Archive for the '黄昏コラム' Category

LIFE

自分が居なければ、自分が守らなければと大切にした思いも厄介な自尊心と共に行き場を無くしてしまった。
「それでも人間は生きていけてしまうのだ」という現実を生きている。喪失感に苛まれて、隙間を埋めることができないままであっても、生活は続く。

ひっそりと人間を想っている時間は現状を何も動かすことはない。けれど動かされる現実が怖くて仕方がない。自分に与えられた幾つかの選択肢を眺めては何年も岐路に立ち続けている。
例え身体的な繋がりを感じることができなくても、見えない思いが繋がっている。誰かを想って涙を流すように、誰かが自分のために涙を流しているかもしれない。そう思うことで自分を支えてきた。

心に残っているそこだけが現実味があって、本当の自分のような気がする。不用意に見せられない勝手で傲慢な姿。しかしそれこそが逃れられない自分の姿なのだ。
いつまでも記憶に留まっていれば、深く傷つくこともない。蘇った痛みは優しい人々の掛けてくれた言葉で中和すればいい。きっと時はそこで止まってしまった。それからは流れていく月日にただ流されているだけだ。

『お前は絶対大物になるぞ!』
中学校の教師は卒業アルバムにその言葉を書いた。窮屈な幼少時代を過ぎ、誰もがこれから起こる全てに期待を寄せた。あの頃はなりたいものには何にでもなれるという高揚感があった。自分も、周りの人々も。

あの頃なりたかった自分に近づけているだろうか。
再び出会った人と笑い合うことは出来るのだろうか。
守るべきものを守りきれなかった自分を悔やむ。静かに思い出を辿る時間と、慌しい生活が交錯する毎日。

決して忘れられないとしても、人の心にただ残っているのは幸せなんだろうか。心の奥底にある想いは浮ついた人間関係や浅はかな同情に侵食されなくて済む。
それは時に全てが手につかなくなるような動揺と共に思い出され、何年もとどまっている癖に色褪せてくれない。目の前を過ぎる現実は自分を形成するほんの一片にしか過ぎなくて、起こっていることは時々リアリティがない。


本日の1曲
ペチカ / MO’SOME TONEBENDER

数百の目眩

ものすごい形状記憶っぷりだ。カップをモミモミ、ペコペコしながら特許の塊のようなブラジャーを見つめる。少し目を離した隙にブラジャーは驚くべき進化を遂げていた。
もっとも世の中の大多数のブラジャーは未だにモコモコしている。華美な刺繍はストラップ部まで達し、谷間にはラブリーなチャームがゆらゆら揺れている。女性達が「かわいい」を基準に選んだブラジャーを外す時、男性がどこまで凝視するのかも疑問である。

ブラジャーは花柄が多い。新たなモチーフやプリント加工への積極的な取り組みがあってもよいと思うのだけど、とにかく現在ブラジャーは花柄と相場が決まっている。小さなカップのブラジャーの小花柄も大きなカップになると人食い花のようにケバケバしい。

彼女は安物の下着は身につけたくないようだ。納得のいく下着を買おうと思えば、万単位で金が飛んでいく。着ている洋服より高価なことだって珍しくはない。例え見られることを期待していなくても、自分の目は誤魔化せない。折角高い下着を買っても、縫い目がほつれたり、毛玉を発見した途端にテンションが落ちる。自己満足こそが女を育てるのである。

デパートの催事場では下着のご奉仕品達が我々を出迎えた。ご丁寧にサイズ毎にブースが分かれていて(そうなんだろうな)というサイズの人々が相応の棚の前で熱心にブラジャーを掘り起こしていた。小さなカップのブラジャー達は整然と行儀良く並んでいたが、大きなカップになるほど、商品が乱れている気がする。
下着売場では年配のベテラン販売員に注意が必要だ。購入の相談をしたら最後、彼女たちは客のブラジャーサイズを何度も大声で復唱しながらセールストークを開始してしまう。

