Archive Page 38

コリアンタウン

大久保通りをタクシーで進み「ソウルハウス」に到着。今夜は韓国料理を食べに大久保にやってきた。
昨年秋に初めて入店した際、友人氏の静止を振り切って恐ろしい量の注文をしてしまい、脳天まで韓国料理に埋もれながら歩いた帰り道。食べ過ぎで吐こうか迷った初めての経験であった。

今夜は3度目の入店だ。もう適量を知っているから大丈夫。我々の間で定番となった春雨の炒め物や、味噌をつけたレタスに包む肉、それすなわちプルコギなどを食らう。そしてのけぞる旨さで虜になってしまった「カムジャタン」は絶対に無視できない。東京で出会った旨いもんベスト5にはランクインする。

カムジャタンとは豚の骨付き肉を辛みのあるスープで煮込んだジャガイモ鍋だ。ゴツゴツした骨が大盛りの鍋が運ばれ、卓上で更に煮る。このスープがすこぶるおいしい。
骨についた柔らかい肉を箸でつついて食べる。食べ終わった骨をボウルに投げ込みながら、スープを飲む。色はどぎついが決して辛過ぎず、まろやかである。できれば水筒に入れて持ち帰りたいくらいおいしい。

その帰り道、韓流スターに夢中の知人の奥様氏にお土産を買うことにした。23時過ぎであったがまだ店は開いている。店内には実に様々なグッズが陳列され、蛍光灯に照らされた幾多のプロマイドに見入る。

しかし、ここで問題が勃発。そのスターの名前は知っているものの、我々はよく顔を知らなかった。それにどうも似たような顔立ちのスター達は見分けがつかない。

「違っててもわかんないヨ・・・フフ」と不適に笑う友人氏に一抹の不安を覚える。「これじゃない?」「違うだろ、それ!」という問答を繰り返しながら店内を巡回し、韓国スターの顔が織り込まれた靴下の存在に人知れず驚愕する。

そしてどうみてもイリーガルな匂いのするブツ達を購入。雑誌の切り抜きを集めた写真集(のようなもの)や我が家のエンゲル係数と対峙しつつ毎日スターの顔が拝める画期的アイテム、家計簿などを贈答することにした。

大久保はいわゆるコリアン・タウンで街中にはハングルが溢れている。そして近年訪れた「韓流ブーム」で街は一層賑わいを増している。理髪店の軒先でもプロマイドやポスターが売られている。街をあげての便乗っぷりに驚くことなかれ。その節操のなさがこの街の魅力である。


本日の1曲
Everything Needs Love Vocals by BoA / Mondo Grosso


I’m a Day Dlipper.

以前からその友人氏が会社のボスに腹を立てているのはよく聞いていた。どうやら短気で、頑固で、癇癪持ちのようだ。入社して1年程経ち、大分ボスの扱いにも慣れてきたらしいが、その日もまた会社でいざこざがあったらしい。

その時、ボス氏は電話の相手に腹を立てていた。ガシャンッ!と受話器を置いた後、周りのモノに当たりまくり、彼女にも当たり散らした。他人に向けられた怒りが部下に飛び火する壮絶な職場である。日頃から彼女に同情している自分は熱心に話を聞く。
『もー!すごいトビッチリだったよ!!』
言いたいことは理解できるが、そこに頷き難い雰囲気が漂った。ボス氏の話で腹を立てている彼女には言いにくかったがそれはおそらく「トバッチリ」である。

ある時は思い出話に遠い目をして愛おしそうに彼女は言う。
『なんかセンチメタルだよねェ・・・』
なんだか感傷に浸る暇も無くせわしないギンギンのギターが聴こえてきそうだ。感傷に浸っている彼女には言いにくかったがそれはおそらく「センチメンタル」である。
彼女は「惜しい」発言が多い。それがどんなに怒れる話題でもその勘違いで笑い合い、深刻過ぎない雰囲気になるのは彼女の愛しい一面だと思う。

普段は指摘役の自分だが、実はこのBlogの副題も惜しい勘違いである。
先日ある友人氏がかしこまった様子で自分に問う。彼女の頭上にはハテナマークが踊っている。
『ねぇ「デイドリッパー」ってどういう意味・・・?』

