Archive for 9月, 2006

意外にモテない男

深夜番組を見ていたら若い芸人コンビが出演していた。雑誌で見かけたことはあるが、動いて喋っているところは初めて見た気がする。
彼らはいわゆる「売れっ子」である。あまりテレビを見なくなってからたった1年余りで、テレビ業界も世代交代した様子だ。その芸人が民放で人気を振りまいている間も長くその存在すら知らなかった。新番組の司会を任されたらしい若い芸人は慣れた様子で場をしきっていた。

インターネットで調べると彼らのうちのひとりのBlogに辿り着いた。添付された写真にはマンションの自室でくつろぐ彼の姿が写っている。写真を見る限り結構広そうだ。最近広い部屋に引っ越したのかもしれない。綺麗に片付けられた部屋に、デザイナーズ風の白いソファ。彼が最近購入した白いノートパソコンは『インテリアともよく合うのでお気に入り』だという。

文章を読むと彼の日課は「掃除」であるようだった。彼は毎日フローリングの床を磨き、知人が来るとモノの定位置が変わるのが気になって仕方がないという。文章は幾分コミカルに書かれていたが、最早彼が神経質な男であることに疑いは無い。

昔、ある女友達は意中の彼の自宅に招かれた。床に座った彼女がポテトチップスの袋を開けた途端、彼はおもむろにブルーシートをバサバサと広げだしたという。花見をする気なのだろうか。言うまでもないが彼は神経質な男で、ごく自然にその行動をとった。
彼女は仕方なくその上に座りポテトチップスを食した。きっと、味もわからなかったろう。彼はスナック菓子を食べるたびにシートを広げるのだろうか。ブルーシートがすぐに出てくるのにも驚くけれど。

台所に運んだコップをすかさず水につける。
大小さまざまあるリモコンの端を揃える。
灰皿の付近のタバコの灰を指先で集め、灰皿の上でゴニョゴニョする。

もちろん全ての女性が神経質な男性が嫌いというわけではないだろう。しかし神経質な男達が普段当然のようにやっている仕草が、何割かの女性を閉口させているのも事実である。
ポテトチップスの彼女はそれ以来、彼の部屋には行っていないらしい。彼は何故その日から彼女の好意的な視線が止んでしまったのかわからないだろう。
テレビの芸人を見つめてそんなエピソードを思い出した。売れっ子の彼も意外にモテないのかもしれない。


本日の1曲
Teenage Dandyism / DOPING PANDA


愛しのハク 〜研いで、候。編〜

猫の爪研ぎは頻繁に行われる。我が家では部屋と部屋との境に爪研ぎ板が置かれている。そこを通り掛かるたびに爪を研ぐのは彼にとっては自然の成り行きのようだ。愛猫ハク氏、今夜も絶好調である。

桐の爪研ぎ板は両面にギザギザがついていて、洗濯板のような佇まい。木のクズを片付けながら時々裏返し、数カ月に一度買い換える。猫氏は細長い板の上に前傾姿勢で乗っかり、真剣な表情で一心不乱に爪を研ぐ。

ガリッガリッ!ガリッガリッ!
一定のリズムを保ちながら数十秒。一仕事終えれば、フンッと鼻息を吐き出しすっきりとした表情だ。時には片足を乗せ、男らしいスタイルを見せてくれる。それは大工がのこぎりで木を切る姿に似ている。

時にはその大きな音のせいで、観ていた映画を巻き戻さなくてはならなかったり、電話の向こうの友人にウルサイと小言を言われることもある。

以前住んでいた部屋の扉には爪研ぎ跡がくっきりついていた。退室の時不動産屋の移動に合わせてうまくスライドを繰り返してごまかしたつもりだったが、後日しっかり10万円の請求が来た。当時まだ猫氏は子供だったから仕方がない。今では爪研ぎ板以外のところでは研がなくなった。

1ヶ月に1度くらいの割合で猫氏の爪を切る。猫用の爪切りもあるが、我が家では飼い主と兼用で普通の爪切りを使っている。
肉球を押すと普段は「収納」されている爪が姿を表す。カギ状になった爪の先端数ミリを切る。猫氏は掴まれた手を早く引っ込めたくて仕方ないらしく、綱引き状態である。これは昔、誤って肉まで切った自分が生んだトラウマである。
だから爪切りはスピーディーになされなくてはならない。嫌がる猫氏を抱きかかえ、陽気に歌なんぞを歌いながらも、目だけ目茶苦茶必死な飼い主である。

