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『いやいやえん』

20代終盤に差し掛かった今になっても心の中に強く残る本がある。
『いやいやえん』を初めて読んだのは小学校低学年の頃だった。この本は児童向けの童話でありながら今に至るまで強烈な印象を残し続けている。
出版社である福音館書店の作品紹介文には「元気な保育園児しげるが主人公の楽しいお話。」とあるが、その文章にはただならぬ違和感を感じる。自分にとっては決して「楽しいお話」ではなかった。

この作品がなぜそれほどまでに印象に残っているか。それは「本の世界に入り込んだ初めての体験」だったからだと思う。保育園児しげるは大人の言うことをきかず協調性が無い。そして身勝手な行動が”罰”を生む。
いたずらをしては保母さんに暗い押し入れに閉じこめられる。他の園児達と共に「りんごの山」や「みかんの山」に遠足に出かけ、行ってはいけないと注意されていたおどろおどろしい真っ黒な山の中で迷ってしまう。クネクネと奇妙な曲線を描く怪物のような樹木に遭遇し、しげるはその木の幹をくぐり抜けようとするが体を挟まれ出られなくなってしまう。しかもあろうことかその状態でものすごい形相の鬼と出くわしてしまう。
当時は物語を客観視することができなかった。しげるに起こる出来事をあたかも自分が体感しているような気になって次々に恐怖が襲ってきた。

そして作品の文章に添えられた絵が一層気色悪さを際だたせている。それまで親しんでいた色彩の豊かな絵本に比べ、その黒い線画の絵はショッキングだった。楽しそうに遊んだり、無邪気な笑顔のカットは(あったのかもしれないが)一切思い出せない。代わりにしげるの悲痛な表情だけが思い出される。動物とお話したり気球に乗ったりしてファンタジックな冒険をするのが童話ではなかったか?
しかしこれまで触れたことのないその世界観にみるみる飲み込まれていった。そしてひとりっ子の自分はその恐怖を誰とも共感できずに抱え込んでいた。こんなに怯えていることを大人に話しても判ってくれないだろう。

『いやいやえん』を最後に読んだのはいつだろうか。実家に帰れば本があるかもしれないけれど、間違いなく15年は経過している。今思えばその作品には「大人のいうことをよく聞いて約束は守りましょう」的な教訓が込められていたのだろうが、当時はそんなことは知る由もなく、ただ物語に描かれた残虐性におののいたものだ。
インターネット上で「子供を寝かせる前のお話にぴったり」「我が子は目を輝かせて聞き入っています」などという母親達のコメントを読んだが、こんな話を寝る前に聞かされたら確実に悪夢を見そうだ。幼き日の自分はさぞかし顔を歪めて頁をめくっていたはずで、それはもはやトラウマに近い感覚と言わざるを得ない。

大学時代に入った書店で久しぶりにその本を見かけた。しげると熊の絵が描かれたエンジ色の表紙を見かけて瞬時に胸騒ぎがしたのを覚えている。いくつかの有名な文学作品を読んだけれど、その読書体験の記憶は鮮烈で、決して色褪せることがない。


本日の1曲
戦士の屍のマーチ / ストレイテナー

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