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フジロック通信’08 〜ゴンドラは白昼夢行き編〜


夏の苗場スキー場で行われるFUJI ROCK FESTIVAL。ウインタースポーツに縁のないフジロッカーには、雪に覆われる会場が想像できないという逆転現象が起こる。
苗場・かぐらと2つのスキー場を結ぶドラゴンドラは、実は真冬以外にも運行している。フジロックの開催期間中は、終点のたしろ高原にDAY DREAMING and SILENT BREEZEと呼ばれるエリアが出現し、小規模なライブやDJアクトが催されているのだ。

一度は乗ってみたいと思っていたものの、運行時間に制限もあり(復路最終16:00発)、ただでさえ観たいアクトが重なっているため時間を見つけられず、過去2回の参戦時にも搭乗を見送ってきたのだった。

同じくドラゴンドラ未経験のC氏と、今年は3日目の昼にドラゴンドラに乗ろうと計画を立てた。我々は朝のうちにテントを片付け、車に荷物を積み込んだあと再び会場に戻り、乗り場に直行した。
RED MARQUEEの脇で1000円の乗車券を購入し、急斜面を登り乗り場に到着。C氏と自分のほか、青年ひとりとフランス人カップルの計5人でゴンドラに同乗することになった。


激しい加速でゴンドラが滑り出し、みるみるうちに空中に放り出される我々。まるで遊園地のアトラクションに乗っている感覚だ。しばらくするとグリーンステージで演奏中のJASON MRAZの歌声が聴こえてきた。ドラゴンドラ搭乗のため諦めたライブであるが、こっちはこっちで結構スリリングな展開である。

ゴォォォゴトゴトッ!と高速でアップダウンを繰り返し、とんでもない高さをびゅんびゅんひた走るドラゴンドラ。深い谷に向かって急降下する時は、同乗したフランス人カップルと顔を見合わせる。言葉の壁を越えそうになる。

復路のゴンドラに乗っている人々は、すれ違いざまに手を降ってくれる。恐怖に顔をひきつらせながらこちらも手を降り返す。ひとりで乗ってきた青年氏もニコニコと手を降っていた。帰り道に他人に手を振りたくなる場所とは、どんなところなんだろう? 期待が高まった。

恐る恐る覗き見た下方には渓流が流れていた。人間が介入していない自然の威力みたいなものを静かに感じる絶景である。植物には植物たちのやり方があるのだ。そんな自然の繁茂をしばし凝視した。

体感傾斜45度以上はある最後の急斜面をガガガッ!と登りきると、たしろ高原に到着した。出発から約20分、標高1345メートルの頂上である。


高原に初めて降り立った我々は、思わず感嘆の声を上げる。見渡す限り黄緑色の芝が広がり、雲がかった空が近い。途切れることなく続くパーティーミュージックに合わせ、真っ昼間のレイバーは恍惚とした表情で体を揺らしていた。まさにデイドリーミングだ!

しばらくして、JAKOB DYLAN OF THE WALLFLOWERSを観に下山するC氏と別れ、芝に仰向けに寝転がる。地上と違って、芝がフレッシュで軟らかい気がした。何にも遮られない視界のなんと素晴らしいことか。一年に一度あるかないかの休息を得た気がした。

辺りに『ニージュシ!ニージュゴ!』と回数をカウントする声を響かせ、高原の一角で30人ほどが縄跳びをしていた。誰かが縄に引っ掛かっても、セーフセーフ! 大丈夫!!と笑顔で声を掛け合っている。地上のステージではお目にかかれないスポーティーでサワヤカな風景をライオン氏もリラックスポーズで見守っている。


高原の唯一の施設であるレストランに入り、食堂の列に並んでいると、突然雨が降りだした。雨は急激に勢いを増し、目の前の若者が「バケツを引っくり返したみたいだな!」と叫んだ。屋外にいた大勢の人々が悲鳴をあげながらレストランに駆け寄ってくる。ステージの出演者たちも続々と撤収してきた。

窓際の席に座って、モグモグとカレーライスを食べながら、雷鳴が轟くどしゃ降りの外を眺める。(ふもとの会場は大変なことになってるだろうなぁ。)と思う。
ゆっくり休憩した後、音楽が止み人も少なくなった外に出た。雷雨に見舞われはしたけれど、約3時間の高原滞在を満喫して帰りのゴンドラに乗り込んだ。


本日の1曲
Live High / Jason Mraz


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2006/02/28 『FUJI ROCKのOMOIDE