そういえばなんとなく感覚的につけてしまったこのBlogの「高円寺在住のデイドリッパー、黄昏コラム。」という副題であるが、よくよく考えてみるとそんな言葉は存在しない。格好をつけた副題に満足していた自分は認めたくなかったがそれはおそらく「デイトリッパー(Day Tripper)」である。

「Day Dreamer」と「Day Tlipper」が混じってしまった。なんとなく音感に惹かれて深く考えもせずに決めてしまった。
その勘違いを認めざるを得ない状況にたじろぐ。指摘されて初めて自分の勘違いに気が付いた。
それを告げると彼女はすっきりした面持ちであった。ここ何週間か彼女はその疑問で釈然としない気分だった。しかしながら自分になかなか聞くことが出来ず、辞書を調べすらしたらしい。

しかしながら、辞書に載っていない言葉は格好良い気もする。綴りは違うが「ドリップ(Drip)」は「したたる」という意味もあって考えようによっては悪くない。
だから『Day Dlipper』は自分が生み出した造語だ!と言い切ることに決めた。

<新訳>
『Day Dlipper』という言葉は一般的には用いられない。誤用だと思う人もいるかもしれないが、これは完全に自分の作った造語であるから安心して欲しい。
勘のいい人ならお分かりかと思うが『Dlipper』とは「Dreamer」×「Tlipper」の意味である。
従って『ひねもす夢見がちな放浪者』という意味であり、『オノレとの対話(ここでいうコラム)にうつつを抜かしながら、人々の間を渡り歩く旅人』という解釈をしていただきたい。


本日の1曲
Scar Tissue / Red Hot Chili Peppers


ZAZEN BOYS @SHIBUYA-AX

チケットを入手してからほぼ3か月。待ち望んだZAZEN BOYSのライブに参戦した。今日は久々に友人氏と一緒のライブだ。原宿駅を下車し代々木公園を横目に、SHIBUYA-AXを目指す。

到着したのは19時過ぎで、整理番号順の入場は既に終了していた。外のロッカーに荷物を突っ込み、ささっと会場に入る。これから始まるライブの高揚感に、早くも饒舌な我々であった。

ライブの開始とともにワッと人々が前方に詰まるのをよいことに結構よいポジションについた。ナンバーガール時代からいつもベース側だ。今夜は騒ぐぞ、と心に決めた計画があった。昨年末のCOUNT DOWN JAPANでZAZEN BOYSのライブを初体験した。あのライブ空間を経験してしまうと次が観たくて仕方ない。今夜は冷静さは無用である。

ここまで声を上げるのも、手を振りかざすのも久々だ。そして向井氏独特のコールアンドレスポンスにオーディエンスも張り切って応えている。途中でオーディエンスの男女をステージに上げ、会場が和む。向井氏はこういう演出をさらっと、しかし確信的にやってのける。

「元気がありませんネ。そう、ワタクシが歳をとるに連れて周りの方々も歳をとっていらっしゃるのは、肌感でわかります。」初ライブから6年経ったのネー、とセンチメンタル過剰。
そして相も変わらず向井氏のライブは・・・格好良し、そして楽し。
織り交ぜられる民謡サウンドや「ええじゃないか」コールは健在で、個人的にかなり盛り上がってしまった。

本日は久々にライブTシャツを購入。汗だくになってしまった着替えが必要になってしまったのだ。ライブにおいてそのような事態に陥るのは久々だ。そして購入を決めていたライブ会場限定のライブアルバムを購入する。

ZAZEN BOYSの即興力を堪能できるライブ盤は一聴の価値がある。それはスタジオでレコーディングされたアルバムよりも、魅力的だからだ。音楽好きの間ではライブ盤はとかく重要視されるが、ZAZEN BOYSはライブ盤こそ必聴である。周りの空気もろとも取り込み、鳴り続ける騒やかな音楽体験がパッケージされている。

SHIBUYA AXは確か5年程前にeastern youthのライブに行って以来だ。
今回は久々にライブを共にする友人氏と会場で待ち合わせをした。彼女とはNUMBERGIRLのラストライブも一緒に参戦している。そう言えば初めてNUMBERGIRLを下北沢SHELTERで見た時も彼女と一緒だった。自分にライブハウスの面白さを教えてくれた友人氏である。

