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捨てられない症候群

人々はモノの捨て時期をどう見極めているのだろうか?この部屋の押し入れには2年前に引っ越してきてから一度も開けていない巨大な段ボールがいくつかある。2年間開けていないということはおそらく段ボールごと捨てても生活に支障はないということだ。しかしながらいつか使うかもしれないと思うと捨てられない。第一その段ボールの中身を開けてしまったら丸一日が片付けで潰れてしまう。

捨てられないモノの最たるは書籍である。大学時代に買い漁った文庫本や単行本、小説やエッセイは捨てることができない。元から捨てる気がないとも言える。自分にとっては重要指定文化財に相当する。追加で買った棚も次々と埋まってゆく様を眺め、数ヶ月に一度雑誌類を選考にかけ、選考に漏れたものを渋々捨てる。しかしながら『Esquire』や『STUDIO VOICE』はやっぱり捨てられない。一度10年近く前のモノを集めて紐でくくってみたが、やっぱり捨てられずそのままになっている。

下着や、靴下の類の捨てるタイミングがわからない。果たして人々は脱いですぐに捨てているのだろうか?さっきまで身につけていたモノをポイとゴミ箱に捨てるのはなんだか抵抗がある。生ゴミなんかと一緒に捨てるのは妙な感じがしないだろうか。そして洗濯をしてから捨てようと思い、洗濯機に投げ込む。干す。風呂上がりについつい身につけてしまう。そうしていつまで経っても捨てられなくなる。糸がほつれていたり、ゴムが伸びていても身につけられないわけではない。

この間、自分の履いていた靴下のかかと部分に穴が開いていた。明らかにそれは履きすぎによって擦り切れていた。五本指ソックスを気に入りすぎるきらいがある。穴に気付いた時はひとりで赤面するほど恥ずかしかった。指ならまだしもかかとが擦り切れたのは初めてだった。すぐに履き替えたい衝動に駆られたが案の定仕事中だった。帰宅してからすぐに脱いでゴミ箱に捨てた。今回こそは輪廻を逃れなければいけない。

この上無くコンフォータブルなパンツに出会い、トイレに入った際にタグを見るとユニクロのロゴが入っていた。(へぇ、ユニクロも結構やるじゃん)と用を足したのだがよくよく考えてみるとユニクロで下着は購入した覚えがない。きっと誰かのパンツを履いてしまっている。ひとり暮らしの我が家に泊まっていった誰かのパンツである。ちょっとした戸惑いを感じながらもそのパンツもまたいつしかその輪廻に飲み込まれていった。数回洗濯を繰り返せばもはや自分の持ち物である。

ある作家はレコードの収集家で、自宅のオーディオルームには何万というレコード盤が眠っているそうだ。そこで彼は時々自分の年齢を考えて(死ぬまでに聴くことはないだろうな)というレコードに見切りをつけて大胆に処分するらしい。それまたすごい心境でまだまだ真似できそうにない。
だからモノが増が増え続ける。日々こんなにゴミを廃棄しているのに膨れあがるばかりの我が家である。


本日の1曲
JUMP / 真心ブラザーズ


ヨコハマ・トルネード

友人が鎌倉に引越をした。その友人のナビゲートで横浜に赴いた。最後に横浜に行ったのはまだ静岡に住んでいた高校生の頃だ。上京してからは縁がなく、ちょっとした小旅行気分で横浜に向かった。昼間から街を散策するなんてヘルシーだ。横浜駅で待ち合わせをした友人と中華街を目指す。

海兵達のパレードでごった返す通りを抜けると中華街に出た。中国人のあまりの素っ気なさに喝采しつつ、店を出て山下公園まで歩く。ずっしりとした首都高の高架が頭上に走り、ベイブリッジが遠くに見える。こういう海の近くの大雑把な風景がとても好きだ。

土曜日の山下公園はとても賑わっていた。海の見える芝生の上で昼寝をする人やベンチに腰掛けて読書をする人もいた。自宅から歩いてここに来られる人はきっと休日を有意義に過ごせる。海を眺めるのは静岡に帰省した時くらいなものだ。そして普段の自分の休日のインドアぶりを思い出し彼等を羨ましく思った。

