Archive for the '黄昏コラム' Category

意味のない走り書き

大学生の時、財布を失くしてしまった。十数人の生徒たちを集めて屋外でミーティングが行われ、この課題の為だけにやってきた若い助手は皆に教室の外に出るように指示をした。その時カバンを持っていかなかったのが悪かった。生徒の一人が荷物をどうするか若い助手に尋ね、疑わしき助手氏は荷物を置いていくように言った。『鍵をかけるから荷物はそのままでいいです』

そして帰って来た時には見事に皆の財布が無くなっていた。カバンは漁られて、財布以外に高額の定期を盗まれた人もいた。生徒たちは騒然となった。すぐに学生生活課に行って盗難届けを提出したが、今思えば疑わしき助手を問い詰めるべきだったのだ。その実習が終わるとその助手の姿を見ることもなくなった。

現金を盗まれたことよりも、財布に入っていた手紙を失くしたことに動揺した。現金だけ盗んでくれればよかったのに、とすら思った。手紙はノートの切れ端に書かれた走り書きで、高校時代にクラスメイトから貰ったものだった。
進路選択を迫られていた頃、皆が希望の進路決定のために家族と話し合いをしていた。美術大学に進学したいという意思は当初家族の反対に遭った。自営業を営む我が家では県内の普通大学に進学し、自宅から大学に通い、会社を継いで欲しいという計画があったからだ。

家業を営んでいたがために、自由が制限される。会社を継ぐためだけに育てられていたような錯覚に陥った。進路に関する話し合いのたびに家庭内をきまずい空気が包んだ。
進路相談の翌日肩を落として登校し、前の席に座ったクラスメイトにぼそぼそと昨夜の出来事を打ち明けた。彼は暫くして机の上にポンと紙片を投げ込んできた。

それからはいつでもその手紙が読めるように、財布の中に入れていた。文面を見て青臭いと笑う友人もいたが、浪人中の苦しい時期も、自信を喪失した時もその言葉に支えられていたように思う。その言葉はいつも初心を思い出させてくれた。何度も勇気付けられた。
その後同じ財布を買い直したが、あの手紙は二度と戻ってこない。それはノートの端を破ったメモで、他人には何の意味もない単なる走り書きだった。


本日の1曲
TRIP DANCER / The Pillows


ニューヨークの暖かい冬

ニューヨークの友人宅を訪問した時、外は零下にもなるというのに部屋の中は非常に暖かかった。窓際のヒーターが時々シューッ!と勢いよく蒸気を噴出している。慣れていないと体がビクッとするくらいの勢いだ。寒さが厳しいニューヨークでは賃貸物件のオーナーに暖房器具の設置と、一定の室温を保つ義務が課せられているらしい。

しかし部屋の中にコントローラーが見当たらない。友人氏は、オーナーが一斉に操作をしているのだと言った。つまり大家がスイッチを入れなければ運転しないということだ。稀に「寒い日」もあるらしいが、ヒーターのお陰で家の中は春の陽気が保たれていた。真冬でもTシャツ一枚で快適に過ごせる。時々窓を開けないと暑いくらいに暖かかった。

その暖かさを経験してしまったら、暖房環境を考え直さざるを得ない。エアコンの乾燥した温風がもやっと頭上をうずまく感覚が好きではなかった。それまではエアコンと電気ストーブを併用していたが、電気ストーブは低温火傷の経験があるし、ベッドサイドに置いて知らないうちに布団が焦げていたこともある。ストーブの近くにいた猫すら焦げた。それに電気ストーブでは部屋全体が温まらない。何と言っても目指していたのはTシャツで過ごせる暖かさだったからだ。

暖房器具購入の検討を始め、結局オイルヒーターを購入した。ニューヨークで見たラジエーターヒーターに形状が似たルックスは期待を抱かせた。
ニューヨークの友人邸にあったのはスチームを噴出する温水ヒーターだったが、輻射熱で部屋を暖める暖房形式が同じだった。空気が汚れず、風も出ない、猫も焦げない。中のオイルは交換の必要もない。