猫の爪はある程度の時間が経つと表面がめくれて剥がれ落ちる。爪の抜け殻のような物体がたまに床に落ちているのだ。
日夜躍起になって爪研ぎに勤しんでいる猫氏を見ていると(外敵が襲ってくるわけでもなかろうに)と思ったりもする。


本日の1曲
Knock Me Out / Asparagus


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2006/08/11 『愛しのハク 〜3時間のショートトリップ編〜
2006/07/18 『愛しのハク 〜人知れずタフネス編〜
2006/07/04 『愛しのハク 〜勝手にしやがれ編〜
2006/06/11 『愛しのハク 〜飼い猫も潤う6月編〜
2006/05/03 『愛しのハク 〜おかか純情編〜
2006/04/10 『愛しのハク 〜違いのわかるオトコ編〜
2006/03/16 『愛しのハク 〜眠れぬ夜は君のせい編〜
2006/03/01  『愛しのハク 〜MY CAT LOST編〜
2006/02/11 『愛しのハク 〜ルームメイトは白猫氏編〜


感銘のデルタ

ある時期から読書の際、気になったページを折るようになった。ページの隅を三角に折り込むのは、付箋をつけたり、書き込みをするよりも手っ取り早い「しるし」である。
今夜部屋の片付けの際に久々に手に取った本には、沢山の折目がついていた。さぞかし感嘆符が頭の上に踊るような読書体験だったのだろう。
自分にとって良い本ならその分だけページは折り込まれる。その数は感銘の証と言えなくもない。

その作品を読んだ時期は大体想像がつく。この部屋の本棚にある書籍の大多数は大学時代に購入されたもので、有り余る時間を本を読むことに捧げてきたからだ。今思えば、よくもこんな本を!という小難しい作品も含まれているが、それにも容赦なくついている折目を眺めていると、学生時代のカオスティックな生活が懐かしく思い出される。

あの頃は何にも邪魔されない時間がたっぷりとあった。本を伏せてはトイレに立ち、本を読みながら煙草を吸い、読書を中断してはコンビニに行った。
それまで本を読む習慣がなかったせいで、読みたい本は無限に湧いてくるように思えた。書店の書架の前で手当たり次第に小説を手に取り、気に入った作家の本は全て読んだ。

本を読み返す時、ふと三角折のページに出くわすことがある。その頃の自分にとって、このページのあるセンテンスは有効に作用したということになる。その三角が示す箇所からは当時一番大切にしていた想いや、心を支配していた感情の類が読み取れる。

注意深く文章を辿ると、(あー、ここだ!)と思い出す時もあれば、その一方で何度読み返してもその「部分」がわからないこともある。
その時、自分がどこにどうやられたかは想像するしかない。三角折の中途半端さこそが後の想像力を掻き立てる。

ある友人が手にしていた本は、彼がひいた蛍光マーカーのせいでまっ黄っ黄だった。即ち、彼は線を引くのが止められないほど作品の虜になったということだ。少々感銘を受けすぎではあるが悪いことではない。


本日の1曲
冗談 / Original Love


Weezer / Across the Sea

これまでに選んだ”本日の1曲”約250曲余り。しかし困ったことに、思い入れがありすぎて選べない曲も存在する。だからWeezerのAcross theSeaはいつまで経っても選べる気がしない。この10年間でもっともよく聴いた曲だろうし、これほどまでに深く共感した曲はない。

歌詞は1通のファンレターを受け取るところから始まる。差出人は日本の小さな町に住んでいる女の子。そしてそのエピソードの影響もあって、日本のWeezerファンからも人気が高い。

Weezerは1995年、1stアルバム『Weezer』をリリース。シングルカットされた『Buddy Holly』はMTVの年間ベストミュージックビデオに選出された。親しみやすいメロディーと、ロックバンドにあるまじき”普通な”ルックスで一躍人気バンドになる。

しかしリバースは戸惑っていた。同じ曲目を演奏し続けるワールドツアーのスケジュールや、同じ質問に答え続けなくてはならない膨大なインタビュー。何かの間違いでここに立っているだけだと叫びたい時もあっただろう。
誰のために歌うのか?自分の歌は誰かに届いているのか?