その日、どうしてもブラジャーが欲しい!と鼻息の荒い友人氏と共に下着売場をうろついていた。デパートやショッピングモール、小さな商店までブラジャーを見つければ即入店する。それは何百のブラジャーを目眩がしそうな程見つめた一日だった。


本日の1曲
Why Not Nothing? / Richard Ashcroft

揺れるフィーリン語

電車に乗って暫くの間、無意識に中吊り広告を眺めてしまう。下世話な週刊誌の見出しも旬の人を確かめるのに役に立つ。
しかし自分にとって芸能人のスキャンダル以上にスキャンダラスなのは実はファッション雑誌の見出しなのだ。『可愛げゆるヘア』や『最旬コーデ着やせ祭り』などという文言を目にする度に脱力してしまう。

残念なことに、最近若者に対してジェネレーションギャップを感じることが多い。考えてみればもう子供がいても不思議ではない年齢になっている。面倒で時間のかかるものは淘汰され、今や生まれた時点でデジタリスティックなこの世界。そうやって考えてみると一気に若者との隔たりを感じてくる。

言葉は省略されてどんどん短くなり、妙なアクセントがついている。とにかく彼等の言語はフィーリング重視なのだ。
大して驚いていなくても『マジで!?』と大げさに聞き返し、以下『ヤバイ』やら『ビミョー』やらの単語が続く。新解釈の日本語を操る若者を見ているとかつて自分が浴びた『大人達の憂鬱』が少し理解できる。

中でもファッション雑誌の言葉の滑稽さは群を抜いている。『チープリ』はチープでリッチかと思いきや、チープでプリティーなことを言っているようだ。
それは誌面のインパクトを最大限に考慮したぶっ壊れた言葉達なのだ。ティーンエイジャー対象の雑誌に限らず、我々のすぐ下の世代が読むのであろう雑誌にまで用いられている。まるでこの自分が日本語崩壊直前の最後の世代なのではないかと思えるほどなのだ。

確信犯的にぶっ壊れた日本語を生み出す高学歴の編集者。彼等が生み出したぶっ壊れた言葉達が今日も中吊り広告にそよいでいる。そしてとうとう自分にも若者言葉がわからない時代が来たと実感するのである。


本日の1曲
真っ昼間ガール / Number Girl

清潔な電子レンジ

部屋に来客がある時は、初めて来てくれる知人の場合を除いて、大抵「来てから片付ける」という方式をとっている。だから来客がない日が続くと、部屋はどんどん散らかっていく。(片付けたら、さぞ気持ちいいんだろうな)と思いつつもなかなか腰が上がらない。こまめに片付けるという習慣がまるでない。

先日ムクムクと掃除がしたくなってきて、まずはホームセンターに洗剤を買いに行くことにした。TVショッピングで紹介されるような代物が欲しくなったのである。
売場の片隅には期待通りテレビデオが設置されTV番組形式の販促VTRが放映されていた。(ほうほう)、(へー)と自分を納得させてから洗剤にしては高額な商品を購入した。キーワードは「油汚れもするする落ち」て「天然素材でダメージが少ない」ことだった。

帰宅してすぐに掃除を始めた。なにしろ年に数回の掃除がしたくて堪らない状態だった。このチャンスを逃してはならない。
まずは粉末の洗剤を付属のボトルに詰め替え水溶液を作った。手始めにキッチンの換気扇フードを洗浄することにした。油汚れは簡単に剥がれ落ち、当初の目標は達成された。
次のターゲットの浴室も順調に片付き、棚やら床やらを拭きまくってやった。アドレナリンが大放出していた。

この部屋が片付けられるいくつかの状況下。自発的に掃除がしたくなるのは理想的な部屋を目撃した後に限る。映画や雑誌で憧れのインテリアに出会うと、インテリアを変えたくなるものの、(まずは掃除をしてからだな)と思い立つのである。