ライブで向井氏は終止「シブーヤ!」を連発していた。野音では「ヒビーヤ!」だし、心斎橋では「オーサカ!」を連呼する。ZAZEN BOYSは各地を練り歩き、夜な夜なMatsuri Sessionをひねりあげる。


本日の1曲
Crazy Days Crazy Feeling (Matsuri Session Live At Yaon) / ZAZEN BOYS



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01/26 『THIS IS MUKAI SHUTOKU


カレッジ・デイズ

美術大学といえども一般教養は必修である。生物学や法学、民俗学。美大生は絵だけ描いていると思われがちだが実際はそうではない。結構大学生っぽい一面もある。
その頃、自分の興味の範疇に無いものを仕方なく履修していたに過ぎない。初年度から減退したやる気のまま、授業にもロクに姿を見せず年度末のレポートだけを適当にこなすという有り様だった。当然出席は足らず、当然単位を落とす。

美大の場合、一般教養と実技科目に単位は二分されている。前者は講堂での講義、後者は科ごとに与えられた教室での作業だ。それぞれが規定の単位を満たしていないと進級できない。講義では出席数とレポートやテストの優劣が判断の基準になるが、モノづくりの分野においては余程適当な作品を提出しない限り、単位が貰えないという事態には陥らない。

ところで、“余程適当” な作品を提出したことがある。
それは入学して間もない「彫塑」の授業でのこと。与えられたお題は確か「階段」であったと思う。まずそのイメージをデザインし、立体物を作製、型を取って石膏を流し込み、磨き上げる。
課題に真剣に取り組むクラスメイトを横目にいつものように友人氏と教室を抜け出し、つなぎ姿で構内をウロウロ、たばこプカプカ、食堂でモグモグ。課題に取り組もうという姿勢が皆無な我々であった。

そのうち作品の提出期限が迫り、クラスメイト達は作品の仕上げに取りかかり始めた。今急いだところで作品の完成は不可能である。そしてまたしても校内を放浪していた我々が見つけたものは、他の科の校舎のロッカーの上に無造作に置かれた石膏の作品だった。長い間そこに放置されていた様子でゴミのように放ってあったが、サイズも材質もぴったりである。そして抽象的な解釈をすれば課題からかけ離れているというわけでもない。(抽象的な解釈が許されるのは美大の利点である)
その物体を見上げ(これでよくネー?)という空気が我々を包む。

そして工房に他人の作品を持ち帰り、水道で汚れを洗い流し、さも自分の作品であるかのように提出した。それは皆の作品に比べて不自然に色がくすんでいた。そして驚くべきことに1年生の成績でその作品だけが「良」の判定だった。自分で製作したその他の作品は「可」であったのに。

心を入れ替えるでもなく、そのままだらだらと学生生活を過ごしてしまったせいで卒業間際で皺寄せがきた。
本来ならば卒業を目前に控えた1月、学生生活課に張り出された「卒業予定者のリスト」に自分の名前はなかった。そのまま大学5年目の生活に突入し、週に一度だけの授業に仕方なく通った。

あの無気力な状態はもうやってこないだろうか?時間に追われているわけではないけれど、今は決まった時間に仕事に出掛け、給料を貰って生活している。相変わらず時間の使い方はうまくはないが、曜日感覚を喪失するような生活でもない。しかし、今大学生に戻ったとしたらやはり同じような時間を過ごすような気がする。

今思い出してもあの時間の過ぎようは貴重だった。
カフェテリアにポケっと座って食べた紙皿のパンケーキを思い出す。昼間にパンケーキを食べることも今ではなくなってしまった。


本日の1曲
Stop Whispering / Radiohead



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3/2 『ハイスクール・デイズ
2/15 『クールなキッズには時間がない


INDIES MIND

自分の好きな多くのアーティストの好きな音源1枚を選べといわれると、それは初期音源のことが多い。まだ有名性を獲得する前の音源だ。そのうち彼らを取り巻く環境がかわり、我が家にもその音源がやってくるのだけど、遡って聴くインディー盤やデビューシングルにはなんともいえぬ魅力がある。

independentとは「独立・無所属の〜」という意味で、映画や音楽においてよく用いられる。そして好奇心旺盛な人はその言葉に興味を示す。次の時代を担う表現者の宝庫であるからだ。
簡単にいうとインディーは制約が少ない。金は無いが制約も無い。くだらない作品にも巨額の制作費を投じるメジャーシーンとは違って地味に面白いものが生産されている市場である。