彼は1通のファンレターを手にして、差出人の少女のことを想像する。どんな洋服を着て学校に行っているのだろうとか(”what clothes you wear to school”)、どんな部屋に住んでいるのだろうとか(”how you decorate your room”)思いを巡らす。そして彼女の無垢さにすがりたくなる。

ミュージシャンとファンの関係なんてたかがしれている。結局のところ、本当に助けを必要としている時、彼に手は差し伸べられない。貪欲なファンは新曲を求め続けてばかりいるし、彼はロックスターで、名前も顔も知らないファンに甘えることは許されない。たとえ世界中にファンがいようとも。
今こうしてWeezerへの勝手な思いをつづっている間にも、彼は苦しみに煩悶して眠れぬ夜を過ごしているかもしれない。もっとも目の前のCD以外に何の接点があるだろう?

しかし彼の作った楽曲はショップに陳列され、ラジオ局でオンエアされ、色んな国に届けられている。楽曲に励まされ、影響を受け、知らない人の生活に入り込んでいく。顔の見えない相手に向かって彼は彼の音楽を鳴らし続ける。
どこかの土地で自分の音楽が何かの化学反応を起こしている。それはとても不思議なことで、うまく実感できないことかもしれない。

今見えている景色なんてほんの一部で、結局は何ひとつ見えていないんじゃないかと思う時もある。
しかし誰かの心の中に、ちょっとだけでも自分の存在が在ると感じることはなによりも尊いのではないか。たとえ実際に会って、語り合うことが今はできないとしても。


本日の1曲
Across the Sea / Weezer



Across the Sea

You are 18 year old girl
Who live in small city of Japan
And you heard me on the radio
About one year ago
And you wanted to know
All about me and my hobbies
My favorite food and my birthday

Why are you so far away from me?
I need help and you’re way across the sea
I could never touch you
I think it would be wrong
I’ve got your letter
You’ve got my song

They don’t make stationery like this where I’m from
So fragile, so refined
So I sniff and I lick your envelope
And fall to little pieces every time
I wonder what clothes you wear to school
I wonder how you decorate your room
I wonder how you touch yourself
And curse myself for being across the sea

Why are you so far away from me?
I need help and you’re way across the sea
I could never touch you
I think it would be wrong
I’ve got your letter
You’ve got my song

At 10 I shaved my head and tried to be a monk
I thought the older women would like me if I did
You see, ma, I’m a good little boy
It’s all your fault, momma, it’s all your fault
Goddamn, this business is really lame
I gotta live on an island to find the juice
So you send me your love from all around the world
As if I could live on words and dreams and a million screams
Oh how I need a hand in mine, to feel

Why are you so far away from me?
Why are you so far away from me?
I could never touch you
I think it would be wrong
I’ve got your letter
You’ve got my song
I’ve got your letter
You’ve got my song


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2ndアルバム『Pinkerton』は内向的、極私的楽曲が評論家の非難の的となり、前作のセールスを超えることはなかった。(しかしこの作品で日本でのWeezer人気は不動となったと確信する)

『Pinkerton』の商業的な失敗(作品は素晴らしい!)でvo.リヴァースは、しばし音楽から遠ざかり、ハーヴァード大学に入学しバンドは休止状態になってしまう。彼は『ロックバンドとしてワールドツアーを回ることがいかに退屈か』という論文を提出している。
世間から姿を消していた間、彼は左右の足の長さを揃える手術をし、不恰好な強制器具をつけ、一方で発表するあてのない楽曲を作り続けた。新作を待望する ファンは数年間焦らされ、バンドを去るメンバーもいた。

そして2001年、3rdアルバム『Green Album』で音楽シーンにWeezerは戻ってきた。アルバム発売前から、オフィシャルホームページでレコーディングしたばかりの音源を無料配信し話題になった。それらの音源はアルバムにも入っていない。

2002年『Maladroit』リリース後ジャパンツアー(”Japan World Cup Tour”)開催。Zepp公演は前列にいながらも、オーディエンスの異常な盛り上がりでステージが全く見えず(ちなみにリヴァースはヒゲ面でクッキーモンスターのようだった)、翌週も当日券で参戦。幸福な連戦であった。
8月にはサマーソニックで来日。夕暮れの”Island In The Sun”が印象的だった。

