うつ

テレビを見ていたら『うつ』のコマーシャルが流れた。「それはうつ病かもしれません。その症状が続いたら、病院へ。」
時代は変わった。以前はこんなに親切なコマーシャルは放映されていなかった。ここ何年かでうつへの偏見はやわらいだように感じる。人々は以前ほど、街のクリニックに通うのに抵抗は感じなくなったのではないか。

大学時代に鬱に苦しんだ。なんとなく気分が乗らないという鬱ではなく、原因が明らかだった。それは落ち込み、悩み、再生するというこれまでの過程とは全く違っていた。思考は滞ったまま、起きていても寝ていても常に地獄のようだった。

現実を直視出来ない為か幻覚を見た。夜な夜な叫び声を上げながら嗚咽した。そのせいで頭が激しく痛み、風呂にも入らず食事もままならず、ベッドから出ることすら困難だ。
しばし朝日は希望の象徴の様に語られる。しかし朝日が昇ってもその「新しい」一日は何の変化ももたらさないことがわかる。ただ、また同じ一日が始まってしまうことが恐ろしい。また朝が来てしまった、と絶望的な気分が増長されるだけだ。朝日は同じ一日の始まりを無情に告げるだけの存在であった。

状態は長く治まらなかった。「時間が解決する」と言った人の笑える程ありきたりの言葉にすがってみたものの、一向に状態は収まらず憤るばかりであった。鏡に映る醜く歪んだ自分の顔に、一層絶望的な気分になった。
どんなに声を荒げても伝わらないことがある。一番わかって欲しい人に届かないこともある。こんな状態で生きることに意味はあるのか。その事実はとてつもなく残酷である。

宗教や、ドラッグでこの苦しみから逃れられるだろうかと考えた。しかしそれで事態が解決するとは思えなかった。酒に酔うことも、薬に頼ることもなく素面の状態で苦しみを経験することは生き地獄のようなものである。その時自殺する人の気持ちが初めて分かった気がした。

数年が経ち、ようやく生活が戻りかけた頃にまたしてもある事件が起こった。その事件に対する落ち込みよりも、またあの日々がやってくると思うと恐ろしくて錯乱状態に陥った。

大学の相談室に行き、カウンセリングを受け心療内科に紹介状を書いてもらった。気は焦り、睡眠薬や抗鬱剤を早く処方して欲しい一心であった。すぐに心療内科へ電話を架けたが予約でいっぱいですぐには診てもらえないという。その後も何件かに電話をしたがどこも回答は同じだった。
結局その時は重度の鬱に何か月も悩まされることは無かった。ある種の免疫が出来、状況を食い止めようと抑制が働いたのかもしれない。

大学時代に経験した鬱体験はその後の自分を大きく変えた。
信じられるものと信じられないもの。信じたいもの。価値のあるものと価値のないもの。自分が一番恐れていることと一番望んでいること。大切にしなければならないもの。人間の尊さや揺るぎないもの。気が付いたことは沢山ある。それが浮き彫りになったおかげで、価値観も随分変わった。

今まで考えても考えきれなかったことにそれなりの意見を持てるようになった。自分の中の善悪の基準が明らかになった。それを人々に披露したところで必ずしも賛同を得られないことはわかっている。しかし揺るぎない自己が確立した重要な時期の出来事である。
ならば鬱を経験してよかったのだろうか。あんな経験をするくらいなら一生浅はかな人間のままで良かった気もするが、その経験こそが今の自分を形成している。
世の中はこんなにも残酷で荒み、それでも回転を続けているのだということを知るのは果たして幸福なのだろうか。

苦しみに喘いでいる人の前で帰宅の時間を気にしたり、簡易な言葉で慰めを言う人もいた。しかしそんな状態の友人を前にすべてを投げ捨てて身を捧げる覚悟が自分にはあるだろうか。人間に多くを期待するのは間違っている。その諦めの感情は今でも根深く残っている。

自分の経験をどう形容すればよいのか、喋れば喋る程、真実から遠ざかるような気がして虚しくなる。そして未だにその鬱が自分のすぐ傍にあるのを感じる。
世の中に完全にわかりあえる人間関係は存在しない。そう一度諦めた上で、ならばわかりあおうじゃないかと、互いに歩み寄ることこそが一番尊い。その経験で得た、一生の教訓である。


本日の1曲
黄金の月 / スガシカオ


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