カラス飛ぶ


国道沿いのドラッグストアに行った時、何か買うものがないかと電話をすると、祖母は白いタクアンが食べたいと言った。そして「クスリ屋にタクアンは無いよ」とお互い笑いあった。正月に帰省している間、そんな日常的なやりとりにいちいち感傷的になった。たとえ声を出して笑った後だとしても。

祖母が一人で住む母屋と、両親が再婚後に建てた家。静岡の実家は隣り合って二軒ある。上京するまで母屋に祖母と一緒に暮らし、長い間祖母が母親の代わりだった。
若い母親達に比べると祖母はやっぱり不利だった。小学生の頃、孫の風邪を心配して毎日替えの洋服を持たせ、授業参観の度に担任に着替えの手伝いをするように頼む祖母が嫌で仕方がなかった。中学生の頃は、煮物ばかりで色彩の乏しい弁当箱を開けることが恥ずかしかった。

4年前、関西で生まれ育った従兄弟が神奈川で一人暮しを始めた。彼は大学が休みに入るとドライブがてらこの家にやってくるみたいだった。
かつてはピアノの音や犬の鳴き声がしていた家族の家。家族が行き交っていた日当たりの良い部屋も、今では年中シャッターに閉ざされ、年に数回やってくる彼が使うだけの部屋になってしまった。

仕事を理由に正月に一度帰省するだけになった自分と、時々やってくる従兄弟と、祖母。揃ってダイニングテーブルに腰掛けると祖母が嬉しそうな顔をするので、食事が済んでも席を離れてはいけないような気になった。ストーブの上でシューシューいうヤカンの音を聞きながら我々はお茶を飲み、正月のお笑い番組を見た。

部屋のベッドに横になっていると、時折廊下から聞き慣れない音がした。それは足を引きずりながら歩いてくる祖母の足音と、板張りの廊下に鈍く響く杖の音だった。祖母が杖をついているところを初めて見た冬だった。

祖母は以前から老いることを嫌っていた。口癖のように「老人にはなりたくないねぇ」と言っていた。だから杖をついたり、寝る前に紙おむつの支度をする祖母を見てはいけないような気がした。祖母にやってきた老いを認めたくなくて、無愛想に部屋のドアを閉めた。

ある日外から帰宅すると、祖母はとても満足そうな顔をして、従兄弟の運転する車で病院に行ってきたと言った。彼はいつも祖母の身体を支えたり、着替えを手伝っていた。
正直に言うと、いつもファッションブランドや社会人の平均年収の話ばかりする彼を疎ましく思うこともあった。そんなことばかり考えて何になる?そう言ったこともある。

従兄弟が神奈川の自宅に戻る日、渋滞を避けて早朝に出発するといっていたのに、彼は昼過ぎまで祖母の買い物のために市内を車で駆け回った。彼のほうがずっと、自分よりもずっと、祖母に向き合っているような気がして情けなくなった。

東京に戻る帰り際に祖母は、「あんたが帰ったらまた一人だよ」と微笑みながら言い、咄嗟に「こっちだって一人だよ」と言い返した。

ドラッグストアで買い物を済ませたあと、友人は夕暮れの空を見上げ、カラスが年々増えている気がすると言った。山の方角には何十羽のカラスが飛び回っていて、国道沿いの電線はカラスの重みでたわんでいた。

「東京もカラスが多いけど、こんな風景は久々に見たなあ。」
そう言うと、この町に暮らす家族のことや、徐々に変化する町の風景がまるで他人事のように響いてしまった。


本日の1曲
セブンスター / 中村一義


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