Archive for the '黄昏コラム' Category

鞄に地図を

中学校の社会科教師は、毎回授業を始める前にあるゲームを行っていた。それは教材の地図帳を使った「地名探しゲーム」で、生徒達はその地味なゲームが行われるのを毎回楽しみに待っていた。

いつも一番に手をあげるのは鉄道マニアの男子生徒だった。地名を発見すると彼は誇らしげに真っ直ぐと手を上げた。生徒達は一瞬感嘆の声をあげると、再度地図帳に集中した。活字は山脈の中に埋もれていたり、海流の濃い青色の中にあって、なかなか見つけることができなかった。

小さく記載された地名を見つけることは困難だった。しかしその時広域図で地形を眺め、細かな地図記号を判読していると見たことのない街の景色がありありと目に浮かんできた。

街角の郵便局や縫う川の流れなどを眺めていると、街の形状をなんとなく想像できる。自転車を購入してから地図を眺める機会が更に増えた。高円寺を出発点として池袋や渋谷までのルートを確かめ、次回ポタリングの計画を練る。
地図で見た川や寺院や寺院が見つかるとつい寄り道をしたくなって、予定外の行動をとってしまう。

しかしその結果とんでもない方向に導かれることもある。とある深夜、新宿から高円寺へ向かっていて道がわからなくなってしまった。通り掛かった交番は無人で、通行人に尋ねるのも気が引けた。自宅からそう遠くはない場所でも、真夜中に道に迷うのは結構心細い。いつの間にか山手通りを渋谷方面へ南下し、気づけば早稲田通りを走っていた。帰宅してから地図を確認するも、いくら考えてもつじつまが合わない。

バイクに乗っていた学生の頃、カバンの中にはいつも地図が入っていた。まだ馴染みの薄い東京の土地でも、地図があればどこへでも行ける。
大きな街道は行ってみたかった街へ繋がっていた。バイクにまたがり、地図を持って出かけるのが楽しくて仕方なかった。

最近、サイクリングの為に新しい地図を購入した。地図を放り込んだ鞄を肩にかけサドルにまたがる。ペダルを漕ぎ出す瞬間は、いつもちょっとした自由を感じさせてくれる。


本日の1曲
何処吹く風 / eastern youth


嫌いな理由

ある友人氏は海老が食べられない。曰く、『身の縞模様』が許せないらしい。その証拠に衣をまとったエビフライは大丈夫だが海老が衣から脱却した瞬間に食べられなくなるという。
またある友人氏は蟹が食べられない。彼の場合は『横に歩くから。』という生体機能を真っ向から否定するコメントに驚きもしたが、とにかく、蟹は食べないことにしているらしい。

以前旅館で伊勢海老の活き作りを食べた。立派な伊勢海老がこれまた立派な船に乗って鎮座し、豪華絢爛な晩餐だった。しかしこちらを睨む海老氏のグロテスクな頭部に箸が止まった。息遣いを微かに感じて凝固する。船の向きを変えてもらったが、人によっては今後の食生活に影響が出てもおかしくない切迫した事態だった。

食物アレルギーも無いし、今の所は食中毒の苦い思い出も無い。即ち、どうしても食べられないものはない。しかし若干の遠慮したい食品がある。
白子は部位(精巣)を想像するとなんだか気が引けるし、親子の共演をリアルに感じるネーミングの「親子丼」も遠慮したい食べ物のひとつといえる。

ガチョウを太らせるという「フォアグラ」の生成過程。
沢山の視線を感じる大量の「しらす」。
「しいたけ」の裏の無数のひだひだ。
周りの人々に聞くと嫌いの理由は味や食感に限った話ではないことがわかる。

豆とアンコが嫌いと言っておきながら豆大福が時々無性に食べたくなる。嫌いの理由は不完全で、食欲が介入すれば基準も緩くなってしまう。
人にはそれぞれ食べられないものがあるけれど、その理由を尋ねてみるのも結構興味深い。


本日の1曲
Hash Pipe / Weezer


あるドーナッツ屋の消滅

高校を卒業するまで住んでいた町には一軒のドーナッツ屋があった。
高校時代の放課後にはよくその店に行った。店は駅前通りにあって、市外から電車で通学してくる生徒と市内の自転車通学の生徒の最後の接点でもあった。学校のすぐ近くに住む友達もわざわざ駅前までやってきた。