そういえば昔、意中の人が初めて自分の部屋に訪れるという時、散らかった部屋を眺めどこから片付けてよいのかわからず動揺した。目についた電子レンジの中から掃除を始めたのはよかったのだが、そこだけに集中してしまいタイムオーバーだった。
確かにレンジの中はぴかぴかになったが、レンジの中の清潔さに来客はなかなか気付かない。


本日の1曲
Lover’s Rock / The Clash

勝利したドライバー

2005年のF1アメリカグランプリで出走20台中14台が棄権するという前代未聞の出来事が起こった。
ミシュランタイヤを装着したあるマシンがフリー走行時に最終コーナーでバーストによりスピン、クラッシュした。その事故をうけてミシュランタイヤの欠陥が発表されたが、当時は半数を超えるチームがミシュラン製のタイヤを装着していた。

ドライバーの安全を第一に考えると、危険な可能性のあるタイヤでレースを走らせるわけにはいかない。新たにフランスからタイヤを空輸しても決勝には間に合わない。F1は全世界の企業、メディアが関わっている。開催日を直前になって延期するわけにもいかないのだろう。

ミシュラン側は対策タイヤの要請と、マシンを減速させるために最終コーナーにシケイン(カーブ)を設けることを提案した。しかしFIA(国際自動車連盟)はこれを却下、従来通りのレース続行を決断した。

決勝直前、20台のマシンがコース上に出て行った。しかしスタート直前のフォーメーションラップ(1周目)を終えると、スターティンググリッドにつくはずのマシンが次々とコックピットに戻っていった。ミシュランタイヤを使用する全チームがFIAの決断に抗議しレースを棄権してしまったのだ。

前代未聞の事態だった。スターティンググリッドについたマシンはブリヂストンタイヤを履いたわずか3チーム(フェラーリ、ジョーダン、ミナルディ)たった6台だけだった。
普段はエンジン音がこだまし、陽炎に包まれるスターティンググリッドも閑散としている。そしてのちに『F1史上最悪』と言われるレースがスタートした。

会場はブーイングに包まれ、コース上には興奮した観客によって物が投げ込まれた。この日を楽しみにしていたファンにとっては深刻な事態だった。何しろほとんどのマシンが棄権してしまったのだから。
解説者も動揺した声色で状況の説明に必死だった。今テレビをつけた視聴者は無表情に走る6台のマシンと怒り狂った観客の姿に驚くだろう。

レースはシューマッハとバリチェロ率いるフェラーリのワンツーフィニッシュ。通常のレースでも上位に食い込んでくるであろう2台だった。対してジョーダンとミナルディは通常のレースでは表彰台には縁遠いチームであった。

4位に入賞したN・カーティケヤンは飛び上がって喜びを露わにしていた。彼はこれまで何度も『インド人初のF1ドライバー』とアナウンスされていた。このレースを走りきったことで、彼は初めて『インド人としてレースに入賞したドライバー』となり、ジョーダンに貴重なポイントを稼ぎ出した。

トラブルがあろうとも、結果は不動のものである。レースを棄権するのも意思があってこその判断だ。残されたもの同士で勝負をして順位は決まる。
周囲の動揺をよそに、感無量の表情でガッツポーズを繰り返すインド人のドライバーを見ていると、勝負の意味を問われている気がした。


本日の1曲
Monster C.C / The Pillows

真夜中の黄金の葉


部屋の電気を全て消してベッドに潜り込んだものの、ハードディスクレコーダーの時刻を見ると既に1時間が経過していた。明日はいつもより早く仕事に出掛けなくてはならない。しかし部屋の電気を全て消して、寝なくてはならない不自然な状況下ではなかなか寝付けない。

しんとした部屋から飲み屋の帰り客の騒々しい話し声が聞こえてくる。それは普段通りの街の音で、店のドアが勢いよく開くと、客達は騒がしく歩道を練り歩き帰っていく。

しかし昨夜は聞き慣れない音が聞こえてきた。それは当初『パラパラパラパラ』と微かな音だったが、クレッシェンドの音楽記号のように段々と大きくなり、やがて止む。間隔をあけながらそれが繰り返された。
最初は雨の音だと思った。

