12月 12th, 2007 by taso
まだ昼前の鎌倉駅に降り立つと、改札の向こうに自転車を引いた友人が待っていた。彼女が鎌倉に引っ越して数年、もうすっかり鎌倉の人になったみたいに見える。
アパートに立ち寄ると、彼女は錆だらけの自転車に空気を入れ、自転車が2台あるからと真っ赤な自転車を与えてくれた。
初めて通る道も自転車で走ると親しみが沸いてくる。「大仏行き」の路面バスが往来する通りを走ると、ほどなくして鎌倉文学館に続く山道に到着。頭上を黄色やらオレンジやらの美しい紅葉が覆い、着物を着た御婦人も携帯電話を天にかざして写真におさめていた。
文学館の建物内部には、古い書物の匂いが漂っていた。
鎌倉は文士達が好んで住んだ場所であり、今も昔も文学人ゆかりの土地のようだ。(思えば、夏目漱石の『こころ』でも「私」が「先生」と出会ったのは鎌倉だった)
鎌倉文学館では現在、詩人・中原中也の企画展が開催されていて、この催しこそが今回鎌倉に出掛ける主な理由となった。今年は彼の生誕100周年にあたり、各地で催し物が(おそらくひっそりと)行われている。
展示室には写真や原稿をはじめ、実際に使用していた創作ノートや知人宛ての手紙などが時系列に並んでいる。それらは30歳で永逝した詩人の存在を確かに感じさせ、ひとつひとつを凝視した。
細かな字で書かれた書簡からは彼の性格が伺えたし、愛息を亡くした直後に書かれた見乱れた文字の散文には特別な思いを抱かずにいられなかった。
また中也作品を語る上で欠くことのできない女性、長谷川泰子氏が1993年まで存命だったことや、上京した彼が一時期をここ高円寺で過ごしていたという事実も初めて知ることができた。
ブンガクの余韻に浸った我々は、テムポ正しく鎌倉駅方面に向かったのである。
道を行くとすれ違いざまに英語の会話が耳に入る。ハキモノ店の貼り紙を見て、今更ながら鎌倉が観光地であることを実感した。
鶴岡八幡宮の参道に続く若宮大路に出ると、大きくて細い車輪の人力車が絶妙なバランスを保ちながら駆けていく。道を行くと鶴岡八幡宮の鳥居が現れ、その両脇に愛嬌のある顔の狛犬が空に吠えていた。
午後の鎌倉駅周辺は観光客で賑わう。店頭でせんべいやソフトクリームを売る店には列ができ、店内の豆菓子や漬け物を試食できる店には人だかりが出来ていた。
食事をすませ、陽の落ちかかった時刻に鶴岡八幡宮に向かった。木の幹に隠れ待ち伏せていた甥に源 実朝が殺害されたという大銀杏を見上げてから、大石段を上り本宮へ向かう。
賽銭を投げたあと、おみくじで「凶」を引く。なんだかおみくじを引くたびに、”要するに、ものは考えようなんです。” と言われている気がするのは自分だけか。存分に拡大解釈をでっち上げてから、紐にくくりつけた。
我々は閉店間際の土屋鞄製作所に行き、昼間見て気に入った革の名刺入れをそれぞれに購入した。
鎌倉は夜が早い。20時にもなればたいていの店は閉まってしまう。友人氏は「昼間起きてないと何も出来ない。」と言っていたけれど、(熱効率の良い街だなぁ)と感心してしまった。
本日の1曲
SHOU-RYU / Studio Apartment
11月 4th, 2007 by taso
仕事中はほとんど片耳にイヤホンを突っ込んでインターネットラジオを聴いている。主にカリフォルニアのラジオステーションから届くオルタナティブロックを。
知っている曲が流れてくれば人知れず盛り上がるし、気になった曲があればポストイットにメモしておいて、あとでAmazonかiTunes Music Storeで購入する。
自宅同様、職場のパソコンからも常にアカウントにオートログインしている状態だし、会社で使用しているウェブ・ブラウザにはご丁寧にAmazonの検索ボックスまでついている。思い立ったらその場で注文すればいい。
スムーズな配達システムのおかげで、商品の多くは翌日に自宅のポストに配達される。要するに「一晩我慢すれば」手元にCDが届く。配達を待てなければダウンロード購入だってできる。
疲れた身体を引きずってわざわざCDを買いに行くには、いろんなスタンバイが整い過ぎている。Amazonの顧客たちは待ち時間すらなしに『レジに進む』ことができるのだから。
そんなわけで、最近レコードショップに行かなくなった。世界中のラジオステーションから日夜届けられる音楽と、Amazonという巨大な倉庫。音楽は多方向からやってきて、自分の音楽ライフが変化してきたのを感じる。
ところで、我々はそれによってなにかを失っているのだろうか?