2005年『Make Believe』リリース。8月サマーソニックに出演。ニューアルバム発売直後でありながら新旧織り交ぜたセットリストでファンを喜ばせた。サマーソニックの熱烈な歓迎に応えて12月には再度ジャパンツアー(”Mos Burger Tour 2005”)で来日。新木場STUDIO COASTに参戦。
今年vo.リヴァースは日本人女性と結婚したばかりである。


オタクとオシャレの境界線

その日、友人氏とオタクごっこをしながら帰宅していた。彼女はオタクの模倣がやけに上手い。それは彼女がオタクタウン(中野)で生まれ育ったことによる、ある種の勘なのかもしれないが・・・まぁとにかく我々はオタク的な会話をしているうちに新宿駅に着いた。
中央線のホームの列に並んでいる時、前方に”本物の”オタクを発見した。彼は我々と同じく、数分後に到着する中央線を待っていた。

まず目に付くのは彼の髪型だ。肩につく長さの黒髪を無造作に束ねていた。しかし少々無造作過ぎる。ゴムで固定されている髪より、後れ毛の方が量が多いのではないかという大雑把さだ。薄い素材のジーンズに丈の短い七部袖の白いTシャツを着ている。彼の持ち物らしいキャリーカートには「ポケットティッシュ」と書かれた大きな段ボールが乗っかっていて、軽いのか重いのかもわからない段ボールの存在がマニアック感を増長させていた。

我々はオタクごっこを中断し彼の挙動を観察した。左の手首にはくしゃくしゃのビニール袋がぶら下がり、その中から菓子パンを出し入れしてほおばっている。彼は食べかけのパンをぶっきらぼうにビニール袋に突っ込み、右手に持った飲料ですかさず流し込む。電車が来る前に食べ切ろうとしているのか、随分と慌ただしい。
当初、姿を一見してオタクと認識した我々であったが、少々雲行きが怪しくなってきた。友人氏が異論を唱え始めたのだ。

友人氏はジーンズと飲料に注目したようだった。彼はデニムより薄い妙な素材のジーンズを腰履きし、もぐもぐと口を動かしながらスターバックスのシアトルラテを飲んでいた。オタクはジーパンを”腰履き”しないし、”スターバックス”のラテは飲まない、というのが彼女の主張だった。

間もなく我々を乗せた車両は発車した。夜の車窓を利用して彼をチラ見する。彼の着ているTシャツは七分袖でフロントには英語のロゴが入っていた。後姿で気がつかなかったが、彼はうっすらと無精ひげを生やし、大きな眼鏡をかけていた。顔の半分が隠れそうな大きなめがねは見ようによっては、「どちらにも取れる」し、ファッションアイテムとしては難易度が高い。彼は「ものすごくオシャレ」か「ただのオタク」なのだ。
”メガネ”、”七部袖”、”英語のロゴ”が『オタクではなくてオシャレ。』だと彼女は主張する。車内で静かに、しかし確信を持った口調で。

あれだけ嫌われていたオタクという人種が今脚光を浴びている。日本製アニメやゲームソフトの人気に便乗して、オタク文化も海外では認知度を上げているようだ。アニメーションが氾濫する日本でオタクをやらないのは損なのかもしれない。
それに『オタクっぽくてかっこいい』というのは褒め言葉のようだ。しかるに漫画やゲームなどの”インドア系趣味”を持ち、”色白で痩せ型”という条件が合えば、オタクと呼べるのだろうか。オタクの垣根も随分低くなったものだ。

そしてオシャレとオタクの境界線も、今日では曖昧である。絶対中野だよ。高円寺でしょ!という言い合いも虚しく、高円寺で降りた時も彼は電車を降りなかった。オタクなのかオシャレなのか最後まで謎を残したまま、疑わしい彼を乗せた電車は西へ走り去った。


本日の1曲
Boys Don’t Cry / Comeback My Daughters


どこでもデスク術

待ち合わせに少し遅れて駅に到着すると、友人氏の姿が見えた。彼女は改札近くの柱のふもとにぺたんと座り込み、書き物をしているようだった。その周りを本や書類がぐるりと囲んでいる。本はあるページで開かれ、資料には所々ラインマーカーがひかれていた。

