Archive Page 41

嘘の代償

越してきた当初、自分の原付バイクをこっそり隣のマンションの駐輪場に置いていた。現在住むマンションには駐輪場が無い。駅に近いこの物件であまり乗る機会も無く、そのまま数ヶ月ほったらかしにしていた。

ある日、近所のバイク屋にメンテナンスに出そうと思い、駐輪場へ行くとバイクが無くなっていた。TOMOSはエンジンキーが無く、自転車と同じようにチェーンで施錠するしかない。ロックされている方の車輪をスケボー等に乗せれば簡単に移動させることが出来るために盗難されやすいバイクだ。だから真っ先に(盗まれた!)と思った。

暗澹たる気分で交番に行き、ナンバーや車体の特徴などを伝えて盗難届の書類を作成した。交番を後にして数十分後に携帯に連絡が入った。『レッカー移動されて杉並警察署にあるみたいです。』もう半分諦めていたので飛び上がるほど嬉しかった。なぜレッカー移動されたのか考える余裕は無く、ただ所在が明らかになって安心した。

タクシーに乗り込み警察署に向かう。まず受付でレッカー代を払わされた。なぜ駐車違反を取られたか腑に落ちなかったが5千円を支払った。
『どこにあったんですか?』と聞いたのが間違いだった。受付氏は不思議そうな顔でこちらの話を聞く。そして中年の婦人警官を呼び出した。そこでバイクを違法駐車した覚えがないことを説明すると受付横にある応接セットに案内された。

面倒なことになったが、正直に話すまでだ『最後にバイクを触ったのは数ヶ月前で、もちろん公園の脇に駐車したことなど一度も無い。』婦人警官は白い紙にボールペンで供述を書き留めた。こちらを射るような強い眼差しで、彼女の顔筋は緩むことを知らないようだった。バイクは公園脇にカバーが半分めくれた状態で放置されていたということをそこで初めて知った。
彼女はたびたび席を離れ、先程の交番と連絡を取り始めた。幾度も電話とソファの間を往復し、仲間の婦人警官と小声で話をしていた。

実は最初に交番に行った際、隣のマンションの駐輪場に置いていたことは伏せていた。ビルの間の路地に駐車していたと嘘をついてしまったのだ。それは後ろめたい自分の行動をごまかすためのとっさに出た嘘だった。交番からの報告でそれを知った婦人警官は疑いの目で自分を見始めた。この嘘のせいで全ての信頼を失うことになる。『貴方を信じてたのに。』と無表情で婦人警官は言い放った。

それから二人の中年の婦人警官の事情聴取が始まった。
最後に駐車した日付と時刻(何時何分まで)、駐輪されていたのは何台か、駐車した時壁から何センチ離れていたか、バイクと両隣の自転車との間隔は何センチあいていたか、駐輪の間隔は何センチだったか、自転車やバイクの種類(色や形、カバーの有無)、駐輪の正確な位置関係(何センチ間隔で駐輪されていたか)。
駐輪場の図を書かされ、ものすごい量の質問を次々とぶつけられた。そしてその質問のほとんどが普段気にもとめない細かい事象についてだった。図を書き直したり数値を言い直すと『さっきと違うわね!』とものすごい形相で睨まれた。数ヶ月前の日常の記憶をセンチ単位で正確に思い出せるわけがない。しかしそれを訴えたところで脅迫的な眼差しは変わらない。『警察はね・・・、徹底的に調べるのよ。』何を言っても反論される。最早こちらの話は全く信じてもらえない。その高圧的な態度の前に無力だった。

彼女たちは駐輪していたマンションに入っているテナント全てとその物件のオーナーと不動産に連絡を取っていた。”そのようなバイクは見たことがない”、”動かした覚えは一切無い”というのが彼等の共通の回答だったようだ。そしてその回答を自分に叩き付けた。数ヶ月の間駐輪していたことを証明する人すら居なかったのだ。

二人の婦人警官の間では、駐車禁止のペナルティーを逃れるために盗難に見せかけ、交番に行って盗難届を出したというストーリーが完全に出来上がっていた。馬鹿げたシナリオに驚愕し、声も出ない。バイクが無くなっていることに気付き、どれだけ自分が動揺したことか?けれども弁解したところで『貴方は最初に嘘をついたから』と冷たい視線を投げつけられるだけだった。