下の通りを行く人々は口々に『さっむーい!』と甲高い声を上げていた。部屋の中は温かいが、今は一日で一番気温が下がる時間だった。
温かい店内から吐き出された客達は甲高い声を上げ、パタパタと足早に通り過ぎていく。
するとまたしてもクレッシェンドが始まった。勢いよく降り出した雨の音だろうか。それにしては雲の移動が早すぎる気がした。

すると今度は男性の声が聞こえた。彼は音が聞こえている間じゅう『なんて綺麗なんだろう!』と感嘆しきった言葉を連呼していた。
雪でも降り出したのかもしれない。

とうとうその音の正体を確かめたくなって、ベッドを抜け出し窓を開けた。窓を開けると一層音は大きくなった。
音のする方を見ると、空から地上に向かって何かが降りしきっていた。近くの神社の銀杏の木から、大量の葉が風に吹かれて舞っていたのだった。

赤いジャンパーを着た男性は、空から降ってくる銀杏の葉を受け止めようと、車道の真ん中に飛び出していた。両手を広げて、道路の真ん中でくるくると回転している。連れの女性も道端から空を見上げ歓声をあげていた。

強い風が吹く度、何千の葉が舞うのを見た。窓を開けると、冷たい空気が一気に入り込んで、同じ目線の神社の木からは銀杏の葉が舞い続けていた。
なんて綺麗なんだろう!
なんて綺麗なんだろう!


本日の1曲
Speed Of Sound / Coldplay

虚しき文字列と回復する水没

いくらこちらがニューモデルの端末に変えようと、相手の5年モノの携帯電話にかかれば通信の向上は期待できない。
カラーなのかも怪しい液晶では、小さめの文字や微妙な色彩を説明することもままならない。カメラなんか勿論ついていない。画像は受信するのみで、自分の置かれた状況は通話かメールで説明するしかない。

折り畳み部分のちょうつがいは壊れ、頼んでもいないのに350度くらい回転してしまう。最早”閉まりさえ”せず、弁当箱のようにゴムで口封じをされる時代遅れの携帯電話たち。

カラフルな絵文字は大抵「.」や「=」という虚しき文字列に変換される。感嘆符や疑問符に絵文字を使われると、それが「興奮状態」を表しているのか、「疑問を投げかけている」のかもわからなくなる。深刻な事態だ。

ある時友人と街を歩いていると、携帯ショップの店頭に友人と同じモデルの携帯電話が飾られていた。ショーケースにはでかでかと『携帯電話の歴史』という看板が掲げられている。ショルダーバック型の初代から、最新型の二つ折り携帯へ。本体はみるみる小型化し、端末の進化は明らかだった。

友人の携帯電話は、彼女の承諾も無しに『携帯電話の歴史』に殿堂入りし、困ったことにはその中盤に鎮座していた。彼女が苦笑いしながらポケットから取り出した携帯電話の歴史は真っ黒くてずっしりと重かった。

ある日の昼下がり、携帯電話をトイレに落としたと校舎中を騒ぎまわる女生徒がいた。当時、彼女の携帯電話の古さは学部内でもちょっと有名だったが、友達の多い彼女のことだ、さぞかし深刻な事態なんだろう。他の学生達も同情した表情を浮かべていた。

しかし後日、晴れやかな表情で見慣れた黒い物体(携帯)を握りしめる彼女を見た。聞くと『日なたに置いて』乾燥させた後、『直っちゃった!』らしい。『作りが単純だから単純な解決法が効いたんだねー』と満足そうに消えていった。
古い携帯を使っている友人たちは口を揃えて、『水に浸かっても乾かせば大丈夫』と誇らしげに言う。古い携帯電話は水没にめげない、らしい。