若者のグループが円になって歌を歌っていた。アコースティックギターの音も聴こえる。彼等は50人ほどの大円団で、しかも曲目は吉田拓郎の『落陽』だった。なんの集まりなのかが非常に気になった。そして久々に聴くメロディーにこちらもフフンと鼻歌で参加しながら海っぺりを歩く。

大型船の前でハンドマイク片手に歌謡曲を熱唱している女性がいた。バブルをタイムリーに経験したであろう年齢の彼女は超ミニスカート姿で茶色い髪を振り乱し、アイドル的な微笑みを振りまいている。脇には立派なスピーカーが据え付けられていて無許可でやっているような雰囲気はない(横浜市公認のアイドルなのだろうか)。その場にいる大勢の人は好むと好まざるとに関わらずその歌を聞くことになる。彼女の写真を撮っているおじさんや彼女の近くで突っ立っているおじさんがいた。ファンなのだろうか。大多数の奇異の目に臆することもなくアイドルは溌剌と歌い続けていた。

ビルの合間に見える観覧車は横浜のランドマークだ。存在は知っていたが実際に来ることは初めて、という場所のオンパレードにテンションが上がる。コスモワールドは見事な都市型遊園地だった。夕暮れのビル群にアトラクションのイルミネーションが鮮やかだ。
アトラクションはどれも空いていてすぐに乗ることが出来るのもいい。目の前にくねくねと螺旋を描くピンク路の線路を見やり、ジェットコースターに乗ってみることにした。
そそくさとチケットを購入し階段を上がる。見下ろすとそのピンク色の線路はプールの真ん中の不気味な穴に突っ込んでいる。どうやら地上からこの穴めがけて突っ込むようだ。見なければよかったと焦る。ギブアップ寸前の友人氏を必死に丸め込み搭乗した。荷物をロッカーに預け、帽子を脱ぐ。

ゴトゴトと最初の山を登り始めた。トワイライトの景色は確かに美しかったが、それどころではない。もう10年以上ジェットコースターに乗っていないせいで自分の高所恐怖症を忘れていたのだった。ゴゴゴ!!と急カーブの線路に豪速で滑り込む。車両の点検はちゃんと行われているのだろうか?もし車両が線路から離れてしまったら海に放り出されるよな?もう乗ったから仕方ないよな!頑張れコスモワールド!と次々に沸き起こる不穏な妄想を追いやる。

そして搭乗前に見た不気味な穴に向かって・・・落ちる!!グググイと安全バーに体を押しつぶされ思考が停止した。非常に、非常に恐ろしかった。考える暇もなく自らの人生にグッドバイを告げてしまったような瞬間だった。

そして恐怖から解放され、異常に饒舌になった我々は小一時間ジェットコースターの運転を眺め続け、他の客の絶叫を聞いてはユカイに笑った。

初めてに近い感覚で横浜の街を探索した充実した休日だった。そして思っていたよりも横浜の街は多彩であった。湘南新宿ラインを使えば、新宿〜横浜間を30分で移動することが出来る。行きも帰りもウトウトしている間に到着してしまった。人々が便利だと賞賛する路線なだけはある。そして次回はまた違うアトラクションに乗ってみたい、と懲りない自分である。


本日の1曲
KILLER TUNE / ストレイテナー


ひとりっ子は雨ニモ負ケズ

ひとりっ子は遊びにも工夫がいる。天気の良い日は友達と集まって公園の遊具で遊んだり自転車レースをすることが出来るが、ドンヨリとした雨の日には家で時間を潰さなければいけない。幼い頃は様々なひとり遊びで雨の日をしのいでいた。

ひとりジャンケンはシンプルでありながら難易度が高い。始める前は頭の中を真っ白の状態にしなければならない。正しくグー・チョキ・パーを出すのにもコツがいる。勝ち負けの思考が片手に偏るのを防ぐためにまず目をつぶって精神を統一する。そして「ぽんっ!ほいっ!!」と唾を飛ばしながら必死の形相で戦う(その声を聞いて子供の行く末を心配しただろう)。そしてそれぞれの手が勝った数を「正」の字で表にする。「やっぱり右手が強い」という結果にふむふむと妙に納得してみたりする。

