さくじょ。


この間友人と長話をしていた時、彼女は『年を重ねて自分の身を守る方法がわかるようになった』と笑った。悲しい出来事に心が動揺したとき、その動揺をこれ以上こじらせないために、どうするのが自分にとって最善か。

今、ドコモは『Answer』という広告キャンペーンを展開している。
昨年オンエアされたCM「STYLE登場」篇では若い女性の恋愛模様が描かれた。雨の中『答えがほしいの。』と男性に詰め寄り、のちに自分の部屋で携帯電話に登録されていた彼の写真を削除する、というストーリー。

このCMがオンエアされ出した頃、冒頭の彼女をはじめ、何人かの女友達が立て続けにこのシーンを話題にした。確かに、『さくじょ。』という呟きと、複雑な表情が印象に残るCMだった。

一見演出がかったこんなシーンも、恋をすれば日常に介入する。何人かの話を聞いていると、似たような経験をしている人が結構いた。時間を持て余し、なにかにすがりたい気持ちで彼のメールを見返せば、余計に寂しさが募ってしまう。

恋人と別れたある友人は、意を決して受信メールを一括削除した。
しかし空になったはずのメールボックスに「保護」していた彼からのメールが残ってしまったらしい。名前すら見たくない心境なのに彼の名前で画面が埋め尽くされてしまった。

彼女は結局、“鍵” のマークのついたメールを一つずつ開封して保護を解除し、削除しなくてはならなかったそうだ。大切なメールだから鍵をつけて何回も見返していたはずなのに、こんな時には全てが痛い。

クリアボタンを押しさえすれば消失するデータ。でも、今まで何度それに励まされてきただろう。一瞬で消えてなくなるものをどうしてこんなに愛しく思うんだろう。

彼の好きな曲を集めたプレイリストや、借りたままの本や、一緒に出掛けるはずだった約束とその行き先を、彼女は思う。あのほんの短いシーンには、誰の目にも触れない、ひとりきりの決意が描かれているのだ。


本日の1曲
開け放つ窓 ~piano version / 阿部芙蓉美
youtube
 

好きなCMを調べると前田氏がディレクションしていることが多い。
心の揺れを描くのが本当にうまい人なのだと思う。

■ Answer「STYLE登場」篇
http://www.nttdocomo.co.jp/corporate/ad/tvcm/081205_01.html
出演者   :堀北 真希 山崎 努 成海 璃子
ディレクター:前田 良輔

■ ソフトバンクモバイル「プロポーズ」篇
http://jp.youtube.com/watch?v=pli7bVWTpdo
■ 東京ガス「家族の絆・山菜の味」篇
http://www.tokyo-gas.co.jp/channel/200ch/flash/m2008_12_b.html


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4 Responses to “さくじょ。”


  1. 1自己言及のパラドックス

    <非公開希望!:書きたい気持ちっス>

     ある事象を「体験」することで、「感覚内容」の残存が「心」と言われるところに「印象」として生じる。ずっと保持された「印象」が「記憶(または、「情報」)」に変わる。「記憶」は、それでも忘れやすい「フローの知識」である。その「記憶」をつかって、次にあなたの前に現れる事象に対して、あなたは条件反射的に「思考」を体験する。「思考」とは「同じモノ・ゴト」であるか「似ているモノ・ゴト」であるかの認識作業である。繰り返し得られた「記憶」や「情報」に対して「思考」された結果、「経験知」や「信念」として普遍化される。これは「概念化」である。「概念化」された「記憶」や「情報」は、忘れられない「ストックの知識」である。それらはアンカー(錨)と呼ばれるような「思考」の首尾一貫性をもたらす。だから人は同じ思考をして、同じ行動や判断を繰り返し易い。この一部が「個性」として他人から表象される。例えば「あの人はいつも自信満々!」とか「なぜか、彼は残念なんだよなぁ…」とか思われる。その循環は単純じゃない。様々な要因や条件や場が、それぞれは単純な現象かも判らないが、実は複雑に影響し合い、因果関係があるのか、独立事象であるかを特定することはすごーく難しい、いわば論理展開が難しい「複雑系」の現象である。でも、時間とともに確実に過去から現在を通って未来へ進行する。どこかに、そんな思考ループを変える切っ掛けがあるんだろうか。もちろん、そんなのは誰も判らない。でも、そんな仕組みがありそうだ、という「知識」をもって「思考」していると、かつての成功や失敗体験からくる「経験値」や「信念」に囚われている自分に気がつく瞬間がやがて、訪れる。これを見つけてくれるのは、我々のもつ「直観力」しかない(「直感」ではない)。仮にこのCMが自分の「イヤな記憶」とシンクロ(または類似)しているならば、さっさと「イヤな記憶」は、わざわざ儀式として体感し、「印象」深くなるようなことをせずに、放っておけばいい。ドンドン次から次へ新しい「印象」を頭の中に入れていけば、忘れていってくれる。そういう環境に自らを置く行動ができるかどうかが、その人の耐性や学習能力を表す。そうは言っても、心がシンクロしてしまう。たぶん大多数の人はそうだと想う。過去の自分と現在の自分を同じにしたい、という無意識が働いているのかも判らない。でも、もし「情報」に対して今までと違う「思考」を創出し、そのループから抜け出す、または強化する方法があるならば、それを試してみるのも一つの手である。「こんなの!人の神聖なる感性を商売のツールとして弄んでいるくだらないCM」とか「人生を生きるある局面での乙女の判断ミスを甘い記憶にすり替えやがって」ぐらいに想った方が良い、と考える側に試しに自分を置いてみたらどうだろうか。所詮、CMやコンテンツの制作現場では、映像の向こう側にいる存在に対してコモディティというラベルを無意識のうちに貼っているはずだ。ねぇ、あなたもそうでしょう!? そろそろあなたの才能を社会に向けようよ。公共という視線へ、ソーシャル・イノベーションへ…