音楽にもメジャーとインディーがあるが、なにもメジャーデビュー「できない」バンドだけがインディーに「残っている」わけではない。今や誰もがメジャーデビューしたいと思う時代ではない。彼らは彼らのビジョンに合わせた選択をする。メジャーにはメジャーのインディーにはインディーのやれることがある。

インターネットやデジタル音楽配信の普及によってその音源は以前に比べて手に取りやすいものになったし、数年前から大手レコード店はインディーズコーナーを廃止し同列に商品を陳列するようになった。お目当ての音源を買いに行って初めてそれがインディーであることを知ることも多い。

インディーは「知る人ぞ知る」局地的ムーブメントが起きやすいが、あるミュージシャンは「自分のために働いてくれるスタッフの顔を全員把握していたいからインディーでやり続けている」と言っていた。規模が大きくなればなるほど、周りの環境全てに手をかけることは難しくなる。

そして初期の作品に秀作が多い。まだ声も若くて言いたい放題の主張だ。しかしかつて自分が槍玉に挙げていた人々にもその音楽は届き途端に勢いを失ってしまうバンドもいる。彼らのインディペンデントスピリッツは失われ、その楽曲からは魅力が半減してしまう。以前からのファンは離れるが、新たなメジャー仕様のファンを獲得し音楽は続いていくのだけど。

彼が漏らした日常的ため息は、やがて大勢のリスナーに熱狂をもって迎えられるようになる。大勢に向かって放たれた楽曲は最早、彼一人のため息ではない。
自分を知っている人が短期間で飛躍的に増える。否定、肯定のリアクションが届き、見当違いなライターや観客が増える。

よくも悪くもバンドの音楽は変わる。幸運な人であればより恵まれた環境に変化し、音は実験的に進化し、楽器の重なりが増えていく。そして残念なことにその進化のせいで聴かなくなる音楽もある。自分が彼らに求めていたものは影を潜め、オリジナリティーを失ってしまうバンドもいる。一時期気に入っていたバンドの新譜を調べようとインターネットで調べてみると既に解散していることも多い。

インディー・マインドをキープし続けるということは難しい。環境もオーディエンスも、自分も変わってゆくからだ。


本日の1曲
ウェイ? / Number Girl


ノン・クレーマー

まだ大学生だった頃、宿泊したホテルから荷物を送ったら、両親の荷物が東京の自分のアパートに届き、自分の荷物は遥か静岡の実家に配達されてしまったことがある。本来であれば怒って然るべき事態である。

母親はホテルに電話を架け、我が家にも連絡が来た。
ホ氏:『この度は多大なご迷惑をお掛け致しまして、大変・・大変申し訳ございません。』
自分:『・・・あー、いやいいんですヨ。』
ホ氏:『taso様のお宅へお詫びに御伺いさせていただきます!』
自分:『うちにですか!?』

当時住んでいたのは東京郊外である。都心からわざわざ謝罪のためにやって来るという。幾度も断り続けようやくホテルマン氏の気は済んだようだ。
『人間、間違いはありますから・・・ネ。』と自分のような若造になだめられるホテルマン氏であったが、それはさすがサービス業!とこちらを感心させたエピソードであった。(後日そのホテルのサービスチケットが届いたが、あれはどこにいってしまったのだろう?)

先週インターネットでベッドシーツを注文した。紫と赤とクリーム色が鮮やかな3色のファブリックを一目で気に入った。自分にとっては理想的な配色のシーツの配達は待ち遠しい。
1週間後、到着した商品を開封すると、マルチボーダーのシーツが現れた。今は望まれていない緑やカラシ色も鮮やかに。最早それは「イメージと違う」というレベルではなく明らかに商品が違う。
思うに前シーズンの写真をそのまま掲載していたためのミスだ。楽しみにしていただけに落胆も大きい。返品するのも面倒だし、注文が入ってから縫製するためまた待たされるであろう。