買い物日誌002 慎ましいソーダ


水出しミント ジュレップソーダ
¥150
購入場所 ナチュラルローソン 渋谷道玄坂一丁目店



シリーズの第1段、「ピール漬けハチミツレモン」が発売されたのは2007年5月。【世界のKitchenから】は、各国のお母さんが作るレシピに注目し、諸外国で親しまれている飲料を期間限定で商品化しているシリーズ。これまでに8種類が発売された。

今月6日に発売された「水出しミント ジュレップソーダ」は、キューバの “モヒート” というカクテルをヒントに作られたそうだ。水出ししたミントをソーダで割り、レモングラスとグレープフルーツ果汁を加えたさわやかな味になっている。

愛嬌のあるフォルムのボトル、真夏のキューバをイメージしたというニュアンスのあるカラー、同系色で細かく印刷されたパターン。発売日には会社のデスクでそれを飲みながら、ボトルを目線の高さに持ち上げてクルクルと回し見る。シリーズから新商品が発売される度に胸が躍る。

これまでに飲んだことのないちょっと新鮮な味は、食文化の異なる外国のレシピを取り入れているからこそ。外国の飲料からこっそりヒントを得るのではなく、思いきりひとつのシリーズにしてしまったアイデアも面白い。

ところで、電車の車内でよく見かける【世界のKitchenから】の広告には文字が多い。発売される商品が、どの国でどんな風に飲まれているか。商品が生まれた背景やレシピを丁寧に説明することで、広告にも慎ましさが漂っている。カリグラフィー的なフォントにも味わいがあるし、「とろとろ桃のフルーニュ」「ディアボロ・ジンジャー」などひと工夫あるネーミングも秀逸で、思わず飲んでみたくなる。

【世界のKitchenから】は、ウェブサイトにもちゃんと手がかかっている。各国の旅行記が美しい写真と共に掲載されていたり、セカキチ ファンクラブには、ブロガーのクチコミが集まる。日本で発売された “セカキチ” を地元の人に試飲してもらうコンテンツなどもあって、ついつい読み込んでしまうのだ。

少し前に、これまでに発売された全てのボトルを集めた広告を見た。それぞれが集まった姿は、日の当たる軒先に無造作に並んだガラス瓶を想像させた。
それを見て、最初から並べる前提で作られていたのかもしれないな、と思った。そのさりげなさは完璧で、しばらく見とれてしまったほどだった。

販売が終了しても、デザインやコンセプトが優れた商品は、長く人々の記憶に残る。【世界のKitchenから】もきっとそんなシリーズになるんじゃないかと思う。


本日の1曲
蜃気楼の街 / SUGAR BABE


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2008/07/12 『買い物日誌001 明け方のピエール


フジロック通信’08 〜僕らのジェネレーション・スケール編〜(2日目行動記録)


入場ゲートに近付くと、ステージから吉野氏の歌声が聴こえてくる。フジロック2日目、GREEN STAGEのトップバッターはeastern youthである。
熱い歌声が聴こえれば、歩む足が次第に早くなる。ステージ左側のモニター前までやってきた。一言一句を噛み締めるように歌う表情が大写しになれば、こちらも何かを脱ぎ捨て言葉と向かい合いたくなる。

夜の会場ではお酒を楽しんでいるという吉野氏。過去には真夜中の苗場食堂で泥酔する吉野氏と遭遇したこともある。MCでは『(いつも大混雑の)苗場食堂はまるでイス取りゲームだなぁ?』と楽しそうに笑う。昨夜の苗場食堂では、若者2人が席を譲ってくれたそうだ。フロントエリアにいたその2人と、ステージ上の吉野氏とのやりとりに場も和む。(写真:fujirock express

ライブ後に友人達と落ち合い、WHITE STAGEのASPARAGUSへ向かう。地面は砂、直射日光が照りつけるWHITE STAGEは結構過酷な場所なのだ。vo.渡邊氏は、かつてバックバンドのメンバーとしてフジロックに出演したあと、今度は自分のバンドでフジロックに出たいと思っていたらしい。友達に話しかけるような口調のMCを歓声と笑い声、そして祝福の拍手が包んだ。


その後、Gypsy Avalonで友人達と別れ、WHITE STAGE前のボードウォークからGREEN STAGEに向かうことにした。
会場マップでは遠回りに見えるこのボードウォークも、大小の石がごろつく山道を歩くよりは足への負担がずっと少ない。

ボードウォークを歩いていると、時々川の水に足を浸している人や水遊びをしている人が見える。どんなに疲れた状態でも森の中をテクテクと歩くのは心地いい。板に描かれたメッセージを読みながら歩くのも楽しい。
思いがけず道草をくったせいで、GREEN STAGEに到着すると既にHARD-FIのライブが終わろうとしていた。

