教室は墨汁のかおり

交差点を渡り、ひっそりとポルノ映画を上映する映画館を過ぎ、民家の裏口へまわる。自宅から歩いて5分の道程を四角いバックを下げて通った。幼馴染みに誘われて習字教室に通い出したのは確か小学2年生の時であった。

教室は一軒家の離れにあり、先生の自宅と廊下で繋がっていた。先生が自宅に引っ込んでいる隙に、生徒達はゴミ箱をひっくり返し、丸めて捨てられた半紙を投げ合って遊んだ。

教室の隣では体格のいい先生の奥さんが洋装店をしていた。店には近所のおばさんがひっきりなしにやってきて世間話をしていった。教室に居ても大きな笑い声が聞こえた。その頃の商店街にはまだ活気があった。

机が並べられた教室には墨の匂いが漂い、畳や壁は墨汁のしみや控えめな落書きに覆われていた。その日の稽古が終わると飛び石を踏んで洗い場に行く。墨の色で灰色に変色したレモン型の石けんが蛇口にぶら下がっている。筆とすずりを丁寧に洗い、半紙で水気を取り道具箱にしまう。

先生は当時60歳くらいだった。浅黒い顔に白髪まじりの硬そうな髪。深い皺のある顔に黒淵の分厚い眼鏡をかけていた。自分の言ったことに自分で笑い、いつも変な柄のチョッキを着ていた。半紙や墨汁を買ったおつりを渡す時、いつも〜万円という単位をつけた。

生徒の後ろにまわって手を取り、一緒に筆を動かす。前列の生徒の指導の時は先生の尻が目の前にきて、集中力が途切れた。皆で先生をからかっては遊んだが怒られたことは一度も無い。つまらないギャグを言っては、一層子供達に遊ばれていた。

小学校を卒業すると同時に習字はやめてしまった。馴染みの薄い行書に不安を感じたせいもあるが、目先の中学校生活を楽しむ方が優先だったのだろう。

数年前に、先生が亡くなったと聞いた。区画整理がされ、やけにすっきりしてしまった大津通りにもう教室はない。いくつかした習い事の中で、一番長続きしたのは習字だった。先生はいつまでもひょうきんな先生のままで、奥さんはいつまでも高らかに笑っている。


本日の1曲
リバー / くるり


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