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ほっとけーき

幼い頃に両親が離婚した。その後小学校に入学するまでは父親の家と母親の家を期限付きで往復していた。母親の実家は清水市にあり車で1時間以上はかかる。
古い木造の一軒家は縦に長く、玄関を開けると廊下の突き当りにキッチンが見えた。中央には大きな丸太を切ったような丸机があり、その周りをシンクや戸棚が囲んでいた。今思えば変わったつくりのキッチンだったが、あの時あれほど巨大に思えた丸机は実はそんなに大きくないのかもしれない。

その家は普段母親と母方の祖母の二人暮しだった。そこに時々期限付きの子供がやってきた。居間からはこぢんまりとした庭が見え、板の間のロッキングチェアーはいつも庭の方を向いていた。便器は和式で、ある日壁に大きな蜘蛛が這っているのを見てから蜘蛛が大嫌いになった。

不思議なことに、3人で一緒に食事をしたことや、テレビを見た記憶は思い出せないままになっている。幼すぎて覚えていないのかもしれない。

ある日母親はホットケーキを焼くと言ってキッチンに立った。何か手伝いたくてその周りをうろうろしていた。
すると母親はホットケーキの箱の裏側に書かれている「作り方」を読むように言った。それは想像しなかった仕事だった。当時5歳くらいで、まだ漢字が読めなかったからだ。

躊躇していると母親は『読める字だけでいいから。』と言った。漢字を飛ばした文章で「作り方」がわかるのか不安だったけれど、母親の傍らでひらがなだけを大きな声で一文字ずつ読んだ。

『わかる?』と聞くと母親は頷いて
『わかるよ、わかるよ。』と言った。

なぜそのシーンを鮮明に覚えているのだろう。母親の顔もろくに覚えていないというのに。”あの家”で一緒に過ごした頃の母は、今の自分と同じくらいの年齢かもしれない。


本日の1曲
Age Of Innocence / Smashing Pumpkins


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