ヘアサロンの変人

後頭部から『ボコ・ボコ』という音が聞こえる。掌にたっぷりとためた湯の音だ。ヘアサロンのシャンプー台でその心地よい音を久々に聞いた。アシスタント氏は泡が冷たくなるまで丹念に髪を洗い、拳大のシャワーヘッドは充分な水量を吐き出した。
そこは女性のスタイリストと若い男性のアシスタントがいるだけの小さな店だった。主に鉄と木材による内装も落ち着いていて好みだった。

数えてみたらヘアサロンに行くのは7年振りだった。以前は表参道や吉祥寺の有名サロンに通っていたこともあった。時には満足できない仕上がりもあったけれどその度に高額な料金を払い続けた。

自分で髪を切ることを覚えてからはずっと自分で髪を切ってきた。頼まれて友人達の髪も随分切った。ヘアスタイルを変えたい衝動は突然訪れて、予約を入れた次の瞬間に気が変わることだってある。それに美容師達との会話も億劫だった。そうしてサロンに通わない生活が定着した。
しかしパーマは自分でかける技術が無い。久々にパーマでもかけようかと思い、今夜美容室へ行った。

『人に髪を切って貰うのっていいですね』と言うと、そんなことは初めて言われたとお姉さんは笑った。去年5年振りに美容室へ来た男性のお客さんが同じような事を言っていたらしい。準備が面倒で部屋が汚れるヘアカラーですら『自分でやる人が信じられない』そうだ。美容師らしい意見だった。

『7年振りなんです、実は。』勝ち誇った気分になってうっかり言ってしまった。お姉さんはハサミを動かす手を休め目を丸くしていた。もの凄い早口で自分の存在を弁解したい衝動に駆られた。
『あ、でも!昨日通勤定期も更新したしホケンショーも一応ありますし大切な友人も数は多くないかもしれないけど何人かいますし我が家の猫も元気に育ってます』と。

そうか、髪は誰かに切って貰うものなのだ。絶句している彼女を見ていると、なんだか自分が変人になった気がした。


本日の1曲
バスルームで髪を切る100の方法 / Flipper’s Guitar


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