父親が教えてくれたのはチェスだ。今ではすっかり忘れてしまったそのルールも小学生の頃には熟知していたと思われる。他にもオセロやドンジャラのようなボードゲームをプレイするときは盤を挟んで移動しながらそれぞれのプレイヤーになりきって策略を練る。それに相手側をプレイする時は先程練った「敵」の戦略を忘れ去る努力をしなければならない。小学生にしては高いハードルを課していたものだ。それはひとりぼっちの孤独なゲームだったが、何故かフェアプレイにはこだわりをみせていた自分である。

ひとりっ子だったせいか親は随分自分に甘かった。欲しいと言えば大抵のものは買って貰えた。当時はファミコン全盛期でプラスティックのボックスに収められたソフトの数は近所一の品揃えを誇っていた。学校から帰宅すると近所の子供が自分より先にファミコンで遊んでいることもあった。そして毎日何時間もゲームに興じていた。
今一歩の所で敵に敗れて記録が台無しになったりすると悔しくてしょうがない。我が家のコントローラーには悔しさの証の歯形がいくつも刻まれていた。

当時はひとりっ子の数は少なかった。周りを見てもクラスでひとりっ子の子供は数人しかいなかった。羨ましいわけではなかった。ただ、家族の中で一番歳の近い父親でも30歳近くの年の差があるということを当時もぼんやりと考えていた。
ある写真家が『僕は自宅にいても一人になりたくなることがよくあります。決して孤独が好きなわけではなく、むしろ寂しがり屋な方ですが、「自分の世界にこもりたい」というのは、一人っ子の典型的な行動パターンなのかもしれません。』とコラムに書いていたけれど、彼の言葉はひとりっ子の性質をよく言い表している。

そして周りを見ると東京でひとり暮らしをしている人は意外と少ないことに気付く。兄弟や親や友人と同居しているケースは多い。現実的な経済負担は大きいけれど、それでもひとり暮らしが快適なのはそんな理由もあるのだろうか。


本日の1曲
Big Me / Foo Fighters


拝啓、親愛なるアーティスト様

敬愛するアーティストの新作を手にしたときの高揚感は何にも代え難い。そこには彼等の現在が詰まっている。伝えたいことは全てその楽曲に込められているはずだ。だからこそ作品を手にとって実際に聴くまでの間こんなにも胸騒ぎがする。目をつぶって彼等が見せてくれる世界を想像する。君の世界はどう変わったか?その世界にはまだ共感の余地はあるか?と。

CDのビニールを開封する行為は日々世界的に行われている最も身近なイベントのひとつだ。君が作品に込めた想いは皆に伝わるだろうか?響くだろうか?
そして手元に届いたばかりのCDを見つめ、ゆっくりと再生ボタンを押す。

音楽が生活の隙間を満たす。その日常の風景はリスナーの数だけある。我々が楽曲からイメージする風景のほとんどはアーティストすら知ることが出来ない。自分の鳴らした音楽が誰かの日常に溶け込んでゆく。孤独な夜の喧噪や、幸せの日だまりをなぞってゆく。聴いてくれる何人かの大切な1曲になることができたらと願う。彼等の作品からはそんな切ない希望を感じることができる。

彼等は自分自身を発信することに恐れを感じるだろうか?作品は意のままに伝わらないかもしれないし、その表現が誤解を招くかもしれない。認めない人は去っていくだろう。

しかしその作品を作り終えた時、彼等にはきっともう次の世界が見えている。発信し続けることは希望である。求める理想に程遠くても、それでも必死に手を伸ばす。無力感と僅かな希望を彼等は歌う。新たな世界の輪郭は無限の要求を迫るだろうが、走り続けている限り求め続けることができる。そうして導いてくれた新しい世界はきっと新たな出会いを生む。

