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村上春樹と君と僕

彼は時々、会話の途中でふと救いのない言葉を口にした。そしてこちらが口を開く前に静かに笑い、それを追いやった。
それはほんの数秒の間だったけれど、彼を思い出す時は決まってその顔が浮かぶ。彼はいつもそうして自分と「なにか」の間に折り合いをつけているように見えた。しかし、自分がいくら想像してみたところでその「なにか」が何であるのかわからない気がしていた。

彼は村上春樹の作品を好んでいるようだった。
そして文庫本の『ノルウェイの森』を書店で買い求めた。大学2年生のその当時まで本とはほとんど無縁だった。中学、高校時代共に本も漫画も読まなかった。『ノルウェイの森』が刊行されたのは87年で自分はまだ小学生だった。

その小説の中には自分の経験したことのない喪失感や、到底納得できないような出来事が描かれていた。しかしその作品世界の中で、それらは見事に辻褄が合っていた。普段は消化できないであろう事柄が自分の中にすとんと落ちていく感覚を味わった。
そして、彼を度々襲うその感情の「種類」を理解して暫くの間放心した。

言葉にできない思いを表現する為にあらゆる芸術は存在する、というのは自分の勝手な持論である。その感情のひだを埋めるような、文学や、音楽や、芸術作品を求めている。村上春樹という作家は一瞬の心の動きを数ページの文章に置換する。正確でありながら正当ではない比喩は時にフィジカルなアプローチでこちらに語りかける。

先日、キッチンで洗い物をしていてある風景が目に浮かんだ。それはエメラルドグリーンにクリームを溶かしたような淡い色合いの海の風景だ。砂浜には一人の中年の女性がデッキチェアにもたれかかっている。彼女は海を見ているのではなく、彼女と海の間に横たわる空間に目を遣っている。
その風景は確かな映像として脳内再生されていた。風がそよぎ、ぼんやりと樹木の影が揺らいでいる。皿を洗いながら、それはどこで見た何の映像なのか思い出そうとした。
それが氏の小説『ハナレイ・ベイ』のワンシーンであることに気がついたのは数分後である。

最初に村上春樹の小説に出会ってからもう何年も経った。そして何年も経ったおかげでそれなりに色々な感情を理解できる年齢になった。彼が幾度も飲み込んだその感情についても。
目の前で一瞬、遠い目をする彼に語りかけてみたところで、もう目の前に彼はいない。


本日の1曲
Give me a reason / Mondo Grosso

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