考えてみれば、(ちょっと面白そうだから聴いてみるか)とマキシ・シングルを買わなくなった。我が家のラックに並ぶ「輸入盤のマキシ・シングル」というマイノリティな品物は、ほとんどが暇を持て余していた学生時代に買ったものだ。レコードショップの棚の前でUK輸入盤とUS輸入盤をひっくり返して、収録曲を見比べることも随分していないような気がする。
先日、アメリカのバンドが、自分の知らない間にニューアルバムをリリースしていたことを知った。リリース日のアナウンスを聞き逃していた自分に驚き、仕事帰りに渋谷QFRONTのTSUTAYAに駆け込んだ。0時も近いというのにビルには沢山の人達がいて、スターバックスには長い列が出来ている。
残念なことに、この店舗は目当てのCDを扱っていなかったけれど、他にもいくつか気になるバンドの新譜を発見した。今夜ここに足を運ばなければ、今日知ることのできなかった情報である。試聴機の中身は次から次へと入れ代わるし、ある程度メジャーなバンドでない限りリリース情報は耳に入りにくい。
こういう「周りを見渡す行為」は、レコードショップならではの特徴といえるけれど、それを意識したシステムがAmazonやiTunes Music Storeにもある。『この商品を買った人はこんな商品も見ています』というメッセージと共に類似商品を紹介してくれるサービスだ。
例えて言うならば、腰の低い店員氏の「コレも・・・どうスかね?」的なアプローチで、こちらは『すでに持っています』ボタンや、『興味がありません』ボタンでリアクションをとればいい。実際にそれで新しい出会いが叶うこともある。
昨夜、仕事帰りにタワーレコード渋谷店へ行った。自分のためだけに用意された検索結果もありがたいけれど、普段なら排斥するであろう雑多な情報に溢れた売場をもっと歓迎すべきなのだ。(店員氏による思い入れたっぷりのPOPもこちらを楽しませてくれた!)
音楽との接点が増えたのは喜ばしい。今や、購入の形態もひとつではない。なんだか多方向から音楽がやってくる時代になった。そんなことを実感した一週間だった気がする。
本日の1曲
Rape Me / Nirvana
10月 25th, 2007 by taso
とにかくその会社は汚かった。細長い雑居ビルのフロアに灰色のスチールの机がひしめき合い、その上にはもれなく書類やらOA機器やらが積み上がっていた。考えてみればその会社にいる間、フロアの奥まで “到達” したことは一度もなかった。事務所の奥にいる社長の顔もずいぶん後になってから知った気がする。
大学生の時、そんな視界の悪い会社で2ヶ月間アルバイトをしていた。
社長は時代遅れの大きなシルエットのスーツを着た人物だった。40代半ばくらいの腹の出た大男だ。一度、お札を渡され人数分の夜食の買い出しに行ったことがある。顔さえろくに覚えていないのに、お札を渡す行為が「社長」という存在を妙に印象付けた。それまで他人に札を渡されたこともなかった。
その会社の主な業務は、都内全ての「橋」のデータを収集して都の機関に納品することだった。河川に架かる大きな鉄橋もあれば、またいで渡れそうなどぶ川に架かった橋まで全て。与えられた仕事は、サービス判サイズの写真を図面に貼る作業だった。
