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2016年の転職活動まとめ



はじめに。これまでの仕事のこととか

77年生まれは就職氷河期世代にあたる。とは言っても、ちゃんと準備をしていた大学のクラスメイトたちは内定を獲得していたから、新卒で就職しなかったのは世代のせいではない。就職活動にまるで興味を持てなかったのだ。皆の熱い話にもついていけなかった。

卒業後は学生の頃に始めた派遣の仕事を続けた。制作会社に転職し2社で正社員をやった。転職に手こずることもなく内定はすぐに出た。ブランクも作らず、退職日の翌日には新しい職場で自己紹介していた。
その後思いがけない休職と失業を経て2014年9月に非正規雇用で働き出したその契約が今年(2016年)7月で終了し、10月から新しい会社(ブログではA社と書いています)で働くことになった。

今回の転職活動は苦戦した。内定が出たのは1社だけ。ほとんど書面だけで他人にジャッジされ続けるとは、なんてタフなイベントなんだ。新卒でやらなかったシューカツを15年後にやったのだ。あの時のクラスメイトたちも同じように一喜一憂していただろうか?

心を揺すりながら過ごした日々の記憶もやがて薄れる。時間のある今のうちに転職活動のあれこれを書いておくことにした。


もう一度正社員を目指してみる

非正規雇用で働いた1年10ヶ月間を振り返ると、会社に束縛されない気楽な面もあったけれど、関われる業務が限られていたり評価制度がなかったりしてやりがいに欠けた。年収だって正社員に比べれば何ランクか落ちる。企業の都合で一方的に契約終了する非正規雇用のもろさも思い知った。

来年5月には40歳になる。いわゆるヒラ社員経験しかなく、管理職を希望しない人が40代に突入したら正社員への転職は厳しくなりそうだ。実際は数ヶ月の差でも39と40では書類の印象が随分違う。30代で転職できる今のうちにもう一度正社員を目指そうと思った

ところで、同世代の皆はどのように転職しているのだろう?

この歳になれば同業者に知り合いも増え、知人を介してスマートに転職する人もいるだろう。社会人の暗黙のルールなのか、たまたまなのかはわからないけれど、転職の経緯を同僚たちと話したことはほとんどない。

もし同じ疑問、―皆はどのように転職しているのか―を持つ人がいるのなら、今の自分だってひとつの答えではある。それなら転職活動のいろいろをブログ(今のブログ、「デイ・バイ・デイ」のほう)に書いてみようと思った。
書き始めたはいいが内定が出ず恥をかくだけになるかもしれない。大企業への華麗な転身もなさそうだし、職探しをやめて実家に逃げ帰るかもしれない。まあ、それも含めてひとつのケースにはなる。

転職活動中は気が休まらなくて、退職して時間ができても友人に会わなかった。ブログは友人への現状報告も兼ねていた。もちろん、通りすがりの人に(へえ)と思われるだけでも構わない。
6月上旬に始めた転職活動が終わったのは8月下旬。週いちで書いた「就職活動週報」は11週続いた。


活動準備。エージェントを初体験する

二年ぶりに転職サイトにアクセスした。新規登録したり、登録済みのサイトにログインする。念のため派遣専門のサイトにも登録した。6つのサイトそれぞれにプロフィールを登録する。学歴、職務経歴、経験業務、希望条件、自己PR……。項目は多く細かい。これだけで息が切れそう。

次に書類の準備。職務経歴書と履歴書とポートフォリオ(制作実績をまとめた資料)の作成にとりかかる。二年前のファイルを引っ張りだしてきて再構成し直近の仕事を追加した。味気ないと思っていた仕事も書類にするとそれなりに見えるのが妙だった。
一週間かけてエントリーの準備が整った。合否はともかく、これでどんな企業にもエントリーできる。


これまで実態がつかめなかった「転職エージェント」の存在。利用したという声もちらほら聞くし、どうやらエグゼクティブだけのものではないらしい。選択肢が増えるのならと利用することにした。
転職エージェントの利用はキャリアアドバイザーとの面談から始まる。週末や夜間に都心へ赴いたこともあったけれど、途中で電話面談でもいいのだと知って以降はそうした。転職サイトに掲載されている求人も、それが「社名非公開求人」であれば指定のエージェントを介して応募しなければならず、結果的に5社に登録することになってしまった。

転職エージェントは大手2社に登録すれば十分だと思う。
なんといっても大手は保有求人数が多い。保有求人は各社異なる(有名企業は重複している場合もある)のでより多く情報を得たければあと何社か登録すればいい。ちなみに、大手の2社だけで150件くらい紹介を受けた。その他の小〜中規模の3社は10件に満たなかった。
求人紹介件数とサポートの充実度で群を抜いていたのはリクルートエージェントだった。情報の閲覧や応募を専用のサイトで行えるので管理が楽だったし、フォローも手厚い。孤独になりがちな転職活動中に何度も励まされた。

キャリアアドバイザーたちは企業の採用担当者と直接やりとりしているので、求人票だけではわからない社風や内定者の傾向に詳しい。欲しい人材のイメージも細かくヒアリングしているので参考になるし、採用事情の「ぶっちゃけ」話もしてくれる。


仕事さがしの条件は?

