ボンクラ青年の恋

リンダ・リンダ・ラバーソウル』のコマコも、『グミ・チョコレート・パイン』の美甘子も、大槻ケンヂの描く女の子はどうしてこんなに魅力的なのだろう。ボンクラな主人公の前に現れるのは、キラキラと淡い光を放つ少女達だ。

そうだ。大槻氏の著作のキーワードは『ボンクラ』だ。彼は彼の著作の中で、いかに自分が「スケベー」で「ネクラ」で「オタク」だったかを書きまくる。傾倒するのはマニアックな音楽とB級映画。であるから、売れ線を狙った作品と、それに群がる人々を軽蔑している。
友人も少なく、女の子とはロクに会話もできない。とどまることを知らない性欲に悩まされながら、無常に過ぎる青春の日々。何かをやりたいのだけど、何をしたらよいのかわからない感覚。モンモン。

以前、NHKの番組「真剣10代しゃべり場」に大槻氏が登場したことがあった。今では終わってしまったこの番組を毎週見ていた時期があった。若者達が輪になって座り、言いたい放題のアジテーションを繰り広げる。周りの友人達の評判は今ひとつだったけれど、自分は十分にハマって毎週見ていた。そして毎回、十数人の若者に混じって、毎週一人の大人(作家や芸能人など)がまとめ役として輪に加わる。

大槻氏の出演の回、確かお題は『いじめ』だった。事の大小の差はあれど、多くの人々がいじめに関わったことがあるのではないだろうか。たとえ小さな口喧嘩が発端であっても、事態は驚くべき早さで陰湿に発展してしまう。狭い世界で生きる少年少女を悩ませるのには十分な事件だろう。

若者達は快活にいじめ問題を議論していた。
『いじめられる方に問題があるに決まっている。』
『家に篭っていないでもっと外に飛び出せばいい。』
健康的で真っ当な発言だった。若者達は、何でも知っているような感覚に酔い余計に冗舌になっている。

その時「大人」としてその輪に加わってしまった大槻氏は、戸惑いの表情でそこに座っていた。彼こそ、根暗なオタク青年として青春時代を過ごした、不健康的若者だったのである。背中を丸めて発言に聞き入り、言葉を探しながらボソボソと語るその姿は、世の中の有様に萎縮する若者そのものだった。
そうだ、大槻氏は勿体ぶった言葉でいじめ問題を総括できる大人ではなかった。ボンクラ青年はその番組で、ボンクラ大人だった。そしてその姿に好感を持った。

その後、大槻氏の著作を何冊か読み、ボンクラな主人公が若き日の彼自身であることを理解した。思春期の無力感と、形成されつつある凝り固まった自我。
しかしそんな彼を爽やかな風が包むことがある。
それは恋だ。

彼の作品に登場する少女達は少女特有の無邪気な憂いを湛えている。
眩しい少女の存在はボンクラ青年の心を揺さぶり、ひとしきり戸惑わせた後、彼をほんの少し先に導く。本を読んでいるとかつて自分も体験した淡い感情がフッと自分を襲って、幾度となく目を閉じた。


本日の1曲
Wave Of Mutilation / Pixies


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