まず「測量班」が現場で橋の実寸を計測し、その数値を元に「製図班」がパソコンで図面を作成する。出力された大判の図面は「写真班」の机の上にどっさりと積み上がり、我々は様々なアングルで撮影された橋の写真を該当箇所に一枚ずつ貼付けていく。出来上がった図面は特製の分厚いバインダーに閉じられる。完成。
「写真班」は4つの机を付き合わせて座っていた。段ボールの囲いを机の端に置き、写真の裏面にスプレー糊を吹き付ける。一日に何百回もそれを繰り返すために、囲いの中に綿菓子のような糊の塊が出来ていく。霧状の糊は自分にも跳ね返り、買ったばかりのカーディガンもすぐにべとべとになってしまった。
その会社には10人くらいの社員と、同じくらいの数のアルバイトがいた。
後ろの席には、作業着を着た男性が座っていた。白髪混じりの初老の男性は明らかに最年長だったけれど、なぜか自分と同じアルバイトだった。社員達は初老の古株アルバイターをとても慕っていて、わからないことをよく相談しにきていた。
彼は「撮ることより分解するほうが好き」という典型的なライカコレクターで、売れないジャズミュージシャンだった。窓際の特等席の、一段と高く積み上がった書類の間から時々陽気なハミングが聞こえてきた。
向かいの席で作業している若者は、古着屋の開店を目指して複数のアルバイトを掛け持ちしていた。彼は「古着屋の時給がいかに安いか」や「原宿で古着屋を経営するリスク」について切々と説いた。
ある日、断られるのを承知で席で煙草を吸っていいかと社員に尋ねると「ウチは紙が多いから火の元には気をつけてネー。」と呑気な調子でやってきて、銀色の灰皿をカチャリと置いた。なんだか頼りない社員に囲まれ、毎日朝から晩まで糊と格闘しているのだ。それくらいは許されていいような気もした。でもオフィスの自席で喫煙するなど、今ではちょっと考えられない。
当初の契約は延長され、アルバイトは2ヶ月目に突入した。年度末が近付くにつれ、図面と写真がうんざりするほど積み上がっていった。しかし社員達は定時を過ぎると皆あっさり帰っていった。全ての書類の納品が翌朝に迫った日でさえも。
そのさまに呆気に取られながらも、それならばと会社に泊まり込んで作業を続けた。やっとのことで作業を終えると、汚い床に段ボールを敷いて寝た。
『寝かしといてやんなよ、疲れてるんだから。』という声に目を覚ますと、すでに何人かの人が出社していた。狭い通路に寝ている全身糊だらけの大学生のことをもうみんな気にしていないみたいだった。
都会のど真ん中にあるオフィスはすべて綺麗で、働いている人全員が立派なビジネスマンであるというのは、単なる浅はかな幻想だった。
社員達は昼飯時に中華料理屋の円卓を囲み、未練たらしくにやつきながら別れた彼女の話をしていた。社会人は学生と違って大変だと聞いていたけれど、こんなに気楽な人達もいるのだと知って騙されたような気分だった。
でも会社の愚痴を言っている人はいなかったし、職場仲間のつまらない噂話も聞いたことがなかった。みんなはそれぞれ「ライカの内部構造」や「古着屋の経営状態」や「別れた彼女」に興味があるみたいだった。
新宿のあの雑居ビルには、まだあの会社があるんだろうか?