そのドーナッツ屋は数少ない高校生の遊び場だった。駅前にはファーストフード店も無く、その頃はコンビニエンスストアすら無かった。

木製の小さなテーブルとベンチが並び、古めかしいオールディーズの音楽が流れていた。学生服姿の友人は小さな灰皿でこっそりと煙草を吸った。ところで、同級生の一人はいつも一番安いドーナッツと水を注文し『これなら100円で済むんだよ。』と得意げだった。

数年前、そのドーナッツ店が閉店したことを聞いた。町のはずれに出来たショッピングモールの中に店舗は移転したみたいだった。地元で暮らす人にはニュースだったかもしれない。まだ駅前に飲食店があまり無い頃から10年以上そこにあり続けた店だ。
しかし今では帰省して立ち寄ることもなくなっていたし、ひとつのドーナッツ屋の消滅に特に感傷的になることもなかった。

この間久し振りに東京でドーナッツ屋に行った。店の窓から見える薄暗い路地は雨が降り出してより陰湿な感じがした。窓際の席に座ってドーナッツを齧っていると聞き覚えのある歌が流れて、放課後の風景が思い出されてきた。

すると、駅前通りのドーナッツ屋が無くなったことが今更寂しくなってきた。
今、母校の高校生達はどこで放課後を過ごしているんだろう?ガラス越しに通りを眺めて、クラスメイトが通るたびに息を潜める淡い恋の思い出の舞台だったのに。


本日の1曲
DOUGHNUT SONG / 山下達郎


First Anniversary!


今からちょうど1年前のとある休日、ふと(本当にふと)ブログというものを始めようと思った。右も左も判らない状態で。
まずは大手プロバイダの無料サービスに登録した。まだタイトルすら決まっていない状態だったけれど、ここまで30分とかかっていない。何か閃きのようなものを感じたのかもしれない。

それまでインターネットは専ら利用するだけのものだった。便利で新鮮な情報に溢れている。
しかし今、目の前に現れたのは自分のために用意されたスペースだった。それは自分とインターネットの関係が一変したような瞬間で、その興奮は今でも忘れられない。
ブログという形態がなければここまで気軽に始めることもなかったと思う。実際にホームページを開設したいという気持ちがあったものの、何年も企画倒れに終わっていた。

最初から毎日書くというスタイルを決めていたわけではなかった。しかし書きたいことはいくらでもあった。
10日後、友人が初めてコメントをくれた。3月に入って初めて知らない人からコメントがついた。それからはどんどんブログが面白くなり、更新が続くとアクセス数も次第に増えていった。10000を超え、20000を超えた。

毎日ただ文章を書くということではあるけれど、この1年はこれまでのどの年とも違う意味を持った。イラストレーションも写真も、文章を書くことも、全て好きで、全てがある自分にとっての大切なスペースを持てたからだと思う。

ブログを始める前の生活を不思議に思う時がある。毎日、毎晩、何をして暮らしていたのだろう?

学生時代にはよく手紙を書いた。手紙を受け取った友人は『文章を書く仕事、意外に合ってるんじゃない・・・?』と控えめに言った。
現在は文章を書く仕事には就いていないけれど、ブログの記事を書きながら時々その言葉を思い出すことがある。だから誰かに手紙を書いているような感覚があった。

コメントで参加してくれた方々。
時々ブログにも登場する個性豊かな友人達。
そしてこのブログを見てくれる全ての人々へ。

いるかわからない読者に向けて、文章を書き出してから1年が経ちました。ひとりのくすぶった若者はこうして毎晩キーボードを叩いております。


本日の1曲
Got to Be Real / Cheryl Lynn


滅亡を計算する人々

この度4年振りに世界終末時計(Doomsday clock)の『時刻』が発表された。終末を0時に設定した時計の針は2007年現在23時55分を指し、地球滅亡まであと5分に迫った。

今日の世界情勢を考慮した上で科学者達はその何分前を指しているかを決める。新たに設定された時刻はアメリカの科学誌『原子力科学者会報(Bulletin of the Atomic Scientists)』に掲載される。

世界終末時計発表の試みは1947年から開始され、時刻の訂正が必要と判断される度に発表される。今回は4年振りの訂正で終末までのリミットは前回(2002年)から2分縮められたことになる。


これまでに発表された終末時計で一番零時に近いのはアメリカとソ連が水爆実験に成功した1953年で「2分前」。(上図左から順に)次いでソ連が核実験に成功した1949年は「3分前」。ベルリンの壁崩壊後の1990年は「10分前」。同時多発テロ翌年の2002年は「7分前」。
そして2007年は北朝鮮、イランの核問題に地球温暖化への深刻な懸念も加わり、史上4番目に”遅い時刻”を示している。