最初についた嘘のせいで一切の信用を得ることが出来なくなっていた。普段の自分の行動や思想は何の役にも立たなかった。
悔しくて涙が出た。静かに泣いたわけではない。号泣しながら事実を訴え続けた。『確かに交番で嘘をついた。しかし警察署に来て嘘はついていない!』と叫んだところでまるで状況は変わらない。職員や来訪者も入り口脇のこちらの問答を奇異の目で見ている。精神錯乱状態の若者が喚き散らす文言に呆れかえる婦人警官、という風に見えていたはずだ。はっきり言って絶望的な気分だった。こうやってえん罪は生まれるのだとさえ思った。

その問答は二時間以上繰り返された。精神的疲労でぐったりしていた。『じゃあ今回だけ特別に貴方の話を信じましょう』と言う婦人警官に、最早頷く気力も無い。誓約書にこの一日に起こった全てのやりとりを何枚にも渡って書き、最後は謝罪の言葉で締めくくった。最もこちらは婦人警官に言われたことを書いただけだ。”警察署長様、二度とこのようなことは致しません。”
泣きながら誓約書を書く自分にこれみよがしに「何かあったらまた来なさい」等と言う。悪いがもう二度と会いたくない。

帰宅してからも部屋で泣き続けた。もうバイクを見るのも嫌だった。その数日後に業者を呼び、実家にバイクを搬送してもらった。
あれ程自分の発言が空回りする様は人生で二度目の体験だった。いくら声を荒げても相手の心には何も訴えない。それはとてつもなく恐ろしい。

交番のおまわりさんに嘘をついてしまったことを今でも反省している。しかしながらあの二人の婦人警官が自分に向けたあの脅迫的視線は一生忘れることはないと思う。そうして見事なトラウマを残してくれた杉並警察署であった。


本日の1曲
A Certain Shade of Green / Incubus


ソフトケース化のススメ

2日前にコラムをアップした後インターネット検索で『フラッシュ・ディスク・ランチ』なるものを発見。普段タワーレコードを利用している人ならピンときたのでは?レジ横にて販売されているそのCDソフトケースは収納に頭を悩ませる人々の救世主。プラケースから移し替えることによって厚さが3分の1になり「収納効率何と3倍!」と謳っている商品だ。

ユーザーのリアクションをネットで見る限り好評の様子。タワーレコードに集まる人々が所持するCDは数百枚、数千枚に及ぶはずで、レジ横に大々的に商品が積まれている理由も理解できる。いくら部屋の片付けをしてもなんとなくいつもCDが散らばっている我が家。片付けても積み上がるばかりで収納しようにも棚にスペースが無い。これは導入する価値がありそうだなと好感触。

月曜の夜に休日前の買い物よろしく新宿のタワーレコードに立ち寄った際に試しに購入。50枚入りで1セット1890円(税込)。試しにというわりに2セット購入。きっとやり出したらハマって明日の休日も買い出しに来る、という自分の性格を充分に考慮した賢い選択である。

さて、帰宅して作業を開始する。歌詞カードを抜き、CDを取り出し、背面のCDケースをバキッと外し裏ジャケを取り出す。塩ビケースにそれぞれを移し替え、最後に脱落防止のフタを内側に折り返して一丁上がり。うむ。見栄えも悪くない。塩ビケースは一般的なものより厚みがあって安っぽくないし、フタがあるのもきっちり仕舞った感があってよい。
さっき買ったばかりのCDはちょっと移し替えるのがもったいない気もするけれど、一気にやる。鼻歌をフフンと歌いながら作業は進む。はっきり言ってかなりハマってしまった。

今日の昼間もその作業に費やす。これが全く飽きない。歌詞カードに挟まっているとっくに終わったツアーのチラシや購入者アンケートのハガキを眺めて感慨に浸ったり、これインディー時代のレア盤じゃん!などと興奮しつつ手先を動かしているとあっという間に(実は数時間経過している)100枚の移植が終了。

手前が通常のプラケース16枚。奥がソフトケース50枚。うむ。かさは3分の1になった(満足)。年季の入ったプラケースはバキバキに割れていたりショーユなのかコーヒーなのかよくわからないシミが付いていたり結構汚れている。真新しいソフトケースに移し替え心も晴れ晴れ。紙ジャケ的なビジュアルにも満足。愛着が増した気さえする。

むずむず。どうしてもこの続きをやりたい。明日の仕事帰りに寄ればいいじゃないか、と言いたいところだがやり出したら止まらない性格なのは自分が一番よく知っている。昨夜の決断虚しくやむなく総武線で新宿タワーレコードへ向かう。
しかしながら休日にタワーレコードを散策するのは非常に楽しい。たっぷりと視聴の旅を楽しんだ後、フラッシュ・ディスク・ランチをさらに2セット購入。