本日の1曲
Again / Lenny Kravitz
10月 23rd, 2007 by taso
村上 春樹/著
¥ 1,500(文藝春秋)
ある友人氏は電話で『アレ読んだ?』と問い、『村上春樹があんなに自分を語るのは初めてだと思う』と続けた。
電話を切るとすぐに書店へ出掛け、ベッドの上でページをめくる。友人氏の言っていたことは嘘ではなかった。もちろん疑っていたわけではないけれど。
村上春樹が「わりに真剣なランナー」であることは、彼のエッセイを読んだことのある人には周知の事実だろう。
それに村上春樹は文学に興味のなかった自分をずるずると活字の世界に引きずり込んだ信頼できる作家でもある。(これも一部の人の間では周知の事実である)
何故走るのか、走ることが創作活動に何をもたらすのか。彼はこれまでにも走る理由について折りに触れて話してきた。
タイトルで「走ることについて語る」ことを宣言している以上、「走ること」に価値を見出さない人々に興味を持たれない可能性だってある。(もちろんその逆の可能性もある)正直に言うと、全著作を読み切っている自分でさえ ”小説じゃないなら” と後回しにしていたからだ。
しかし、である。村上春樹という作家が「走ることについて語る」ということは、とかく誠実に自分の内面を語ることであった。彼の今の年齢が自分を語ることに導いた気もする。
9つの章で構成された本著は、それぞれ執筆した時期と場所が異なる。ランニングコースの風景やそこを走る人々の描写は小説のように美しい。
ケンブリッジの川沿いをハーヴァード大学の新入生の女の子達が颯爽と駆け抜けていく。
世の中には僕の手に余るものごとが山ほどあり、どうやっても勝てない相手が山ほどいる。しかしたぶん彼女たちはまだ、そういう痛みをあまり知らないのだろう。そして当然のことながら、そんなことを今からあえて知る必要もないのだ。
ー第5章『もしそのころの僕が、長いポニーテールを持っていたとしても』より抜粋
群像新人賞を受賞した当時の生活の様子や、これからの作品の方向性がどのように定まっていったのかを語っているのはもっとも歓迎すべきくだりだった。それはこれまでエッセイや(滅多に受けない)インタビューで断片的にしか読むことのなかったエピソードだからだ。
20代最後の秋に小説を書くことを思い立ち、30才で小説家としてデビューした。経営していたジャズバーの店を畳み、“職業的小説家” として33歳で走り始めた。時期的に今の自分と重なるところもあり、愛読する作家のメモワール(個人史)をリアルタイムに母国語で読める幸せを感じさせもした。
『走ることについて語るときに僕の語ること』は、村上春樹が腰を据えて自分自身を語ることだった。そして村上春樹について語るならば、走ることを語らずにはいられなくなる。
本日の1曲
Delta Sun Bottleneck Stomp / Mercury Rev
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ファンにはたまならい本著『走ることについて語るときに僕の語ること』。
だけどまだ村上春樹の作品を読んだことがないという方へ。
もし興味がおありなら以下の作品をおすすめしたいと思います。
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『風の歌を聴け』-1979年
29歳で書き上げたデビュー作。
若者の喪失感や怠惰を背景に描かれるある夏の日々。
文章の鮮烈さは数ページごとに本を閉じてしまうほど。
英語で執筆した原稿を日本語に訳しながら書いたとい
う逸話も。
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『中国行きのスロウボート』-1980年
以前のエントリーでも紹介したことのある
「ニューヨーク炭鉱の悲劇」収録の短編集。
好きな村上作品を尋ねられ、咄嗟に「初期の短編」と
応えてしまうのは、この作品のせいではないかと思う。
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『カンガルー日和』-1983年
ムラカミ・エッセンスが凝縮された18のショート・ス
トーリー。「バート・バカラックはお好き?」は人生
の指標ともいえるフレーズを発見した個人的に重要な
作品。
「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」、
「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出
会うことについて」など、タイトルも秀逸。
ちなみに「32歳のデイトリッパー」はこのブログの副題の元ネタ。
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『ノルウェイの森』-1987年
大切なものを失った人間は、何か
を得ることができるのだろうか?
