2016年の転職活動まとめ



はじめに。これまでの仕事のこととか

77年生まれは就職氷河期世代にあたる。とは言っても、ちゃんと準備をしていた大学のクラスメイトたちは内定を獲得していたから、新卒で就職しなかったのは世代のせいではない。就職活動にまるで興味を持てなかったのだ。皆の熱い話にもついていけなかった。

卒業後は学生の頃に始めた派遣の仕事を続けた。制作会社に転職し2社で正社員をやった。転職に手こずることもなく内定はすぐに出た。ブランクも作らず、退職日の翌日には新しい職場で自己紹介していた。
その後思いがけない休職と失業を経て2014年9月に非正規雇用で働き出したその契約が今年(2016年)7月で終了し、10月から新しい会社(ブログではA社と書いています)で働くことになった。

今回の転職活動は苦戦した。内定が出たのは1社だけ。ほとんど書面だけで他人にジャッジされ続けるとは、なんてタフなイベントなんだ。新卒でやらなかったシューカツを15年後にやったのだ。あの時のクラスメイトたちも同じように一喜一憂していただろうか?

心を揺すりながら過ごした日々の記憶もやがて薄れる。時間のある今のうちに転職活動のあれこれを書いておくことにした。


もう一度正社員を目指してみる

非正規雇用で働いた1年10ヶ月間を振り返ると、会社に束縛されない気楽な面もあったけれど、関われる業務が限られていたり評価制度がなかったりしてやりがいに欠けた。年収だって正社員に比べれば何ランクか落ちる。企業の都合で一方的に契約終了する非正規雇用のもろさも思い知った。

来年5月には40歳になる。いわゆるヒラ社員経験しかなく、管理職を希望しない人が40代に突入したら正社員への転職は厳しくなりそうだ。実際は数ヶ月の差でも39と40では書類の印象が随分違う。30代で転職できる今のうちにもう一度正社員を目指そうと思った

ところで、同世代の皆はどのように転職しているのだろう?

この歳になれば同業者に知り合いも増え、知人を介してスマートに転職する人もいるだろう。社会人の暗黙のルールなのか、たまたまなのかはわからないけれど、転職の経緯を同僚たちと話したことはほとんどない。

もし同じ疑問、―皆はどのように転職しているのか―を持つ人がいるのなら、今の自分だってひとつの答えではある。それなら転職活動のいろいろをブログ(今のブログ、「デイ・バイ・デイ」のほう)に書いてみようと思った。
書き始めたはいいが内定が出ず恥をかくだけになるかもしれない。大企業への華麗な転身もなさそうだし、職探しをやめて実家に逃げ帰るかもしれない。まあ、それも含めてひとつのケースにはなる。

転職活動中は気が休まらなくて、退職して時間ができても友人に会わなかった。ブログは友人への現状報告も兼ねていた。もちろん、通りすがりの人に(へえ)と思われるだけでも構わない。
6月上旬に始めた転職活動が終わったのは8月下旬。週いちで書いた「就職活動週報」は11週続いた。


活動準備。エージェントを初体験する

二年ぶりに転職サイトにアクセスした。新規登録したり、登録済みのサイトにログインする。念のため派遣専門のサイトにも登録した。6つのサイトそれぞれにプロフィールを登録する。学歴、職務経歴、経験業務、希望条件、自己PR……。項目は多く細かい。これだけで息が切れそう。

次に書類の準備。職務経歴書と履歴書とポートフォリオ(制作実績をまとめた資料)の作成にとりかかる。二年前のファイルを引っ張りだしてきて再構成し直近の仕事を追加した。味気ないと思っていた仕事も書類にするとそれなりに見えるのが妙だった。
一週間かけてエントリーの準備が整った。合否はともかく、これでどんな企業にもエントリーできる。


