Archive for the '黄昏コラム' Category

残された銃創

昨夜、自宅のマンションに轟音が鳴り響いた。正確に言えば『少し離れたところで鳴り響く轟音』が聞こえた。それは振動を伴うような鈍い音でズシン・・・ズシンと不気味だった。
暫くしてマンションの入り口のドアに誰かが体当たりしている音だということがわかる。このマンションの1階の入り口は鍵で施錠されている。

ここの住人達には部屋の鍵と建物入り口の鍵がそれぞれ与えられていて、オートロックならぬ「手動ロック」で守られている。しかし、いくら鍵がかかっているとはいえ気味が悪い。ちょっとしたホラーである。
執拗に体当たりを繰り返す某氏を想像し、ある考えが頭をよぎる。
(もしやこのマンションの住人なのではないか?)

帰省していた実家から戻り、マンションの鍵を探すがカバンのどこにも見当たらない。鍵を実家に忘れてきてしまったのだ。そういえば自室の机の上に鍵があったような気がする。落ちていた釘のようなもので鍵穴を突くが鍵は開かない。彼はひとしきり途方に暮れた後、ヤケになって扉に体当たりをしているのではないかと。

扉に体当たりこそしなかったけれど、それは一人暮らしを始めた年に実際自分に起こった悲劇である。

時刻は0時に迫ろうとしていた。当時はまだ近所に友人がいなかったのだろう、仕方なくマンション近くのホテルに宿泊した。自宅が近くにありながら帰れないという情けない状況で下がりまくったテンションに、宿泊費の1万円が更に追い打ちをかける。

それ以来、カバンの中の自宅の鍵の存在にはナーバスになっている。マンションの入り口の手前でカバンをまさぐる時、とても緊張してしまう。(家の近い友人に合鍵を渡しておくのがいいかもしれない)
だから昨夜、轟音に怯えると同時に『開けてくれー』という声が聞こえるのではないかと思い耳を澄ました。しかし15分くらいで音は止んだ。

今日、入り口のドアを見ると上部のガラスに見事なヒビが入っていた。まるで弾丸で撃たれたかのような見事なヒビだ。はっきり言って、穏やかではない。
これを期にオートロックにならないものだろうか。ゴミを捨てに行く時にも常に鍵を持って行かなくてはならず、手動ロックは結構面倒くさい。


本日の1曲
Beware! Criminal / Incubus


愛車TOMOS

大学に入学した年に、原付バイクの購入を思い立った。真っ先に浮かんだのは、以前雑誌で見かけたciaoだった。輸入車種を扱う渋谷のHONORARYに向かう。店員氏によるとciaoは坂道に弱く、繊細な車両であるようだ。自転車のような華奢なルックスに惹かれていたのだけど、考え直すことにした。
悩んだ末オランダ製の原付バイク、TOMOSを購入した。車体価格にアクセサリーや保険料を合わせて約25万円の買い物。

TOMOSにも自転車のペダルがついていて、エンジンを切れば自転車として機能する。こういう「エンジン付き自転車」は通称モペッド (moped)と呼ばれ、ヨーロッパでは一般的な乗り物らしい。
しかしストレートに自転車をイメージするのは危険だ。ペダルは前方にしか回転せず、車体が重いせいで必死に漕いでもなかなか前に進まない。

しかし、一方通行が多い住宅街や交通ルールの複雑な街中では威力を発揮する。一方通行の迷路に迷い込んでしまったらボタンでエンジンを切り、自転車状態で突っ切れる。道を間違えた時は、ペダルを漕いで目の前の信号を渡ればよい。しかしその様は意図せず皆の注目を集めることになる。