前職は画像編集デザイナー、それ以前はWebコンテンツ制作・ディレクター、マーケター、サイト運営などをやってきた。

20代の頃から文章を書く仕事に就きたかった。しかしどういうわけか、編集部に応募しても別部署で採用され続けた(編集者に向いていないという忠告なのかもしれない)。メールマガジンやテキストコンテンツの執筆はしてきたものの「ライター」と言い切れる経歴ではない。しかし今回、最後のチャンスとばかりに書く仕事にこだわることにした。
実は、今後の転職を睨んで出版関係の資格を取りたいと思い始めたところだった。今回の転職には間に合わないけれど、その資格と職務内容が離れすぎない仕事にしようと決めた。

ところで、制作業は残業が多いのが前提である。ワーク・ライフ・バランスなんて言葉を口にするのもはばかられる。求人票でよく見るのは「残業月40時間」の文字。その数字に珍しさはないけれど、毎日2時間の居残りに付き合うつもりはない
さらに給与欄には「みなし残業代◯◯時間込」とあったりする。ここが40(時間)の会社も経験したけれど、忌まわしいばかりだ。

条件の優先順位は、職種>残業20時間以内>年収。
「残業はあったとしても20時間以内」と言い続けた。(無謀なこと言わないでくださいよ制作系なのに)と、彼らは呆れていただろうか?


書類通過はたったの2割

当初は応募に慎重になりすぎて、気になる企業にはとりあえず応募するようにエージェントから忠告されてしまった。書類選考を通過する目安は応募数の2割だという。一度振り落とした求人を掘り起こして応募したりした。

志望度が低い企業でも面接は受けるようにしていた。オフィスや面接官の雰囲気で印象が変わることもあったし、面接後に辞退しても遅くはない。応募職種とは別のポジションを提案されたときも話を聞きにいった。企業側も人材配置をさぐっていてこちらの希望やスキルを考慮してくれることもある。実はA社はこのパターンだった。
辞退するときも転職エージェントを利用していれば直接言いにくい申し出を代行してくれる。減らせるストレスはなるべく減らして選考に集中したほうがいい。

1ヶ月半でエントリーした企業は26社。書類審査通過は6社。そのすべての面接を受けた。書類選考通過の割合を計算してみたら23パーセントだった。

・ 化粧品メーカー(A社)/ウェブマーケター、ライター
・ 化粧品メーカー/コピーライター
・ 求人広告代理店/ライター
・ 制作プロダクション/カタログ編集
・ IT(キュレーションサイト運営)/ディレクター
・ IT(EC運営)/Web編集

転職に経験者が有利なのは当然のこと。書く仕事にこだわった結果「求めるスキルと経歴が一致しない」という理由で採用の“お見送り”が続いた。
転職市場でWebディレクターのニーズは高い。しかしマルチタスク能力のない自分には向かないので除外した。キュレーションサイト編集の求人も多かったけれど個人的に思うところがあり積極的には応募しなかった。事業内容に興味を持てない企業や、ベンチャー・スタートアップも避けた。


過去の病気。カウンセラーとの会話

志望度が高い企業へは提案書を持っていった。採用されたら何をどうやるかをまとめ、面接時に説明の時間をもらった(A社でもこれをやった)。

取扱製品を購入したり、アプリをインストールしたり、サービスサイトに会員登録して感想を書き出しておいた。無職期間のブランクには前向きな理由を用意し、志望動機に繋がる個人的なエピソードを考えた。自己紹介と志望動機は暗唱した。面接の最後には大抵「質問はありますか」と聞かれるので「理想の社員像を教えてください」と聞いた。

面接に足を運ぶこと8回。本来関係をゆっくり築くタイプなのに、短時間で気に入られようと頑張ってしまう。朗らかで感じのいい人間を演出している自分に醒める。一時間の面接でどっぷり疲れて、寄り道する気にもならず逃げるように家に帰った。

8月に入っても内定は出なかった。面接を受けた企業からも次々と不採用通知が届く。
……どうして。面接ではあんなに話が弾んだじゃないか?

2012年春、職場の対人関係と多忙が原因で双極性障害とパニック障害を発症した。好きだった仕事も辞めなければならなかった。それ以来2014年末まで社会復帰を目標にしたカウンセリングを受けた。

傷病手当と失業手当も受給し尽していよいよ社会復帰しなくてはならなくなった時、カウンセラーに時短勤務を勧められた。
できることならそうしたいですよ。でもひとりで生活できるぶんを稼がないと。
制作業の正社員ではなく、事務などの派遣社員にしたらどうかとも言われた。
これ以上制作の仕事を離れると正社員に戻るのが難しくなるんです。
段階的な、正しい社会復帰を勧めてくるカウンセラーに苛立った。

転職活動が思うように進まなくなるとその苛立ちを苦々しく思い出すようになった。
ほら。やっぱり難しいじゃないか……!


土壇場の内定

明らかに意欲が減退していく中、義務感だけで求人情報に目を通した。週明けは特にメールが多い。仕事をしていた平日は意識がオンになっているけれど、退職してからはメールを見る気になれなかった。メールボックスには「JOB」のラベルのついた未読メールがびっしり並んでいる。

心の声を無視して無理に自分を鼓舞したくはない。
だけど、今だけ、今だけは頑張ろう。そう思ってやってきた。

8月中旬の時点でこのままでは転職活動を続けられないと確信した。選考中はA社だけだったので、A社の内定が出なかったら一旦休んで仕切りなおすことを決めた
その数日後、A社内定の連絡がきた

ベッドに倒れこみ大の字になって「……終わったああ!」と口にしたら初めて身体の力が抜けた。嬉しい気持ちより、もうやらなくていいんだという安堵が勝った。


これからのわたしと仕事

内定は出た。だけどすべてがオッケーになったわけじゃない。
体調を崩して社会と距離をとったあの時から、「働く」を取り巻くいろいろに懐疑を持たずにいられない用心深い人になってしまった。書面上の希望条件を満たしていても、不幸な職場があるのを知ったから。働けば働くほど幸せから遠ざかっていった虚しさは一生忘れられない。

転職活動中は押しやっていた迷いが噴出した。

今こそ頑張らない選択をする時なんじゃないのか。
心の負担を増やしてまでやりたい仕事を選ぶのか。
平日を犠牲にする働き方があわないんじゃないか。
独身で子供もいない人はなんのために働くのだろう。

東京にとどまる意味、これからの人生。
幸せな働き方って?