その後始まったASIAN DUB FOUNDATIONの最中、オアシスエリアを徘徊していると “Fortress Europe”(YouTube)が聴こえてきた。一段と大きい歓声を聴きながら、心の中で「twenty twenty two!!」と叫ぶ。

ザ・クロマニヨンズが登場する時間になると、GREEN STAGE後方のお休み処に友人達が戻ってきた。同僚のフジロック・マイスターS女史と2日目にしてめでたく合流し、場にそぐわない仕事の話をしてしまう。

ほどなくPRIMAL SCREAMのライブが始まる。PRIMAL SCREAMは忌野清志郎氏の健康上の理由によりやむなくキャンセルとなってしまった「忌野清志郎&NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS plus 仲井戸“CHABO”麗市」の代役で3日目のヘッドライナーもつとめることになっている。
PRIMAL SCREAMがヘッドライナーに格上げされたことについては賛否両論あると思うけれど、ライブを観れば世界的なバンドの凄みのようなものがよくわかる。

ところで3日間のうち、ほとんど携帯電話が機能していなかった。久々に会う友人氏もフジロックに来ているはずだし、高円寺に残された愛猫ハク氏が留守番人とうまくやっているかも気になるところ。
電波も通じず、アンテナが立っても回線が混み合い通話もメールもままならない。果てには充電が切れ(電池式の充電器も買い忘れ)、maxellブースの携帯充電サービスの長い列に並ぶ始末。携帯が使えないことでちょっと苦心した今回のフジロックであった。

UNDERWORLD開演直前、GREEN STAGEのPAブース左側で待機する。しかしここでは “肝心の” モニターを見ることができない。UNDERWORLDのライブなら、音を聴くだけではなく、映像だってちゃんと観たい。後方からも押し寄せる人々をかきわけて、丘の上に戻ることにした。

ライブ終盤には皆が待っていた “Born Slippy Nuxx”(YouTube) 。浪人していた19歳の頃から今に至るまで再生回数が多い曲。もはや、何歳でこの曲を聴いたかで相手のジェネレーションを判断してしまう自分。

巨大な風船が何十も頭上を行き交う演出は、まるで自分がインスタレーション・アートの一部になったかのような感覚がした。音楽を聴くというよりは、ギャラリーに迷い込んだ感覚に近い。そんなUNDERWORLDらしいライブの余韻がいつまでも続く夜だった。(写真:fujirock express


さて。昨夜のリベンジよろしく、今夜は夜中の場内を散策することにした。クラブと化した深夜のRED MARQUEEや、CSSがDJで登場したGANBAN SQUAREを眺めながら場内を渡り歩いていると、ワールドレストランの入り口で地べたに座るS女史と遭遇。「さっき友達になった」という兄弟2人と楽しそうに話し込んでいる。

深夜2時。苗場温泉の長い行列に寝ながら並ぶこと小一時間、風呂から出るとすでに空が白んでいた。いよいよ残すは明日のみ。テントに潜り込んで少ない睡眠をとった。


本日の1曲
Born Slippy (Nuxx) / Underworld


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フジロック通信’08 〜寝ちゃいけなかった夜、編〜(1日目行動記録)


入場ゲートをくぐり、2年振りにフジロックの会場に足を踏み入れる。顔をほころばせながら会場を練り歩く我々。WHITE STAGEではRYUKYUDISKOの真っ最中で、炎天下のグラウンドはさながら祭りのような趣があった。

かき氷で涼をとったあと、FIELD OF HEAVENに出向き、INO hidefumi LIVE SETを観る。四方に森が迫り、森の中にポッカリできた空間に佇んでいるような気分になる。

Gypsy Avalonからの坂を下ると再びWHITE STAGEが見えてきた。まだ昼を過ぎたばかりだというのに、大勢の人々がステージを見つめている。ステージではグランドピアノセットの原田郁子が演奏中だった。

今年はGREEN STAGEの後方の木陰にシートを敷き、そこを拠点にしていた。そこからはステージ脇の巨大モニターがかろうじて見える程度だったけれど、トイレやオアシス(フードエリア)も近く、お休み処として大活躍だった。

シートに寝転がりながらくるりを聴く。「東京」「ワンダーフォーゲル」「バラの花」。どれも大学生時代によく聴いた曲だった。


一旦テントに戻り、夕方からBLOC PARTYを見る。昨年のSUMMER SONICに続き、フジロックに初登場した。アルバムSilent Alarmの1曲目を飾る「Like Eating Glass」、フロントエリアのオーディエンスが手拍子で応えた「The Prayer」などが続く。Vo.ケリーは巨大なステージから降りフェンス越しに身を乗り出し、オーディエンスとボディータッチする。新曲「Mercury」も披露された。