その個性的な外見以外にもTOMOSには国産車と違う点がいくつかある。まずエンジンキーが無い。大抵の原付はキーを回してエンジンをかけるけれど、TOMOSは後方にペダルをキックしてエンジンをかける。慣れるとサドルに座ったままでもエンジンをかけることが出来るけれど、気温が下がる冬場はその作業に10分以上費やすこともある。
給油時には専用のオイルをガソリンに混ぜる必要があるから、いつもスタンドの脇でペットボトルに詰めて持参したどろどろの液体を自分で混入しなければならない。

それに外車は一旦故障すると修理に費用がかかる。当時友人氏が近所のバイク店で働いていたために、いつも快く修理を引き受けてくれたけれど、大抵は断られてしまうと思う。代替えが効かない部品は高額で、取り寄せにも時間がかかるからだ。

当時は車の免許を持っていなかったので、購入前の帰省時に静岡の山奥の免許センターで原付免許を取得した。そして渋谷で購入したバイクを当時住んでいた小平まで乗って帰る、という最初の難関に立ち向かわなければならなかった。渋谷から小平までは結構な距離がある。スピードの出ない原付なら尚更時間もかかる。

店員氏の至極簡単な説明を受けて発車した数分後には、死物狂いで246号線の交差点を突破していた。明治通りを新宿まで北上し、青梅街道をひたすら西へ。初めて公道を走るというのにどれも都会の主要道路だ。

明治通りを必死な形相で走り抜け、新宿から青梅街道に入った。3車線の道路に赤信号で停車すると殺気立つ後続車の気配を感じて、スタート前の緊張感にビビる。信号が変わって発車した数秒後には、道路脇の工事の看板に思いっきり突っ込んでいた。アクセルの加減すらわかっていなかった。

気を取り直して青梅街道を進む。いや、進むしかなかった。杉並区に差し掛かったあたりでおもむろにペットショップに入店した。当時我が家にやって来たばかりの子猫氏に土産を購入し、冷静な自分を演出。再度バイクにまたがり、鬼の形相で我が家を目指す。そうして渋谷から約2時間の旅が終わった。

その後の生活に欠かせない存在となったTOMOSだが、レッカー騒動があったせいで今は実家の洗濯場に放置されている。
購入したのは10年前、静岡からの運搬費用とメンテナンス費を考慮すると、新車を買った方がよいのかもしれない。愛車TOMOSと離れて2年が経ち、そろそろバイクにまたがる生活が恋しくなってきた。


本日の1曲
By The Way / Red Hot Chili Peppers


手紙缶

我が家の玄関には手紙の束がギュウ詰めになっているスチールの缶がある。その缶が何故玄関にあるのだろう。2年前にこの部屋に越してきた時、何気なく棚の一番下に入れたのだろうか。他に動かす人もいないから、おそらくそうなのだ。

今では自分宛の手紙は滅多に来なくなった。我が家のポストに配達されるのはほとんどがダイレクトメールか、宛名すらないチラシばかりだ。
しかし玄関の手紙缶の存在はいつも頭の片隅にあった。片付けの時には目に入るし、あの缶の中にある手紙の存在を忘れるわけがない。

旅行好きの両親が旅先から送ってよこしたポストカードや、留学中だった友人氏からのエアメール、近しい友人がわざわざ郵便で出した走り書きまである。それぞれがペンを執り、切手を貼った自分宛ての手紙だ。そしてその消印は1996年からの数年間に限られている。1996年は東京に上京した年で、当時は携帯もインターネットもまだ一般的ではなかった。

滅多に見ない手紙缶を開けた。
埃の積もった缶に詰まった色とりどりの封筒と便箋。そのあちこちになんだかよくわからないシミがついていて、なんだかよくわからない液体で端がびろびろになっている。
封筒にはあらゆる筆跡で自分の名前が書かれていて、裏を返さなくても誰からの手紙かがわかる。当時のアパートの番地が懐かしい。

そして見慣れた筆跡の封筒を2通手に取る。ひとつの封筒にはあるミュージシャンの歌詞カードのコピーが入っていた。彼の敬愛するミュージシャンのカセットテープを貰った時に一緒に入っていたものだ。そしてもう1通。彼に宛てた何十通もの手紙のうち、返信があったのはこの1通だけだった。