こちらに気づくと親しみのある笑顔を向け、散乱した資料を一斉にかき集め出した。そして手当たり次第にカバンに突っ込んでいる。
今更驚くことではない。彼女が所構わず勉強を始めるのはお馴染みの光景だ。彼女はどこでも勉強できる。それが駅構内であっても。

その頃の彼女はといえば、こちらがちょっと席を外した隙にもう文献を開き、席に戻るとパッと本を閉じる。そして先程の話の続きを始める。それも適当に話をするのではなく、オリジナリティに溢れた興味深い私見を述べ始める。その動作はもはや彼女の一部で、今更言及するまでもないみたいに自然に行われた。

彼女の集中力にはいつも感心させられた。彼女は当時勤勉な大学院生であったから、その集中力は学問に対して如何なく発揮されたはずだ。彼女は所構わず勉強をし、高い集中力を持続することが出来た。その特性は尊敬に値する。なぜなら自分が集中力に欠けたヒトだからだ。

環境に左右されてるあまり、自室以外では集中力が持続しない。読書はシンとした自室でないとできないし、喫茶店で勉強など以ての外で同じ箇所を何度読んでも頭に入らない。読書を再開する時は、数頁前から読み直すことになり、短時間の読書を繰り返してもちっとも頁は進まない。通勤時の読書を思い立ち、奮発して買った皮の文庫本カバーも結局出番がないままに放置されている。

だから街の喫茶店ではそれなりの過ごし方をする。iPodでお気に入りの音楽を聴けば、雑音も気にならずに瞑想できる。それに音楽で高揚した気分のお陰でスラスラと文章が書ける。ちなみにこの文章も喫茶店で書いている。インプットとアウトプットの問題なのかもしれない。人前でのインプットは困難だ。

街中で参考文献を広げる学生たちを見かけて、駅で勉強していた彼女を思い出すことがある。もっとも、駅の床で彼女ほど荷物を広げている人には会ったことがないけれど。


本日の1曲
すてきなメロディー / SUGAR BABE


いせや寄稿。

井の頭公園に次ぐ吉祥寺の名所と言っても過言ではない。『いせや』は精肉店として昭和初期に創業、焼き鳥を販売して50年の老舗。吉祥寺には2店舗あり、吉祥寺駅前交差点近くに「総本店」、井の頭公園入り口には「公園店」がある。
この度総本店が建物の老朽化のために建て替えられることになった。そしてそのニュースは世間でもちょっとした騒ぎになっている。

中央線のガード近くにいせや総本店はある。昼間に通りかかると並木の緑に映える築50年の木造建築が美しい。昼間から周辺にもうもうと煙が立ち上がり、カウンターは賑わっている。
名物の”安くて大きい”焼き鳥は1本80円。親しみを込めて「芸祭価格」と呼ばせていただいている。焼き鳥をつまみにちょっと飲む程度なら1000円でおつりがくる。

閉店前の最後の日曜日。夕刻のいせや総本店には入店待ちの長蛇の列が出来、歩道は人で溢れかえっていた。歩道に面した立ち飲みカウンターは2列3列とお客が押し寄せている。写真を撮っている人も多かった。
店の軒先では大勢の店員達がテキパキと焼き鳥を焼き続け、白い煙がもくもくと立ちのぼっている。忙しく手元を動かす店員氏と親しそうに会話するおじさん。きっと常連客なのだろう。

そういえば学生の頃、友人と3人で来店した時、向かいの席で飲んでいたヨレヨレのスーツ姿のおじさん2人に巻き込まれ、会計をおごって貰ったことがあった。持つべきものは酔っぱらいの扱いに長けた可愛い女友達である。

この混雑では入店まで時間がかかりそうだ。『20時以降は初めてのご来店のお客様お断りします。』の貼り紙も納得がいく。ひとしきり総本店を眺めた後、いせや公園口店に向かう。

予想通りこちらにも行列が出来ていた。いせやの行列は週末のお馴染みの光景なのだ。向かいのオシャレなダイニングバーに作業着姿のおじさんがいる。いせやの方をチラチラと眺めているところを見ると、混雑にはじき出されてしまったいせやの常連さんなのだろう。

並んでから約10分、長テーブルに丸イスという極めてシンプルな席につき手早くオーダーを済ませる。酒の飲めない小生、焼酎サワーの無い総本店ではなく、ほとんど公園口の店舗を選んでいる。足繁く通ったおかげでメニューを見なくともオーダーできるくらいだ。焼き鳥各種をシオで頼む。揚げ餃子、ジャンボシューマイ、モツ煮は必須だろう。ライスを頼めば定食気分で食事ができる。(最近レバ刺しがメニューから消えてしまったのが悔やまれる)

