tasoは黄昏



考えてみると、自分で自分に「名付ける」行為とは奇妙なものである。
インターネットの世界では、ハンドルネームが実名と同等のアイデンティティを持つ。ハンドルネームはその人の印象を左右し、発言と合わせて個人を想定するヒントになったりする。

”インターネットの世界では皆ハンドルネームを使う”、という常識を知ることになったのは、今から8年ほど前、ひとり暮しの我が家にインターネットが開通した時だった。「ピー・・・ヒョロロロー」という接続音が懐かしいアナログ回線の時代である。
その物珍しさから、毎晩インターネットに釘づけになった。そのうちネット仲間ができ、掲示板へ書き込んだり、チャットルームへ入室する機会が訪れた。インターネット参加の到来である。ともなればなんらかの名前が必要になる。

当初はその場しのぎの名前を適当に名乗っていた。岩井俊二監督の『Love Letter』という映画には、不意に名前を聞かれた主人公が、目の前の本棚にあった”林真理子”と”吉本ばなな”を組み合わせて咄嗟に「林なな」と名乗るシーンがある。例えるならば、その感じによく似ている。

当時大ファンだったナンバーガールというバンドの新譜お知らせチラシがきっかけで”黄昏”と名乗るようになった。それは油性マジックでぶっきらぼうに書かれた飾り気の無さ過ぎるチラシだったけれど、文末にあった「それでは黄昏」という言葉に心打たれてしまったのである。
それからは、個人的にその言葉を使いまくっていた。何とも奇妙な語幹に惹かれてしまった。それに黄昏時に黄昏れるというのは、自分の性にもあっている気がした。

しかし”黄昏”や”tasogare”は、ID申請などの際に重複してしまうこともあった。そこで生まれたのが”taso”である。しかるに、”taso”は黄昏の”taso”である。
やはり妙な語幹を持った”taso”というハンドルネームは定着して、今では自分の一部になりつつある。まさに「実名と同じアイデンティティ」そのものになった。

本名に起因したあだ名はもちろん、一見なんの脈略も感じられないような奇妙で唐突なHNを持っている人も多い。ハンドルネームが実名と大きく異なるのは、言語圏すら超えて無数にある単語を選び、少々突飛な名前を名乗ろうと、その理由を問いただされるケースが少ないことだ。
皆は自分にどうやって名付けているのだろう?


本日の1曲
URBAN GUITAR SAYONARA / Number Girl


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