便箋には日付けが入っていないけれど、代わりにバンドエイドが一つ入っていて、その手紙がいつ頃出されたものかがわかる。手紙を大学正門脇のポストに投函する時、バイクを止めようとして転んでしまった。その日は珍しく雪が降っていて、目の前のバス停には多くの学生が並んでいた。そのエピソードを話したせいで、彼は部屋のどこからか引っ張り出したバンドエイドを封筒に入れたのだろう。

手紙嫌いの彼が何故その時だけ返事をくれたのかはわからない。文面に『心があたたまるお手紙をちょうだいしたので』とあるところを見ると、かなり恥ずかしいことを書いた恐れもあるが、内容は全く思い出せない。もっとも、彼に宛てた手紙のうち、恥ずかしくない手紙などあっただろうか?

実のところ、彼のこの手紙のせいで手紙缶が長らく放置されていた。いつでも見れるように玄関に置いたのかもしれない。同封されていたバンドエイドのせいで余計に存在を忘れられなかった。この封筒を最後に開けた時は、まだ大学生だった。

もう何年も彼に会っていないけれど、その手触りや筆跡や糊のつけ方までが彼を語っている。相手の手元にあったものが移動したという事実がより感傷的にさせるのかもしれない。
開けてしまった手紙缶の中にはあの頃の空気がそのまま籠っている気がして、胸が詰まった。


本日の1曲
天使みたいにキミは立ってた / The Pillows


時は過ぎ、未来は今

時が過ぎる速度は一定であるはずなのに、時間の経過を早く感じる時期がある。仕事の終業時間を逆算して進むだけの時間は虚しい。早く過ぎることを願ってやり過ごす短絡的な時間もあるけれど、過ぎてしまった季節を振り返って呆然と立ち尽くす時もある。

目先の楽しみなイベントに向けて、早く進むように願うと同時に、目の前を過ぎていった時間を嘆く。矛盾を繰り返している間に一日が、一週間が、一年がすぐに過ぎてしまう。
時の流れに日々を奪われていると感じることもある。そう感じるのは、自己が成長を放棄している証でもある。時の経過を肯定的に捉えることが出来ないでいる。

毎日をやり過ごしている間にも、きっと大切なものを逃している。何も創造しない間に感覚は鈍る。前進しない自分の目の前を時間は淡々と過ぎてゆく。

同じような感覚を浪人時代にも持っていた。高校生でもなければ大学生でもない。不確かな未来の希望的観測に焦がれるばかりだった。大学入学が決定した時、これからの数年間は自分を覆っていた面倒な不安を忘れられると安堵した。

大学生活に抱いていた幻想は次第に色褪せていったけれど、友人達と一緒に過ごす時間は自分を支えていたと思う。大学というコミュニティーに所属し、似たような価値観と志を持つ仲間と過ごしていると安心出来た。

美術大学は特異であるということを卒業して初めて認識するようになった。我々が重きを置いている物事は一般社会に置いてあまり重視されていないようだった。もっとも、必要の無い人にとって、芸術は無くても生きていけるものである。芸術とは人々が日々を営む為に追いやってしまう面倒な感情で構成されていて、それは学生の頃の自分が抱えていた孤独や焦燥によく似ている。

大学卒業から4年も経ってしまった。いつもあれから何年かを数える時、少なめに年数を見積もってしまうのは、あの頃の自分への後ろめたさの証拠であり、目の前を通過した時間の儚さを知っているからだ。


本日の1曲
十二進法の夕景 / ASIAN KUNG-FU GENERATION


マイオウンスタイル・カフェ

以前住んでいた国分寺にはスターバックスがあり、休みの日にはそこへ通っていた。氷少なめのオーダーで自宅へ持ち帰るのが習慣になっていた。
仕事の休憩には毎日カフェに立ち寄る。コーヒーが飲めないのに、いつのまにか無類のカフェラテ好きになっていて、毎日1杯は飲まないと落ち着かない。コーヒーの香りたつ喫茶店は息抜きに欠かせない。

