荒木経惟 「東京人生」 @江戸東京博物館



彼の写真には物語がある。荒木経惟はフレームに物語を取り込む天才だ。作品を観る機会があったら、是非隅々まで見て欲しい。二階の窓からこちらを見ている室内犬。遺影を抱き歩道を歩く少女。駅の構内で人形を抱えて眠る中年男性。
写真は”写真”という極限に切り取られた時間の中にあって、何故これ程までに生命を湛えていられるのだろう。

大学生の頃、図書館に頼んでデビュー作『さっちん』が掲載された『太陽』を見せてもらったことがある。当時は無名の新人であった荒木の名前と、紙面を駆けずり回る子供達のモノクロ写真。
大学の写真の授業で公園で子供を撮影した時、あらためて『さっちん』という作品の魅力に気付いた気がする。子供達が他人に屈託のない表情を向けることは稀で、『さっちん』にあるような写真を撮りたいと思うなら、子供と一緒に駆けずり回らなくてはならないからだ。

言わずもがな、荒木は当時から面白いお兄さんであっただろう。あるいは荒木には努力の必要はなかったのかもしれない。彼の作品の被写体はいつも自然で、真剣な表情をしている。花ですらレンズと勝負している。荒木の生命力、存在感が被写体に乗り移ったかのように。

生命にこだわる写真家はまた死にもこだわる。荒木の父、母、そして最愛の妻、陽子氏。彼は身近な人の死の場面にもレンズを向ける。今回の展示に3人の最期のポートレイトがあったのは偶然ではないはずだ。

荒木の代表作に愛妻陽子さんとの日々を綴った写真集『センチメンタルな旅』がある。友人の家で初めて見た時、その作品に沈黙した。直ぐさま写真集を手に入れ、再度ゆっくりとページをめくった。

そこには止まる事なく流れ続ける時間があった。流れていく時を惜しむことすら忘れたかのような日常の風景があった。妻が病に侵されてからの荒木邸は、ぼんやりと淀んでいるかのように虚ろだった。
裏表紙を閉じた時、一本の映画を見終わったような気持ちがした。本を閉じた後はいつも、仰向けにひっくり返って深い息を吐く。そういう作品である。

荒木は死を知っているからこそ生にこだわる。彼が押すシャッターは人生をなぞり、切り取られた風景は永遠に我々の前に在る。
世界は変わり続け、自分もいつかは息絶える。レンズははかなく過ぎ去る全てのものに向けられる。荒木の写真は終わりに向けられているからこそ、輝いている。


本日の1曲
明日へゆけ / ハナレグミ



荒木経惟 ー東京人生ー展
江戸東京博物館
東京都墨田区横網1-4-1
JR総武線両国駅西口徒歩3分
都営大江戸線両国駅A4出口徒歩1分


○ 文中に登場した写真集

さっちん
寂しかないよ、友達いっぱいいるもん!
弟・マー坊を従え、団地狭しと駆け回るさっちん。
昭和30年代の子ども達の、溢れるような笑顔を活写する第一回太陽賞受賞作。


センチメンタルな旅・冬の旅
これは愛の讃歌であり、愛の鎮魂歌である。
新婚旅行での”愛”の記録、私家版「センチメンタルな旅」から21枚。
妻の死の軌跡を凝視する私小説的写真日記「冬の旅」91枚。
既成の写真世界を超えて語りかける生と死のドラマ。

荒木経惟 オフィシャルサイトへ


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