しかし、当時住んでいたのは木造アパート。熱を蓄積しない木材では輻射熱は期待できない。当初ヒーターの威力に過大に期待していて疑いもしなかったが、当然ながら木造アパートでは暖房効果が発揮されなかった。
現在の鉄筋マンションに移ってからも効きに不満が残った。折角だから使ってみるが、暖まらない。ニューヨークの冬には程遠かった。結局つけっぱなしになり、エアコンと併用するようになった。半端な状態であるにも関わらず、冬場の電気代は1万を軽く超える。

そして先日ガスファンヒーターを購入した。コストパフォーマンスや立ち上がりの早さで知人に勧められたのだった。
ニューヨークの暖かさを忘れられない人間の、あくなき住環境の追求は続く。


本日の1曲
Did I Say / Teenage Fanclub


酒場人間模様

そこは友人宅が経営する小料理屋。店内のカウンターにはお客さんがずらりと並んでいる。ひとり暮らしで家庭料理に飢えているのを気遣って、ママ氏は気さくにお店に誘ってくれる。酒を飲めない替わりに、目の前に出される怒濤の料理の数々。

入店してすぐに一人のおじいさんがお店にやって来た。会うのは初めてだったけれど、皆は親しみを込めて「カシラ」と呼んでいた。カシラは何故か紺色のハッピにワラジのお祭りスタイルだった。カシラは町内会の長(おさ)であるらしかった。

入店した時点でカシラは泥酔状態だった。皆の呼び掛けに満面の笑みで答えている。時折短い言葉を発するだけで、赤ベコみたいにニコニコと頷いている。呼びかける方も泥酔しているので、コミュニケーションは成立しているみたいだった。
そのうちカシラは焼酎の入ったグラスを派手にぶちまけ、ママに怒られながらニコニコと帰って行った。カシラが去った後はカシラの手荷物だけが座敷に残されていた。

カウンターの上に小さな工芸品を広げているおじさんがいた。趣味でステンレスを加工した繊細な作品を作っているおじさんで、友人氏の携帯にくっついている猫の作品を見せて貰ったばかりだった。精巧に作られた作品は商売が成立しそうな程完成度が高い。どうやって作っているのだろう?

おじさんは誇らしげに作品を語ったかと思うと『・・・もう作らないけどネ』と思わせぶりな含み笑いをした。何故もう作品を作ることができなくなってしまったのかは聞いてはいけない気がして『そうなんですか』と言っておいた。

誇らしげに作品を語る→思わせぶりな含み笑い→また誇らしげに語る→含み笑い→誇らしげ→含み→・・・の連鎖が始まり、何度も『そうなんですか』と言い続けた。そして随分時間が経ってからようやくおじさんが泥酔しているのに気付いた。ママはくどい!と怒っていたけれど、おじさんはしょんぼりしながらも同じ話を続け、たまに職場のグチをこぼした。結局最後までどうやって作っているのかは教えて貰えなかった。

入り口の戸に掲げられた「会員制」の文字。一人で歩いていたら緊張して入店できないようなその店に、実は月に1度程通わせていただいている。
居を転々とする東京暮らしで、東京という「地元」に住む人々と触れることもあまりなかった。田舎と同じように、中野には中野の町内会があり人間模様がある。今夜もちょっと緊張しつつ扉を開けた。


本日の1曲
Automatic Stop / The Strokes


いいわけ癖

あるミュージシャンのエッセイを読んだ。1年間の雑誌連載が終了して半年後に書籍版が刊行されたのだ。ミュージシャンらしい着眼点に感心し、日々の暮らしのエピソードは面白く書かれている。雑誌に連載されていた頃からその文章のファンであった。

ページの欄外には”現在の”彼のコメントがついている。そのスペースで彼は連載当時を振り返っている。『この文章は無理矢理でしたね』とか、『論点まとまってないですね』とか、どちらかというと後ろ向きな発言が多い。『よく書けた!』というものはひとつもない。
(この人、自分と似てるな)と思った。それを言わなければ、落ち度なんてわからないのに。

卒業制作でアニメーションを作った。どう考えても間に合わないスケジュールにあくせくしているうちに提出期限は訪れた。手を加えたいところはいくらでもあるが時間と技術が追いつかない。結局「半端な」作品を提出しなくてはならなかった。

講評の当日、教室では学生達がそれぞれの作品の前に立ち、自分の作品について説明する。計画性のあるほとんどの生徒は完成度の高い作品を提出し、立派なプレゼンテーションを繰り広げる。その様子を後方から眺めていると、真冬なのに冷や汗が出てくる。