働いてお金を稼ぐことは生活の根幹で、それがなければ日々が成立しない。だから自分にあった仕事や働き方を見つけたいし、したい。
答えはすぐに出なくても構わない。ただし流されないように。立ち止まって考えられる人でいよう。迷いのない人生なんて、自分らしくないのだし。


本日の1曲
なんでもないや/RADWIMPS


走る! 第46回 六無月東京喜多(北)マラソン 〜後編〜


走歴2年で初めてのハーフマラソンに挑戦。
後編は早くもリタイアが頭をよぎった7キロ地点からはじまりはじまり。(前編はこちら


歩くのは嫌。でも、リタイアするのはもっと嫌でした。このままでは完走できないと思い、歩くことを選びました。レースに出たからには、ハーフマラソンというひとつの単位を体感したかったのです。たとえ歩いてでも。
今思えば一番つらかったのはその序盤でした。ほどよい諦めが心を楽にさせたのでしょう、数百メートル歩くとまた走り出すことができました。

2.5キロおきにある給水所はとても混雑します。プラスティックのカップに入った水をもらうためには順番待ちをしなくてはなりません。待ちに待った水をごくりと飲んだあと、思わずウエアの中にも注ぎ込みました。もう一杯を太ももと頭に掛けました。冷たい水が身体を伝うのが気持ちよく、身体の奥から息が漏れます。この日は、“次の冷たい水” を目指して走っていたようなものです。給水所では身体に水を掛け続けました。

コース上の10キロ表示の少し手前でiPhoneからも10キロ到達のアナウンスが聞こえました。ペースを把握できるように、練習と同じくNIKE+GPSアプリを起動させたiPhoneを腕につけて走っていたのです。

スタートしたゲートを再びくぐれば後半戦に突入。このゲートはゴール地点でもあるので、行く先で折り返し、ここに戻ればゴールです。この時は終わりが見えてほっとしたものの、折り返し地点は想像以上に遠くにありました。ハーフマラソンの決して短くはない距離を知るのは、ここからです。

河川敷から土手への坂を上がると道幅の狭い土手が現れ、ランナーの列が遠くまで続いていました。この先にあるはずの折り返し地点はまだ見えません。
この辺りまでくると歩いているランナーも多くなります。後方から男性の「あんなとこまで行くのかよぉ」と嘆く声も聞こえます。一方、すぐ右側を軽快な走りのランナー達がすれ違っていきます。彼らはまだ見ぬ折り返し地点を通過してきたはずです。(一体何キロ先を走っているのだ?)折り返しが、どうか少しでも手前にありますように!

眼下の河川敷にはバーベキューを楽しむグループが点在し、笑い声や、肉やタレの臭いが風に乗ってやってきます。天気のいい日曜にバーベキューを楽しむ選択肢もあったのに、わざわざ走ることを選んでしまったのです。

やっと辿り着いた折り返し地点で赤いコーンを半周し、14キロ地点に到達しました。これまで走ったことのない距離に突入したのを知ると静かな興奮を感じました。残すは7キロ。もう大丈夫だと思いました。

終盤に向けて気を引き締め直したその頃、シューズの中で足が滑りはじめました。給水所で水を掛け続けたつけが回ってきたのです。マラソンでは、全てが万全であることが難しいのでしょう。足元からべちゃべちゃと音がし、水たまりに浸かったあとのような不快感が襲います。

再び河川敷に下りると、行く手にゴール手前の橋を確認することができました。早く辿り着きたい気持ちはあるのに思うように脚があがりません。靴底と地面が擦れ、ざっざっと鈍い音がします。たまらず歩き出したものの、これではつらい時間が延びるだけ。重くなった身体をゴールに運びたい一心でまた走り始めました。コース上では半分以上が歩いていたので、ここからは抜かれることはほとんどありませんでした。

つらい時は遠くばかりを見ずに、足元を見るようにします。人が走ったくらいで景色は簡単に流れていきませんが、つま先を見れば前に進んでいることを実感できるからです。前進を目で見て確かめながらの終盤戦です。

それまで、コース上にはランナーの荒い息づかいが充満していました。それが徐々に人々の喧騒にかわり、沿道にレースを終えたランナーの姿が見えてきました。残り数十メートルを出せる全力で走ります。最後は計測マットをとん! と踏みしめて、ゴール。その瞬間は思わず両手が上がりました。

靴下を脱ぐと足の裏が白くふやけて所々皮がめくれていました。この先にあるフルマラソンを思えば、この距離を長すぎるとは思いません。でも、頭で考えるよりもずっと、最後まで歩かないことは簡単ではありませんでした。速いランナーより、最後まで走り続けられるランナーに。新たな指標が生まれた経験でした。


