東京タワー、私家版

上京してから10年が経ち、その間数十回の帰省を繰り返してきた。東京駅から新幹線で静岡へ。静岡からは東海道線に乗り換えて島田駅まで約30分。その道程はいつも変わることがない。
そしてこの移動は自分を混乱させる。特に帰り道、実家から東京の一人暮らしの住まいへ戻る道程は。

静岡を発車した新幹線が東京へ向かう。トンネルばかりの熱海を越えたら神奈川県に差し掛かる。新横浜で大勢の客が下車し、品川でさらに乗客は半分程になる。
新幹線は山手線と並行に走り、速度を落として線路を滑る。ごった返す駅のホームがよく見える。

東京の自宅から帰省する時も、実家から東京に戻るのもいつも夜遅い。瞬く電飾の看板と、ビルの中で仕事をする人の影を眺める。そして左側の車窓からは東京タワーが見える。赤々と、夜空にそびえ立っている。

田舎から電車で東京に戻ってくる時の一種の感慨は地方出身者なら心あたりがあるはずだ。
『まだ若い頃、電車がトンネルに入って窓に映る自分の顔を見る度に、自分が何も成長していないのにまた東京に帰って来てしまった…と思うんです。』ある俳優はそう言っていた。

生活のベースは全て東京にある。帰省したところで懐かしい友人に会うわけでもないし、生活感が欠落した自室に居ても落ち着かないだけだ。生活リズムの違う家族と顔を合わせるのは一日のうち数時間でそれ以外は部屋で読書をするか、思い立って近所にドライブに出掛けるくらいだ。

今や自宅のある東京はどこよりも居心地がいい。街中に溢れる情報で不便を感じなくて済むし、求める商品はほとんど手に入る。
東京にこだわるのは、ただその空気が自分の存在を許してくれるような気がするからだ。しかし今の自分にここに住む理由はあるだろうか。自分の存在を許してもらいたいがためにここに戻って来たのではないか。結局は家族のことや、今の自分の状況を、街の雑踏で掻き消しているだけなのだ。

実家に帰り家族の顔を見て安心する。東京に戻れば残業の無い仕事があり、いくつかの趣味を楽しむことができる。しかしその生活は本当にしたかった生活だろうか?

そんなことをぐるぐると考えている時、いつも通りに左手に東京タワーが現れる。東京駅に降り立てば、先程までの不安も意識のどこかへ追いやられてしまう。自宅に戻り部屋に窓を開け篭った空気を入れ替える。たまったメールチェックをしたら、雑踏に安堵したことすら忘れている。

そして帰省する前と時間軸が繋がったような自然さで東京の生活に戻っていく。東京タワーはつかの間の、しかし延々繰り返されるかに思われるその困惑を思い出させる。


本日の1曲
Champagne Supernova / Oasis



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3/29 『リリー・フランキー 『東京タワー』


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