鼻息荒く帰宅し作業再開。現在150枚の移植が終了し、そして150枚分のプラケースは45リットルのゴミ袋いっぱいになった。嗚呼、快感。

『背表紙フェチ』を公言しておきながらその収納方法には常々頭を悩ませていたのだ。プラケースに比べると背表紙は見にくくなったが、今は(洋邦問わずあいうえお順に並べようかな)、(やっぱインデックスつけなきゃな)と完全にソフトケースの虜になってしまった。

今度はCDを収納する箱的なものを模索中である。インターネットで商品を調べ、表示されている収納可能枚数を3倍してニヤリと笑っている。


本日の1曲
Seasons and Silence / Comeback My Daughters



——————————-
>>connection archive >>
3/20 『背表紙フェチシズム


森山大道 〜野良犬の目線〜

それまでに知っていたモノクロ写真といえば、淡い色彩の平和的な写真でしかなかった。浪人時代に初めて森山大道の写真を見た衝撃は忘れられない。
その頃ヒステリックグラマーから写真集が発売され、若者を中心にその注目度は増し、森山大道の写真の衝撃は現代にも広められることとなった。そして自分もその写真に心酔した。

その表現手法は「アレ・ブレ・ボケ」と称される。粒子は荒れていて、対象はぶれ、ピントはぼけている。真っ黒に焼かれたハイコントラストの風景はグラフィカルですらある。彼独特の這うような目線で街の表層は露わになり、ざらついた質感で都市風景はまるで荒野のようである。

森山氏は1938年に大阪で生まれた。高校中退後、グラフィックデザイナーとして独立。大阪のデザイン事務所に数年間勤務し、その後写真家を志し上京。写真家細江英公のアシスタントとなる。当時は家も無く、「ボストンバックの手提げの輪に片足を通して膝の上まで引っぱり上げ」新宿の安宿で夜を明かしていたという。

当時右翼系雑誌記者であった中平卓馬と意気投合し、写真の世界にシフトした中平氏らと同人誌『PROVOKE』を創刊。作品は非常にアヴァンギャルドかつファッショナブル、もっと言うとその登場はセンセーショナルでスキャンダラスだった。メンバーに誘われなかった荒木経惟が嫉妬したというエピソードがあるくらいだ。日本の写真史において伝説的に語られる『PROVOKE』だが約1年後に休刊。自主ギャラリーCAMPを設立し写真家としての本格的スタートを切る。

若い頃「ツイードのジャケットの内ポケットに三百万円の現金を入れて」パリを訪れたり、暗室で破天荒なバケツ現像をしたりと森山氏のハードボイルドさにはやはり憧れてしまう。ポップアートにも感銘を受け、その作品展開や展示方法にもポップアートの手法が取り入れられている。自分にとっては何もかもが目新しく、氏の生き様に憧れた。

森山氏は野良犬のごとく街をうろつきシャッターを切り続ける。代表作が多数生まれた「激動の六十年代」を知らない自分にそのエネルギーはたたみ掛けるように迫ってくる。古い看板や雑然とすら街並みは時代を感じさせるモチーフであるし、学生闘争の最中の新宿東口の光景などにただならぬ熱気を感じたものだ。
彼が切り取る都市風景には肌の質感や、情事や、荒々しいバイクのエンジンや、掃き溜めの殺伐がごったまぜになっている。ポルノ映画の看板とプリントシャツを羽織るヒッピーが街に溢れていた時代だ。それらはモノクロの写真であるがヴィヴィットな色彩を感じることができる。

ならば彼の写真は60年代の空気があってこそのものなのだろうか?彼はその時代の写真家でしかないのだろうか?
一瞬沸いたその疑問も近年の作品を見てすぐに消えていった。彼の写真からは依然として強烈な街のエネルギーと混沌を感じたのであった。森山の写真には常に荒涼とした時代の風景が映る。彼の前に一瞬凝縮したような空気は重く、色気すら湛えている。

昨年の『森山・新宿・荒木』展の会場で両氏の撮影風景を追ったドキュメンタリーが放映されていた。周りの人間を取り込みながら、賑やかに街を練り歩く荒木氏とは対照的に、寡黙にシャッターを切り続ける森山氏の姿は印象的だった。彼はいかがわしさに向かって歩き続けていた。
驚くべくことに街の撮影行為において彼はファインダーを覗かない。コンパクトカメラの長いストラップを手首に巻き付け、まるで身体の一部であるかのようだ。そのスタイルは一見して写真を撮っているとは思えないスタイルだ。数万回のシャッター寿命を超え彼は何台もカメラを「使い切って」しまう。路地裏を彷徨う野良犬のごとく、街をうろつきながら写真を撮る。