大 会 名 :第46回 六無月東京喜多(北)マラソン
開 催 日 時 :2011年6月5日(日)
種   目 :ハーフマラソン
公 式 記 録 :2時間32分48秒
ネットタイム:2時間31分22秒
種 目 順 位 :210位/エントリー440人中

本日の1曲
youtube
Sugarless GiRL / capsule

「走る時はなんだかんだ言ってcapsuleがいいんだヨ。」
という(数少ない)ランニング仲間の捨てゼリフがきっかけで購入。
レース当日、終盤はこの曲を口ずさむほどの妙なテンションに。



走る! 第46回 六無月東京喜多(北)マラソン 〜前編〜


ラジオ体操連盟が主催する大会だけあって、スタート前には全員でラジオ体操をする。
しかも第2までやる。


先週の日曜日に行われた東京喜多(北)マラソン大会で、初めてのハーフマラソンに挑みました。フルマラソンの半分とはいえ、その距離21.0975キロメートル。新宿駅からならディズニーランドまで行ける距離です。練習ではだいたい10〜12キロを走りますが、走り終えたあとはいつも(もうこれ以上無理だ)と強く思うのです。

しかしその一方、本格的な夏を迎える前にハーフマラソンを走ることは「計画どおり」でした。2011年をフルマラソン完走の年にするための計画です。まず10キロとハーフの2つのレースを経験しなくてはならないと思っていました。

そして3月に10キロレースに出場しました。10キロは練習で走る距離なので距離への達成感はありませんでしたが、大勢で走るレースの雰囲気を初めて味わいました。
計画どおりにいけば、次はハーフマラソンへのエントリーでしょう。しかし実は、このレースの前からトレーニングをさぼり始め、戦意喪失期に突入していました。大会情報を見てもエントリーしたいと思えなくなってしまったのです。

そんな状態の中、4月に迎えた中途入社。4年務めた会社を辞め、ランニング関連の職につきました。ランニング関連事業を展開しているだけあって、走ることも仕事のうち、社員の多くはランナーです。記録にこだわらないファンランナーもいれば、サブスリーを軽々と達成するエリートランナーもいます。
そして、入社日に渡された “入社後三ヶ月以内に達成しなくてはならない項目” のシートの中には、当然のように「大会参加」が含まれていました。

マラソンは夏が近づくにつれて大会の数が減っていきます。これもひとつのきっかけ。6月が終わるまでに出られるハーフマラソンを探し、東京喜多(北)マラソンにエントリーしました。大会名も知っていたし、会場が都内開催なのもうってつけでした。その気軽さに油断して、練習らしい練習をせずに当日を迎えたのです。

例年より随分早い梅雨入りで雨続きだった東京。しかし大会当日は晴天で気温も上昇。それでも夏場に比べたら大丈夫だろうと、なんの暑さ対策もせずに会場の荒川河川敷に着いたものの、周りにいるランナーを見て今更心許なくなってきました。ランナー達はキャップやサングラスを凛々しく装着し、初夏のレースにふさわしい身なりをしていたからです。

9時30分。まずはフルマラソンの部がスタート。ハーフマラソンはその15分後にスタートします。トイレの列に並びながらスタート地点を伺うと、スタートゲートをくぐるランナー達の上下する頭が見えました。フルマラソンに挑む実力と勇気を持った、色とりどりの頭。全員がエリートのように思えて、背伸びをしながらその光景を眺めていました。

スタート時刻が近づきストレッチをしながら列に並びます。日差しにさらされた身体がじわじわと熱くなっていきます。スタートの合図のあと、蛇行して続く列を進み約2分かかってスタートゲートをくぐりました。

後方のスタートだったため、周りには友人同士で会話しながら走るランナーもいます。蹴り出す脚が前のランナーにぶつかりそうです。スペースを探しながら、スピードがあがりすぎないように走ります。最初の5キロは練習と同じキロ6分ペースを守れました。

しかし練習と違ったのはその暑さでした。
なにしろ日陰がない河川敷を走り続けるわけですから体力がみるみる消耗していきます。そして7キロを過ぎたあたりで早くも失速し、リタイアか? 歩くか? を考えはじめました。

(後編へ続きます)


修理に憧れて


▼ 修理データ
持込店舗:クラチカ渋谷店/修理内容:両ハンドル、フチ部分の革交換/
修理費用:6,600円/修理期間:約3週間


父親が会社から帰ってくると、いつも鍵の揺れる音がした。父親のキーケースは革製で、中に5つくらいの鍵がつけられる金具がついていた。子供の頃から父親は同じキーケースを使い続けていた。今でもまだ使っていると思う。

中学生くらいになり、ルイ・ヴィトンというブランドを知った。そして、父親のキーケースも同じ柄をしていることに気がついた。当時はブランドもののバッグや赤い口紅がトレンディーだった。どうして大人はみんな同じような柄のバッグを持つのだろう? 自分の父親まで。

父親は20代の時にそのキーケースを買ったらしかった。当時の父親は40代半ばだったので、計算すると『父親の20代』といえば、『ひと昔前』だった。父親は、そのキーケースを何度か修理に出したことがあると言った。そう言われてあらためて観察すると、縫い目には所々細かなほつれがあった。でも革は艶やかで柔らかく手に馴染み、金具は金色に光っていた。

ブランドというものを見る目が変わった日だった。それは(多分父親が思っているよりもずっと)自分を驚かせた。そして、父親のようにものを修理して長く使うことに憧れるようになった。

