倍数の哲学

ここ何年かは “お笑いブーム” と言われているそうで、そのせいか「芸人の話およびそのネタ」は我々の会話に日常的に介入している。
『なにそれ?』と聞けば、大抵「芸人の話およびそのネタ」の話題で、その度に『YouTube見ろ』だの『ググれ(Googleで調べろ)』だのと言われることになる。

そんな風に最近「3の倍数」や「世界のナベアツ」という言葉に接触する機会が増えた。たまにテレビをつければ、やっぱりその言葉が聞こえてくる。楽しそうにしている共演者の意識はある事象を介して共鳴している様子。一人暮らしの部屋にほんのりと漂う、置き去り感。

「ナベアツ」という名称は、スポーツ界の重鎮を思わせる。きっと、巨人の偉い人(おそらくナベツネ)や、川渕チェアマン的なポジションにつき、「世界の」とつくからには、イチローのような高名な人物であろうことは容易に想像がついた。

ナベアツが名誉会長に就任したとか、ナベアツ主導のストライキが起こっているとか、スポーツ界全体に関わるアクションがあったに違いなく、今や連日のようにナベアツという青い文字がスポーツ新聞の見出しに踊っているのだ。きっと。

ところで、毎日必ずチェックするウェブサイトのひとつに、ほぼ日刊イトイ新聞の「気まぐれカメら」がある。糸井氏の愛犬ブイヨン氏が愛らしく、なにかというとすぐにページを開く癖がついてしまった。

4月5日の記事には「ちょっとちょっとブイちゃん、それじゃ、3のつく数と、3の倍数のときだけする顔だよ!」とある。
悔しいけれど、何のことか全く察しがつかなかった。

言うまでもなく、糸井重里氏は言葉の人である。きっと “ハムレット” や “欲望という名の電車” などの古い戯曲に出てくる決め台詞に違いない。倍数という概念を用いるあたりがそんな雰囲気を決定付けていた。そんな深い意味が含有された3の倍数の哲学は、今は判らずともいつかは理解できるだろう。やはりシアターコクーン青山劇場あたりか。

ところが先週、ある青年氏と話していて、あっさりと「3の倍数云々は世界のナベアツという芸人のネタ」であることが判明した。しきりに感心する自分の前で、『ボクは8の時の気持ちいい顔が好きです』と言い、『はぁひぃ〜〜(8〜〜)』と恍惚とした気持ちいい顔を見せてくれた。YouTubeだのGoogleだの言わず、その場で白目を剥いて説明してくれるとはなんて優しい青年なんだろう! 8の時は気持ちいいのだ!

なんともプリミティブな芸を目の当たりにし、いくつかがパキパキと繋がっていった。糸井重里が言及した意味不明な文言も、これでようやくつじつまが合う。見返してみると、該当記事のタイトルは「世界のぶいよん」であったが、3の倍数をするときの顔が単なる「アホ面」のことを差しているなんて思ってもみなかった。

そういえば「世界のナベアツ」をレクチャーしてくれた優しき青年氏と、以前エレベーターに乗り合わせたことがあった。彼は3階のボタンを押す時、甲高い声で「タンっ!(3!)」と叫んだ。
きっと仕事のストレスが溜まって、やりきれない気持ちなんだろう。若さというのは厄介なものだ。意味のない奇声を発したくなる時もあるよな。

大人の包容力をもってその場をやり過ごしたつもりだったけれど、それは単に世界のナベアツのネタだったのだ。お笑いを知らないと、いろいろと勘違う。


本日の1曲
Wow / Kylie Minogue



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