終演後、オアシスで食事をとりRED MARQUEEでライブ中のTHE VINESを覗くことにした。一時期はとにかく音楽チャンネルでビデオが流れまくっていた。大混雑でメンバーの姿もほとんど見られなかったけれど、イントロが流れ出す度に巻き起こる歓声は気分を高揚させる。

前日の睡眠時間の少なさに加え、タフな環境で体力を消耗していた自分とC氏、この時間に初めて苗場温泉に行ってみることにした。 苗場温泉はキャンプサイトに隣接した大浴場で、入浴料500円(タオル100円)で入ることができる。午前2時まで受け付けているので下着をカバンに忍ばせておけば、ライブ帰りにそのまま立ち寄ることもできる。はっきり言って、会場の簡易トイレではなく、ウォシュレットで用を足せるだけで大感動である。

露天風呂に浸かり気分も上々。我々はテントへ引き返した。
折しもその時間は初日のヘッドライナー、MY BLOODY VALENTINEが演奏中で、キャンプサイトに人はほとんどいない。 C氏としばらく椅子に座り、互いの近況などを話した。歪むギターとオーディエンスの歓声が遠くこだまし、時々苗場食堂のライブの音も聞こえてくる。

ライブの熱狂と同じようにこういう状況を最もフジロック的だと感じる。非日常的な空間で、気のおけない友人とゆっくり語らうことができるのは、間違いなくフジロックの大きな魅力である。

深夜0時から始まるオールナイトフジに備えて、仮眠をとろうと横になった。
しかしあろうことか我々はそのまま朝まで眠りこけてしまったのだ! あれだけ楽しみにしていた電気グルーヴsugiurumnを見逃すとは何事か。真夜中にテントまで起こしに来てくれた友人氏の声にも全く気付かず、二人揃って熟睡しちまっていたのである。

翌朝、目を覚ました我々は自責の念に打ちのめされた。一年のうち一晩だけ無理をするなら、それはフジロック初日の深夜だったのだ、きっと。


本日の1曲
モノノケダンス (Album Mix) / 電気グルーヴ



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フジロック通信’08 〜若きキャンプ・ブルジョワジー編〜


高速をひた走り、我々は金曜の早朝に苗場に到着した。会場近くの民宿の駐車場に車を止め、昨夜ホームセンターで購入したばかりのキャリーカートに「余裕!余裕!」と荷物を移す。歩道の段差で荷物を根こそぎ、ずるりと落としながらも、意気揚々と会場へ向かっていた。

長い列に並び紙のチケットをリストバンドと交換する。フェスティバルではお馴染みのリストバンドは手首のサイズにあわせホックを止める形式で、一度ホックを閉じてしまうとつけ直すことができない。毎度のことながらちょっとした緊張の瞬間である。

やっとキャンプサイトにたどり着いた時には夜が明けかかっていた。
我々はまず、友人氏がテントを張っているというDエリアを目指した。Dエリアはキャンプサイトの入り口からは結構遠いけれど、ここにはまだ平地が残されていた。

C氏はバサッとテントを広げ、あっという間にテントを完成させた。テントの中にもぐりこんで身体を横たえ、念願の平地にテントを張ることができた満足感に満たされる我々。
しばし睡眠をとるも、日が昇れば暑さですぐに目が覚めてしまう。7時を過ぎればテントの中は蒸し風呂状態となり、外に出ずにはいられない。しかし、木陰の無いこのあたりで一歩外に出れば容赦なくじりじりと太陽が照りつけてくる。前回の「斜面」に次いで、我々は日向を楽観しすぎていたのだ!

C氏が中古で買った1,600円の至極シンプルなテントは、低温サウナのようである。見れば、周りにはひさしつきのテントが多かった。日陰をテント自らが生成するとは、なんて素晴らしいことか。日が昇ると、テントから抜け出てひさしの下に寝転がっている人も多かった。

つむじまで完全に日焼けしそうな直射日光の中、我々は、背後に見える丘を目指すことにした。丘の斜面に樹木が植わっていて、涼しそうな木陰が見えた。
樹木の木陰はなんて涼しいんだろう!我々は感激のあまり目を閉じ、「寒い!寒いよー!」と日陰を存分に満喫した。