数年前にDeLonghi(デロンギ)のエスプレッソマシンを購入した。購入当初の期待は大きかったがやはり業務用との違いは大きい。価格の違いが旨さの違いなんだろう。しかし休日以外は外で飲むので多めに見ている。市販の甘すぎる商品に甘んじるよりはずっとよい。

タンクにミネラルウォーターを注ぎ、スイッチを入れる。フィルターにはたっぷりと二人分の豆を入れる。ゴォガョワァーと威勢のよい音で抽出されるエスプレッソをデミタスカップに受け、氷と牛乳を入れたカップに一気に注ぐ。白と茶色が混じり合って完成。

初めてスターバックスで豆を買った時、店員氏は豆の並んだ棚の前に自分を連れていき、親しみのある口調でレクチャーしてくれた。味の好みと豆のセレクト、エスプレッソ用の豆を買う以外にも色んな選択肢があるようだ。こういうところで企業のイメージは大きく変わる。
ふむふむ。豆は挽いてから一ヶ月以内に使い切るのが理想らしい。ひとり暮らしの自分は100グラムずつ購入し冷凍保存している。

ところでスターバックスはコーヒーの「カスタマイズ」を歓迎している。エスプレッソショットやホイップクリームをを追加したり、お子さま用には”ぬるめ”をオーダーできる。オーダーのカスタマイズはなんと70000通り。

Webサイトではオンラインでカスタマイズをシュミレーションでき、自分好みのオーダーをする手助けをしてくれる。コンディメントバーと呼ばれる店内のカウンターにはシナモンパウダーやバニラパウダー、ハチミツ等のアイテムが並び、気軽にアレンジを楽しめる。

単に商品をオーダーするだけの場ではない。そういう余地が残されているのもスターバックスの大きな魅力で「コーヒーの香りを損なわないために禁煙」だとしても足が向いてしまう。

周りを見てもコーヒーをこよなく愛する人は多い。
喫茶店に入ってコーヒー、居酒屋に入ってビール。コーヒーもビールも飲めない自分はそういうスマートなオーダーに未だに憧れている。


本日の1曲
if i ever feel better / Phoenix


ウォーター・セレクター

東京の水はまずい。少なくとも我が家の水は。浄水器を付けようかとも思ったけれど、元のまずさを知っていると騙されたような気分になりそうだ。
料理には基本的にミネラルウォーターを使うので、2リットルのペットボトルは常に何本かストックしている。歯磨きくらいは妥協するけれど、うがいをする時に一瞬感じる鉛のようなにおいには未だに馴染めない。我が家では浴槽に貯めた水すらかすかに鉛臭い。もっとも、集合住宅の貯水タンクなんて信用出来るものではない。

静岡の実家に帰るとやはり水がうまい。そのままでも充分おいしい上に、高そうな浄水器がついている。キッチンに立って、浄水器のピロロ〜という音に戸惑いながら蛇口にコップを差し出す。水道水でもおいしい氷が作れるから、ロックアイスを買う必要も無い。ミネラルウォーターを買い忘れた!という事態にも陥らないのである。

外出する時はカバンにペットボトルが入っていないと落ち着かない質で、しょっちゅうキヨスクで飲料を購入している。
ある友人氏は常にミネラルウォーターを選んでいた。その理由を尋ねると『水なら温くても我慢できるから。』だそうだ。その言葉に妙な説得力を感じ、それ以来ミネラルウォーターを積極的に選ぶようになった。

日常的にミネラルウォーターを手に取るようになって初めて、味の違いに気付いた。ボルヴィックは癖が無くとても飲み易い一番のお気に入りである。ボトルが柔らかくて手に馴染むクリスタルガイザーは”持ち易い”という理由でライブの時によく購入する。