大学生の時、おばあちゃんに買ってもらったヌメ革のトートバッグは、お気に入りの鞄だった。雨風も気にせず、特別な手入れもせずに使い倒し、ほつれや革のひび割れがひどくなっていつしか使わなくなった。

あの大きさなら、弁当箱や水筒も楽に入るな。底についたジッパーを開ければ、簡単に容量が増えるところも使い勝手がいいぞ。ジム通いの日にはTシャツも入りそうだし。
理想の鞄を考えれば、結局その鞄に行き着いてしまう。

だから、長い間しまったままになっていたトートバッグを引っ張りだした。まずは直営店に電話をして、店舗に鞄を持ち込む。修理品は職人の元へ送られ、一週間後に見積りの電話連絡がきた。それからまた二週間で修理は完了した。

ハンドルとフチの真新しい革は、ハリがあって若々しい。肩への掛け心地や鞄の重みも懐かしく感じる。
とうとう20代でルイ・ヴィトンを持つことはなかったけれど、(ルイ・ヴィトンではないにしろ)、直してまで使いたいと思わせる鞄に出会って、修理ができたことは少し特別な出来事だった。


本日の1曲
Doin’ It / Wagner Love
youtube


ラ・ジュルネのおいしいお皿



上:ベトナム肉のせご飯 1,050円
下:本日の鎌倉野菜のナムル丼 1,000円


鎌倉駅から10分ほど歩いたところにカフェレストラン、ラ・ジュルネがある。今、鎌倉在住の友人コスモ氏が個展を開催しているので、久し振りに鎌倉に行くことにした。もらったメールを頼りに商店街を進み、通りで合流してラ・ジュルネへ行く。

鮮やかな青のペンキ塗りの扉がかわいらしいお店。店内には自然の形そのままの木のテーブルが壁から2つ伸び、カラフルな藤のスツールが並んでいる。左手にはカウンターがあって、その先に厨房がある。カウンターと厨房は天井まで伸びた木製の棚で仕切られている。棚には調味料やワインボトルがぎっしり並び、カウンターは野菜や下ごしらえ中の食材で埋まっていた。

15人も入れば満席になりそうな店内は、厨房から全ての客に目が届きそうな広さ。奥のテーブルには若い女性客が一人。手前のテーブルの入り口に一番近い席に座った。しばらくして常連らしき青年がやってきた。

メニューには写真がないので、友人おすすめのベトナム肉のせごはんとナムル丼を注文。
しばらくして運ばれて来た大きな皿にはバジルなどのハーブと野菜が山盛り。友人氏が慣れた手つきでスプーンとフォークでざくざくと混ぜると中に牛肉とご飯が見える。(ここでようやくこれがサラダではなく、ベトナム肉のせご飯であることを理解)

近隣で採れた鎌倉野菜を使っているそうで、新鮮で種類が豊富。野菜にもオイルが馴染んで生の野菜もぱくぱくと食べられる。塩とオイルのシンプルな味付けがとても美味しい。

続いて運ばれて来たナムル丼にさらに頬が緩んでしまう。鮮やかな色と素敵な盛り付けにときめきすら感じる料理。それなのに、食べて欲しいものを盛り付けているうちになんかきれいに出来ちゃったワという感じが伝わってくる。

ラ・ジュルネは女性オーナーが一人で料理を作る店。友人も時々お店を手伝っているというので、オーナーの綾さんを紹介してもらった。今はロハスやマクロビオティックの特集で取材を受けることも多いようだけれど、もう14年もここで営業しているとのこと。美しい盛り付けと料理のレシピは全て独学、オリジナルで料理も詳細なレシピを記録せず、味付けは目分量というチャーミングさ。

ラ・ジュルネの料理は本当に美味しかった。たくさんの野菜を頬張りながら、その美味しさがなんなのかとさぐり、感嘆しながら食べていた。そして気がつくと皿は空になっていた。野菜たっぷりなので、胃が重くならず心地良く満腹になれる料理なのだ。

食べることは毎日のお楽しみ。せっかくカメラを持ち歩いていることだし、料理を美味しそうに撮ることができたらこの先も楽しめそうな気がする。だから撮りたいと思わせる素敵な料理に出会いたい。
この日も最初から写真を撮るつもりでいた。順光になる位置に座り、配膳の前にテーブルに置いた荷物を退けておく。すると想像以上に美しい料理があらわれて、ちょっと忘れられないほど美味しかった。二品で店を出たのが惜しいほどで、もっと他のメニューも見てみたいと思わせた。

綾さんの『いろんな作品でお店の雰囲気を変えたい』という意向で、ラ・ジュルネではアーティストの作品展示も積極的に受け入れている。この日も若い女性がフライヤーを持ってお店を訪れていた。作品展示をしたアーティストとそれを観に来た友人達も、ラ・ジュルネの美しくて美味しい料理に魅了されてしまうかもしれない。まるで私たちのように。


本日の1曲
Hey Mama / Black Eyed Peas
youtube

穏やかで気さくな綾さんも実はラテンのりらしい。


La Journée(ラ・ジュルネ)

神奈川県鎌倉市由比ガ浜3-9-47 中丸ビル1F 【Google maps
TEL&FAX 0467-23-6731
11:00-21:00(週末は22:00頃迄)TELにてお問い合せ下さい。定休日は、<今月のお休み>をご覧下さい。

最寄り駅は、江ノ島電鉄線の由比ガ浜駅で徒歩約3分。和田塚駅からも4分程度。鎌倉駅からはゆっくり歩いて15分程です。

鎌倉観光の際には少し足を伸ばしてお立ち寄りください!
ブログではオーナー綾さんのおいしいまかない飯が見られます。
http://lajournee.exblog.jp/


shoko akiyama silk-screen exhibition
[ dreamin’ dreamin’ ] in japan

コスモ氏こと、秋山祥子の個展情報はこちら。
http://www.momocosmos.com/
鎌倉ラ・ジュルネ開催は2010年1月11日までです。

2009年の上海開催を皮切りに、国内各地を回ります。
念願の個展開催に本人も気合十分。お近くの方はぜひお越しください!