丘のふもとには若者の集団が所有するタープ(日差しを避けるための屋根)が張られていた。4脚のイスが配置され、テーブルには灰皿やコロナビールが置かれている。屋根を支えるポールには色鮮やかな旗がくくりつけられ、それが風になびいていた。
それはまるでオープンカフェのような完成度だった。ほどなくすると周りに張られたテントから、ぽつぽつと若者が出てきて、机上のスピーカーから音楽が聴こえてきた。

若きキャンプ・ブルジョワジー達の余裕の談笑を目撃しながら、テントから持ってきたクラッカーをかじった。
滑り落ちないように樹木の幹に足をかける。視界は薄い水色の空と、濃い色をした樹木の葉に覆われている。この景色の中居眠りができるなんて、なんて素晴らしいんだろうと目をつぶる。

翌朝も、ずるずると寝袋を引きずり、寝ぼけ眼で丘を目指した。芝生の匂いを嗅ぎながら心地良い風に吹かれ居眠りをする。うっすらと目を開けて、時折ブルジョワジーの暮らしを眺めた。

平地を確保したら、次は日陰だ。日陰を見極めるには太陽の出ているうちに場所を決めなくてはならない。斜面だけではない。ここでは直射日光を制してこそ、本当のキャンプ・ブルジョワジーになれるのだ。


本日の1曲
Good morning / SPECIAL OTHERS


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フジロック通信’08 〜カネも有給休暇も今こそ!編〜



年々ラインナップがシリスボミになっていないか? 最早サマソニの方が豪華なんじゃないか? という声が、聞こえないでもない。毎年、FUJI ROCK FESTIVALと、SUMMER SONICとを天秤にかけるのが恒例になっている。今年は大本命、2年ぶりのフジロックを楽しむことにした。

3日通し券とキャンプサイト券を購入し、民宿の駐車場も押さえた。39,800円の入場券を筆頭に、3日間の滞在費を加えればちょっとした海外旅行並みのお金がかかる。しかしカネも有給休暇も、今こそ使わなければならない。先日目出度く7月25日(金)・28日(月)の有給申請が完了した。

ところで最近入社したS女史は、開催2年目から毎年参戦しているというフジロック・マイスターである。そして言うまでもなく、最近では目があえばすぐさまフジロックの話になってしまう。
歴代フジロックの思い出話や、会場での面白エピソードなど所感や私見を述べまくる。我々の話は尽きず、上長に怒られてもなおこっそりと盛り上がってしまうのだ。

初めてキャンプで挑んだ一昨年。得た教訓は沢山ある。フジロックでのキャンプ生活に必要なものははっきりしたし、意外と必要なかったものもある。
Tシャツはいくらあっても困らないし、夜の場内を歩くにはパワフルな懐中電灯が必須である。キャリーカートなしで荷物を運搬するのは無謀だったが、直前に買った寝袋は一度も使わなかった。個人差はあるものの、3日間のテント生活に必要な荷物はそれほど多くはない。

そんなわけで、共に参戦するC氏とも打合せらしい打合せをしていない。しかし、そんな我々にも心配ごとがある。

前回、我々は金曜日の明け方に苗場入りした。すでにキャンプサイトは所狭しとテントが張られ、我々は軽い気持ちで斜面にテントを張った

朝起きると、荷物も人も底辺に固まっている。せっかく持参したからとチェアに座ってみたものの、ものすごく前のめりだったし、テントからはみ出た荷物は虚しく斜面を転がっていった。おまけに他の荷物に押されカセットコンロのガスも漏れた。
要するに、テントを斜面に張ってしまうと色々と都合が悪い。

去年、フジロック・マイスターの彼女が一人で寝泊まりしていたテントは半分バンカーに突っ込んでいたらしい。彼女の「裏庭」では、外国の方がパターゴルフを楽しんでいたという。それでも『外人は自由やね。』とにこやかに微笑む彼女は、やはりマイスターなのである。


本日の1曲
Appproach Me / Asparagus


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FUJI ROCK FESTIVAL 2006


買い物日誌001 明け方のピエール


柳 宗理 ・ステンレスケトル つや消し
¥5,880
購入場所 Amazon.jp



アパレルブランドが販売する日用品( __例えば、バスマットや食器類)は、良ければデパートの食器売場の棚に並べてもらえるけれど、悪ければホームセンターのワゴンに詰め込まれる宿命にある。

それはともかく。
東京暮らしを始めた時、祖母が準備した生活用品の中にピエールカルダンのやかんが入っていた。えんじ色の胴に黒い持ち手というモダンな色づかい。今まで実家のどこかに潜んでいたのか、荷造りのために家族が慌てて買ってきたのか判らないけれど、使うほどに悪くないなと思わせる魅力があった。