一方、デザインが好きでよく買っていたヴィッテルはパッケージがリニューアルされてからはあまり買わなくなった。エビアンはどうも鉄くさいし、コントレックスは癖があり過ぎて断念した。(後日遊びに来た友人は、そのコントレックスを焼酎で割って飲んでいた)

巷で流行中の炭酸水はペリエくらいしか飲んだことがない。そもそも炭酸水をどういうマインドで飲んだら良いのかわからない。要するにあまり得意ではない。しかしウェルチのペリエ割りはすっきりしていてとても美味しい。

街のマーケットでは見慣れないラベルのミネラルウォーターが並んでいる。ここ数年で急激にミネラルウォーター文化が根付いた証拠なのだろう。好みで水を選ぶなんて、幼い頃には想像もしなかった事態である。


本日の1曲
forget me nots / the band apart


山中湖ノスタルジィ

幼い頃は毎夏決まって山中湖に家族旅行に出掛け、親戚の所有する別荘に滞在していた。旅行嫌いの祖父は毎年自宅で留守番と決まっていたが、親戚衆も交えての好例行事だった。

別荘は樹木に囲まれていて、真昼でもひんやりと心地よい。玄関前の木にハンモックを渡し、何度も地面に転げ落ちながらリゾート気分を満喫していた。
スワンボートに乗ったり、赤い3人乗り自転車を漕いだり、ビートたけしのカレー屋に行ったりした。居間のテレビではよく24時間テレビを見た。

別荘の玄関を開けると毎年同じにおいがした。『山中湖のにおいがする〜』と感慨深げな歓声を上げる自分に父親はあっさりと『カビのにおいだよ』と言い放った。それ以来深呼吸も控え、二度とその言葉は口にしなくなった。

別荘から歩いて3分程で湖に辿り着く。湖までの狭い道の両脇には木々が生い茂り、よく見ると古いボートが何艘も放置されていた。
早朝は父親と二人で湖畔をドライブした。車の黒いボディーにキラキラと光が反射し、窓を全開にすると生まれたての空気が顔に当たって気持ち良かった。

別荘の裏の山の山頂にはMt.Fujiという立派なホテルがあった。当時からジャズ・フェスティバルが開催されていた有名なホテルだ。そこは自分にとって一番身近な大人の雰囲気を感じる場所だった。滞在中には何度かホテルを訪れ、食事をしたり散歩をした。ホテルの五目ソバは見たことのないような豪華さでとてもおいしかった。

ホテルのある山頂へ向かう途中、外国のホラー映画に出てきそうな退廃的な建物があった。こちらを威嚇する牢獄のような頑丈な鉄の柵と黒い外壁に這うツタはとてもおどろおどろしく、古いお城のようにも見える。真夏の日差しに照らされて、人気のない建物は一層不気味だった。そして毎年、その建物のことが家族で話題になった。

富士山麓から湧き出る8つの泉は忍野八海(おしのはっかい)と呼ばれている。その光景は衝撃的だった。どこからかポコポコと空気の塊が噴出し、透き通った水のせいで泉の底は果てしなく深いように見える。柵すらない泉の淵で、水面を恐る恐る覗き込むと足がすくんだ。
その時、傍にいた知らないおじいさんが『こないだ撮影で潜った人間が底の穴に吸い込まれてまだ死体があがらないんだよ』と笑った。あんまりありがたくないエピソードを吹聴されたせいでその恐怖は更に加速した。

山中湖の思い出が次々と頭に蘇り、とても全ては書ききれない。
中学に入学すると別荘にも行かなくなった。今から8年前、友人と久し振りに別荘を訪れて以来、山中湖には行っていない。真夏にしか行ったことがないせいで、思い出す光景は隅々まで真夏の日差しに輝いている。
真っ黒なお城や、忍野八海の8つの泉や、Mt.Fujiのガラス張りの大きな窓は今この瞬間にも存在し続けているのだろう。それはこちらをなんとも不思議な気分にさせる。