兎に角、なかなか携帯電話を替えない人々。実際に周りの何人かは殿堂入りしそうな古い携帯電話を使い続けている。
無線?モールス信号送るの?ところでそれ携帯なの?ポケベル以下。
散々な言われようを笑ってやり過ごし、彼等は水没や文字化けの困難を今日も乗り切る。


本日の1曲
Hard To Make A Stand / Sheryl Crow

JUMON

イーゼルに向かって冴えない自分のデッサンと格闘する毎日。講師から毎回同じ注意を受け、わかったつもりになっても思うように手が動かない。校内の勝手も、授業のカリキュラムにも、始めたばかりの一人暮らしにも戸惑っていた。

予備校には新たな年度を迎えたばかりの先輩達がいた。講師陣と会話する姿も、テキパキと支度を整える様も随分こなれた感じがした。
そして模範解答のような隙の無い作品を提出した。彼らは一度完成されたテクニックを更に磨く段階に来ていた。果たして来春の受験ではライバルになれるのだろうか。
あの頃の不安のほとんどは慣れない浪人生活と来春の受験結果に繋がっていた。

不安はいつでも張り付いて剥がれることがなかった。不安の原因らしき心当たりをクロッキー帳に書き出して、箇条書きにされた「悩みの種」を眺めたりし
た。そうやって不安要因をひとつひとつ退治しながら毎日を過ごしていた。

ある日彼は石膏像のモチーフを前に小さな木の椅子に腰掛けたかと思うと、着ていたセーターを無造作に床に放り投げた。鉛筆の削りカスや絵の具がこびりつ いた綺麗とはいえない床に。彼は同じクラスに所属していた2浪目の生徒だった。

ある時彼の前でぼそぼそと弱音を吐いた。彼は最初に作った真剣な表情を次第に崩していき、話し終わった後にこう言った。
『お前が思うほど、事態は深刻やないでぇ。』
そう言って微笑んだ。

その言葉は自分の性質の全てを見透かしているかのように自然な響きを持っていた。その後も度々思い出し、思い出す度に違う角度から心に風が吹くような心地がして、心が少しだけ軽くなった。
勿論、その言葉ですべての困難を乗り切ることはできなかった。効き目がないと感じた時はその言葉にあたったりもした。それ程にその言葉が自分の中に染みついていた。

失敗をした時、自分の言動に後悔している時、考えれば考えるほどまさに「事態は深刻」になっていく。彼が言った言葉を唱えると、考えすぎている間に見落としていた本質に気づくことがある。

自分を信じて、肩の力を抜け。『お前が思うほど、事態は深刻やないでぇ。』
彼が何気なく発した言葉を10年が経った今でも時々言い聞かせている。


本日の1曲
Susanne / Weezer

看板描きの夢

そこはまさにアトリエだった。地面には大小様々な看板がひしめき、奥の大きな制作机には描きかけの看板が横たわっていた。小さな工場のように見える灯りの少ないその場所をよく覚えている。
父親は会社の看板を発注しによくその看板屋に行った。それを知ると必ず一緒に連れていってもらっていた。

看板をよく見ると書き直しのある下書きの線が残っていた。それを見て綺麗な文字が手描きで制作されていることを知った。文字には幾筋も筆の跡が残っていた。
整った字体でくっきりと描かれた看板は、1枚のポスターのようにも見えた。とても特別な感じがして、雨晒しにされるのが惜しいと思ったほどだった。

丁寧にレタリングされた文字には有り難みがあった。今ではパソコンと家庭用プリンタを使えば、綺麗な文字はいくらでも手に入るけれど、まだワープロさえ使ったことのない子供にはゴシック体が輝いて見えた。
会社の看板を制作して貰えることが嬉しくて仕方がなかった。

中学生になると美術教材のひとつとして「レタリング辞典」という冊子が配られた。かなと主要な漢字だけが掲載された簡単な冊子ではあったが、胸が躍った。微妙なカーブのついた「はね」や「はらい」を丁寧に描くと印刷物のような綺麗な文字が姿を現した。その作業はこちらを飽きさせることがなかった。