科学者達が算出した目に見えない時計の存在は確かに衝撃的だった。しかし同時に終末時計の時刻設定に関わる研究者のことを考えずにはいられなかった。

地球規模の研究を続け、膨大な時間軸を前に地球の未来を想像する。自分が決して見ることができない世界を予測し、警鐘を鳴らす。しかしながらその研究の数値が正しかったかどうかは自分の目で確かめることはできない。人類が体験したことのない世界を想像するという点で過去の歴史研究とも異なっている。

宇宙や未来について途方もない事象について考えを巡らせるとき、人は混乱する。そしてその混乱の中に哲学を見出だしたりする。
地球の未来を想像したり、宇宙について研究をすすめる時、自分という個のあまりのはかなさに打ちのめされることはないのだろうか。

短命で限りある命は地球の未来を実際に見せてくれない。真実を目撃できない研究に明け暮れる科学者の想像力と、精神力には脱帽するばかりである。


本日の1曲
The Clock / Thom Yorke


World Cupの歓喜の渦

2002年6月9日、日本 VS ロシア戦。当時は友人氏と連れ立ってサッカー観戦に出掛けた。街のスポーツバーで画面に向かって一喜一憂するサポーターの面々が日夜テレビに映し出され、その勢いに圧倒された。行ってみようか。

事前に少しお店を調べてみたものの大抵は予約で満席のようだった。行けばなんとかなるだろうという気持ちで新宿駅を降り、東口を出歌舞伎町方面を目指す。
コマ劇場近くにひしめき合う飲食店が総スポーツバー状態で我々を待ち受ける。運良く入店できた店には青いユニフォームを着たサポーターが早くも興奮状態であった。

試合が始まり、決定的瞬間を迎える度に歓声が沸き上がり、チャンスを逃すと皆の悲鳴がこだました。そう、これだ。この興奮。

そして金髪の稲本氏が1点を先取した!それはワールドカップ史上、初めて日本が得点を決めた歴史的瞬間だった。ちなみに友人氏はその時、絶妙なタイミングでトイレに行っていた。

試合は日本が勝利した。そして勝利の瞬間、店内では割れんばかりの歓声が怒号のように轟いた。皆のテンションが振り切れている。若者達は大興奮で酒で真っ赤な顔を更に紅潮させている。ブルーのサポーター達が皆、椅子の上に立ち雄叫びを上げている。す、すごいぞ。

店の外に出ると、コマ劇場前はパレード状態だ。四方八方の店から吐き出されたサポーター達が目を見開き、歓喜に顔を歪めていた。その喧騒を写真に納めようとすると次々に若者が寄ってくる。そして他人同士が肩を組み、1枚の写真に納まってしまう。当日の写真には万遍の笑みをレンズに向けた他人が沢山写っている。

駅に向かう道すがら、すれ違うサポーター達はハイタッチを求めてくる。もちろん我々もハイタッチを返す。ただでさえパワフルな街に特別な熱気が渦巻き、皆が笑顔で通り過ぎて行く。

中央線に乗り込むと車内はブルーのユニフォームの人々でごった返していた。中野・・・荻窪・・・吉祥寺。電車が駅に停車する度に、各駅のホームで繰り広げられるサポーターの喧騒を笑顔で眺めた。そしてそこで輪の中心になって騒ぐ古い友人を発見したりした。「久し振りだね」などという会話を交わす状況ではなく、歓喜の叫び声と共に彼は視界の外へ消えて行った。

「オフサイド」や「ボランチ」の意味を正確に述べることが出来ない人間にもワールドカップの余波は押し寄せる。それは興奮の渦に見事に巻き込まれた心地よい思い出である。


本日の1曲
Beautiful Day / U2


コーエンズィー

新宿駅10番ホーム。一日の仕事が終わり、疲れた身体を中央線が運んでくれる。その日しかしホームに到着したのは見慣れない車両だった。間違えて総武線のホームに来てしまったのか?そういえば中央線の車両が新型に移行するというニュースを聞いたことがある。

車内は広々と感じた。とりあえず物珍しい黒い三角形のつり革につかまる。
角張った印象が強かったこれまでの車両に比べると、物腰が柔らかい感じがする。
目の前の窓は一面当たりの面積が随分広くなって見晴らしが良い。