新鋭写真家としてその名を轟かせる前、逗子に暮らしていた森山氏は近所に住んでいた中平氏と連れ立って海へ泳ぎに出かけていた。泳ぎ疲れるとビニール袋に入れて持ってきた数冊の写真集を前に日々写真談義を展開した。そして片っ端から他人の作品を罵倒した。曰く「言葉の血祭り」に上げたのだ。彼等は今まさにオノレの若い感性と独論を写真界に叩き付けようとしていた。そして共著で『写真よさようなら』という作品を発表した。これまでの写真と決別し、新たな世界を提示した問題作だ。

そして来月ついにその『写真よさようなら』が復刊される。今も尚写真界の異端児であり続ける森山の、若さの葛藤を目撃したいと思う。


本日の1曲
自問自答(From Matsuri Session Live At Yaon)/ ZAZEN BOYS



———————————————————————————-

【 森山大道に関するおすすめ書籍 】

森山・新宿・荒木
■ 森山・新宿・荒木
昨年オペラシティー・アートギャラリーで
展覧会も開催された森山大道・荒木経惟共
作写真集。
新宿をこよなく愛し、主に酒場を渡り歩く
二人ならではの企画。新宿の「ごった煮」
感はこの街の魅力です。この二人に撮って
もらえるなんて新宿も幸せもの。


犬の記憶終章
■ 犬の記憶終章
文章にも才を発揮する森山氏の『アサヒグ
ラフ』誌の連載をまとめたエッセイ集。
パリ、新宿、逗子、など各地に関する森山
氏の回顧録。どれも短編小説のような読み
応えで森山氏のファンはもちろん、今はそ
うでない人もきっと面白い。
文庫版もあります。


背表紙フェティシズム

休日の前の日は買い物が楽しい。購入した商品に休日の楽しみが約束されたような気分になる。ついついブックファーストやタワーレコードに吸い込まれてしまう。文庫本を買い、CDを買い、新書に手を出し、普段はあまり縁がないマンガを買い、時には奮発して写真集を買ったりする。

そうして我が家は書籍やCDが週ごとに増える。本来そういう超個人的文化遺産を買い集めるのが好きで、モノを捨てることが苦手だ。したがって生活しているだけでモノが増える。

それらのフォーマットも様々な為になかなかうまく整頓出来ない。我が家には文庫本用、CD用、単行本&マンガ用、雑誌用とそれぞれにラックがあるが最早その知的財産は収まり切らなくなってきた。広めの部屋を選んでいるつもりでも、これ以上棚が増えたら壁面が埋まってしまう。スペースが無いとライブラリになってしまう恐れがあるので棚は増やしたくはない。

しかしながら実のところは背表紙フェチである。おうち大好きなインドア人間の自分は、部屋で音楽を聴きながらネコ氏と戯れ、棚に並ぶCDや書籍の背表紙をぼんやり眺めるのに幸せを感じてしまう。「好きなものに囲まれている感」がたまらないのだ。

作家毎に色の分かれた文庫本の背表紙やこれまた色とりどりのCDジャケットの背面ロゴを眺めていると何とも言えない満たされた気分になる。

だから出来る限り目に見えるところにモノは置いておきたい。学生時代に買ったCDラックは連結できるのがウリだったのだけど、いつの間にかどこの店でも商品を見かけなくなってしまった。もっと普遍的な商品を選ぶべきだったのだ。最早CDは部屋に散乱している枚数の方が多い。

何故か昨年末あたりから我が家のネコ氏はコンポのデッキの上で寝るようになった。暫くしてそれが温かい為であることに気付いたのだけど、ネコ氏がコンポの上にピョンとジャンプする度にCDがガシャガシャッと落ちる。それで目が覚めることだってある。

遊びに来た友人氏に「どうやって寝てるの・・・?」と控えめに驚愕されたことがある。これだけ頻繁に訪問しておきながら「いつも気になっていたけど聞けなかった」そうだ。
なるほどベッドの上には本やCDが常に散乱している。寝る前には本や雑誌をめくり、聴いているグッドミュージックの歌詞カードを眺めたくなるのだ。そして目が覚めるとそれらは見事にベッドの下に落ちている。言うまでもないが、毎日その繰り返しである。


本日の1曲
Luna / Smashing Pumpkins


COOK and COOK!

