12月 18th, 2009 by taso
たとえば缶ジュースが飲みたくなってマンションの階段を降りて自動販売機に行くと、そのまま近所を散歩したくなることがある。それにしても部屋着のままだし、と部屋に戻れば、もう外に出るのが面倒になってしまう。いつもそんな調子なので、近所の景色はなんとなく見ることがない。
東京では形の整った街路樹を見るばかりで、ぼうぼうと茂り放題の樹木を目にする機会はほとんど無い。ここでは地滑りの心配も無いし、水はけが悪くて何日も乾かない泥のたまりに顔をしかめることも無い。行儀良く植わった植物を見ると、シュミレーションゲームでマス目に植えられた木を見ているような気持ちになる。植え込みのツツジは1マスから。4マスあったらケヤキの木。
その日、スーパーでの買い物のあとふらっと神社の境内に入ってみた。朝晩通りかかる神社なのに、境内に入ったことは数回しかない。我が家に遊びに来る友人達と、『こんなところに神社があるんだ。』『そうなんだよ。』というやりとりの元、何度か見学した気がする。
神社のすぐ前は車道になっていて、雨が降れば無数の銀杏の葉がコンクリの地面にぺったりと張り付き、翌日になれば乾燥した落ち葉が押し花のように路面に定着している。そう。毎日見るのは足元の落ち葉だった。だから休日の午後に鳥居の近くの大きな木をしげしげと見上げてみた。シリアルやらキャベツやらの入ったレジ袋を下げて。
12月の銀杏の木は大方の葉を落とし終えたみたいだった。遠目にもわかる先端の乾燥した枝の有様と、薄水色の空は紛れもない冬の景色で、こんなに近くにそんな景色があることに今更驚いた。そしてその時、どうしようもなく自分が時代遅れな人に思えてきた。
こんなところに佇んでいるのは自分だけではないのか。皆はもう違う場所に行ってしまったのではないか。自分が都会の景色の郷愁に浸っている間に暖かな安らぎを手に入れたのではないか。そんな風に思えて少し寂しくなった。
銀杏の木を見上げたまま体を反らせると冬の薄い水色の空が見える。ついでに更に更にふんぞりかえると、枝や白いマンションの外壁がカメラの四角い液晶画面に覆いかぶさってきた。
冬らしい空を目の当たりにし、東京には空が無いという有名なフレーズを闇雲に信じすぎていたのかもしれないと思った。この神社は狭いけれど、その印象の良し悪しに関わらずここにはここの空があって、冬の景色があって、自分はあの詩作の主人公ではないのだ。もっと色んな東京を見たいと思った休日だった。
本日の1曲
BYRD / EGO-WRAPPIN’
6月 14th, 2008 by taso
スロー・ライフ【スローライフ】
1. 《効率とスピードを優先して、いつも時間に追われている現代のライフスタイルの反省に立って、自然と調和したゆったりとした時間の流れを楽しむ生活。》
近年では「自然体でおしゃれなライフスタイル」という意味で使用されることが多い。
CDショップの店員は、システマティックに一連の動きをこなす。こちらが商品を差し出せば、プレートの上で管理コードを解除しバーコードを通しクレジットカードを機械に通し通信の間にCDとチラシを袋詰めし胸ポケットから取り出したボールペンでサインを促しクレジットカードを返却しレシートを袋に滑り込ませる。
やや(かなり)スピードに欠けていたとはいえ、今日だって同じプロセスを踏んでいたはずだ。
ここはレコード文化が未だ根付く街、高円寺。CDを買うよりも、レコードを買う方が容易い。一昨年にオープンした商店街のCD屋は、高円寺的なコンセプトで運営されているようだ。広くない店内には、懐かしのフォークやウッドストック的なアメリカンロック、バブリーな時代のドライブを彷彿とさせるAORやディスコミュージックが並んでいる。
先日店の前を通りかかると、軒先に発売されたばかりのWeezerの新譜が並んでいた。この店で扱いがあるとは思わず、その足で新宿に行こうとしていたところである。
店内にかろうじて用意されたトップチャートコーナーにはJ-POPの新譜が並んでいる。五十音順に並べられた邦楽コーナーの棚はスカスカで、各行あたり数アーティストしかない。チャートよりもこの棚にインする方が難易度が高そうだった。
そんなストイックな品揃えを眺めていると、レジに立っていたご婦人がつかつかと寄ってきた。CDショップには似つかわしくないご婦人が眉を下げて『何かお探しですか?』と自分に問う。子供の体調を心配する母親のような表情をしていた。
あるバンド名を告げると、ご婦人は残念そうな顔をした。横文字のバンド名を一回で聞き取り、入荷状況を即答したことに少なからず驚いていると、ご婦人は「よかったら予約していかれますか、数日で届きますから。」と微笑んだ。
Amazonならこの店で取り寄せるより先に届くだろう。しかも自宅にポストインで。しかしご婦人を前にすると、そんな現代人的な思考回路が妙にやましくなる。咄嗟に棚からWeezerのCDをつまみあげて差し出した。
そう言えば、突然商店街に姿を現したサーティーワンアイスクリームの前は、どんな店があったんだっけな。それを聞くと、ご婦人は以前そこにあった化粧品店の話をしてくれた。袋に冊子とチラシを同封していいか丁寧に確認をとり、背後にあるクレジットカードの機械相手にしばらく首を傾げると、振り返って「通信中。」と言った。
日用品の買い出しを終えて部屋に戻り、さっそくCD屋の袋を開けてみた。チラシや冊子は入っているものの、肝心のCDが見当たらない。念のため他の店の袋も開けてみるがやはり無い。
まじまじとCDショップのビニール袋を見る。空の袋を揉んでみたりもした。開封口の真ん中はテープで閉じられていて、破れた形跡もない。まるで密室殺人である。(CDはどんな方法でここを出たのか?)