本日の1曲
Sunday Morning / Maroon 5


コンプレックス

体型や顔立ちにコンプレックスを抱いている人は多いと思う。太っていることは努力次第で克服できても、背が低いことや顔の造作の問題は簡単に解決できない。
『痩せていて背が高いのが嫌で仕方なかった』と書いてあるモデルのインタビューを読むと、個人のコンプレックスがどこに潜んでいるのかますますわからなくなる。

ある友人氏のコンプレックスはこちらが当初想像していたよりも随分根深いようだ。顔が丸い、鼻が低い、オシリが大きい、毛深い・・・。彼女はありとあらゆる面において自分を卑下し、事ある毎にそれらのコンプレックスを列挙してみせる。
しかしどれも取るに足らない悩みに見える。第一、彼女は太ってもいないし、不細工ではない。見ている限り、彼女は食事にも気をつけているし、充分にファッショナブルで、朗らかな性格で皆に好かれている。

時には冗談まじりで自分のコンプレックスを話したりもする。そしてその気遣いのせいで、あたかもコンプレックスを陽気に扱える人なのだという錯覚を周りに与えてしまう。

彼女と知り合って間もない頃、何故そんなに外見の欠点を口にするのか理解出来なかった。ある日、楽しい会話の続きのつもりで投げかけた軽い言葉が彼女の心を深く傷つけてしまった。突然泣き出した彼女に思いっきり動揺し、自分の思慮不足を深く後悔した。こちらにとっては全くのノーマークの言葉が、彼女のコンプレックスを刺激してしまったのだった。

それ以降、彼女の前では発言に気を遣うようになった。彼女が言われて嫌なことは口にしないようにしながらも、友人関係特有の”茶化し”を失わないようにする。その判断基準は結構難しい。こちらに取っては大した事の無い事柄も、彼女には大問題である可能性がある。
彼女のコンプレックスの根底に何が潜んでいるのかを推測する為に、これまでにした会話を思い起こしてみたりする。自分の外見をそれ程憎んでいるのだとしたら随分と辛い生活なのではないかと思う。

けれども果たして外見のコンプレックスが内面のコンプレックスに勝るだろうか?
外見に関して過剰なコンプレックスを抱き続けることは、何かを前進させるだろうか?
外見はそんなに重要な要素だろうか?

学生時代は皆に自分の欠点を指摘され続け、夜が明けるまで身ぐるみ剥がされる思いで自分自身をさらしまくったものだ。自分が何を見て何を考えて何を感じているかを伝えるのに必死で格好をつけている場合では無かった。そしてその度、自分の考えの甘さや、想像力の足りなさを痛感した。

彼女のことをある友人氏は『可愛い』と形容した。それを告げると彼女の大きな目に一瞬で涙が広がった。そしてそれを隠すように照れ隠しの言葉を次々と放出する彼女を見ていたら、『外見のことより、もっと考えるべきことがあるんじゃない?』なんてとても言えないな、と思った。


本日の1曲
ばらの花 / くるり


…TAKE FREE?

JOURNAL STANDARDのレジで会計を待っている時に目の前の写真集をパラパラとめくっていた。いい具合に色褪せたふうの写真はそこはかとなくお洒落であった。
店員氏は洋服をラッピングし、洋服と一緒に写真集も丁寧に紙袋にしまった。そして初めてこの写真集が今季のカタログだということに気が付いた。

現在ではフリーペーパーをより進化させたフリーマガジンが雑貨店やアパレルショップに陳列されている。一見しただけでは売り物なのか無料なのかわからないものも多い。要するにクオリティーが高い。

カタログは50ページ程もあり、写真にエッセイも添えられている。巻末にはモデルが着ている服のプライスリストも掲載されているが、無料で配付されるカタログだとはにわかには信じ難い。