【 鎌倉 in Kanagawa|La journee (ラ・ジュルネ)】
2009.12/12 sat 〜 12/25 fri vol.1 / chiristmas version
2009.12/26 sat 〜 2010.1/11 mon vol.2 / new year version
[open]12:00〜23:00(L.O.22:00) [close] 不定休
神奈川県鎌倉市由比ガ浜3-9-47中丸ビル1F tel. 0467-23-6731
http://lajournee.exblog.jp/ ※定休日は、<今月のお休み>をご覧下さい。
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【 広島 in Hiroshima|Plaisir (プレジール)】
2010.3/14 sun 〜 3/21 sun
[open]18:00〜翌3:00(LO/food2:00・drink2:30)[close]月曜日
広島県広島市中区袋町4-1産業ビル2F tel. 082-248-8866
http://www.syougeki.jp/syoukai/plaisir/index.shtml
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【 菊川 in Shizuoka|菊川赤レンガ倉庫 】
2010.4/11 sun 〜 4/18 sun
[open]11:00〜19:00
静岡県菊川市堀之内2丁目201 tel.0537-35-2876
http://ikiiki2008.hamazo.tv/
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【 藤枝 in Shizuoka|アートカゲヤマ 】
2010.4/19 mon 〜 4/25 sun
[open]10:00〜19:00
静岡県藤枝市小石川町4-10-28 tel. 054-641-5850
http://blog.livedoor.jp/artkageyama/


高円寺の冬のアルバム



たとえば缶ジュースが飲みたくなってマンションの階段を降りて自動販売機に行くと、そのまま近所を散歩したくなることがある。それにしても部屋着のままだし、と部屋に戻れば、もう外に出るのが面倒になってしまう。いつもそんな調子なので、近所の景色はなんとなく見ることがない。

東京では形の整った街路樹を見るばかりで、ぼうぼうと茂り放題の樹木を目にする機会はほとんど無い。ここでは地滑りの心配も無いし、水はけが悪くて何日も乾かない泥のたまりに顔をしかめることも無い。行儀良く植わった植物を見ると、シュミレーションゲームでマス目に植えられた木を見ているような気持ちになる。植え込みのツツジは1マスから。4マスあったらケヤキの木。

その日、スーパーでの買い物のあとふらっと神社の境内に入ってみた。朝晩通りかかる神社なのに、境内に入ったことは数回しかない。我が家に遊びに来る友人達と、『こんなところに神社があるんだ。』『そうなんだよ。』というやりとりの元、何度か見学した気がする。

神社のすぐ前は車道になっていて、雨が降れば無数の銀杏の葉がコンクリの地面にぺったりと張り付き、翌日になれば乾燥した落ち葉が押し花のように路面に定着している。そう。毎日見るのは足元の落ち葉だった。だから休日の午後に鳥居の近くの大きな木をしげしげと見上げてみた。シリアルやらキャベツやらの入ったレジ袋を下げて。



12月の銀杏の木は大方の葉を落とし終えたみたいだった。遠目にもわかる先端の乾燥した枝の有様と、薄水色の空は紛れもない冬の景色で、こんなに近くにそんな景色があることに今更驚いた。そしてその時、どうしようもなく自分が時代遅れな人に思えてきた。

こんなところに佇んでいるのは自分だけではないのか。皆はもう違う場所に行ってしまったのではないか。自分が都会の景色の郷愁に浸っている間に暖かな安らぎを手に入れたのではないか。そんな風に思えて少し寂しくなった。

銀杏の木を見上げたまま体を反らせると冬の薄い水色の空が見える。ついでに更に更にふんぞりかえると、枝や白いマンションの外壁がカメラの四角い液晶画面に覆いかぶさってきた。

冬らしい空を目の当たりにし、東京には空が無いという有名なフレーズを闇雲に信じすぎていたのかもしれないと思った。この神社は狭いけれど、その印象の良し悪しに関わらずここにはここの空があって、冬の景色があって、自分はあの詩作の主人公ではないのだ。もっと色んな東京を見たいと思った休日だった。


本日の1曲
BYRD / EGO-WRAPPIN’


今年バージョンの人

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先日の産経新聞に今年の『ネット発ヒット商品番付』が掲載されていた。新語流行語大賞のノミネートより “ネット発” だからかピンとくるものが多くて嬉しい。

さて。この新聞記事の見出しそのままに、今年は「アイフォーンでツイッター」を始めてしまった。ゴールデンウィークの暇つぶしになりそうだからと購入したiPhoneも、今では通話以外の用途に使うことが圧倒的に多い。この番付記事はiPhoneの産経新聞アプリで見つけたし、エントリーはメモアプリのAwesome Noteで下書きをした(している)。iPhoneは、便利で楽しくて驚きをくれる。今では手放せないものになった。

iPhoneはTwitterやTumblerなど新参のwebサービスとも親和性が高い。専用アプリを使えば操作も簡単。昨年の夏にTwitterアカウントをとった時も、その時点でiPhoneユーザーだったら飽きることもなくハマっていたかもしれない。