遂に順番がまわってきてしまった。頭は混乱し、気付けば言い訳を放出していた。
『背景も動かしたかったんですケド (できませんでした)』
『もう一作品作る予定だったんですケド (時間がありませんでした)』
『こういう効果を出したかったんですケド (失敗してしまいました)』

突っ込まれる前にアラを暴露した。学生生活の集大成のイベントであるのに、未完成の作品を提出してしまったのだ。恥ずかしいやら、情けないやら、動揺がおさまらない。その時自分の作品に対する自信はすっかり忘れていた。

作品の講評は二人の教授とそのゼミを専攻する全ての学生の前で行われた。所属していた空間演出デザイン科は立体作品が多かった。大型作品を展示する学生も多く、制作シーズンの校舎はそこら中が工場と化している。皆が真冬の校舎に遅くまで残って制作を続けていた。彼等はお互いの制作過程を知っている「仲間」に見えた。

制作過程にもタイプがある。構想段階から教授にみっちり指導を受ける人や、簡単なチェックを受けただけで最後まで自分の殻に閉じこもる人もいる。明らかに後者に属する自分の作品は、完成まで誰の目にも触れていなかった。皆が開放的に制作に取り組んでいる間、自室でデスクトップムービーを作っていたのだから。余計に奇異な視線が注がれているような気になる。

一人の教授は作品を観て、『上村一夫の世界観だね。』と言った。よく言えば”荒削り”の作風は、決してマイナスにだけ作用するものではなかったのだ。
硬直して突っ立っている自分に教授はこうも言った。『自分が思っている欠点は、口にしなければ気付かないものだよ。』
その言葉は忘れられない言葉となった。理想に辿り着けなくても、自分の作品を否定する必要などなかったのだ。


本日の1曲
Kissing My Love / odani misako・ta-ta


さぼうる

初めて入店したのは大学3年生の夏だった。偶然にも同じ文庫本がお互いの鞄に入っていたからよく覚えている。その日は本好きの友人と神田散策に繰り出し、それまで名前しか知らなかった街を二人で歩き回った。
知らずに入店した古書店がアダルト誌専門店だったり、手に取った文芸誌に友人の書いた詩が掲載されていて驚いたりしながら街を歩いた。そしてその日に初めてさぼうるに入店したのだった。

今思えばその時入店したのは『さぼうる2』の方だった。2は食事がメインの分店のような存在だろう。今夜はまだ食事をしていなかったので、まずは『2』で食事をすることにした。すぐ隣にある本店は喫茶と軽食、夜はお酒が飲める。

会計を済ませ、一旦店の外に出、5メートルと離れていない本店に入店する。半地下の席につき、アイスカフェオレを頼む。

耳のイヤホンを外すと、隣のテーブルに座った大学生らしき風体の男女の会話が聞こえてくる。彼は意気がっている同級生を批判していた。口を尖らせて子供みたいな顔をしている。それに対して冷静な意見を述べる彼女。彼はなかなか彼女の心を掴めないようだったが、最後は流行りの音楽の話で和解したみたいだった。

この店は半地下がいい。店内の煉瓦の壁はびっしりと落書きで埋まっている。そして大抵はメッセージの隣に日付が添えられている。
”幸せになります”
”○○さん 大好き”
”合格決定!”
”このコイ のがしてなるものか”
”アホバカ2人組参上”

ブラウニー色をした年代物の煉瓦に、白いペンで書かれた手書き文字。今ではあまり見かけない相合い傘の絵柄に懐かしい気分になる。誰が始めたのかはわからないけれど、そうやって様々なメッセージが一面に書かれている光景は面白い。
今でも落書きが許されているのか、今度は是非聞いてみようと思う。そして出来ることならば少し先の年月を思って、自分の文字を書いてみたい。