車内は混雑を想定したつくりになっているようだ。8人掛け座席の中腹にもバーがあり、ラッシュ時の乗客をサポートできる。ドアの上部には液晶パネルが2面装備され、運行情報と音のないCMが流れていた。その雰囲気は山手線によく似ている(そのうち山手線のように”中央線大人講座”が放送されるのだろうか)

この間、快速と間違えて中央特快に乗ってしまった。
ホームに降りる前に確認した電光掲示板も、数分おきに電車が発着する中央線ではホームに降りた時点でズレが生じることがある。快速に乗ったつもりが中央特快だった、という経験は初めてではない。
快速も中央特快も、次の停車駅は中野。その時点で間違いに気付かなければ否応なしに三鷹まで運ばれてしまう。

旧型車両の車内ではアナウンスの他に運行種別を確認する手段がない。耳にイヤホンを突っ込んでいれば当然聞こえない。リアルタイムの運行情報が表示される新型車両になれば乗り間違いは減るだろう。
見ると隣にいるサラリーマン氏も食い入るように液晶モニタを見つめている。きっと彼もこの車両に初めて乗ったのに違いない。

重厚感のあったこれまでの車両と比べると、新型車両は軽やかに走行する。騒音も随分軽減されているみたいだ。洗練された印象は中央線にあまり似合わず、モノレールにでも乗っているような違和感があった。

上京してからの10年間乗り続けている中央線は徐々に新型車両に替わりつつある。無骨な四角い中央線は真オレンジのチョークが走っているようだった。帰省から戻り、東京駅の1、2番ホームで出迎える中央線を見る度に安心感に包まれる。

特筆すべきはダミ声の車掌のアナウンスは女性の声に取って代わったことだ。日本語と英語によるアナウンスは新幹線さながらだ。これまで何度か中央線の女性アナウンスに遭遇したことがある。それは確実に女性の乗務員が搭乗していることの証明でもあった。
しかしこれからは毎日録音されたテープを聞くことになる。『次は〜中野だ』と聞こえて吹き出すこともなくなるけれど、『Next Station is・・・コーエンズィー』という英語の発音にも慣れなくてはいけない。


本日の1曲
黒目がちな少女 / Number Girl


Empty Schedule

12月に入った辺りから文具売り場はにわかに騒がしい。縦書きがいいだの、月別のスペースがほしいだの、余白が無いと駄目だの、カバーが重要だの、紙質やサイズ、ペンの収納場所の有無に至るまで好みがあり、皆が理想のスケジュール帳探しに余念がない。

意識してみると皆スケジュール帳をよく開いている。一言日記を書く人、お小遣い帳やダイエット日記を兼ねている人。工夫次第でスケジュール帳の用途はいくらでもある。

ぱらぱらと見本をめくってみる。そこにはより多くのユーザーの期待に応えようと様々な工夫を凝らしたページが広がっていた。
日記帳同様、スケジュール帳を一冊使い切ったことがない。なによりも予定が入るのが苦手な性格である。どういうわけか『来月の○日に』と言われた時点で拒否反応が出てしまう。

途中で飽きることを考えてリフィル式のスケジュール帳を使っていたこともあったが、一度外したノート部分の取り扱いに困り、机の引き出しに仕舞ったまま二度と見ることはなかった。バラバラになったページは愛着も沸きにくい。

以前友人に無断でスケジュール帳を見られた経験もちょっとしたトラウマだ。ある時少し目を離した隙に、友人が自分のスケジュール帳を熟読していた。いくら友人とはいえ、これでは何処へ行って何をしたかが筒抜けである。日記や日誌を持ち歩いているようなものだ。それからというもの、なんとなくスケジュール帳からは遠ざかっていた。

OSのアップグレードをきっかけにずっと使ってみたかったiCal(Macintosh用スケジュール管理ソフト)を手に入れた。現在はiCalを触るくらいである。この部屋にはカレンダーもなく、曜日の確認などは専らアイカル頼みである。
リンクも貼れて、カテゴリ分けも簡単。今の所はこのやり方が自分に合っているみたいだ。

方や今年もまた、何人かの友人の『スケジュール帳買わなきゃ』という発言を聞いた。毎日使うスケジュール帳を新しくすることで新年を迎える準備が整うのかもしれない。一年間使うことになるのだから真剣になるのも頷ける。

文具売り場では若い女性たちが真剣な眼差しでスケジュール帳を食い入るように見つめていた。見本をめくりながら真剣な表情を見せる友人達を見ていると、すごく重要な事柄の決定を目撃しているような気分になった。