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左から Echofon for Twitter(無料):アプリ起動後に1タッチで入力画面に遷移できるTwitter専用アプリ。産経新聞(無料):毎朝5時に更新。当日の新聞が読めてしまう人気のアプリ。拡大すれば活字もくっきりと表示できる。今年、暇つぶしに気軽に新聞を閲覧する人になろうとは。Awesome Note/現在はAwesome Note +Todoとして販売(450円):エントリーの下書きに欠かせないので起動回数が最も多いアプリ。書いたメモをgoogleドキュメントにエクスポートできるのが大変便利。(販売価格は2009年12月時点)

個人的に、今年はWebサービスをシンプルに使うことを覚えた年だったように思う。mixiはRSSリーダーとして使い、Twitterはブログに最新のつぶやきを掲載するために使う。Tumblerでは自分宛のメールに添付された写真をアップしてコレクション。日々、インターネットという無限のストレージにデータを放っているような感覚がある。

番付に乗るほど流行ったとは知らなかったけれど、意外とカロリーが低い(110kcal)『ドロリッチ』にもハマったし、『皆既日食』のテレビ中継では、この日のために超高額なレンズを新調したハイアマチュアのカメラマンに感嘆した。当初友人氏のブログで語られていた『森ガール』をしばらく間違えて「山ガール」と言っていてやんわり指摘されて恥ずかしかった。(フジロックや富士登山をアクティブに楽しむ女子はきっと「山ガール」だ)

去年は知らなかった名称の商品やサービスが、その年を象徴するトピックを作っていく。来年も今はまだ知らないサービスや商品がリリースされ、それが流行するのだろう。それが繰り返される。毎年、毎年。

iPhoneでTwitterをし、(“なう” ってなに?)と首を傾げながらドロリッチを飲む。サンシャイン牧場のアプリ招待状を受け取り、割れチョコってお店の人が割ってるんだろうなと疑念を持つ。流行に敏感でないつもりでいても、しっかり今年バージョンの人になっていた。


本日の1曲
Sundance / EGO-WRAPPIN’


似顔で楽しいインターネット

アイコン【 あいこん 】
1. 《物事を絵で簡単にあらわそうとするもの。コンピュータにおけるアイコンはプログラムの内容を図や絵にして分かりやすくしているもの。》
2. 《インターネット上で個人のアカウントに設定される画像。》

毎日利用するものだけでも、mixi、 Skype、twitter。Webサービスを利用する時、IDやらパスワードに加えアイコン画像(プロフィール画像)を登録するのが定番になりつつある。仕事用、プライベート用、と複数のアカウントを持っているものもあるので、それぞれのアイコンは日常的に目にするものになる。

そして、気がついたらそれぞれのアイコン画像はばらばらになっていた。画像を気分で変更したり、サービスごとに切り替えるのも良いけれど、本当は全てのウェブサービスに同じアイコンで登録したいと思っていた。毎日目にする “自分の” アカウント。たとえサービスをまたいでも、発言や興味の方向はまぎれもない自分のものだから。

ある時イーゴン氏は走る格好の形態を使ってキャラクターを作り始めた。そしてほどなくして『イーゴン自治区』のトップページにイーゴン氏自身のアイコンが登場した。ベースはそのままなのに、髪型を変え、ボーダーシャツを着せてメガネを描き足すと、思わず『あなたにしか見えないよ、これ。』と言ってしまうほど本人らしく見えた。

そんな風に羨ましがっていると、イーゴン氏がアイコンをプレゼントしてくれた。粋なはからいでこの夏永眠した愛猫、ハクのアイコンも!

自治区民ニガオ、はじまる。

自分のアイコンが欲しくなった方へ。イーゴン氏にアイコン画像をオーダーしませんか?

似顔【 ニガオ 】
1. 《「似顔絵」の略。》
藤子不二雄Aの漫画作品『まんが道』の中で気弱な主人公 満賀道雄(まが・みちお)が教諭の似顔を描き、それが見事に特徴をとらえていたためクラス中の喝采を浴びるシーンがある。



イーゴン自治区で『自治区民ニガオ』というお楽しみ企画が始まりました。

今ならイーゴン氏が無料であなたのニガオを作成してくれます。ちなみに上の7名1匹は実際にオーダーを受けて制作したもの。特徴をうまく捕らえていて上手い!

イーゴン氏と直接知り合いでない方でもオーダーが可能なので、「ラーメンが好きだからラーメン丼を頭にかぶりたい!」など、あなたのパーソナリティを現すようなオーダーをしてみてください。あなたのアイデアできっと素敵なニガオが完成するでしょう。

『自治区ニガオ』のオーダーは、mixiのイーゴン自治区公認コミュニティで受け付けてくれるそうです。ソーシャルネットワークのアイコンのほか、ブログのプロフィール画像なんかにも使えます。まずは気軽に「ニュータウン計画」トピックをのぞいてみてくださいね。
● mixi 「ニュータウン計画」トピック mixiアカウントが必要です)