生まれてから死ぬまでに自分の存在すら知らない人の数は圧倒的だ。だからこそ彼等は音楽を鳴らす。ちっぽけな自分がここにいることをわかってもらえるように。


本日の1曲
Farewell Dear Deadman / ストレイテナー


時給580円

そのラーメン店は当時駅前にあった細長い作りの店だった。父親の知り合いが経営するその店には小さい頃から何度も訪れたことがある。「先生が来たら隠れな」と店長は気遣ってくれた。通っていた高校はアルバイト禁止だったのだ。偉そうにカウンターに座って新聞を読んでいて優しく注意され、実際にないメニューを厨房に向かって叫び苦笑いされることもあった。今も帰省すると親戚一同で訪れる。初めてのアルバイト体験をさせてくれた思い出深いその店舗も今は移転し立派な店構えだ。

次に選んだのはファミレスの厨房だった。皿洗いは新人の仕事なのだろう。次々に食べ終わった食器が目の前に積まれていく。ファミレスの食べ残しは驚くほど大量で驚くほど簡単に廃棄される。他人の残飯にまみれ冷たい水に手を突っ込んで皿を洗った。家事を手伝ったことがなかった自分には充分過酷だったが、厨房の片隅で途方に暮れていても店長に怒られるだけだ。スニーカーの底がすり減って穴が開く程必死に働いていたが辞めるときは何故か「留学することになったので」と嘘をついた。その後暫くはそのファミレスに近づくといちいち言い訳を考えた。

おそらく一番長い期間働いたのはコンビニエンスストアだった。今考えれば580円という法外な時給にも驚くが、田舎の町で高校生がアルバイトするところは限られている。当時の最低賃金はもう少し高かったと思うのだがわがままは言えない。

そのコンビニは神社の目の前という立地のせいで正月は時給が1300円に跳ね上がった。高校生には刺激的な金額だ。しかしその混雑は想像を絶するもので、レジの行列は店内をぐるりと囲み、一日中お客でごった返していた。我ながら迅速なレジさばきで次々にお客を片付けるが、一向に列は途絶えない。
鼻息荒く次の客を迎えるとニンマリとした表情の両親が立っていた。あまりコンビニに縁がない両親だったが、おにぎりやおつまみを抱えて満足そうだ。何もこんな忙しい日に様子を見に来なくてもいいのではないかと思った。こちらは絶賛テンパり中だった。

棚の下段に陳列された駄菓子は子供達の興味をそそるようだった。今やコンビニが駄菓子屋の役割もしているのだ。30円のお菓子を3つ買うのに1つずつ3度レジに持ってくる子がいた。くじやおまけがついていてどれを選ぶか悩んでいるのだと思っていたが、それが消費税の課税を避ける手段だと気付いた時は感心した。当時はまだ消費税は3パーセントだったので1つずつ買えば3円節約できる計算になる。こどもの知恵は消費税にも対応しているのだ。

あるおじいさんはいつも枝豆と小さなパックの牛乳を買っていった。夕刻に現れてゆっくりとレジの前を過ぎ、迷わずその2品を手に取った。枝豆と牛乳以外は買うことがなかった。毎回繰り返されるその行動で、おじいさんの顔をみると270円(くらい)の合計金額を連想するようになっていた。ひとりで食べているのかな、そうでないといいな、といらぬ心配をしたものだ。

売り物のアイスクリームをレジの陰に隠れて食べ、おでんのつゆに入った虫をおたまですくってこっそり捨てた。授業中にボールペンと定規で書いたバーコードを読み取ると「シャケ弁当」と表示され妙な気分になった。バイトが終わると一緒に働いていたクラスメイトの友人と賞味期限切れのお総菜をどっさり持ち帰り、電子レンジに詰め込んで温めて食べた。そうして稼いだ小遣いは放課後のドーナッツ代やCD代になった。

高校時代にした3つのアルバイトはどれも貴重な体験だった。当初の戸惑いが薄らぎ、環境に順応していく課程を実感できた。往々にして我々はある日社会にポンと放り出される。その度に(そのうち慣れる、大丈夫さ)とあの頃を思い出しては自分に言い聞かせている。


本日の1曲
青春狂走曲 / サニーデイ・サービス


酔狂的人間模様

このマンションの向かいのビルの1階はちょっとしたスナック街になっているようだ。

引っ越してきてすぐその喧噪と生活を共にすることになった。扉がカランと開く度に轟くカラオケの音や、懐かしのジリリリという黒電話の音。カラオケで「あたぁたぁめてえぇえ〜〜」と悦に入っている歌声。