公園口店は2階建ての吹き抜け構造になっていて、傾斜の急な階段を上ると座敷スペースがある。
2階の通路脇に並んだテーブルを見上げ、チカチカと蛍光灯に照らされた座敷を眺める。ガヤガヤと騒がしい店内を若い店員達がすり抜けていく。年代物の扇風機がお客を見下ろす。
なんともいびつな店内の構造はアジア諸国の大衆食堂を思わせる趣がある。これは意図的な演出では絶対に出せない空気だ。

思えばこの店で友人達の色々な告白を聞いた気がする。銀色の灰皿を眺め、安っぽい緑のイスに座っていると学生時代を思い出して、懐かしい気分でいっぱいになった。
親しみのある店が解体されるのは心許ないだろうナ、とふと思う。総本店はあの場所で50年間も営業を続けていた。常連達にも店員達にも、それぞれ沢山の思い出があるのだろう。いせや総本店は来月解体され、来秋には14階建てビルが建つ。


本日の1曲
サヨナラダケガ人生ダ / eastern youth


肩のNIKONと鞄のRICOH



愛機はNIKON F3(マニュアル一眼レフ)とRICOH GR1v(コンパクトカメラ)。外出の際、どちらを持っていくかで結構悩む。

F3は鞄にも入らないし、それなりに重い。写真を撮るかわからない外出時に持って行くには大きい。いつでも鞄に入れておけるようなサブカメラを探している時、森山大道の愛機だと知りGR1vに飛びついた。しかしフジロックに持っていったせいで現在GRは壊れている。気軽に持ち歩きすぎたのだろう。
今はRICOHもフィルムカメラ市場からは撤退し、NIKONも数機種を残してフィルムカメラの生産が終了してしまった。

F3とGRではレンズの特性が大きく異なる。レンズの特性を表すmmの単位は、レンズ中の主点とフィルム面との距離を表し、数値 が小さくなるほど画角(写真に写る範囲)が広くなる。(ちなみにこの数値が大きくなれば望遠レンズ、小さくなれば魚眼レンズに近くなる)
28mm(広角気味)のGRと、52mm(標準)のF3では写真の仕上がりも結構違う。実際の視野に近いのはF3の方だが、画角の広いGRは背景を広く取り込める。

GRはシャッターを半押しすれば自動でピントは合うし、フラッシュも内蔵されている。カバンから出して電源を入れればすぐシャッターが切れる手軽さは魅力だ。
一方F3はというと、ほとんどがマニュアルで操作しなくてはならない。露出もシャッタースピードも、フィルム感度も状況によってその都度設定が必要。

しかしF3の方が思い通りに撮れている。適正露出はファインダー内部の表示が教えてくれるし、シャッタースピードは慣れれば勘で判断できるようになる。
絞りの調節で背景をぼかしたり、シャッタースピードを切り替えれば動いているものでも的確に撮影できる。マニュアル機は操作が難しそうだと避けられがちだが、慣れれば出来上がりをイメージして操作出来るようになる。フィルムを使い切った後の手動の巻き上げすら撮影の楽しみである。

晴れた日の昼間や風景撮影には気軽なGR、夜間や室内ならF3がいいだろう。しかし何を撮るかなど出掛けるときにはわからないのがほとんど。
それぞれの長所は捨て難く、短所を補おうとすれば結局2台になってしまう。


本日の1曲
そして風は吹く / サニーデイ・サービス


>>関連エントリー >>
2006/01/29 『NIKON


妙なあだ名の王子さま

午後のワイドショーはある記者会見の様子を放送していた。ここから画面は見えないけれど、騒々しい番組の内容でそれが注目の記者会見であることがわかる。
けれど妙だ。暫く聞いていても主役の名前が出てこない。その代わりに、ナレーションはハンカチ王子、ハンカチ王子、と繰り返す。主語はハンカチ王子のようだ。

とある選択を迫られた ”ハンカチ王子” は進学を決意したようだった。テレビ画面を覗き込むと、ボクトツとした風体の王子が映っていた。彼が来年入学するのは早稲田大学で、現在の彼には妙なあだ名がついていた。