本日の1曲
Is Yesterday Tomorrow Today? / Stereophonics


東京の先輩

電車で目の前のつり革につかまった二人組の会話が聞こえる。
『あいつは英語強いから政経いけるかもな。俺全っ然英語出来ねぇから・・・無理だけど。』
『ていうか○○大学、学食なかったよな。』
『マジで?普通学食あるだろ・・・?(半信半疑)』
『・・・やっぱスタバとかで軽く食うんじゃねぇ?』

ひとしきり感想を述べ合った後は目の前の路線図を眺めては位置関係を確認するように一つ一つ駅名を読み上げていた。予備校の仲間達の動向も、東京の地理にも興味津々である。どうやら彼らは受験大学の下見に上京したようだった。

彼らは二人ともコンバースのスニーカーを履き、同じような色合いのジーンズを穿いていた。一人はニット帽をかぶっていたが、良く似ている。同じ高校か同じ予備校に通っている感じだ。きっと学力も同じくらいなのだろう。

そういえば高校生の時、受験の為に何度か上京した。ビジネスホテルに予約を入れ、自動的に母が付き添いでついて来た。こちらが勉強している間は母はベッドに寝転がってずっと読書をしていた。母はゆっくり本が読めて大満足のようだった。ご丁寧にも会場迄ついてきて、試験が終わると外食をしてホテルに戻った。

静岡から東京までの二人分の交通費と宿泊費、受験料を考えると、受験は大層お金が掛かる。穏やかではない金額を散財した後、唯一合格した大学も入学辞退して浪人生活に突入した。
郊外に多い美術大学の受験会場はどれも立川の”自宅”から近かった。一年間の家賃がかかってはいるものの、昨年のホテル代を考えると節約できているような気がしたものだ。

来春、関西に住む従姉妹が東京の大学を受験する。この間は一家総出で東京に大学見学にやってきたようだった。
合格した際には横浜の大学に通う兄と同居するらしく、彼女は学校が遠いと文句を言っていた。東京北部に位置するそのキャンパスまでは確かに時間がかかる。

一人っ子の自分にとって彼女は妹のような存在だった。彼女が大学を受験する年齢になったなんてちょっと感慨深い。東京暮らしの先輩として困った時には連絡して欲しいものである。
きっと困った時には助けを求めてくるはずだ。なんといってもこちらは社会人なのだ。多少のお小遣いを渡したり、ご飯を御馳走することになるかもしれないが、そんな生活が楽しみでもあった。

先日久々に再会したものの、本人からもその家族からも、『東京に行ったらよろしくね』という言葉は聞かれなかった。そもそもあまりアテにされていないようだ。


本日の1曲
トレイン・ロック・フェスティバル / くるり


Need Green

最近引越をした友人氏の新居に大きな観葉植物があった。サッパリと片付いた広くて新しいその部屋に「クワズイモ」がゆったりと葉を伸ばしている。
広くて清潔な空間があってこそ観葉植物は映える。我が家にはスペースのゆとりもなければ、部屋は常に散らかっている。おまけにこの部屋は西向きで建物が隣接しているために日当たりが悪い。
それにひとつ問題がある。ネコ氏が観葉植物を食べてしまうのだ。持ち帰って早々、ネコ氏がソワソワし出す。そしてこちらが目を離した隙にさっそく齧じりついて茎を折る。次の日に帰宅すると見事に葉が無くなっている。部屋に緑が欲しい気持ちは醒めず、何度もトライしたが現在はひとつも植物が残っていない。
無惨な姿になった小型サイズの観葉植物はその後も再生することなく枯れてしまう。

大型のクワズイモならばうまくいくかもしれない。葉っぱは食べてしまうだろうが、立派な幹はなんだか頼もしく見える。ここでまた悩む。買うべきか、買わざるべきか。

しかし猫にとって有害な植物もあると聞いたことがある。家の中に植物がある場合、注意しなくてはならないのだそうだ。注文直前にインターネットで調べると「サトイモ科の植物は猫に有害」と記載されているページを発見。敢えなく注文は取り止めた。

緑があるのとないのとでは部屋の印象が随分違う。
風にそよそよと揺れるカーテンと植物の葉を想像する。フローリングには鮮やかな緑の葉がくっきりと影を落とすはずだ。紅茶をすすりながら雑誌をめくるJ-WAVE的休日。
この不健康な空間でそんなイメージに思いを馳せる。我が家に再び観葉植物がやってくる日は近いだろうか?


本日の1曲
Clockwatching / Jason Mraz