柳宗理のステンレスケトルは、優れたデザインの代名詞のような存在で、おそらく「日本で一番有名なやかん」だと思う。それが折角の日用品であるならば、実際に使ってみるのがいいだろう。ピエールも10年以上も使って塗装が剥げている。

宅配人により我が家に新しいやかんが届き、古いやかんを提げてゴミ集積場に行った。

ピエールはかちゃりとアスファルトに着地して、その音で反射的に学生時代によく食べたカップ焼きそばのことを思い出した。
振り返ると、彼はその口をガードレールの方に向けていた。この時まで知らなかったけれど、やかんにも情は移る。


本日の1曲
めくれたオレンジ / 東京スカパラダイスオーケストラ

・・・・・
どんなものにお金を使っているのかがわかると、ちょっと面白そう!
その人が普段、どんなものを手に取っているかを知れば価値観や人となりがわかるような気がします。そんな思いつきでひとつコンテンツを増やしてみることにしました。


21世紀の文字列


プラットホームの風景や、スカートの紺色の裾。朝の通学時間になると続々とブログ記事が投稿され、ブログポータルサイトはちょっとした賑わいをみせる。
彼女たちは無意識的に記録を残していく。携帯からインターネット上に文章を公開するなど、10年前には想像できなかったことだ。

そんなさまを見ていると、幼い頃に記念碑の下に埋めたタイムカプセルのことを思い出した。もうあれは掘り起こされたのだろうか。上京してロクに故郷にも帰らない自分にはその知らせもない。
21世紀にタイムカプセルは必要だろうか? 今世紀の高校生は、大人になっても高校生の自分にアクセスすることができる。

少し前に、若いアナウンサーが自殺してニュースになった。最近様子がおかしい、と芸能ニュースが報じた時、彼女のブログを一度見たことがある。そしてその数日後に彼女は死んでしまった。
自殺のニュースを聞いてからブログを見ても、ブログは以前と何ら変わりないように思えた。その後、“気の利く” 周囲の人間によってブログはひっそりと閉鎖された。

一方、ブロガーが死んでも放置され続けるブログもある。以前頻繁に訪問していたとあるブログは、ある日を境に更新されなくなった。彼から発信された文章に彼の息づかいを感じる。それは数年経った今でも変わらない。たまたまアクセスした人は、彼がもういないことをきっと想像できないだろう。

死者の遺したブログには、またすぐに記事が更新されそうな気配が満ちている。そしてかつて最新だった更新日時だけが、みるみる過去になっていく。

国内のブログ総数は1,690万件に達したと先日総務省が発表した。全世界では1日当たり12万(1秒当たり1.4)の新しいブログが作成され、1日に投稿されるエントリ数は約150万件にのぼるそうだ。

人々はインターネット上に言葉を放ち、インターネットの無限の広がりは言葉の氾濫を許してくれる。通学途中の女子高生や、自殺したアナウンサーや、自分や、友人達が放った言葉は記号によって同列に表示されそこに漂っている。

少し前まで、過去とは記憶を辿るものだった。でもこれからは、死者さえも生前の記録をありありと残して死んでいくようになる。21世紀の生活は、インターネット回線無くしては見ることのできない無数の言葉に取り囲まれている。

そんなことを考えていると、ブログは何百年後にも閲覧できるメディアなのだろうか? という疑問が湧いてきた。

21世紀を生きた我々が遺した文字列に、いつかはアクセスできなくなる日がくるんだろうか。古代エジプトのパピルスみたいに、ブログも遠い昔の媒体として淘汰されゆくものなのか。
最低いつまで、この記録にアクセスできるんだろう ___?

でも10年後ですら想像できなかったように、我々は遠い未来を想像できない。


本日の1曲
隠せない明日を連れて / Tokyo No.1 Soul Set


森山大道展 レトロスペクティヴ 1965-2005/ハワイ @東京都写真美術館




週末の会場は若者で溢れていた。今年70歳になる写真家の展覧会にしては客層が若い。やはり自分のように、ダイドーに写真への目覚めを奪われた人たちなのかと勘ぐってしまう。
初めて森山大道の作品に触れたのは10年以上前。当時は美術予備校で浪人していて、作品の資料にと読んでいた雑誌で写真集『Daido-hysteric』の存在を知った。

あのヒステリックグラマーが写真集を出版したというニュースに加えて、これまでの「モノクロ写真は繊細でトーンが淡い」という思い込みの、まさに真逆をいく衝撃の写真が飛び込んできた。
艶めいた街は匂い立つ色気を感じさせたし、ハイコントラストの黒々と焼かれた写真はグラフィカルな印象を与えもした。しばしその頁に釘付けになった。

