時給580円

そのラーメン店は当時駅前にあった細長い作りの店だった。父親の知り合いが経営するその店には小さい頃から何度も訪れたことがある。「先生が来たら隠れな」と店長は気遣ってくれた。通っていた高校はアルバイト禁止だったのだ。偉そうにカウンターに座って新聞を読んでいて優しく注意され、実際にないメニューを厨房に向かって叫び苦笑いされることもあった。今も帰省すると親戚一同で訪れる。初めてのアルバイト体験をさせてくれた思い出深いその店舗も今は移転し立派な店構えだ。

次に選んだのはファミレスの厨房だった。皿洗いは新人の仕事なのだろう。次々に食べ終わった食器が目の前に積まれていく。ファミレスの食べ残しは驚くほど大量で驚くほど簡単に廃棄される。他人の残飯にまみれ冷たい水に手を突っ込んで皿を洗った。家事を手伝ったことがなかった自分には充分過酷だったが、厨房の片隅で途方に暮れていても店長に怒られるだけだ。スニーカーの底がすり減って穴が開く程必死に働いていたが辞めるときは何故か「留学することになったので」と嘘をついた。その後暫くはそのファミレスに近づくといちいち言い訳を考えた。

おそらく一番長い期間働いたのはコンビニエンスストアだった。今考えれば580円という法外な時給にも驚くが、田舎の町で高校生がアルバイトするところは限られている。当時の最低賃金はもう少し高かったと思うのだがわがままは言えない。

そのコンビニは神社の目の前という立地のせいで正月は時給が1300円に跳ね上がった。高校生には刺激的な金額だ。しかしその混雑は想像を絶するもので、レジの行列は店内をぐるりと囲み、一日中お客でごった返していた。我ながら迅速なレジさばきで次々にお客を片付けるが、一向に列は途絶えない。
鼻息荒く次の客を迎えるとニンマリとした表情の両親が立っていた。あまりコンビニに縁がない両親だったが、おにぎりやおつまみを抱えて満足そうだ。何もこんな忙しい日に様子を見に来なくてもいいのではないかと思った。こちらは絶賛テンパり中だった。

棚の下段に陳列された駄菓子は子供達の興味をそそるようだった。今やコンビニが駄菓子屋の役割もしているのだ。30円のお菓子を3つ買うのに1つずつ3度レジに持ってくる子がいた。くじやおまけがついていてどれを選ぶか悩んでいるのだと思っていたが、それが消費税の課税を避ける手段だと気付いた時は感心した。当時はまだ消費税は3パーセントだったので1つずつ買えば3円節約できる計算になる。こどもの知恵は消費税にも対応しているのだ。

あるおじいさんはいつも枝豆と小さなパックの牛乳を買っていった。夕刻に現れてゆっくりとレジの前を過ぎ、迷わずその2品を手に取った。枝豆と牛乳以外は買うことがなかった。毎回繰り返されるその行動で、おじいさんの顔をみると270円(くらい)の合計金額を連想するようになっていた。ひとりで食べているのかな、そうでないといいな、といらぬ心配をしたものだ。

売り物のアイスクリームをレジの陰に隠れて食べ、おでんのつゆに入った虫をおたまですくってこっそり捨てた。授業中にボールペンと定規で書いたバーコードを読み取ると「シャケ弁当」と表示され妙な気分になった。バイトが終わると一緒に働いていたクラスメイトの友人と賞味期限切れのお総菜をどっさり持ち帰り、電子レンジに詰め込んで温めて食べた。そうして稼いだ小遣いは放課後のドーナッツ代やCD代になった。

高校時代にした3つのアルバイトはどれも貴重な体験だった。当初の戸惑いが薄らぎ、環境に順応していく課程を実感できた。往々にして我々はある日社会にポンと放り出される。その度に(そのうち慣れる、大丈夫さ)とあの頃を思い出しては自分に言い聞かせている。


本日の1曲
青春狂走曲 / サニーデイ・サービス


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