本日の1曲
Nobody Puts Baby In The Corner (Acoustic Version) / Fall Out Boy



さぼうる
9:00〜23:00(L.O.22:20)
日曜・祝日定休

千代田区神田神保町1−11 
東京メトロ半蔵門線神保町駅A7出口より徒歩1分
Tel 03-3291-8404


はたちの時間

久し振りに従兄弟に会った。彼は父親の弟の息子で、実家は兵庫県にある。現在は大学に通い、神奈川県でひとり暮らしをしている。
従兄弟一家は盆や正月には必ず静岡の実家にやってきた。とにかく小さい赤ん坊だった彼は、無邪気な幼少時代を過ぎ、むっつりした反抗期を越え、今年成人式を迎えた。先日の敬老の日に花束を贈ってくれたと祖母は嬉しそうだった。わざわざ花屋で花を注文する青年になったなんて、にわかに信じがたい。

彼は一人で電車に乗り、待ち合わせの新宿駅にやってきた。大学は男ばかりでむさくるしいとか、来月の学園祭に来るミュージシャンが学内で不評だとか、たわいもない話を楽しそうに話す。かっこづけのつもりのなんだかよくわからない見栄を張ったりしながら話は続いた。

彼が大学生になって親元を離れてから、彼の視線は親しみを増した。一番近くに住んでいる親類なのだから当然かもしれない。弟がいたらこんな感じなんだろうと思う。そして自分の20歳の頃を思い出す。

不満や悩みにパンク寸前になり、部屋に篭る。時々催される親戚の付き合いにうんざりし、顔を見せなくなる。くだらないからと成人式を無視し、上京して見知った文化にのめり込み、あらゆる主流を見下していた頃ではなかったか。それは誰もが経験する閉塞感だと思っていた。

彼はよく笑う。彼の話に登場する流行りの音楽や、最近のテレビ番組の話はほとんどわからないが、こちらが頷いても頷かなくても一人で楽しそうに笑っている。表裏をあまり感じさせない話振りはとても無防備で警戒心がない。子供の頃から彼の内気な性格を家族は心配したが朗らかで優しい青年に成長したみたいだ。

20歳の頃の自分はこんなに純真だっただろうか?隣で話にヒートアップする彼を横目に会話の合間にそんなことを思う。
過去について思いを巡らす時、些細な日常の光景を意外と思い出せないのかもしれない。印象的な出来事の幾つかを鮮明に覚えていたとしても、その合間に流れていた”普通の時間”についてどれだけ覚えているだろう。
彼をみる時はいつも、彼の歳だった頃の自分のことをぼんやり考える。


本日の1曲
When You Were Young / The Killers


静岡の真っ黒おでん

『これって・・・こういう色なんですか?』
そう尋ねたのは自然な成り行きだった。簡素なステンレスのしきりにぶちまけられたおでんは白かった。スープにもとろみがなく、見るからに薄味の予感がする。
ちくわぶ・・・なんだそれ。
高校生の時、コンビニエンスストアでアルバイトをしていた。バイト先で初めて迎えた冬。ちょうどその頃、コンビニでおでんが販売され始めた時分だった。それは静岡おでんに慣れていた自分が初めて目撃した全国区のおでんだった。

静岡の駄菓子屋にはおでんがある。駄菓子屋におでんがあることに驚く人がいることを上京して初めて知った。駄菓子に群がる子供を横目に近所の主婦が右手を顎にあてて、おでんダネを吟味しているのは日常的な光景だった。静岡人はおやつ感覚でおでんを食べる。溝の入ったプラスティックの皿におでんをとり、たっぷりと鰹節の粉末をかけて食べる。

静岡のおでんは黒い。魚屋の店先で買うおでんも、家庭のおでんも、もちろん駄菓子屋のおでんも、皆どす黒い。その中に漬かったもつ、なると、こんにゃく、たまごはやっぱりどす黒い。祖母曰く、茶色は牛すじのダシの色らしい。
ついでに言うと静岡ははんぺんも黒い。いわしで作られた黒はんぺんは我が家の冷蔵庫には常に鎮座していた。生はもちろん、醤油をつけて食べる黒はんぺんのフライは定番料理のひとつだった。静岡でははんぺんと言えば黒がスタンダードだった。

本日、スーパーを巡回していると飛び込んできた商品があった。黒々と『静岡おでん』と書いてある。そして人知れず動揺する。二度見。商品名に堂々と静岡の地名が記載されるなんて、お茶とみかん以外にあまり見たことがない。やはり静岡のおでんは個性的だったのだ。

静岡なんて嫌いだと散々言っておきながら、その商品に胸騒ぎを覚える。静岡の真っ黒おでんは、にわかに脚光を浴びているのだろうか。

本日の1曲
Consumed By Laziness / Hot Rod Circuit


サーチは止まらない!

