コンプレックス

体型や顔立ちにコンプレックスを抱いている人は多いと思う。太っていることは努力次第で克服できても、背が低いことや顔の造作の問題は簡単に解決できない。
『痩せていて背が高いのが嫌で仕方なかった』と書いてあるモデルのインタビューを読むと、個人のコンプレックスがどこに潜んでいるのかますますわからなくなる。

ある友人氏のコンプレックスはこちらが当初想像していたよりも随分根深いようだ。顔が丸い、鼻が低い、オシリが大きい、毛深い・・・。彼女はありとあらゆる面において自分を卑下し、事ある毎にそれらのコンプレックスを列挙してみせる。
しかしどれも取るに足らない悩みに見える。第一、彼女は太ってもいないし、不細工ではない。見ている限り、彼女は食事にも気をつけているし、充分にファッショナブルで、朗らかな性格で皆に好かれている。

時には冗談まじりで自分のコンプレックスを話したりもする。そしてその気遣いのせいで、あたかもコンプレックスを陽気に扱える人なのだという錯覚を周りに与えてしまう。

彼女と知り合って間もない頃、何故そんなに外見の欠点を口にするのか理解出来なかった。ある日、楽しい会話の続きのつもりで投げかけた軽い言葉が彼女の心を深く傷つけてしまった。突然泣き出した彼女に思いっきり動揺し、自分の思慮不足を深く後悔した。こちらにとっては全くのノーマークの言葉が、彼女のコンプレックスを刺激してしまったのだった。

それ以降、彼女の前では発言に気を遣うようになった。彼女が言われて嫌なことは口にしないようにしながらも、友人関係特有の”茶化し”を失わないようにする。その判断基準は結構難しい。こちらに取っては大した事の無い事柄も、彼女には大問題である可能性がある。
彼女のコンプレックスの根底に何が潜んでいるのかを推測する為に、これまでにした会話を思い起こしてみたりする。自分の外見をそれ程憎んでいるのだとしたら随分と辛い生活なのではないかと思う。

けれども果たして外見のコンプレックスが内面のコンプレックスに勝るだろうか?
外見に関して過剰なコンプレックスを抱き続けることは、何かを前進させるだろうか?
外見はそんなに重要な要素だろうか?

学生時代は皆に自分の欠点を指摘され続け、夜が明けるまで身ぐるみ剥がされる思いで自分自身をさらしまくったものだ。自分が何を見て何を考えて何を感じているかを伝えるのに必死で格好をつけている場合では無かった。そしてその度、自分の考えの甘さや、想像力の足りなさを痛感した。

彼女のことをある友人氏は『可愛い』と形容した。それを告げると彼女の大きな目に一瞬で涙が広がった。そしてそれを隠すように照れ隠しの言葉を次々と放出する彼女を見ていたら、『外見のことより、もっと考えるべきことがあるんじゃない?』なんてとても言えないな、と思った。


本日の1曲
ばらの花 / くるり


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