これまで実態がつかめなかった「転職エージェント」の存在。利用したという声もちらほら聞くし、どうやらエグゼクティブだけのものではないらしい。選択肢が増えるのならと利用することにした。
転職エージェントの利用はキャリアアドバイザーとの面談から始まる。週末や夜間に都心へ赴いたこともあったけれど、途中で電話面談でもいいのだと知って以降はそうした。転職サイトに掲載されている求人も、それが「社名非公開求人」であれば指定のエージェントを介して応募しなければならず、結果的に5社に登録することになってしまった。

転職エージェントは大手2社に登録すれば十分だと思う。
なんといっても大手は保有求人数が多い。保有求人は各社異なる(有名企業は重複している場合もある)のでより多く情報を得たければあと何社か登録すればいい。ちなみに、大手の2社だけで150件くらい紹介を受けた。その他の小〜中規模の3社は10件に満たなかった。
求人紹介件数とサポートの充実度で群を抜いていたのはリクルートエージェントだった。情報の閲覧や応募を専用のサイトで行えるので管理が楽だったし、フォローも手厚い。孤独になりがちな転職活動中に何度も励まされた。

キャリアアドバイザーたちは企業の採用担当者と直接やりとりしているので、求人票だけではわからない社風や内定者の傾向に詳しい。欲しい人材のイメージも細かくヒアリングしているので参考になるし、採用事情の「ぶっちゃけ」話もしてくれる。


仕事さがしの条件は?

前職は画像編集デザイナー、それ以前はWebコンテンツ制作・ディレクター、マーケター、サイト運営などをやってきた。

20代の頃から文章を書く仕事に就きたかった。しかしどういうわけか、編集部に応募しても別部署で採用され続けた(編集者に向いていないという忠告なのかもしれない)。メールマガジンやテキストコンテンツの執筆はしてきたものの「ライター」と言い切れる経歴ではない。しかし今回、最後のチャンスとばかりに書く仕事にこだわることにした。
実は、今後の転職を睨んで出版関係の資格を取りたいと思い始めたところだった。今回の転職には間に合わないけれど、その資格と職務内容が離れすぎない仕事にしようと決めた。

ところで、制作業は残業が多いのが前提である。ワーク・ライフ・バランスなんて言葉を口にするのもはばかられる。求人票でよく見るのは「残業月40時間」の文字。その数字に珍しさはないけれど、毎日2時間の居残りに付き合うつもりはない
さらに給与欄には「みなし残業代◯◯時間込」とあったりする。ここが40(時間)の会社も経験したけれど、忌まわしいばかりだ。

条件の優先順位は、職種>残業20時間以内>年収。
「残業はあったとしても20時間以内」と言い続けた。(無謀なこと言わないでくださいよ制作系なのに)と、彼らは呆れていただろうか?


書類通過はたったの2割

当初は応募に慎重になりすぎて、気になる企業にはとりあえず応募するようにエージェントから忠告されてしまった。書類選考を通過する目安は応募数の2割だという。一度振り落とした求人を掘り起こして応募したりした。

志望度が低い企業でも面接は受けるようにしていた。オフィスや面接官の雰囲気で印象が変わることもあったし、面接後に辞退しても遅くはない。応募職種とは別のポジションを提案されたときも話を聞きにいった。企業側も人材配置をさぐっていてこちらの希望やスキルを考慮してくれることもある。実はA社はこのパターンだった。
辞退するときも転職エージェントを利用していれば直接言いにくい申し出を代行してくれる。減らせるストレスはなるべく減らして選考に集中したほうがいい。

1ヶ月半でエントリーした企業は26社。書類審査通過は6社。そのすべての面接を受けた。書類選考通過の割合を計算してみたら23パーセントだった。

・ 化粧品メーカー(A社)/ウェブマーケター、ライター
・ 化粧品メーカー/コピーライター
・ 求人広告代理店/ライター
・ 制作プロダクション/カタログ編集
・ IT(キュレーションサイト運営)/ディレクター
・ IT(EC運営)/Web編集

転職に経験者が有利なのは当然のこと。書く仕事にこだわった結果「求めるスキルと経歴が一致しない」という理由で採用の“お見送り”が続いた。
転職市場でWebディレクターのニーズは高い。しかしマルチタスク能力のない自分には向かないので除外した。キュレーションサイト編集の求人も多かったけれど個人的に思うところがあり積極的には応募しなかった。事業内容に興味を持てない企業や、ベンチャー・スタートアップも避けた。


