若い大人達へ

他人に対して否定的になる時、人はよく『子供』という言葉を使う。いささか諦めの良すぎる言葉を吐いて、さも勝ち誇ったような気分になっているのだろう。何を言っても仕方がないという諦めと、何も知らないで可哀相にという傲慢な同情が入り交じっている。

ある時納得できない状態に陥った二人の友人は、揃いも揃ってお互いを『子供』と形容していた。ほんの少しの時間差で双方から同じ言葉を聞いた時は、とても妙な気分になった。彼等は相手のことを『大人には足らぬ存在』として否定を繰り返していた。

自分の正しさを疑わず、大して年の違わぬ相手を子供だと形容するのは妙な現象だ。年長者が何十も歳の違う青年に向けるのとは少し意味合いが異なる。
意識してみると『子供』という言葉はそういった否定的な場面でよく用いられているようだった。そしてその言葉を聞くたびにいつも違和感を感じてきた。

確かに同年代でも驚くほど価値観の違う人間もいる。似たような時代を生きてきた同世代の友人にはシンパシーを感じるが、中には相入れない奴もいる。
年長者への敬意は忘れていないつもりだが、日々沢山の大人の中で働いていると、その敬意すら揺らぐ時もある。

ある作家は”大人になることは、進歩することよりも、むしろ進歩させるべきでない領域を知ることだ。”と言った。

巧みな言葉で他人をけなすのが大人ではない。陰口を叩き、上手いことを言ってやったと悦に入るのが大人ではない。
適当に周りに同調し、愛想笑いに顔筋を強張らせ、波風立てずに上手くやっている若い大人達へ。


本日の1曲
ふたりごと / Radwimps


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