思えば一番最初に持った夢は看板描きになることだったかもしれない。仕事を熱心に眺めていた子供が美術大学へ進学したことを知ると看板描きのおじさんは感心したように微笑んだそうだ。

東海道線に乗ると、踏切の脇にはおじさんの作った会社の看板がある。電車はあっという間に通り過ぎてしまうけれど、車窓に流れていく看板を見るといつも誇らしげな気分になる。


本日の1曲
Start Over / Asparagus

リヴィング・トーキョー・ドットコム

周りを見ればあちこちに記載されているURL。商品説明や宣伝戦略にインターネットがかかせない時代になった。日々大量のURLを眺めていると、世の中の物事全てにアドレスが与えられているのではないかと錯覚してしまうほどだ。
インターネットが急速に発展したせいで、ドメイン取得合戦も熾烈を極めているようだ。

ドメインは世界共通で売買されるもので、現在は米国の非営利法人Internet Corporation for Assigned Names and Numbers(ICANN;アイキャン)が管理している。各国に登録受付を委託された企業があり、ユーザーは設定された使用料を支払う必要がある。
アドレスを取得するのは早い者勝ちということになり、誰かが契約してしまえば、契約が解除されるまで次の契約は出来ない。希望のドメインが既に誰かの手に渡っている場合は、そのオーナーが契約を解除するのを「見張って」いなくてはならない。契約期間は様々であるにしても、所有者が気に入ったドメインを一生手放さない可能性だってある。
それ故にひとつのアドレスをめぐって高額な取引が成立する時もある。現代においてはドメインの取得は深刻な問題なのである。

広告や雑誌に掲載されたいくつものアドレスを見ていると、ドメイン取得に苦労している様子が伺える。オリジナルではアドレスが取得できずに言葉を組み合わせたり、見慣れないトップレベルドメイン(右端ドット以下の文字列)が設定されていることも多い。

当然簡潔でポピュラーな言葉ほどドメイン取得は難しい。アドレスには簡潔さを求めるものだけれど、取得に乗り遅れてしまえば、”苦しい”アドレスを余儀なくされる。
基本的に国内在住者に限って発行されるトップレベルドメイン(「.jp」や「.uk」)はドメイン取得の救世主といえるかもしれない。

ドメインを取得する時は、ドメイン供給サイトで事前にドメインチェックが行える。希望のドメインが取得できるかどうか、試してから申し込みができる。
「.com」「.net」「.jp」などのメジャーなものから「.org」「.uk」「.in」などまでが揃い、大抵はどこかに空きが見つかる。

大企業であればあるほどアドレスはシンプルなようだ。大抵は社名の後ろに「.com」や「.jp」をつければホームページにアクセスできる。しかし中には例外もある。
ある日世間的に良く知られたその企業名を入力すると、あろうことかアダルトサイトに接続されてしまった。それが大学内のパソコンからであったために大いに焦ってしまったが、それは即ちシンプルな名称であるが故に、先取りしていた人がいたということだ。そのオーナーはよりによってアダルト関係のサイトを運営していたのだから。
その後、訴訟問題に発展し、今ではその企業がドメインを使用しているようだった。同じような目に遭ったユーザーもたくさん居たのだろう。最適なドメインを所有していないことは、企業のイメージダウンにも繋がりかねないという一例だ。

状況に最適なドメインを手に入れたければ、”起業”や”デビュー”と同時にドメインを取得する意気込みが必要なのかもしれない。
ドメインを取得を思い立ってから数日、living-tokyo.comを取得した。「.com」は最もポピュラーなドメインといえる。「ドットコム」という発音も元祖の響きがある。
インターネットで世界はボーダレスになった。ならば当然ドメイン取得合戦も全世界を挙げて熾烈になる。


本日の1曲
Of All The Gin Joints In All The World / Fall Out Boy