その歌声を聞く時、いつも同じフレーズでフルボリュームの盛り上がりを見せることから彼が常連客であることが伺える。そして暫くすると乾いた拍手の音が聞こえる。ここまでが毎回同じだ。駅近くのスナック街には毎晩ママ達のゲラゲラという笑い声と酔ったお客の高らかな笑い声が絶えない。

あるお店のママは必ず道端までお客さんを見送りに来る。毎晩何度もそのやりとりが聞こえる。我が家に来る友人達は一度は耳にしたことがあるはずで、その回数を考慮するとお店は結構繁盛しているようだ。(週末はやっぱり客の数が違う!)と勝手に感心したりしている。

「またいらしてくださいネ」「ありがとうございましたッ」というママにしてはヨソイキな客とのやりとりが聞こえたかと思うと、次には「風邪ひくなヨッ!ガハハ」「ころぶなよッ!ガハハ」と常連さんに声を掛けている。言葉は幾分変わるものの、ママの人懐っこい朗らかさは変わることがない。

「あら、雨だねぇ」「寒いわけだよォ、雪だもん!」という声が聞こえるとママが立ち去ってからそっと窓を開けてみたりする。ママは気象情報も教えてくれるのだ。
そして年末年始には挨拶を忘れない。「来年もよろしくネッ」と「今年もよろしくネッ」は12月初旬から1月終わりまで続いた。

ある休日の昼下がり、昼寝でもしようかとベッドに寝っ転がっていると、向かいの道端からゲラゲラと聞き慣れた笑い声がする。まだ昼の1時といったところだ。片付けやらを考慮すると7時くらいまでは店にいるはずだし、開店までにはまだ時間がある。その「ど真ん中」的な時刻におののく。ママはいつ寝ているのだろう?

近隣にスナックや居酒屋が多いせいで部屋の真下の道端で酔っぱらいが喧嘩を始めておまわりさんが駆けつけることもある。明け方に若者グループが大声で歌い出して仲良く盛り上がっていると思うと、そのうちやっぱり喧嘩を始めてしまう。穏やかではない彼等のファイトで折角の睡眠が台無しになることもある。オイオイ勘弁してくれよ、と思いつつも部屋の窓を開けて観戦してしまったりする。

早朝の道端で客を送り出すママに遭遇したことがあった。いつも階上から声を聞いたりチラッと見たりするだけだったが、朝日の中で見るママにちょっとした感動を覚えた。ママは和服を着ていた。毎日わざわざ着物を来てお客さんを待っているということに驚き、感動した。

日々酒場で繰り広げられる光景に、なんとなく人間の営みのようなものを感じてしまうと言ったら大袈裟だろうか?

さっき、今夜はなにを書こうかナ、とベッドに寝そべっていたらママの声が聞こえてきた。そしてこの文章を書き始めた。どうやら、またママが客を送りにやってきたみたいだ。


本日の1曲
Whisky & Unubore / ZAZEN BOYS


『いやいやえん』

20代終盤に差し掛かった今になっても心の中に強く残る本がある。
『いやいやえん』を初めて読んだのは小学校低学年の頃だった。この本は児童向けの童話でありながら今に至るまで強烈な印象を残し続けている。
出版社である福音館書店の作品紹介文には「元気な保育園児しげるが主人公の楽しいお話。」とあるが、その文章にはただならぬ違和感を感じる。自分にとっては決して「楽しいお話」ではなかった。

この作品がなぜそれほどまでに印象に残っているか。それは「本の世界に入り込んだ初めての体験」だったからだと思う。保育園児しげるは大人の言うことをきかず協調性が無い。そして身勝手な行動が”罰”を生む。
いたずらをしては保母さんに暗い押し入れに閉じこめられる。他の園児達と共に「りんごの山」や「みかんの山」に遠足に出かけ、行ってはいけないと注意されていたおどろおどろしい真っ黒な山の中で迷ってしまう。クネクネと奇妙な曲線を描く怪物のような樹木に遭遇し、しげるはその木の幹をくぐり抜けようとするが体を挟まれ出られなくなってしまう。しかもあろうことかその状態でものすごい形相の鬼と出くわしてしまう。
当時は物語を客観視することができなかった。しげるに起こる出来事をあたかも自分が体感しているような気になって次々に恐怖が襲ってきた。