作品の参考にする為に、書店で写真集を立ち見することもある。以前に比べると写真集も随分買い易い価格になってきているが、このクオリティーのカタログが”無料”で配付されているのは驚きだった。

初めて『風とロック』を見た時もそうだった。これってフリーなのか?というほど厚みもあり大判である。アーティストのインタビューも読みごたえがある。

『風とロック』編集長の箭内(やない)道彦氏については、広告業界で働いていた友人氏に何度か話を聞いたことがある。博報堂を退社後、代理店を設立した後にこの『月刊 風とロック』を創刊したそうだ。氏はTOWER RECORDSのNO MUSIC, NO LIFE.キャンペーンのアートディレクターでもある。

今夜立ち寄った書店でこれまでの総集編的内容の”別冊 風とロック”が平積みされていた。(こちらは税込2100円)通常の月刊版は運がよければTOWER RECORDで手に入れることができる。

店舗に置かれた冊子を見つめ、表裏をひっくり返して定価の記載がないかを確かめ、フリーマガジンと認定する。立派な冊子を無料で貰うことに慣れず、なんだか万引きをしているような気になるのは自分だけだろうか?


本日の1曲
Lithium / Nirvana (From The Muddy Banks Of The Wishkah)


恋する家庭教師

高校受験の為に予備校に通い、心配した家族は自分に家庭教師までつけた。高校に入学するまでの約1年間で2名の家庭教師が我が家に派遣されて来た。
彼等は地元の静岡大学に通う学生だった。主に教えてもらったのは理数系であった・・・と思うのだが、実のところあまり勉強の記憶が無い。

週に5日は大手予備校に通い、家庭教師は週1日。家庭教師がやって来ることははっきり言って息抜きに近かった。一人は30分程の道程をバイクでやって来た。一人は国道沿いの隣街からママチャリにのってやって来た。ママチャリ氏は熊のように大柄で、やけにサラサラしている長髪だった。

ママチャリ氏は志望の島田高校の出身だった。ほんの数年前に高校を卒業したばかりの教師氏は高校時代の思い出を色々と話した。受験勉強に辟易していた自分は早く高校生になりたくて堪らなかった。勉強そっちのけで紅茶を飲みながら雑談を繰り返していた。

『ジャラって言う先生がいてさ。俺はジャラのおかげで化学が好きになった。』
ジャラは生徒の出席番号入りのプラスティックの札をクッキーの缶に入れ、それをジャラジャラかき混ぜながら授業をする。不意打ちのように札の番号で生徒を指名し、質問に答えられなければ羞恥の言葉を浴びた挙げ句に教室から追い出される。
そして翌春、高校に入学するとまんまとジャラが化学の担当になり、聞いたままの光景が繰り広げられていた。これが世に言う”生理的に苦手なタイプ”というものなのだろう。そしてジャラのせいで化学が大嫌いになった。

そしてあろうことか家庭教師氏は我が家での授業中に突然いなくなったことがある。その日はなんだか彼はソワソワしているように見えた。そして授業中であるにも関わらず、いきなり部屋を飛び出して行った。
中学生ながら、いきなり部屋を飛び出すほどの原因は恋愛しかないだろうと思った。映画研究会に所属していた彼は、教え子の自室で映画撮影を敢行したことがあった。その日は我が家に大学生のグループが訪れて一日中撮影をしていた。監督である家庭教師氏が”女優”として出演していた清楚な女子大生に恋をしているのはなんとなくわかった。

彼はママチャリでどこかに暴走していってしまった。家族も『あらまぁ』と怒る様子でもなかったので大事には至らず、翌週も彼はやってきた。
彼女との仲がどうなったのかは聞かなかったけれど、淡い大学生の恋愛を垣間見たエピソードだった。


本日の1曲
Daigakusei / ZAZENBOYS