大学に入ると、時々暗室に入るようになった。現像液の温度を上げ、長めに露光してダイドーもどきの写真を焼いた。要するにどっぷりとカブれてしまったのだが、仕上がりを自分の勘に頼る現像作業は最高にエキサイティングだった。(そのせいで写真の授業が退屈で仕方なかったのだけれど)

その出会いから10年以上、森山大道はずっと特別な作家であり続けている。



今回の展示はレトロスペクティヴ1965-2005(3F展示室)と最新作『ハワイ』(2F展示室)の二部構成になっている。まずはエレベーターで3Fに上がった。

アシスタントから独立後、写真雑誌への初掲載となった《ヨコスカ》(1965)から『ブエノスアイレス』(2005)までが年代順に並ぶ様は壮観である。
入場してすぐの壁には、いきなりホルマリン漬けの胎児を撮影した《無言劇》と、寺山修司と共に旅芸人を撮影したシリーズ《にっぽん劇場》が展示されていた。年代順に並んでいるので当然なのだが、入館して早々の出迎えに一層期待が高まる。

壁に展示されたプリントはもとより、ガラスのケースに納められた雑誌や写真集を凝視せずにいられない。

ポスターやテレビ画面を撮影し、自分名義の作品としたことで物議を醸し出した連載《アクシデント》(69年・アサヒカメラ)や、盟友・中平宅馬氏も参加した同人誌『プロヴォーグ』(68-72年)、対象を写さない手法を用いた挑発的な『写真よさようなら』(72年)などは、刊行当時を知らない若い大道ファンなら思わず息を飲む伝説の品々だろう。

艶めかしいタンゴのリズムと石畳の路上。レトロスペクティヴ最後の壁面を飾った『ブエノスアイレス』は森山氏らしい色気に満ちていた。ブエノスアイレスに抱くイメージと森山氏の持つ世界観は密に通じ合っている。カメラだけを持ち異国を訪ねることはなんて素晴らしいんだろう。



森山氏が次の撮影地にハワイを選んだということを聞いたとき、子供の頃に抱いたハワイへの憧れが懐かしく思い出された。ひと昔前までは、海外旅行といえばハワイだった。その憧憬は、端がめくれて色褪せたポスターのように懐かしい。

そして今回、森山氏による『ハワイ』の大型プリントを初めて見、撮影地としてのハワイという選択が大当たりだったことを確信した。陽光にぎらつくオートバイや、乾いたアスファルトの路上など、まさに大道的なモチーフが並ぶ。それは自分が突き動かされるものに忠実に、心引かれる景色に向かってただ歩く、という氏の確固たるスタンスを感じさせた。

ぼくはね、昔からあまり仕事というか、注文がないんだよ。たまには雑誌の仕事がなくもないけれど、あまりないんだ。(中略)
それで何をやっているかというと、コンパクトカメラをいつもジーパンのお尻のポケットに入れて街をうろつき歩く。それがぼくの写真生活のパターンなんだよ。パターンというか、ぼくが写真に関わるほぼ全部なんだよ。

ー対話集『 昼の学校 夜の学校 』より

撮影された場所は、単なるキャプションでしかない。ハワイ・ブエノスアイレス・新宿・大阪。素っ気ないほどの写真集のタイトルが、彼の写真との関わりかたを代弁しているような気がする。

だから今回も、森山大道はただハワイに降り立っただけなのだ。そしてハワイという楽園はその楽園たる所以( __ 熱帯植物の艶めかしい姿や、日焼けした人々が押し寄せるビーチ)を含みながら、そこに在っただけなのだ。

ハワイの作品群を観終えたとき、森山氏がハワイを選んだことが奇跡のように思えてならなかった。本人の言葉を借りれば、森山大道は「モノクロームのハワイを作った」のだった。


本日の1曲
The Greatest / Cat Power


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【 展覧会情報 】
■ 会 期:2008年5月13日(火)→6月29日(日)
■ 休館日:毎週月曜日(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)
■ 会 場:東京都写真美術館 2・3階展示室
■ 料 金:一般 1,100(880)円/学生 900(720)円/中高生・65歳以上 700(560)円
※( )は20名以上の団体料金
※小学生以下および障害者手帳をお持ちの方とその介護者は無料
※第3水曜日は65歳以上無料


