浪人・デイズ

昔、父は東京の大学に通っていて、卒業してからは立川の隣の日野市の職業訓練所に通ったらしい。東京に向かう車中で父親は懐かしそうに思い出を語った。同じ多摩地区で将来に備えた勉強をするのが共通している、となんだか誇らしげだった。
しかし今日から始まる一人暮らしのことを考えると、父親の感慨に付き合う余裕はなかった。第一まだ大学に受かったわけではない。立川の美術予備校に通うために上京したのは1996年の3月で、まだ高校の学生証期限も切れていなかった。

当日の景色はよく覚えている。立川駅付近では人通りの多い商店街とひしめき合う娯楽施設が目に飛び込んできた。
案内されたマンションは狭い5.5畳のワンルームで、家具も何もない部屋はこの上なく味気なかった。ここに一年、いやもしかしたらそれ以上住むことを考えると早くも気が滅入ってしまった。
しかし浪人している友達の多くは風呂無しのアパートに住んでいることを後になって知った。この時、風呂があるだけ有難いと思わなければならなかったのだ。親元を初めて離れたこの1年間で自分がいかに世間知らずだったかを毎日のように痛感していた。

同じ高校から予備校に入学した友人一人を除けば、あとは知らない人ばかりだった。そのうちに友人ができるだろうが、元来の人見知りに加えて、慣れない一人暮らしが同時進行で始まっていた。
それに大学入試の為に、これから一年間は絵を描き続けなくてはならない。予備校生の心情は複雑だ。一年で浪人生活が終わる保証はない。そこには宛のない将来の不安がつきまとっていた。

予備校が始まると徐々に友達ができた。数百人いる生徒たちの半分以上は一人暮らしをしていた。全国から集まった若者は皆がまだ高校生に見える。2浪目の先輩達は予備校の周辺事情にも詳しく、講師陣とも仲良く会話をしていて、なんだか大人に見えた。

授業は9時から始まり大体17時過ぎには終わる。平面構成のアイデア出しに頭を悩ませ、デッサンではパースペクティブと格闘した。作品の大きさや難易度によって製作日数は変わるけれど、大抵の場合2日間かけて作品を完成させる。
授業の最後には講評が行われ、イーゼルにクラス全員の作品が並べられる。優れている作品は上段に並べられ、作品には点数がつく。講師の言葉をメモに取りながら、生徒達はそれに一喜一憂する。授業が終わるとパネルに画用紙やケント紙を刷毛で水張りして明日に備える。

予備校から一人で家に帰ることは珍しかった。近所にほとんどの友人が住んでいて、皆が予備校以外の予定は無かった。誰かの家に立ち寄った後はファーストフード店やファミリーレストランに行き安い食事を摂りながらいつまでもそこにいた。勉強の名目で集まることもあったけれど、勉強はすぐに中断された。ディナーメニューがモーニングメニューに切り替わってから店を出ることだってあった。

店を出ると容赦ない朝の日差しに照らされた。煙草を吸いすぎている肺と、暗い店内に慣れた目がじりじりと痛んだ。目の前の舗装の悪い歩道を歩き、友人と別れて自宅へ帰る。煙草の煙と一日の汗が肌に張り付いている。明け方に歩いた立川の街は青白くて、時折トラックが乾いた音をたてて傍らを通り過ぎていった。

上京当日に見た商店街の景色は、街を去る頃には皆にとっての日常の風景になっていた。
それぞれの路地に思い出が詰まっているようにも感じる。立川駅周辺の再開発の噂を聞くたびに、浪人時代に歩き回った路地はまだあるだろうかといつも気にかかる。


本日の1曲
omoide in my head / Number Girl


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>>connection archive >> 
4/20 『カレッジ・デイズ
3/25 『不確かな自分の、確かな上京物語。
3/2 『ハイスクール・デイズ
1/25 『5.5畳ワンルーム


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