大学生の「僕」を美しくも悲しい
東京の景色が包む。
読了後には東京の景色が違って見
えるはず。
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2006/11/13 『村上春樹 「ニューヨーク炭鉱の悲劇」』
2006/06/28 『J.D.サリンジャー 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」』
2006/02/20 『村上春樹と君と僕』
10月 22nd, 2007 by taso
距離的に言って、ポタリングの目的地として東京ドームは相応しいんじゃないかと思っていた。高円寺からは十数kmの距離だし、中野から飯田橋まで大久保通りが続いているのもわかりやすい。夕刻、前日からメンテナンスのため預けていた自転車を引き取り、そのまま中野方面へ走り出した。
環状7号線を渡り、大久保通りへ。新宿の高層ビル群を眺めながら神田川を越え、山手通りで信号待ちをする。地図上を西から東へ、左から右へ横切って走っていく。
スルスルと自転車を漕ぎ続けるとコリアンタウン・大久保に突入。こぢんまりとした大久保駅の改札は今日も人で溢れている。韓流グッズを売る店もまだまだ景気がいい様子だった。
更に大久保通りを進み、アップダウンの激しい坂を駆け上がる。ミストのような小雨が降り出したけれど、そのお陰で呼吸も楽に感じる。ちょうどこの辺りから地下鉄大江戸線と同じルートを辿ることになる。牛込柳町駅、牛込神楽坂駅を過ぎるとまもなく飯田橋駅前に到着した。
飯田橋駅前は、首都高の高架と巨大な歩道橋が頭上を覆う。歩道橋を歩いて渡ると、目眩のように足元が揺れた。
再び自転車にまたがり、ドームの方向に大体の検討をつけて走っていると、ジェットコースターの滑走路が見えた。ものすごく高いところから絶叫が聞こえて、道路の脇を駆け抜けていく。
自転車を担いで目の前の階段をあがると、東京ドームの丸い屋根が見えた。高円寺から一時間弱で今夜の目的地に到着。ドーム前の階段に腰掛け、満たされた気分で休憩する。
せっかくなのでアトラクションを見て回ることにした。ふもとから “スカイフラワー” を見上げていると、搭乗しているカップルの(おそらく男性のほうの)低い唸り声が上空から聞こえる。平和的な見た目に反して随分怖そうだった。
保護者ヅラでメリーゴーランドの外周にもぐりこむ。よく見ると、白馬に混じって「カエル」や「牛」も一緒に廻っていることに気付く。そういえば幼い頃も、馬以外の動物が廻っていることを不思議に思っていた。
自転車を降りてしまうと今夜の空気は肌寒い。ドーム周辺の散策を終え、帰り道は外堀通りを走ることにした。昼間は水上レストランやボートなどが見えるこのあたりも、夜は人通りもなくひっそりとしている。外灯が柵の向こうのボートをうっすらと照らして、黒い水面が通りかかる電車の明かりを反射していた。
ところで、外堀通りは村上春樹氏の小説『ノルウェイの森』で、”渡辺君” と “直子” が歩いた道でもある。物語の最初の方で四谷駅を下車した二人が歩いた道だ。実際に通るのは今夜が二度目だったけれど、通りかかると必ずそのシーンを思い出す。
市ヶ谷駅付近で靖国通りに入ると、右側に高い塀が現れた。重厚な鉄扉の陰にポーカーフェイスの警備員が立つ。静まり返る黒い建物、緊張しながら防衛省前を通過し、しばらくすると明治通りとの交差点に到着。
左手には新宿伊勢丹、新宿駅の高架の向こうには ”EPSON” のネオン。見慣れた新宿の風景に早くも(ただいま!)という気分になる。
本日の1曲
Yeah Right / Dinosaur Jr
10月 13th, 2007 by taso
もうずっと前、僕には大切な友達がいた。僕らは毎日のようにいろんなことを話してた。
そのころは家族や勉強の悩みは一大事だったし、大人になったらしたいこともたくさんあった。大好きな本や映画の話もよくしたな。
不思議なことにいくらでも話したいことは見つかったし、意見がくい違ってもあんまり気にしなかった。(たまに頭にくることもあったけど)
僕らはベッドカバーの柄や嫌いな俳優の髪型や ”つまようじ” だって話題にした。身の回りにあるものはすべて語り尽くしたんじゃないかって思うくらい。