そして作品の文章に添えられた絵が一層気色悪さを際だたせている。それまで親しんでいた色彩の豊かな絵本に比べ、その黒い線画の絵はショッキングだった。楽しそうに遊んだり、無邪気な笑顔のカットは(あったのかもしれないが)一切思い出せない。代わりにしげるの悲痛な表情だけが思い出される。動物とお話したり気球に乗ったりしてファンタジックな冒険をするのが童話ではなかったか?
しかしこれまで触れたことのないその世界観にみるみる飲み込まれていった。そしてひとりっ子の自分はその恐怖を誰とも共感できずに抱え込んでいた。こんなに怯えていることを大人に話しても判ってくれないだろう。

『いやいやえん』を最後に読んだのはいつだろうか。実家に帰れば本があるかもしれないけれど、間違いなく15年は経過している。今思えばその作品には「大人のいうことをよく聞いて約束は守りましょう」的な教訓が込められていたのだろうが、当時はそんなことは知る由もなく、ただ物語に描かれた残虐性におののいたものだ。
インターネット上で「子供を寝かせる前のお話にぴったり」「我が子は目を輝かせて聞き入っています」などという母親達のコメントを読んだが、こんな話を寝る前に聞かされたら確実に悪夢を見そうだ。幼き日の自分はさぞかし顔を歪めて頁をめくっていたはずで、それはもはやトラウマに近い感覚と言わざるを得ない。

大学時代に入った書店で久しぶりにその本を見かけた。しげると熊の絵が描かれたエンジ色の表紙を見かけて瞬時に胸騒ぎがしたのを覚えている。いくつかの有名な文学作品を読んだけれど、その読書体験の記憶は鮮烈で、決して色褪せることがない。


本日の1曲
戦士の屍のマーチ / ストレイテナー


『太陽を盗んだ男』

『太陽を盗んだ男』を最初に観たのは大学時代だった。その作品を知ってから観るまでに少し時間があった。深夜にテレビで放映されていたのを観て、なんだかただ者ではない雰囲気にチャンネルを変えた。
あるミュージシャンもその作品を薦めていて、ちゃんと最初から観たかったのだ。その後何件かのレンタルビデオ屋に行ったがビデオは見つからなかった。

その日は前の日から寝ていなかった。おそらく午前中の授業の出席を取るために大学へ向かった。そして大学にある映像ライブラリに行ってみた。そこでは一般的に入手しにくい映像作品も観ることが出来る。すると、あった。あんなに探していたのに自分の大学のライブラリをチェックするのを忘れていたのだ。
すぐにレーザーディスクを見始めた。2時間以上ある作品だが眠気は一気に吹き飛び、見終わった後は呆然としてしまった。なんなんだこれは。なんだか朝っぱらからすごい作品を観てしまった。

主人公の理科教師はいつもガムを噛みながらつまらそうな顔をしている。だから生徒達から「フーセンガム」と呼ばれている。その冴えない彼が密かに進めている計画があった。驚くべきことに、それは原爆を作ることだった。作り方は知っている、あとはプルトニウムを手に入れれば彼にはそれを作ることができた。

そして彼は原爆を作ることに成功する。実験室と化した自宅のテレビからは野球のナイター中継が流れる。作業の合間に鼻歌を歌い、ナイターを眺める。テレビの中継がいつもいいところで終わってしまうのが彼の不満だった。
数日後、原子爆弾の完成に歓喜の踊りを舞い、足で転がして遊ぶ。その異様なテンションは観ているこちらを緊張させる。

原爆は手に入れた。しかし彼にはその使い道が判らなかった。
そこでラジオ番組に電話を架け、あろうことかディスクジョッキーに原爆の使い道を相談する。半信半疑の彼女はローリングストーンズの来日を提案する。
そして彼は『ナイター中継を最後まで放送すること』や『ローリングストーンズの来日公演を実現させること』を政府に要求する。世界的驚異の象徴を手中に収めても、彼にはそれしか要求することがなかった。自分は誰で、何がしたいのか?

