夏の日、残像

昨年の7月半ばのこと。友人がASIAN KUNG-FU GENERATIONのCDを貸してくれた。一ヶ月後のサマーソニックで彼等がメインステージに登場するからだ。折角だから聴いてみなよ、と。

もちろんバンド名も知っていたし、何曲かは耳にしたことがあった。以前住んでいたアパートの取り壊しが決まり、急遽引越を余儀なくされていた折に「嗚呼 晴天の霹靂〜」というフレーズの「君という花」がケーブルTVでパワープレイされていたのでよく覚えていた。アパートの取り壊しは自分にとってまさに晴天の霹靂だったのだ。

印象的なメロディーと楽曲の疾走感、まっすぐな詩の世界に好感を持った。気付けば一日中CDを繰り返し聴いていた。
驚いたことにボーカルの後藤さんは同じ高校の先輩だった。
高校時代にも彼の存在は際立っていたが、まさか。パソコンのディスプレイの前で、無言。

上京して10年目。一方的にではあるが、アーティストとリスナーという立場で再会した。しかもちゃんとした流通ルートにのって。
ほどなくリリースされている作品を全て購入した。
2005年の夏、スピーカーからはASIAN KUNG-FU GENERATIONの音楽が流れ、それを呆然と聴き入る自分がいた。

今や彼の音楽に多くの人が耳を傾けている。自分自身を音楽で表現している。
表現者を志し、美術大学を卒業したが自分は何も成せていない。
口ばかり達者な自分は東京で何をしたというんだ?何をしたいのだ?
人に何かを伝達したいという思いが欠落しかかってはいないか?
人前に出る覚悟すらできずに言い訳ばかりがうまくなる。
そして段々、いろんなことに鈍感になってゆく。

彼の音楽に、続けることや諦めないことの尊さを見せつけられた気がした。あまりの衝撃に数週間はロクに食事もできなかった。
自分がとうに忘れてしまった、感傷の渦に思いを馳せた。

何千、何万の前で己をさらけ出している。勝負している。
サマーソニックのステージで、それは鮮烈すぎる夏の光景だった。


本日の1曲
夕暮れの紅 / ASIAN KUNG-FU GENERATION


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