友達は僕が知らない場所の話をよくしてくれて、そのとき想像した景色は今でもよく覚えてる。濃い色をした空と、その下を走るハイウェイ。見たこともない広くて長い道を僕は思い浮かべることができた。
そんなわけで僕と友達は “ある期間” をとても親密に過ごしていた気がする。
僕らはリラックスできる相手をやっと見つけた同士って感じだった。
友達は困ったことがあると遠くからでも僕を呼び出した。大事な用事をすっぽかしたのに気付いて焦ってるときも、ギャンブルで大儲けして取り乱してるときも。いちばんに僕に報告してきたもんだ。
そういうとき僕はいつも通りに相づちを打つ。ひと通り話し終わると、友達はなんだか慌てたみたいに帰ってくんだ。振り返りもせずにまっすぐに。
ぼくはその友達がほかの人といるところをあんまり見たことがなかったけど、友達は気にしていないみたいだった。「記憶喪失になってもきみがいれば大丈夫だ」って笑った。
友達に会わなくなってずいぶん時間が過ぎた。僕に起こったちょっとしたことに戸惑っている間に時間がたって、お互いがどこでなにをしてるのかもわからなくなった。街でぐうぜん見かけたとしても、声を掛けるのをためらうくらいの長い時間だよ。
誰かに話したいことがあるとき、その友達はどうしてるのかなって時々思う。
実を言うと、僕はその友達に話したいことが山ほど出てきちゃうときがある。
こんなに雨がざんざん降っている夜なんかはとくにそうなんだ。
本日の1曲
Mykel And Carli / Weezer
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2006/08/22 『ジェイミーのまほうのはなし』
10月 7th, 2007 by taso
君はそう思わないかもしれないけれど、世の中には効率化されてはならない領域というものがあるんだよ。効率的な芸術なんてあり得ないし、効率的な自分の人生なんて想像がつかない。
10年間同じ人を想い続けることだって、とても効率的な人生とは言い難いだろう?
先日、新しい上司がやってきた。前職では何百人の部下を従え、最初の就職以外はすべて “引き抜き” で今日に至ったというキャリアウーマンである。彼女は「業務の効率化」を遂行するためにここにやってきた。
彼女は徹底的にタスク管理を “強いる”。各々の業務にかかる時間を算出し、リスト化してグループ内でシェアする。金曜の時点で翌週5日分のタスクリストを練り上げ、忠実に数値化されたリストに基づいた無駄のない行動を心がける。仕事というものは見積もった時間より手間取ることのほうが多い。予定がずれ込めば「何故手間が取られたか」を自問し、それが業務フローを改善するきっかけになる。
その結果、業務は効率化され、クオリティも向上する。
確かに、我々の周りには、時間的余裕がなくて後回しにしていたやらなくてはいけない業務が山積しているのだ。
___これはトレーニングだ。
そう思えばやってみるのも悪くない。無駄な行程を省き、業務に集中することで残業から開放されるのは素晴らしい。しかしなぜこんなにも拒否反応が起こるのだろう?
余分な思考や、時間のロスを忌み嫌う効率化の世界では、無駄のない行動が好まれる。質問と答えは、常に簡潔に。
「効率化」について少し考えてみる。これまで効率化を求められたことも、それを目指したこともなかった。
この違和感は美術大学を選択したパーソナリティと深く関係があるのだと思う。芸術的創造は効率の対極にあるけれど、ビジネスでは「言葉にならない想い」や、「逃れられない怠惰」は通用しにくい。
曰く、良いビジネスパーソンになるためには『なぜ?』という言葉を相手に10回言うのが効果的だそうだ。相手の話を鵜呑みにせず、常に疑問を提示する姿勢が必要だと。(成る程、社内にはその言葉を好んで使う人々がいる)
しかしその物言いは使いようによっては相手を追い詰める危険な言葉ではないのか。実際に言われてみると気分が良いものではないし、気分が悪い理由を聞かれても答えようがない。
一日の半分の時間を捧げる「仕事」を効率化すれば、あとの時間を有効に使うことができる。しかしその一方で、効率化に馴染めない人間は、一日の半分を窮屈に過ごすことになりかねない。理屈は理解できても、10回聞く人間になりたいかどうかは、また別の話だ。
本日の1曲
Oil And Water / Incubus