半信半疑で店に電話をかけるとご婦人が出、開口一番に『うぃーざー!』と言った。そして数十分後、自宅にCDが届けられた。ショルダーバッグを斜めがけしたご婦人は両手を胸の前で合わせ、ゴメンのポーズをしていた。
友人氏はそのエピソードを「スローライフ」と形容した。
買ったCDを渡し忘れるCD屋なんて聞いたことがない。でも高円寺にはそんなCD屋がある。
本日の1曲
Troublemaker / Weezer
10月 19th, 2006 by taso
一日中家に居ると様々な音が聞こえてくる。すぐ下の道を通る人々の話し声や、時折通り過ぎるバイクや車の音。豆腐を売り歩く笛や便利屋のトラックの宣伝テープ。
そこにまたひとつ新たな街の音が加わった。客を呼び込む古着屋の店長の声だ。
引っ越してきた当初、このマンションの2階は古着屋の倉庫になっていた。しかし昨年の夏に騒々しい改装工事が始まり、1ヶ月後には2階にも店舗がオープンした。1階で営業していた古着屋が、店舗スペースを大幅に拡大したのだった。
『どうぞ2階の方にもありますんで見てくださいっ』
ものすごく早口なため、ほとんど何と言っているのか聞き取れない。注意深く耳を澄ませ、何度もリスニングにトライしてようやく理解できた。
掛け声は人が通りかかる度に繰り返される。したがって、人通りの多くなる週末になると一層間隔が狭くなる。15時過ぎの彼はとても忙しそうだ。言い終わらないうちに同じ文言の文頭を繰り返している。
通りから店舗を除くと、奥に階段が見える。1階の売り場面積は広いとは言えず、この店のメインは2階だと言ってもいいだろう。彼がアピールしたいのは昨夏にオープンした店の2階であるようだ。雑居ビルの2階まで、お客を上げるのは大変だと聞いたことがある。
呼び掛けは洋服店ではありふれた行為だ。ショッピングビルやデパートでは、『御覧くださいまさー』と「せ」よりは「さ」に近いような奇妙な発音で客寄せが行われているが、古着屋の客寄せを聞いたのは初めてだった。
改装工事は始まった時は(古着屋も意外と儲かるんだナ)と思った。古着屋激戦区の高円寺で店舗を拡大するなんて景気がいい。
彼が店長であるかは実は知らない。しかし一日中道端に立って、通行人に呼び込みを続ける彼はきっと店長だろう。何らかの心境の変化か、切迫する売り上げ事情を考慮してかわからないが、唐突にそれは始まった。(もう少しゆっくり言えば効果も上がるかもしれない)
一ヶ月ほど前から始まった彼の声も、今では我が家に聞こえてくる街の音のひとつになった。
本日の1曲
Alternative Plans / ELLEGARDEN
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9/3 『古着屋の若者たち』
10月 5th, 2006 by taso
新宿方面からやってきた電車がホームに停車する。車両の中の人影が少しざわつき、間もなくして駅から人々が排出される。右からやって来た電車は左へ走り去り、それは25時を過ぎてもしつこく繰り返される。ロータリーに面したビルの2階、窓際の席に腰掛けると、25時の景色が見えた。
若者達は車道を歩き、客のいないタクシーがロータリーを周回する。道端にあるスナックの看板はチカチカと電球を点滅させ、雑居ビルの非常階段には真っ黒な人の姿。蛍光灯で眩しい駅のホームには、下り電車を待つ人影が等間隔に並んでいる。キャバクラの呼び込みの黒スーツもラストスパートをかけ、執拗に勤め人を追い回している。
週末は混み合うこの店のいい時間はやはり夜中だ。天井にはシーリングファンが回り、通路の黒い鉄製の支柱もクラシックな趣がある。板張りの床は店員が歩くたびにゴトゴトと篭った足音がする。