向こうからやってきた同僚になぜ彼がハンカチ王子なのかを聞くと、彼女は額の汗を拭く動作をし、『こーやってやるんだヨ。』と説明してくれた。今更な質問に皆が親切に答えてくれる。
『青いんだよ。』
『そう、ハンカチが。』
『しかも畳んで仕舞うんだヨー!』

皆が好意的に彼を語り、その場でハンカチ王子を知らないのは自分だけだという事が判明した。今年、夏の甲子園は一度も見なかった。決勝は歴史に残る名試合だったらしいが、知った時にはもう遅い。冬季オリンピック開催時に起こったイナバウアーショックが蘇る。

たった今仕入れたばかりのニュースを告げると、そこにいた同僚達は興奮した面持ちで喋りだした。今は誰よりもハンカチ王子の最新情報を知っていることに得意気な気分になる。
『えっ!決まったの!?』
『へー、大学行くんだ!』
その選択は皆の関心事だったようだ。皆はハンカチ王子の決断について、真剣な表情で私見を述べ始めた。

早稲田実業高校の校舎が国分寺に移転した時、ちょうど国分寺に住んでいた。自席に戻り、隣に座っている同僚氏に国分寺市の地図を差し出し『ここ、ハンカチ王子の高校だよ』と言ってみた。内心ドキドキしながら発した『ハンカチ王子』というちょっと恥ずかしい言葉は、何の違和感もなく会話の一部になった。


本日の1曲
Come On, Ghost / The Pillows


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2006/04/01 『稲葉ウアー


自転車乗るなら部屋まで担げ

もっぱら電車で移動する生活が続いている。JR私鉄各線、地下鉄、バス、タクシー。都心部においては、移動手段はたくさんあり、困ることもない。もうかれこれ7年程自転車を所持していない。
しかし毎年この時期になると無性に自転車に乗りたくなる。自分で風を切る感覚は特別だ。自宅を出発し、道端に駐輪して街を散策するのは楽しい。以前乗っていた愛車TOMOSを諸事情で実家に送り返してからは、この楽しみも長いこと味わっていない。

数年間迷いに迷って購入していないのにはそれなりの理由がある。
盗難も心配だし、メンテナンスにも自信がなくて・・・などという前に、住んでいるマンションに駐輪場がない。周りを店舗に囲まれており、密接した建物の間には隙間もない。『駅近いから、必要ないでしょ、ネ。』と不動産になぜか念を押されたが、駅が近ければ必要ないというものでもない。
『自転車乗るなら部屋まで担げ』。これがこのマンション居住者の暗黙のルール。
自室のある3階まで自転車を担いで昇ることを考えると車体重量は大きな問題である。このマンションはエレベーターもなく、階段も狭い。

カナダのサイクリングブランド『LOUISGARNEAU(ルイガノ)』のクロスバイクに狙いをつけてから、早数年。無駄のないスマートなデザインで、本体重量は13キロ台。タフすぎないスマートさで、ロゴデザインもいい。この時期は来期の新モデルが発表される直前で、今期モデルの出荷は停止する。購入に二の足を踏んでいる間にメーカーの在庫は売り切れ、運が悪いと次回の入荷まで数ヶ月間は購入できなくなる。
そして今年も恒例の買い逃しシーズンが到来した。インターネットで情報を収集する限り、お目当てのモデルは最早どの店にも在庫が無い。

一般的に車体の重量が軽くなればなるほど高額になり、軽さだけを追い求めると予算を随分オーバーしてしまう。レースに使われるロードバイクはわずか7キロ程度しかないが、これはケタが違う。折り畳み車は走っているとバラバラになってしまう気がして落ち着かないし、是非通勤にも利用したい。

Tokyo Bikeに注目したのはその軽さ。タイヤもフレームも驚くほど細い。実際に担いでみるが、これならいけそうだ。重量10.4キロで48000円。10キロ台が約5万円で手に入るのなら、手頃と言えるかもしれない。(ギア無しのモデルならばさらに軽く9.4キロ)精肉コーナーよろしく今は重量と価格を見比べている。

普段の行動範囲外に出て、知らなかった道や場所に出会いたい。バイクに乗っていた頃は思いつきで出かけることも多かった。自転車のある生活はいい、はずだ。


本日の1曲
The Middle / Jimmy Eat World