過去の病気。カウンセラーとの会話

志望度が高い企業へは提案書を持っていった。採用されたら何をどうやるかをまとめ、面接時に説明の時間をもらった(A社でもこれをやった)。

取扱製品を購入したり、アプリをインストールしたり、サービスサイトに会員登録して感想を書き出しておいた。無職期間のブランクには前向きな理由を用意し、志望動機に繋がる個人的なエピソードを考えた。自己紹介と志望動機は暗唱した。面接の最後には大抵「質問はありますか」と聞かれるので「理想の社員像を教えてください」と聞いた。

面接に足を運ぶこと8回。本来関係をゆっくり築くタイプなのに、短時間で気に入られようと頑張ってしまう。朗らかで感じのいい人間を演出している自分に醒める。一時間の面接でどっぷり疲れて、寄り道する気にもならず逃げるように家に帰った。

8月に入っても内定は出なかった。面接を受けた企業からも次々と不採用通知が届く。
……どうして。面接ではあんなに話が弾んだじゃないか?

2012年春、職場の対人関係と多忙が原因で双極性障害とパニック障害を発症した。好きだった仕事も辞めなければならなかった。それ以来2014年末まで社会復帰を目標にしたカウンセリングを受けた。

傷病手当と失業手当も受給し尽していよいよ社会復帰しなくてはならなくなった時、カウンセラーに時短勤務を勧められた。
できることならそうしたいですよ。でもひとりで生活できるぶんを稼がないと。
制作業の正社員ではなく、事務などの派遣社員にしたらどうかとも言われた。
これ以上制作の仕事を離れると正社員に戻るのが難しくなるんです。
段階的な、正しい社会復帰を勧めてくるカウンセラーに苛立った。

転職活動が思うように進まなくなるとその苛立ちを苦々しく思い出すようになった。
ほら。やっぱり難しいじゃないか……!


土壇場の内定

明らかに意欲が減退していく中、義務感だけで求人情報に目を通した。週明けは特にメールが多い。仕事をしていた平日は意識がオンになっているけれど、退職してからはメールを見る気になれなかった。メールボックスには「JOB」のラベルのついた未読メールがびっしり並んでいる。

心の声を無視して無理に自分を鼓舞したくはない。
だけど、今だけ、今だけは頑張ろう。そう思ってやってきた。

8月中旬の時点でこのままでは転職活動を続けられないと確信した。選考中はA社だけだったので、A社の内定が出なかったら一旦休んで仕切りなおすことを決めた
その数日後、A社内定の連絡がきた

ベッドに倒れこみ大の字になって「……終わったああ!」と口にしたら初めて身体の力が抜けた。嬉しい気持ちより、もうやらなくていいんだという安堵が勝った。


これからのわたしと仕事

内定は出た。だけどすべてがオッケーになったわけじゃない。
体調を崩して社会と距離をとったあの時から、「働く」を取り巻くいろいろに懐疑を持たずにいられない用心深い人になってしまった。書面上の希望条件を満たしていても、不幸な職場があるのを知ったから。働けば働くほど幸せから遠ざかっていった虚しさは一生忘れられない。

転職活動中は押しやっていた迷いが噴出した。

今こそ頑張らない選択をする時なんじゃないのか。
心の負担を増やしてまでやりたい仕事を選ぶのか。
平日を犠牲にする働き方があわないんじゃないか。
独身で子供もいない人はなんのために働くのだろう。

東京にとどまる意味、これからの人生。
幸せな働き方って?

働いてお金を稼ぐことは生活の根幹で、それがなければ日々が成立しない。だから自分にあった仕事や働き方を見つけたいし、したい。
答えはすぐに出なくても構わない。ただし流されないように。立ち止まって考えられる人でいよう。迷いのない人生なんて、自分らしくないのだし。


本日の1曲
なんでもないや/RADWIMPS


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