店内には客が2組いて、それぞれが親密そうにアルコールを飲んでいる。近隣で飲んだ後、別れ惜しくてここに来る客も多そうだ。ひとりの客は自分だけだった。
暫くすると、店員が店内の灯りを調節してまわり、店内は一段と暗くなった。ガラス張りの効果で、店は外の暗闇に溶け込んでいるようにも感じられる。真夜中の瞑想にはうってつけの環境だ。
終電の時間が近づくにつれ次々と客が帰っていく。騒がしさが一段落する時間を見計らって25時にここに来た。この時間に酒を飲まずに落ち着ける場所はなかなかないかもしれない。もっとも、落ち着きだけを求めてここに来るというわけでもない。
ある作家は『夜中の3時には動物だってものを考える』と言った。あらゆる液晶画面から離れると本当に考えたいことや味わいたい言葉と対面できる気がする。
だから思考が滞りそうになるとここへ来て、真夜中の風景を眺める。雑多なあれこれを取り払って、真夜中の風景を眺めていると、正直な感情が湧いてくるのを感じる。
外へ出かけることは気分転換になるし、ふらりと入れる店の雰囲気も気に入っている。ゆっくりとものを考えたい時は、よくこの店のスペースを借りる。
昼間は、開け放たれた店の窓からいつも愉しげな笑い声が聞こえてくる。ランチの大きなピクルスもいいけれど、心地良い闇に包まれる深夜はもっといい。
本日の1曲
Sullen Girl / Fiona Apple
Yonchome Cafe
Open Everyday am 11:30 – am 3:00 Close
東京都杉並区高円寺南4-28-10 2F
(高円寺南口ロータリー左手 花屋の2階)
Tel 03-5377-1726
9月 3rd, 2006 by taso
自宅の下階には古着屋がある。おそらく、その店では10人くらいの若者が交代で働いている。
時々マンションの廊下には洋服の詰まったダンボールが並んでいる。ラベルを見るとどうやら海外から輸入されているらしい。建物には古着屋特有の衣類の匂いが漂っている。
毎日、古着屋の若者たちは居住者達に気を遣いながら仕事に励んでいる。重い荷物を持ってホームセンターから帰宅する時も、両手にスーパーの袋を提げて帰ってくるときも、若者たちは居住者に道をあけ、感じの良い挨拶をする。
店長とおぼしき若者は同い年くらいだろうか。彼は作業中に通りかかると手を休め、恐縮した笑顔で挨拶をする。何人もいるバイト君達も一様に感じが良い。店舗兼住宅のこのマンションの出入りは、居住者よりもバイト君達の方が多いのではないかと思われるくらいだ。
彼らが仕事に精を出すあまり、階段を下りていくと同僚に向ける無邪気な笑顔を間違って向けられる時もある。若者たちは恥ずかしそうに笑顔をごまかしながら、軽く会釈をする。
店が開店する11時頃から23時頃まで、若者たちは店と倉庫の往復を繰り返す。複数の若者が働いているのにも関わらず、彼らは無駄話をあまりしない。騒ぐこともなく黙々と作業に没頭し、タグ付けや棚卸の地味な仕事をこなしている。
倉庫のドアが開けっ放しの時、普段見ることのない部屋の中を覗き見ると、部屋の中は段ボールだらけで所狭しと古着が積み上げられている。エアコンもない部屋は、そこから熱気が流れ出してくる程もうっとしている。いつもこんな暑い部屋で重労働をしていたのか、と驚き冷たいお茶でも差し入れたい衝動に駆られる。しかし今は無関心な居住者を装い、毎日軽く会釈をして通り過ぎている。
古着屋の時給は恐ろしく安いというのを聞いたことがある。将来古着屋をやりたいと思う若者が修行の意味で働くことも多いらしい。今はこのマンションを忙しく動き回っている若者も、いつか自分の店を持つのだろうか。
本日の1曲
The Good Life / Weezer