釈然としない気分だったがシーツを洗濯機に放り込み、店舗にメールをする。ネットショッピングで商品画像の掲載違いは致命的なミスだ。
『先程、注文した商品が届きましたが、掲載の画像と異なっています。〜(中略)今後このようなことがないようにお願いします。』

商品に同封されていた挨拶状には店長の写真入りだ。写真を見てしまったせいもあってきついクレームを言えなくなる。分量は少ないが好きな紫色も入っていないわけではない。数時間後に謝罪のメールが届き、買い物の失敗は頭の隅に追いやることにした。

翌日、その店舗から携帯に留守電のメッセージが入っていた。『誤ってセミダブルサイズの商品が発送された可能性があります。』
思わず『おいおい・・・』と声が出る。柄の次はサイズ違いか。

まだ新しいシーツに取り替えていなかった。帰宅後確認するとやはりセミダブルサイズであった。今度こそは頭から湯気が出そうになる。しかし電話したところで平謝りされるだけだ。メールで報告をする。
早急に商品を発送し直すというメールが来て、本日帰宅したら宅急便の不在表が投函されていた。ここ何日間シーツが取っ払われたベッドに寝ている。もうサイズがあえば柄は妥協だ。

明らかに相手のミスだと思われる事象に対してもクレームを言うことが苦手だ。もっとも、ミスは時間が経てば帳消しになるが、その後のフォローで如何でその企業に対するイメージは変わる。利用する前よりもイメージが良くなることさえある。
だからそのホテルの宿泊を避けることはないが、地方の布団店には気をつけなければならない。


本日の1曲
All I Wanna Do / Sheryl Crow


巡り巡る書籍

先日部屋の模様替えをした。一人暮らしをしていても滅多に部屋の模様替えをしない。この部屋に越してきた時も、間取り図に詳細なレイアウトを決め、引越の荷物を運び込んだ。本棚はここ、机はここ、テレビはここときっちり収まりが良い。

しかし本来ある部屋と部屋をのしきりを取っ払っているためにこのMacintoshスペースからはオーディオが背を向けていた。スピーカーも部屋の向こうを向いている。今の曲もう一回!と思ってもリモコンの電波も壁に阻まれている。したがってチョロチョロと移動を余儀なくされていた。
そして今回ふたつの本棚の場所を移動、オーディオもテレビの上から本棚の上に移動し、互いの部屋の中間に設置した。どちらの部屋に居ても音が届く、すこぶる快適な環境である。

本棚を移動する時、当然ながら中身を一度床にぶちまけることになる。(懐かしいわネー)と手に取る中にももう読まないであろう本がいくつかある。本来、モノを捨てることも売ることも苦手である。できる限り手元に置いておきたい。しかし、人の趣味は変わるし、期待外れだった本もある。

それらをまとめて古本屋に売りにいくことにした。青梅街道沿いの古書店に持ち込み、文庫本29冊は600円に還元された。帰り道の商店街で買ったスリッパの足しにはなった。捨てるはずのものが現金になったのだからヨシとする。休日の古書店は賑わっていた。

実は古本を購入したことはほとんどない。思い出すことができるのは谷崎潤一郎の『細雪』全3巻とマンガの『タッチ』全巻くらいである。以前古本屋でバイトをしていたくせに、本やCDを中古で購入することは滅多にない。

今回移動したのは文庫本専用の棚であるからハードカバーの「もう読まないであろう本」も沢山ある。安く売るのもいいけれど、周りの友人氏達に贈答した方がよい気もする。問題は所有する本に興味を示す友人がいるかどうか。果たして「宇宙開発」に興味がある人が周りにいるだろうか?

