911

その夜、仕事から帰ってインターネットに興じていた。コンポで音楽を再生し、ミュートの状態のテレビには背を向けていた。暫くして母親から携帯にメールが届いた。軽い気持ちでテレビを振り返り唖然とする。
アナウンサーは早口で何事かをまくし立てていた。事件か、事故か。詳しい情報はまだ公表されていなかった。アナウンサーは憑かれたように同じフレーズを繰り返している。

朝の空気に包まれた有名なツインタワー。そこから吐き出される黒煙。情報が無いまま呆然と見る映像は確かにニューヨークの景色だった。
そのうちもう一機が追突し、ビルは崩壊した。世界中の悲鳴が聞こえるような瞬間だった。映像はスケールを麻痺させる。ゆっくりと崩れ落ちたかに見えるビルディングは、聞いたこともない轟音を伴って崩れ落ちたはずで、地響きや粉塵は民衆を恐怖に陥れただろう。

巨大な旅客機が突っ込み、巨大な高層ビルが崩壊した。テレビの向こうで起きている現実と、自分の生活する空間にうまく接点が見つけられない。
慌ててニューヨーク在住の友人氏に電話を架けたが、電話は繋がらなかった。連絡の取れなかった数日間は胸騒ぎが治まらなかった。

それから1年後、ニューヨークを訪れた。あるパーティーで話したウォール街で働く青年は当日車道を走って逃げたと言い、若者はマンハッタンの大学の教室で授業前にそのニュースを聞いたと言った。
ブルックリンブリッジを歩いて渡っている時、友人氏はかつてツインタワーのあった方向を指差した。いつかこの目で見たいと思っていたツインタワーはもう無かった。マンハッタンの高層ビル群は絶対的な都会のイメージだった。ツインタワーが無くなる日が来るなどと想像できるはずもない。
マンハッタンを散策していると、ふいにワールドトレードセンター跡地に辿り着いた。
ビルが乱立する街並みの中に突如ぽっかりと穴があき、その上空は煙でくもっていた。事件以来、連日テレビで観た光景だった。広大な敷地にビルの巨大さを知る。背後のビルの外壁は、かさぶたがはがれたように剥き出しになっていた。

敷地の中では作業を続ける車両が数台。敷地を囲う高いフェンスには犠牲者の名前が書かれた看板が掲げられていた。無数のアメリカ国旗と手書きのメッセージボード。煙が立ち込めるグラウンドゼロ。
あの日、世界中に配信された絶望の映像と奪われた沢山の命。
自分の目の前の何も無いその土地に、浮遊している想いを想像した。傷ついた人間は絶望の先に何を見るのだろうかと時々考える。


本日の1曲
Wish You Were Here / Incubus



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テロ以降、落下や崩壊のイメージは徹底的に嫌われ、事件を彷彿させる映像や音楽は軒並み自粛された。
Incubusの新曲”Wish You Were Here”のミュージックビデオもそのうちのひとつだった。それはファンに追いかけられたメンバーが橋から飛び降りるというストーリーだった。ビデオの内容は極めて平和的だったが、放送を禁止するテレビ局もあった。

テロからわずか4日後、彼らはニューヨークでライブを行った。

”ショウの収益金は地元のラジオ局の協力もあって2倍の額となり、世界貿易センターの犠牲者の救済活動のためにすべて赤十字社へ送られた。Incubusはまた、募金カップやスタンドを立ててファンにサポートを呼びかけた。バンドはコンサート中に世界貿易センターの攻撃で犠牲となった人々に黙祷を捧げ、またショウの最中には観衆から何度か“U.S.A.、U.S.A.、U.S.A.”という叫び声が響いた。”(BARKSより抜粋)

当日の音源はシリアルナンバー入りの限定盤で発売され、街中を探し回ってCDを見つけた。それは同時多発テロの後、ニューヨークで行われた最初のライブだったという。


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