手紙缶

我が家の玄関には手紙の束がギュウ詰めになっているスチールの缶がある。その缶が何故玄関にあるのだろう。2年前にこの部屋に越してきた時、何気なく棚の一番下に入れたのだろうか。他に動かす人もいないから、おそらくそうなのだ。

今では自分宛の手紙は滅多に来なくなった。我が家のポストに配達されるのはほとんどがダイレクトメールか、宛名すらないチラシばかりだ。
しかし玄関の手紙缶の存在はいつも頭の片隅にあった。片付けの時には目に入るし、あの缶の中にある手紙の存在を忘れるわけがない。

旅行好きの両親が旅先から送ってよこしたポストカードや、留学中だった友人氏からのエアメール、近しい友人がわざわざ郵便で出した走り書きまである。それぞれがペンを執り、切手を貼った自分宛ての手紙だ。そしてその消印は1996年からの数年間に限られている。1996年は東京に上京した年で、当時は携帯もインターネットもまだ一般的ではなかった。

滅多に見ない手紙缶を開けた。
埃の積もった缶に詰まった色とりどりの封筒と便箋。そのあちこちになんだかよくわからないシミがついていて、なんだかよくわからない液体で端がびろびろになっている。
封筒にはあらゆる筆跡で自分の名前が書かれていて、裏を返さなくても誰からの手紙かがわかる。当時のアパートの番地が懐かしい。

そして見慣れた筆跡の封筒を2通手に取る。ひとつの封筒にはあるミュージシャンの歌詞カードのコピーが入っていた。彼の敬愛するミュージシャンのカセットテープを貰った時に一緒に入っていたものだ。そしてもう1通。彼に宛てた何十通もの手紙のうち、返信があったのはこの1通だけだった。

便箋には日付けが入っていないけれど、代わりにバンドエイドが一つ入っていて、その手紙がいつ頃出されたものかがわかる。手紙を大学正門脇のポストに投函する時、バイクを止めようとして転んでしまった。その日は珍しく雪が降っていて、目の前のバス停には多くの学生が並んでいた。そのエピソードを話したせいで、彼は部屋のどこからか引っ張り出したバンドエイドを封筒に入れたのだろう。

手紙嫌いの彼が何故その時だけ返事をくれたのかはわからない。文面に『心があたたまるお手紙をちょうだいしたので』とあるところを見ると、かなり恥ずかしいことを書いた恐れもあるが、内容は全く思い出せない。もっとも、彼に宛てた手紙のうち、恥ずかしくない手紙などあっただろうか?

実のところ、彼のこの手紙のせいで手紙缶が長らく放置されていた。いつでも見れるように玄関に置いたのかもしれない。同封されていたバンドエイドのせいで余計に存在を忘れられなかった。この封筒を最後に開けた時は、まだ大学生だった。

もう何年も彼に会っていないけれど、その手触りや筆跡や糊のつけ方までが彼を語っている。相手の手元にあったものが移動したという事実がより感傷的にさせるのかもしれない。
開けてしまった手紙缶の中にはあの頃の空気がそのまま籠っている気がして、胸が詰まった。


本日の1曲
天使みたいにキミは立ってた / The Pillows

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