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WWWの網の上

かつてポータルサイトの存在すら知らなかった自分も、今ではインターネットヘヴィーユーザーである。必要な情報を収集し、ネットバンクで預金を管理し、週に何回かはネットショッピングをし、blogも立ち上げた。

すべてが悪い側面で語られるべきではない。
今はそんな発言も不毛であるほどにインターネットは我々の生活に根付いているが、当時は急速な普及の最中にあった為にその賛否は充分な話題になった。ヒューマニズムの欠落と匿名性の恐怖。情報の流出と不法サイトの数々などが。

自宅のMacintoshをインターネットに接続したのは大学3年生の時だった。23時から8時までは繋ぎっぱなしの状態でも月額を超えることはないNTTのテレホーダイに加入していた。自宅に電話がかかってくるとブツッと回線が切れたことすら懐かしい。当時はプロバイダの基本料金も高く、常時接続は大学生には夢のような話だった。
23時を待ってインターネットに接続した。そして目の前に突然開けたその世界に夢中になった。オンラインゲームやチャットに参加してみた。そこに集まった何百人という面々の多くは翌朝8時になると画面からいなくなった。

そのうちインターネット上で友達が出来始めた。友達が友達を紹介し、気の合う仲間が徐々に集まっていった。全国各地、暮らす環境は様々だった。聞くと皆がほとんど同世代だった。
そして毎晩のように「会う」ようになった。もっとも実際に会ったことは無かったが、1年ほど顔を合わせているうちにひとりひとりの性格も把握できるようになっていた。

理工学部の大学院生の彼は研究の手を休めてはチャットに現れた。
>>この実験、朝までかかりそうだ・・・。
区役所に勤めていた彼は毎日決まった時間に現れ同じ時間に去っていった。
>>外国人の取材に行ったんやけど、だーれも英語話せへんで困ったでー。
お姉さん的存在の彼女は彼氏とのデートのエピソードを教えてくれた。
>>バスローブのまま廊下に出たら鍵締まっちゃってさあ!

今まで接点の無かった人と話をするのは楽しかった。彼等にもそれぞれの生活があり、彼等にも話したいことはたくさんあった。モデムから伸びる黒く細い一本の線が自分と仲間を繋いでいた。

無論モニタの向こうにいる相手の表情を知ることは出来ないし、文字だけで感情のニュアンスを伝えるのはテクニックがいる。時にはうまく伝わらないこともある。キーボードを操作するだけの会話で嘘をつくことだって容易い。しかし我々は互いに嘘をついていたか?
例え姿は見えなくても彼等の言葉からはいつも人間を感じることが出来た。毎晩アクセスする度に必ず誰かがそこにいた。当時の自分にとっては最も「身近な」友人達がそこにいた。

森田芳光監督の『(ハル)』という作品がある。
1996年の公開当時はまだパソコン通信の時代だ。どこか空虚な生活を送る若者同士が映画フォーラムで出会う。通信を重ねる度に互いの人間を理解し始め、自分以外の人間の人生を考える。そして生活の隙間にその存在が徐々に入り込んでゆく。
独特のカメラワークや、字幕使いなどのちょっとした遊び心もストーリーを一層魅力的なものにしている。人間同意の繋がりがどれ程尊いものか思い知らされる素晴らしい映画だ。

たとえ姿は見えなくても、その繋がりはとても尊い。今では疎遠になった友人達のことを考える時、WWWの網の上で出会った彼等のことを思い出す。


本日の1曲
Hold Me / Weezer



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(ハル)
(ハル)

1996年・日本・118分
監督:森田芳光
出演:深津絵里 内野聖陽 ほか

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