古本屋をよく利用する友人氏は「かつて人の手にあったものが自分に渡ってくるっていうその循環が好き。」と言っていた。成る程、知識のリサイクルとはよく言ったもので、今日はその循環の端っこに加わることができた。友人氏のその言葉を思い出してなんだか満足な気分になっている。


本日の1曲
Wander Around / Asparagus


バルセロナ発、中野着、papabubble。

昨夜中野の友人宅に向かう途中でそのお店を発見し、どう見ても視線が釘付けになっている自分に『アメ屋さんなんだヨー。たまにネ、飴伸ばし・・・』と説明する友人氏を半ば置き去りにして鼻息荒く入店。・・・飴!?
一見何のお店かわからない外見のその店は『papabubble』というキャンディー専門店だった。

ドアの右手には大きな作業台があり、棚には瓶詰めされたキャンディーが陳列され、壁にもビニールのパッケージに入ったキャンディーが20種類程。全てお店の鉄板の上で作られた手作りキャンディーであるようだ。
ダウンライトのムーディーなスペースににはradioheadが流れている。飴屋にあるまじき佇まいである。あまり広くない空間だが、たった一つ置かれた商品陳列棚とキャッシャースペースがあるだけでその他の無の空間が雰囲気を醸し出している。

閉店間際の21時近くの入店だったが店内には我々のほかにお客さまが3名。おばちゃん2名とおじちゃん1名。
そしてよく見るとただの飴ではないことがわかる。ストライプやフルーツの絵が非常に精密に施されている。そう言えば先日行ったDEAN&DELUCAでこのキャンディーを見た。手に取ってまじまじと見つめたそのキャンディーはここ中野の店で作られていたのだった。

おばちゃん方は『こないだはネー、赤いの買ったのよォ〜』と地域住民もお気に入りの店のようである。『おいしかったわよッ!』と嬉々としているおばちゃんの意見を参考に購入を決める。商品には値札がないが、コソコソ値札を確認するのは結構恥ずかしい。洋服屋で袖の中に手をつっこんで値札をまさぐる行為が苦手である。そしてこのなんともお洒落なキャンディーは心配した程の値段ではなかった。

これは友人氏へのちょっとしたプレゼントに最適。キャンディーの中に文字を入れてくれるオーダーサービスもあるらしいから、おめでたい時には大々的にキャンディーを配りまくるのもいいかもしれない。あー、やってみたい。
今日は一目で虜になったキウイのキャンディーを友人氏へのお土産に購入した。色味も、種のつぶもキウイそのものである。不揃いな長さにもなんとも味わいがある。

帰宅しホームページを見るとどうやらこの店はのバルセロナにヘッドオフィスがあるらしい。・・・バルセロナ!?そしてアムステルダムとトーキョーに店舗があるらしいがトーキョーの店舗が何故、中野の商店街の中にあるのだろうか。そのいきさつは興味をそそる。むむ。
運が良ければキャンディー製作の実演も見ることができるようで、既に次回の来店を目論んでいる。


本日の1曲
Her Voice Is Beyond Her Years / Mew



<papabubble>
中野区新井1-15-13(薬師アイロード内)
03-5343-1286
tue – sat 10:30am to 9:00pm
sun 10:30am to 7:00pm
on monday closed 
Yahoo! Map

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4/6   『食をデザインするDEAN&DELUCA


打ち明け話

皆でお揃いの黄色いTシャツを着て大きなリュックを背負い、大井川鉄道のSLに乗り込む。それは小学5年生の夏のキャンプの記憶だ。数十人の小学生がそれに参加していた。世話役の少数の大人と、地元の高校生が同行した。おそらく青年会議所が主催したそのキャンプには「わんぱく合宿」という名前が付けられていた。

はんごうでご飯を炊き、大きな鍋でカレーを作った。まな板の上で野菜をぶつ切りにしていると知っているおじさんがやってきて『いつも手伝ってるっていうのがわかるナァ!切るのがうまい!』と周りの人々を捲し立て自分を褒めたが、料理の支度など手伝ったこともなかった。何を根拠にそんなお世辞をいうのか(大人って結構いい加減だな)と思ったのを覚えている。
何かレクリエーションがあったかもしれないが、そのキャンプで行われた細かなイベントは思い出せない。

夜は、川岸にテントを張ってそこに泊まった。ひとりで川岸に腰掛けてぼんやりと川を眺めていた。用意されたライトの光もここまでは届かない。背後ではガヤガヤと人の声が聞こえる。すると、ひとりのお姉さんが歩いてやってきた。彼女は隣に腰掛けた。

ひとりで川岸に座っている間、何を考えていたのかは思い出せない。しかしながらこの時、彼女とした会話はよく覚えている。それは、初めて家族の悩みを他人に打ち明けた日だった。

