼんやり待つ。ジジジジ ジジジジ。新しい通帳に繰り越したはいいがそっちもほとんど埋まる始末。

そんな折に周りのお姉さん方が教えてくれたのが新生銀行だ。
インターネットで預金の管理ができて、聞くところによると振込手数料が月5回まで無料らしい。おお。それは早速申し込まなければ。

窓口に行くのが面倒だったので(まずは資料請求ネ)とMacintoshをカタカタといじって情報を眺めていたら、どうやら必要書類をダウンロードできるようだ。免許証をスキャンしプリントアウト、電力会社の振替領収証を同封。必要書類に記入。欄外に勝手に捨て印。封筒に両面テープ。ポストに投函。
約1週間後にカードが届いた。口座開設完了である。
ナイスだ。ナイス新生銀行!(こういうスピーディーさに滅法弱い)

しかし、口座を作ってから気が付いた。
月末になるまで振り込むお金がないことに。
結局また今月もATMに並ぶことになりそうである。まずは貯金か。


本日の1曲
Bored Of Everything / ELLEGARDEN