この映画が制作されたのは1975年である。主人公の教師役に沢田研二、彼と対決することになる刑事役に菅原文太、ディスクジョッキー役は池上季実子。(ちなみに『タクシードライバー』の脚本を手掛けたポール・シュレイダーの兄、レナード・シュレイダーが脚本を書いている)DVDが発売され、すぐに購入した。
この作品にはきわどいシーンが多々ある。現金がデパートの屋上からばら撒かれ、女装して国会議事堂へ侵入し、バスで皇居正門前へ突っ込む。もっとも事前に撮影の許可を申請したところで許可など下りるわけはない。撮影クルーは逮捕者を出してもゲリラを慣行する。高速のカーチェイスのシーンでは小型車4台で後続車をせき止め撮影が行われた。撮影クルーは日毎に警察に連行される数人をあらかじめ選んで逮捕に備えていた。

長谷川和彦氏は監督としてはこれまで2本の作品を世に送り出したのみだ。76年のデビュー作『青春の殺人者』は中上健次の短編小説を映画化した作品だ。実際に起こった親殺しの事件がモチーフでその錯乱と狂気の世界はこちらを圧倒する。

両作品ともに興行的に必ずしも成功したと言えないが、未だに映画ファンの支持は厚い。以前新宿のゴールデン街で友人と長谷川作品の話をしていたら、カウンターに座っていた常連氏に軽々しく口にするなと怒られた。友人と苦笑いして顔を見合わせた。若者にだって好きな映画を語る権利はあると思うが、そこはやはり一筋縄ではいかない長谷川作品ということか。


本日の1曲
Optimistic / Radiohead



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○ 長谷川和彦監督作品 ○

太陽を盗んだ男 ULTIMATE PREMIUM EDITION
太陽を盗んだ男
1979年作品
出演:沢田研二 菅原文太 ほか

青春の殺人者 デラックス版
青春の殺人者
1976年作品
出演:水谷豊 市原悦子 原田美枝子 ほか


42枚分の生活

数年に一度サイフを買い替える理由は大体「壊れる」からだ。友人に言わせるとサイフは古くなったら替えるものであんまり壊れないらしい。
それは自分の持ち歩くカードの数に起因しているようだ。ふと思いついてサイフの整理をする時がある。レシートの類いを捨てカードを本来あるべき場所に移動させる。カードを数えてみたら41枚あった。しかもそのうちの半分程はハードなタイプだ。サイフの重さよりも体積が気になる今日この頃である。

巷で売っているサイフはどれもスマートな作りで収納スペースが確実に足りない。以前は二代に渡ってジッパー開閉のものを使っていたが、ほどなく壊れた。その多角形に形を変えたサイフはジッパーを開けなくても中身が取り出せた。便利と言えなくもないが、これでは保安上問題がありそうだ。

昨年新しいサイフを購入する際はかなり比較検討した。主に収納能力について。
なるべくならポケットがたくさんあって、リベットで留めるタイプがよい。いっそオーダメイドがよいかと思ったが、スーパーのレジで取り出すのがためらわれる程の惨状だったため、今回は見送ることにした。もはやサイフにあるまじき、多次元的な様相を呈していたのだ。

サイフと別にカードケースを持ち歩くのも面倒だ。いつも同じカバンを使うわけでもない。ずぼらな性格の自分にそういう機転は期待できない。数あるカードの中には半年に1回行くか行かないかのお店のカードも入っているが、半年に1度行くならカードは入れておきたい。一応少し考えてからやはり元に戻すのである。整頓したところでカードの数は一向に減らない。

こういう自分の「何でも持っていたい症候群」を恨んでも仕方ないけれど、旅行に行く時も荷造りにものすごく時間がかかる。これじゃなきゃだめというもの以外は現地調達すればよい。それはわかっているつもりでも、自分の場合これじゃなきゃだめというものが人より確実に多い。あれも、これも。これはかさばらないから、と自分に言い訳をしつつ荷造りをしていると結局ものすごく重い荷物の塊が出来上がる。

