『無題』

ある友人宅を訪れると、彼は間近に迫った個展の開催に向けて準備を進めていた。訪問した時、彼はカタカタとMacintoshを操作し、ポートフォリオを作成している真っ最中だった。
作品の脇に置こうと思うんだけど、どう?彼は少し自信なげに尋ねてきたけれど、その案には大賛成だった。

ただ、差し出された作品から全てを感じ取るのは難しい。どんな経緯で今回の作品を製作するに至ったのか、作品の共通テーマは何か。彼の用意した資料には今に至るまでのヒストリーが記されていた。

当時通っていた美術大学の校内では頻繁に作品展が開催されていた。芸術は学生にも平等にあった。表現することに夢中な学生達は積極的に作品をアピールしていたが、タイトルが与えられていない『無題』の作品も多かった。
ギャラリーの壁にかかった途端に立派に見える抽象画のマジックも知っていたし、清潔な空間では未完のオブジェがもの言いたげな空気を瞬時に身に纏うことも知っていた。

だから『無題』には注意しなくてはならない。何かを孕んでいる印象を与えるこの上ないありきたりな言葉に注意深くなった。作品から何を感じるか。タイトルを付けなかった意図は何か。無題の作品に遭遇するたびに、勝負に挑む感覚があった。作品にタイトルを与えないことが「単なる思わせぶり」か、「最良の選択」かを確かめるために。

ただ目の前に差し出された作品だけで、芸術を理解するのはやはり難しい。そういう環境にあったお陰で、常にアートとは何かを考え続けていたように思う。
日々差し出される芸術に懐疑的になることもあった。今でも無題の作品の前では立ち止まってしまう。


本日の1曲
Untitled / Smashing Pumpkins


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