嘘の代償

越してきた当初、自分の原付バイクをこっそり隣のマンションの駐輪場に置いていた。現在住むマンションには駐輪場が無い。駅に近いこの物件であまり乗る機会も無く、そのまま数ヶ月ほったらかしにしていた。

ある日、近所のバイク屋にメンテナンスに出そうと思い、駐輪場へ行くとバイクが無くなっていた。TOMOSはエンジンキーが無く、自転車と同じようにチェーンで施錠するしかない。ロックされている方の車輪をスケボー等に乗せれば簡単に移動させることが出来るために盗難されやすいバイクだ。だから真っ先に(盗まれた!)と思った。

暗澹たる気分で交番に行き、ナンバーや車体の特徴などを伝えて盗難届の書類を作成した。交番を後にして数十分後に携帯に連絡が入った。『レッカー移動されて杉並警察署にあるみたいです。』もう半分諦めていたので飛び上がるほど嬉しかった。なぜレッカー移動されたのか考える余裕は無く、ただ所在が明らかになって安心した。

タクシーに乗り込み警察署に向かう。まず受付でレッカー代を払わされた。なぜ駐車違反を取られたか腑に落ちなかったが5千円を支払った。
『どこにあったんですか?』と聞いたのが間違いだった。受付氏は不思議そうな顔でこちらの話を聞く。そして中年の婦人警官を呼び出した。そこでバイクを違法駐車した覚えがないことを説明すると受付横にある応接セットに案内された。

面倒なことになったが、正直に話すまでだ『最後にバイクを触ったのは数ヶ月前で、もちろん公園の脇に駐車したことなど一度も無い。』婦人警官は白い紙にボールペンで供述を書き留めた。こちらを射るような強い眼差しで、彼女の顔筋は緩むことを知らないようだった。バイクは公園脇にカバーが半分めくれた状態で放置されていたということをそこで初めて知った。
彼女はたびたび席を離れ、先程の交番と連絡を取り始めた。幾度も電話とソファの間を往復し、仲間の婦人警官と小声で話をしていた。

実は最初に交番に行った際、隣のマンションの駐輪場に置いていたことは伏せていた。ビルの間の路地に駐車していたと嘘をついてしまったのだ。それは後ろめたい自分の行動をごまかすためのとっさに出た嘘だった。交番からの報告でそれを知った婦人警官は疑いの目で自分を見始めた。この嘘のせいで全ての信頼を失うことになる。『貴方を信じてたのに。』と無表情で婦人警官は言い放った。

それから二人の中年の婦人警官の事情聴取が始まった。
最後に駐車した日付と時刻(何時何分まで)、駐輪されていたのは何台か、駐車した時壁から何センチ離れていたか、バイクと両隣の自転車との間隔は何センチあいていたか、駐輪の間隔は何センチだったか、自転車やバイクの種類(色や形、カバーの有無)、駐輪の正確な位置関係(何センチ間隔で駐輪されていたか)。
駐輪場の図を書かされ、ものすごい量の質問を次々とぶつけられた。そしてその質問のほとんどが普段気にもとめない細かい事象についてだった。図を書き直したり数値を言い直すと『さっきと違うわね!』とものすごい形相で睨まれた。数ヶ月前の日常の記憶をセンチ単位で正確に思い出せるわけがない。しかしそれを訴えたところで脅迫的な眼差しは変わらない。『警察はね・・・、徹底的に調べるのよ。』何を言っても反論される。最早こちらの話は全く信じてもらえない。その高圧的な態度の前に無力だった。

彼女たちは駐輪していたマンションに入っているテナント全てとその物件のオーナーと不動産に連絡を取っていた。”そのようなバイクは見たことがない”、”動かした覚えは一切無い”というのが彼等の共通の回答だったようだ。そしてその回答を自分に叩き付けた。数ヶ月の間駐輪していたことを証明する人すら居なかったのだ。

二人の婦人警官の間では、駐車禁止のペナルティーを逃れるために盗難に見せかけ、交番に行って盗難届を出したというストーリーが完全に出来上がっていた。馬鹿げたシナリオに驚愕し、声も出ない。バイクが無くなっていることに気付き、どれだけ自分が動揺したことか?けれども弁解したところで『貴方は最初に嘘をついたから』と冷たい視線を投げつけられるだけだった。

最初についた嘘のせいで一切の信用を得ることが出来なくなっていた。普段の自分の行動や思想は何の役にも立たなかった。
悔しくて涙が出た。静かに泣いたわけではない。号泣しながら事実を訴え続けた。『確かに交番で嘘をついた。しかし警察署に来て嘘はついていない!』と叫んだところでまるで状況は変わらない。職員や来訪者も入り口脇のこちらの問答を奇異の目で見ている。精神錯乱状態の若者が喚き散らす文言に呆れかえる婦人警官、という風に見えていたはずだ。はっきり言って絶望的な気分だった。こうやってえん罪は生まれるのだとさえ思った。

その問答は二時間以上繰り返された。精神的疲労でぐったりしていた。『じゃあ今回だけ特別に貴方の話を信じましょう』と言う婦人警官に、最早頷く気力も無い。誓約書にこの一日に起こった全てのやりとりを何枚にも渡って書き、最後は謝罪の言葉で締めくくった。最もこちらは婦人警官に言われたことを書いただけだ。”警察署長様、二度とこのようなことは致しません。”
泣きながら誓約書を書く自分にこれみよがしに「何かあったらまた来なさい」等と言う。悪いがもう二度と会いたくない。

帰宅してからも部屋で泣き続けた。もうバイクを見るのも嫌だった。その数日後に業者を呼び、実家にバイクを搬送してもらった。
あれ程自分の発言が空回りする様は人生で二度目の体験だった。いくら声を荒げても相手の心には何も訴えない。それはとてつもなく恐ろしい。

交番のおまわりさんに嘘をついてしまったことを今でも反省している。しかしながらあの二人の婦人警官が自分に向けたあの脅迫的視線は一生忘れることはないと思う。そうして見事なトラウマを残してくれた杉並警察署であった。


本日の1曲
A Certain Shade of Green / Incubus


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