レコード店で視聴し、感触がよかったのにも関わらず購入を見送ったあるCD。よりによって真夜中にどうしても聴きたくなってしまった。iTunes Music Storeにあれば今からだって聴くことができる。しかし困ったことにバンド名も曲名も全く覚えていない。
覚えているのはジャケットのアートワークのみ。モノクロ風のイラストで左側に目の大きな女の子が描かれていて、はっきりと思い出すことが出来る。印象深かった理由は、それが自分好みではなかったからだ。音楽はいいのになんでこのジャケなのだろう?と首を傾げるほどに。

これだけはっきりとジャケットを覚えていれば、インターネット検索ですぐわかるはずだ。まずはそのアートワークの印象を検索ボックスに入力する。
『イラスト 女の子 CD』
検索結果はアニメソングばかりだ。
そういえば、音楽に似合わないそのアートワークは「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」風でもある。
『ナイトメアーっぽいジャケ』
くだけた言葉でフレンドリーに検索してみてもだめか。

そうだ、音楽CDに限定しなくてはならない。検索結果を絞るために、さらにジャンルを入力すればいいのではないか。音楽を聴いた印象だと、浮かぶキーワードはオルタナティブ。店頭でエモバンドと一緒に陳列されていたということは、エモ界の新人ということなのだろうか。
しかしジャンルというものは、分類しようと思えばいくらでも細分化できるし、人によって呼び方も変わったりするからあまりアテにならない。エモ+スクリームで”スクリーモ”と呼ばれるバンドもいて、いよいよ判断は難しい。

『オルタナティブ、Alternative』『エモ、Emo』『スクリーモ、Screamo』を、それぞれ先程の検索ワードに追加してみる。
見つからない。検索結果はいつも”moe”というバンドの音源に辿り着いてしまうが、moeは知っているバンドだから、今回は正解ではない。
視聴機に入っていたということは、最近のリリースである可能性が高い。新宿タワーレコード8階、オルタナティブロックコーナーの視聴機はどのくらいの頻度で商品が入れ替わるのだろうか?

そのほか、思いつく限りの形容で検索してみるが、一向に見つからなかった。それにバンド自体ほとんど無名という可能性もある。第一、どの国のバンドかもわからない。
検索していると同じ視聴機に入っていた作品に遭遇した。ジャンルもリスナー層も近いはずだ。今は自分のブログで好きな音楽を紹介する人も多い。そのアルバムタイトルを元にサイトを渡り歩く。

サーチは尚も続く。部屋に落ちていた何冊かのbounceをめくり、Tower Records、HMV、Amazon、Recofan、Disk Unionのサイトでカテゴリ検索をしながら、ページを高速スクロールする。
わずかでも手がかりを思い出そうとして、風呂に入りながら考え、ご飯をモグモグしながら考えてみたが、どうしても思い出せなかった。

ここまで見つからないと、店員に電話で問い合わせたい衝動に駆られるがもう時刻は深夜になっていた。一晩中検索は続いたが、結局もう一度タワーレコードに行って確かめなくてはならなかった。


本日の1曲
October 16th / Faulter


ワンサイドな恋

いつからか3人はよくつるむようになった。高校のクラスメイト達が、覚えたばかりの酒で夜遊びを楽しんでいる間、夜な夜な集まっては会合を開いていた。3人には共通点があった。シャイで、全員が”到底叶いそうにない”片思いをしていたことだ。

それは単なる悲観的な憶測ではない。同じ高校の、それも隣接した教室内での恋愛だった。それぞれのお相手の恋愛状況を知っている場合もある。実は恋人がいて明らかに無理なケースも、あったりする。
彼ら2人も他の生徒と同じように快活に振舞えたなら、すぐに彼女は見つかっただろう。彼女が欲しいだけならばそんなに苦労しない。しかし彼らは驚くほどピュアで一途な少年だった。