     たまには、こんなコメントもいいかと想って…これも返信者(時々、ファンです)の「信念」からですけど…同意するコメントだけが慰めじゃぁないしなぁ…って、想って。過去の成功や辛い思い出はなんともいえず甘美なのですが…それで糖尿病になる前に、体質改善しましょう。さぁ、「前へ」(by 明大ラグビー部 故・北島監督)

  2. 2taso

    >自己言及のパラドックスさん
    「耐性や学習能力のなさ」は、ループから抜け出すことをなかなか許してはくれません。そんな時は『人よ苦しいよ 耐えいるばかり』といった詩人の言葉に望みを感じたりするのです。

    でもそういった自責の念が時に芸術を生み、芸術を理解する心を生むのではないかとも思います。(個人的にはそういう芸術作品が好きです)

    感情を煮詰めてしまうと、情けなくて寂しい気持ちになります。できればそんな自分でいたくないと皆が思うはずです。女性が携帯電話に残ったデータをさくじょするのは、このループを抜け出すための「彼女たちなりの」ひとつの手段だと思います。

    過去の「印象」に縛られている人々が複雑な思いを持って、共感したり反発したりしながら日々を過ごしているんだと思います。容易には前に進めないこともあります。だからこのCMのワンシーンに、理想なんかじゃない日常のリアルな姿が描かれているんじゃないかと思ったのです。

    ところで制作の場では「所詮」と思わないことを心掛けています。でもビジネスが絡むと受け手の心情に鈍感になってしまう(ならざるを得ない)こともあります。でも見えない相手でも尊重したい気持ちを持っていますし、誰かが自分に対して正直になってくれることをいつでも望んでいます。

    簡単に同意しないコメント、嬉しかったです。内容以上のものを感じて大いに励まされました。

  3. 3ファーファ

    『エターナルサンシャイン』という映画を思い出した。携帯やパソコンみたいに自分の記憶もボタン1つできれいに消せたらどんなに楽だろうって辛いことがあるたびに思うよ。

    もしそれが出来たら試したいって思うけど、同じことを繰り返してしまうんだろうなぁ。そしたら人間は全く成長しないだろうね。
    なんて言ってるけど、思い出や記憶を消せないのに私は何度も同じような失敗をしてしまうんだけどね(笑)
    私だけじゃないかな!?

  4. 4taso

    >ファーファさん
    失敗に懲りても同じことを繰り返してしまう・・・。
    時々自分の性格を変えたい!と思うときがあります。
    自信を喪失すると周りの人がすごく魅力的に思えたりする。

    消したいけど記憶は消せないから、
    辛かったことがいつまでも辛く残ったりするよね。
    でもなんとかそれでこうして生活しているわけだけど、
    それで自分が成長できているのかはやっぱり自信が無いです。

    もっと人に優しくなりたいと思うし、もっと強くなりたいと思う。
    もちろん不感症という意味ではなくね!

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