彼女は後に自分が通うことになる島田高校の学生だった。身なりはさっぱりしていてストレートの髪を肩の上で切り揃えていた。皆と同じ黄色のTシャツにジーンズを履いていた。そのお姉さんは清潔な感じのする美人で好感を持った。

小学生の世界は狭い。近所の幼なじみと、学校のクラスメイトと、家族だけだ。抱えている悩みを一度口にしてしまったら今まで取り繕ってきたことが台無しになってしまう。それまで誰かに対して心を開くということが無かった。兄弟もいず、学校の先生は片親の自分をひいき目で見ている気がした。

ボソボソと話をしている間に、握った石は次々と乾いていった。そしてまだ濡れている石を探してはそれを握るのを繰り返した。乾いていく石に自分の心の動揺を感じてそれを悟られまいと必死だった。
お姉さんは話を静かに聞いてくれた。そして話が終わると「行こ。」と言い自分を皆の輪に連れて帰った。

その後高校2年生になるまで家族の悩みを誰にも話すことはなかった。
その時、自分に向けて語り始めた彼もまた、その重大で彼を苦しめ続けていた悩みを他人に打ち明けるのは初めてだった。だから自然に、こぼれるように言葉が出てきた。

キャンプのお姉さんのことを今でも時々思い出す。互いの顔もよく見えないような状況で静かに流した涙の感触と、川向こうの黒々とした木々の重なりの風景を今でも鮮明に思い出すことができる。


本日の1曲
Close to you / The Carpenters



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3/29 『リリー・フランキー 『東京タワー』


チョー(超)方言。

東京出身の人々は日常的に地方CMを見ることがない。幼い頃からそれを見て育ったせいで東京のテレビ番組に一切地方CMが流れないことが衝撃だった。田舎者にとって、常に金のかかった全国区のCMが流れているのは驚愕に値する。

正月に実家に遊びにきた生粋の東京人氏は静岡の民放で日夜繰り広げられる地方CMワールドに釘付けになっていた。「ねー、これも!?これもそう?」とはしゃいでいる。「望月商事」や「コンコルド」のCMは結構パンチがあるし、深夜帯になると呉服町のパブのCMまで放映される。しかも動かない画像にナレーションが入るだけという惨状だったりするから気が抜けない。

しかし地方性の最たるはやはり「方言」である。
静岡は突拍子もない方言は少ないように思う。簡単に言うと語尾が変わる。「だら」「ずら」は頻繁に用いられる。「だっちょーよ(らしいよ)」というのもあるがこれは自分がおばあちゃん子であるために咄嗟に浮かんだ方言で、若者は使わないディープな表現だと思われる。
『あんま東京と離れてないもんでぇ、言ってることンまるでわからんってわけでもないと思うだけん、どうかやー?』とこんな具合に。・・・わかるら?

神奈川県民氏は『静岡の人って「だもんでー」っていうよな!』と笑った。悔しい。でも確かに「だからさー」の意味で「だもんでー」はよく使う。
その接続語は静岡県内に蔓延しており、大学の友人が使うその語句のおっぴろげ感に彼は驚いたそうだ。「だもんでー」は「も」がアクセントで、言われてみると結構唐突な気もする。

上京した当初、東京もんの言う「チョー(超)」に馴染めなかった。静岡では「チョー」の代わりに「ばか」を使う。『ばーかかっこいいらー?』というのは『チョーかっこよくネー?』と同義である。
「チョー(超)」は北海道では「なまら」だし、名古屋では「でら」だし、大阪では「めっちゃ」やし、兵庫では「めっさ」だし、長崎では「がんじり」である。(taso調べ:追加募集中)

新幹線で帰省し、実家に着いた途端に口調が見事に静岡弁に戻るのには我ながら感心してしまう。同じ静岡出身の友人達と話す時も自然に方言にシフトしている。

東京で生活していると様々な地方の方言を耳にする。全国各地から集まった人々の地方話を聞くのは面白い。しかしながら友人の口から知らない方言が聞かれた瞬間、聞き耳をたててしまうのは、そこに自分の知らない友人氏を垣間見るからだ。
ここでは皆がそれぞれの地方を背負って生活している。それはなかなか興味深いお荷物であると思う。


本日の1曲
Local Boy In The Photograph / Stereophonics