もっとも、我々が顔をつき合わせて話をしたところで、話が進展した試しがなかった。
気持ちは伝えてみたい、でも友達関係を崩したくない、ぎこちなくなるくらいならこのままの方がいいんじゃないか。思春期には誰もがぶち当たる(と思われる)大問題に頭を抱えた。毎日顔を合わせるクラスメイトに恋をしてしまった我々の悩みはつきなかった。

寄り道の行き先が決まらず放課後の教室で雑談、駐輪場でたむろ。体育館脇に設置されていた自動販売機は、体当たりをすると缶ジュースがゴロンと出てきた。ドカーン、ドカーン!と我々は順番に体当たりをし、大塚製薬の販売機は時々ポカリスウェットを排出した。
彼らはパチンコに勝つと、我が家に自転車で駆けつけ食事を奢ってくれたりした。それは田舎の高校生には贅沢な夜だった。

実は片方の彼が焦がれている女友達には彼氏がいた。彼は長らく彼女を思い続けていたが、その秘めた交際には気がついていないようだった。彼女が進学のために町を離れる日が近付き、いよいよ思いを告げるラストチャンスが訪れた。彼女が駅を出発するのは早朝。前日に彼はやっと告白を決意し、我々は景気づけの会合を開いた。

しかし騒ぎ疲れた3人はいつしかぐっすり眠り、目を覚まして反射的に時計を見ると彼女が出発する時間はとっくに過ぎていた。他の二人はぐっすり眠っている。もちろん告白を決意した彼も。

彼が告白したところで、その恋は実らなかっただろう。しかし寝坊は想定外の事態だ。布団をかぶって途方に暮れた。
モソモソと布団が動くたび、咄嗟に寝たふりをした。目を覚まして深くうなだれるであろう彼を慰める方法を考えなくてはならなかった。


本日の1曲
ワールズエンド・スーパーノヴァ / くるり


婚約者は受話器を握り

クレーマーはあらゆる手を使って、企業に挑む。屁理屈を言い、揚げ足を取る。訴えるから名前を教えろと脅し、要求が受け入れられないとヒステリックにまくし立て、陰湿な話し方で諦めが悪い。

以前とあるコールセンターで仕事をしていた。それは料金滞納でサービスがストップしたあるマンションの一室。夜遅く、料金の支払いを終えた女性がセンターに電話を掛けてきた。サービスの再開は営業時間内に限られている。支払いが終わったとはいえ、夜間はサービスを再開できない。

電話口で彼女はすすり上げていた。『このままだと、婚約を破棄されてしまうんです。』と、涙ながらに訴える。どうやら電話を掛けてきたのは初めてではないらしい。オペレーターが変われば対応が変わることもある。彼女はそれに賭けていたのかもしれない。自分にもサービスの再開を懇願した。

彼女は名義人の婚約者で、この一件で彼と大喧嘩をしたらしかった。彼らが同居状態にあるのかはわからないが、婚約者は決して請求書を見落とすようなことがあってはならない、「女なら金の管理はしっかりやれ」ということなのだろう。

男は自分のだらしなさを棚に上げて、彼女に責任を押し付ける。癇癪を起こし、暴力すらふるったかもしれない。婚約破棄をちらつかせて、彼女を追い込んだのだろうか。
何度断られても、婚約者はセンターに電話を掛け続けた。同情を乞うような嘘の芝居には慣れているつもりだったが、この時は何故か演技ではないという直感が働いた。

恋愛は時に人を豹変させる。普段は文句のひとつも言わず真面目に働いている人だって、裏では何をしているかわからない。彼女を救急車で運ばれるまでに殴り倒した顔見知りの男の子は、普段は穏やかでいつもニコニコ笑っていた。
悲惨な男だ。そんな男と結婚しても幸せにはなれないと皆が言うに違いない。彼女が今回のように窮地に追い込まれたことは初めてではないはずだ。些細なきっかけで、男は婚約者を罵り続け、彼女は嗚咽し続けてきたんだろう。

いくら泣きついたところで企業の方針は簡単には変わらない。もうどうにもならないことを悟ると、婚約者は渋々諦めたようだった。『わかりました。』と静かに言う。そして切り際に『私は今からこの家を出て行きます。』と付け加えた。
それは演技に過ぎなかったのだろうか。それとも彼女は本当に婚約破棄を受け入れたのだろうか。


本日の1曲
彼氏彼女の関係 / Base Ball Bear