先日自宅近くのホームセンターでネコ氏のフードを購入した。レジのカウンターの上には作り途中と思われるカードが無造作に散らばっていた。(こういうアバウトさがこの店の魅力である)お客を待つ間にそのバイトの女子高生氏がラミネート加工された券の角部分を丸く切っているのだろう。刃が開いたままのハサミもある。ファンシーな色づかいのそのカードに踊る「10パーセントオフ」の文字に釘付けになりながらもチラ見にとどめる。

ネコ氏のプレミアムフードは結構お高くつく。ソワソワしつつもクールに会計を済ます。下心を悟られてはいけない。会計を済ませサイフの口を閉めていると「これで5月末まで毎週金曜日ペット用品10パーセント割引になりますのでどうぞ」とすごい早口でカードを差し出された。階段を上りながらニンマリする。これは嬉しい。是非使わせていただこうじゃないか。

そうして新たにオリンピック高円寺店の「ペットDAY 10パーセントオフ券」がサイフに加わった。手作り感たっぷりでとても気に入っている。使う時はクールに差し出さなくてはいけない。だが果たしてウィークデイの金曜日に買い物に行く余裕はあるのだろうか。


本日の1曲
Mighty lovers / The Pillows


ナビゲート ミー!

昨年夏に実家に帰った時、両親の車にカーナビが導入されていて驚いた。パソコンすらない我が家に、先にカーナビがやってきた。
「どこに居ても帰り道ボタンを押せばここまで案内してくれるのよン」と母親も自慢げだ。実家に帰ってくる楽しみはドライブにもある。久々のドライブを応援してくれているような頼もしい言葉だ。

友人と水族館に行く計画があった。東海大学海洋博物館までは1時間半ほどの道のりだ。カーナビを頼って一切の下調べはしていない。小学生の頃に両親と行ったきりで、その所在地の情報もほとんど知らない状態だった。

自宅の駐車場で画面にタッチ、目的地を登録する。「スタート」だ。
バイパスを使い静岡市内へ入る。ここまではよく知った道だったがそのうち知らない道に出た。しかし我々には心強いパートナー、カーナビ氏がいるじゃないか。目指すは海。ルートはカーナビ氏が示してくれる。
「コノサキ 700メートルヲ ミギ ホウコウデス」
「はいはい」と返事をしながら快適ドライブは続いた。カーナビがこんなに便利なものだとは思わなかった。

まだ一般に普及する随分前のこと、電器メーカーに勤める親戚のおじさん氏は自社のカーナビを搭載した愛車に乗せてくれた。運転しながらその機能を雄弁に語り「世の中便利になったもんや!わっはっは!」と誇らしげだ。「すごいねぇ」と感心する親戚一同に彼も満足そうだった。

海沿いの道を走っていた時、ふと画面を見ると現在位置を示す矢印は着々と海の中を突き進んでいた。言うまでもないが、そこは確実に道ではない。その驚くべき異変に気付いているのは助手席に座った自分ひとりであるようだった。この重要な局面において後部座席では世間話に花が咲いている。
「この車、水上バスにもなるの?」と言うと「まだ開発途中なんや!わっはっは!」とおじさん氏は高らかに笑った。
そのよろよろと定まらない矢印を凝視しながら、先端技術に一抹の不安を感じていた。

水族館からの帰り道、静岡市から高速に乗れという命令が下された。こちらとしては高速ではなくバイパスで帰りたかったのだが、カーナビ氏の意志は確固たるものであるようだった。高速の乗り口を過ぎてもなかなか諦めてくれない。正しいルートを示す赤線はしつこくUターンを勧めるあまり、見当違いな方向へ我々を導こうとしていた。バイパスを使った帰り道の案内はどうしてもしたくないようだった。

そこで母に言われた「帰り道ボタン」を試しに押してみたが、自宅の住所は登録されていなかった。母は登録したつもりになっていたようだ。あんなに得意げだったのに。混乱を極めたカーナビ氏の画面は回転を伴うほどにめまぐるしく動き出した為、丁寧にお礼を告げてから電源を切った。
・・・OFF。

なかなか意のままには動いてくれなかったが、行きに関しては大活躍だった。帰りの目的地が自宅でなかったら素直に従えたのだろうに。結局は自分の経験に基づいたルートが安心なのだ。


本日の1曲
Cruel Age / Asparagus