本日の1曲
ワンダーフォーゲル / くるり
youtube


ある雨の日の僕の話。


まったく嫌になっちゃうことが起こったら、みんなはどうしてるんだろうね。
シートの破けたソファーにうずくまったり、薄ら寒いテレビショウを見て時間を潰してるとそんなことがやけに気になってくる。

でも残念なことに、この質問に気の効いた答えを返してくれそうな奴はいないな。少なくとも僕の周りにはね。だからもし誰かに聞いたとしても特効薬にはならない。こんな言い方って冷たすぎるかもしれないけどさ。

人ってのは自分のことで忙しいらしい。もっともらしくため息をついたり、退屈だと嘆いてみたり、死んだ哲学者が書いた本を読んだりさ。言うまでもないけど、奴らは僕なんかより余程順調に生活してる。そんなのってなんかまいっちゃうよね。深刻ぶってるやつほど頭の中は空っぽなんだ。

僕はいつだって、ある一定のレベルで、そういう浅はかで気の効かない連中にうんざりしてる訳なんだけど、時々は世の中も捨てたもんじゃない、って気分になることもある。そんな時にはこうも思う。僕に起こったことは単なる運の悪いアクシデントだ。気を滅入らせるほどでもない「とるに足らないことなんだ」ってさ。

でも、とにかく、僕は今ちょっとシリアスな問題でまいってるんだ。さっきも言ったけど、まったく嫌になっちゃうことだよ。こんなことがこれからの僕の人生で何回もやってくるかと思うとほとんど狂いそうになる。こうなっちまう前に僕が冗談を言って誰かを笑わせたことがあるなんて今じゃ奇跡みたいに思えるね。

とりあえず、この喫茶店を出てからが問題だ。雨も強くなってきたし、僕には明日の楽しみがこれっぽちもないんだから。

(注:筆者は『The Catcher in the Rye』に感化され、ホールデン口調になっています)


本日の1曲
Where Is My Mind??? / Pixies
youtube

1999年、ナンバーガールが “Wave Of Mutilation” をコピー。
それをきっかけに聴き始めたPixiesは、ボストン出身のオルタナティブ・バンド。
哀しげなコーラスが美しい “Where Is My Mind???” は特に好きな一曲。
映画『ファイトクラブ』のテーマソングとしてもよく知られているらしい。


>>関連エントリー >>
2006/06/28 『J.D.サリンジャー 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』
2006/06/21 『退屈なだけの僕の話。


デイ・バイ・デイ文庫


Photobackというサービスを利用して『デイ・バイ・デイ』を文庫本にしてみた。

このサービスを知ったその日のうちにユーザ登録して編集を開始した。以前からブログを製本してみたい気持ちはあり、いくつかの製本サービスを試したことがある。でも編集しているうちに(なんか違うな)と思ってなかなか注文にまで至らない。

Photobackは、シンプルで内容を邪魔しないデザインであるところが良かった。
専用ソフトをダウンロードすることもなく、オンラインで編集出来るからデスクトップに編集データが溢れ返ることもない。ブログを更新するような感覚で編集できるし、編集が終わったら管理画面からそのまま注文できる。(トンボをつけた画像データを手にキンコーズに駆け込む必要もないのだ)

ラインナップに馴染みのある文庫本サイズがあったことも気にいった理由のひとつ。写真枠の有無や使用するフォントも選べて、ブログの雰囲気に合わせてカスタマイズできるのが楽しい。

『デイ・バイ・デイ』開設から4月末までの約300エントリーの中から記事を選ぶ。72ページのほとんどを同じレイアウトにし、数枚の写真を見開きで配置することにした。


画像のリンク先でページを拡大して見ることができます

プレビュー画面も出来上がりをイメージしやすいので、楽しみながら編集作業が進む。(製本しなくてもサービスが成り立つんじゃないかと思わせるくらいだ)
一週間ほど試行錯誤したあと、まずは一冊注文してみた。

さあ、注文してからは到着が楽しみで仕方ない。注文後一週間後に発送完了のメールが来て、先週の日曜にメール便でポストに届いた。部屋着にサンダルで階段を駆け上がり、さっそく開封すると帯まで付いた文庫本が現れた。

印刷物への憧れは幼い頃からあった。小学生の日記でもワープロで打ち直すとなんだか立派な散文に見えたし、美しい書体が手に入るのが嬉しくて中学生の頃は美術教材のレタリング辞典をトレースして遊んでいたものだ。

出来上がった文庫本のページをめくりながら、「本の体裁をしていること」や「印刷された活字への憧れ」は今も変わっていないのだなと実感する。これからは一定の期間が経ったら本にまとめるのもいいかもしれない。新しいブログの楽しみ方を、また見つけてしまった気がする。


本日の1曲
Just Go On / Asparagus

長きに渡ってiPod再生回数ベスト3にランクインしていた「Just Go On」。
曲中で “day by day〜” という気持ちのよいコーラスが登場します。
これぞ『デイ・バイ・デイ』の隠れテーマソング! (と勝手に認定)


【番外コラム】いつか本を作るかもしれない人に、の話。

印刷の関係上、Photobackでは大きなサイズの画像が必要になります。
文庫サイズでも見開き前面に写真を配置する場合には、
2386ピクセル×1559ピクセルの画像サイズが推奨されています。
→《BUNKOで使用する画像について》

いつか書籍化するかもしれない人は、普段からできるだけ大きいサイズで
画像を保存しておきましょう。
実は、ブログで使うことだけを考えて「程良いサイズ」で撮影していたので、
ここでちょっと苦労しました。これからは贅沢なサイズで!