【 森山大道に関するおすすめ書籍 】

■ 昼の学校 夜の学校
写真を学ぶ学生との対話を通じて、自らの
歴史を語り、写真への思いを語る。
ひとつひとつの質問に丁寧に回答していく
氏の発言に独特の写真論、その価値観に森
山大道的なエッセンスを感じるファン必読
の書。日々の生活の様子など評論家が今更
聞けない率直な質問があって面白い。


■ 犬の記憶 終章 (河出文庫)
文庫版のあとがきを執筆したのは、ヒステ
リックグラマーの北村信彦。森山氏へのラ
ブレターともいえる素直すぎる文章が微笑
ましい。
素晴らしいエッセイを紹介したくて先日友
人氏に文庫版を贈答。所有しているのは単
行本のため、あとがきを読んでから手渡し。


【 メディア情報 】
■ 美の世界(1996年2月24日放送)
「写真家 森山大道 1996 〜路上の犬は何を見た?〜」

第2日本テレビにて放送中


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>>connection archive >>
2006/03/21 『森山大道 〜野良犬の目線〜


密室殺人的スローライフ

スロー・ライフ【スローライフ】
1. 《効率とスピードを優先して、いつも時間に追われている現代のライフスタイルの反省に立って、自然と調和したゆったりとした時間の流れを楽しむ生活。》
近年では「自然体でおしゃれなライフスタイル」という意味で使用されることが多い。

CDショップの店員は、システマティックに一連の動きをこなす。こちらが商品を差し出せば、プレートの上で管理コードを解除しバーコードを通しクレジットカードを機械に通し通信の間にCDとチラシを袋詰めし胸ポケットから取り出したボールペンでサインを促しクレジットカードを返却しレシートを袋に滑り込ませる。
やや(かなり)スピードに欠けていたとはいえ、今日だって同じプロセスを踏んでいたはずだ。

ここはレコード文化が未だ根付く街、高円寺。CDを買うよりも、レコードを買う方が容易い。一昨年にオープンした商店街のCD屋は、高円寺的なコンセプトで運営されているようだ。広くない店内には、懐かしのフォークやウッドストック的なアメリカンロック、バブリーな時代のドライブを彷彿とさせるAORやディスコミュージックが並んでいる。

先日店の前を通りかかると、軒先に発売されたばかりのWeezerの新譜が並んでいた。この店で扱いがあるとは思わず、その足で新宿に行こうとしていたところである。

店内にかろうじて用意されたトップチャートコーナーにはJ-POPの新譜が並んでいる。五十音順に並べられた邦楽コーナーの棚はスカスカで、各行あたり数アーティストしかない。チャートよりもこの棚にインする方が難易度が高そうだった。
そんなストイックな品揃えを眺めていると、レジに立っていたご婦人がつかつかと寄ってきた。CDショップには似つかわしくないご婦人が眉を下げて『何かお探しですか?』と自分に問う。子供の体調を心配する母親のような表情をしていた。

あるバンド名を告げると、ご婦人は残念そうな顔をした。横文字のバンド名を一回で聞き取り、入荷状況を即答したことに少なからず驚いていると、ご婦人は「よかったら予約していかれますか、数日で届きますから。」と微笑んだ。

Amazonならこの店で取り寄せるより先に届くだろう。しかも自宅にポストインで。しかしご婦人を前にすると、そんな現代人的な思考回路が妙にやましくなる。咄嗟に棚からWeezerのCDをつまみあげて差し出した。

そう言えば、突然商店街に姿を現したサーティーワンアイスクリームの前は、どんな店があったんだっけな。それを聞くと、ご婦人は以前そこにあった化粧品店の話をしてくれた。袋に冊子とチラシを同封していいか丁寧に確認をとり、背後にあるクレジットカードの機械相手にしばらく首を傾げると、振り返って「通信中。」と言った。

日用品の買い出しを終えて部屋に戻り、さっそくCD屋の袋を開けてみた。チラシや冊子は入っているものの、肝心のCDが見当たらない。念のため他の店の袋も開けてみるがやはり無い。

まじまじとCDショップのビニール袋を見る。空の袋を揉んでみたりもした。開封口の真ん中はテープで閉じられていて、破れた形跡もない。まるで密室殺人である。(CDはどんな方法でここを出たのか?)

半信半疑で店に電話をかけるとご婦人が出、開口一番に『うぃーざー!』と言った。そして数十分後、自宅にCDが届けられた。ショルダーバッグを斜めがけしたご婦人は両手を胸の前で合わせ、ゴメンのポーズをしていた。

友人氏はそのエピソードを「スローライフ」と形容した。
買ったCDを渡し忘れるCD屋なんて聞いたことがない。でも高円寺にはそんなCD屋がある。


本日の1曲
Troublemaker / Weezer