幼い頃は毎晩のようにダイニングテーブルに集まった家族に料理を振る舞っていた。星形に切り抜いたこんにゃくに生クリームを乗せたり、ゼリーと味噌をあえてみたりした。それは子供のままごとをリアルな食材で実践するという暴挙だった。冷蔵庫から食材を選び、いろんな引き出しを開けながら日々前衛的なシロモノを創造していた。家族はテレビを見ながら我が子が運んでくる奇想天外な料理の数々を喝采してくれた。

18歳で上京するまで、家事を手伝ったことがなかった。ひとり暮らしを始めるにあたって特に危惧していたのは自炊だった。実家から持参した食器に、サラダを根気よく盛り続けた。「ひとり暮らしは野菜不足になりがち」というスリコミがあったのだと思う。毎日のように忠実にレタスをむしり、きゅうりをスライスした。そのうち友達が出来始め、体の半分くらいはファミレスの食事で生成されるようになった。

今のように頻繁に自炊をするようになったのは高円寺に越してきてからだ。これまで住んでいた家は近所にスーパーが無かったが、高円寺駅には24時間営業の東急ストアが隣接している。だから真夜中に思い立って買い物に出かけ、おもむろに料理を始めることもできる。2年前に24時間営業に切り替わった当時は真夜中のスーパーの需要にさして関心が無かったが、いつでも食材が揃うというのは思いの外便利であった。

ひとり分の自炊では食材が余る。そうして必然的に同じものを食べ続けることになるが、本来凝り性であるため飽きるまで同じものを食べ続ける傾向がある。過去にはぶり大根、ゴーヤーチャンプルー、ひじき煮、スパゲッティーボロネーゼなどにハマり、毎食数週間は食べ続けた。同居人がいれば気を遣うのだろうが、そうして同じメニューを食べ続けていても誰も文句を言わない。ちなみに自炊を始めてみて一番好きな野菜がネギだということに気がついた。

パスタの類は食べる分だけ作ることが出来るひとり暮らし向けのメニューである。もっとも簡単にできる納豆パスタを勝手に紹介させていただく。
『茹でた麺の上によくかき混ぜたひきわり納豆をかけ、温泉卵を乗せる。めんつゆを軽くかけて味を付け、最後に刻みネギをぶちまけて出来上がり』
最早料理と呼べるのかも怪しいスピーディーさであるが納豆好きには受け入れてもらえるメニューだと思う。フライパンで麺と納豆を炒める方法は部屋中にニオイが充満してしまうけれど(結構あとあとまで臭う)、この作り方ならその心配もない。納豆はやはり「ひきわり」が麺に絡んでおいしい。

当初は危惧していた自炊だが今ではそれなりにレパートリーが増え、毎晩何を作ろうかと考えるようになった。しかしながら友人達に料理を振る舞う段になると分量を間違えてへんてこな味になるのは、常にひとり分しか作らない独り者の悲しい性である。


本日の1曲
Heaven’s Kitchen / Bonnie Pink


想像力。

敬愛する表現者達の、そのまた敬愛する作家へとルーツを辿る道程は楽しみの一つである。例えば好きな小説に巡り会って、その作家の作品を全て読む。そしてその作家の敬愛する作家の作品を読んでみる。文中に登場する関連書籍をまた読んでみる。そうしていつまでもその好奇心の糸は途切れることがない。そしてまた最初に触れた作品に戻る道程に費やした時間にはとても意味がある。その道程にずるずると引き込まれていくのは心地のよい泥酔である。

敬愛する表現者達がどんな人物や事象から影響を受け今に至るか。そのバックボーンを知ることこそが面白い。自分にとっては偉大な表現者も、一個人であり自分と同じである。彼等の作品群はこの上ない親近感でこちらに語りかけてくる。

ライブには音楽を聴きに行くのではなくその生き様を目撃するために足を運んでいると言っても過言ではない。音楽の振動を体感しながら、集まったオーディエンスや彼等自身の想いを想像してみる。アーティスト達は自身の表現の可能性や、希望や、相反する無力さと日々対峙しているに違いない。そして自分と同じくその作品を支持し集まった大勢のオーディエンスにもそれぞれの生活風景がある。

想像することによって他人の存在を身近に感じることができる。そしてその想像の先にある何かに辿り着きハッとすることがある。最早その感覚は他人への感情ではない。

表現者達の発言に耳を傾けると、彼等がどんな経緯でその作品を発表しているかが手に取るようにわかる。そして歴代の作品に込められたテーマの一貫性を理解する。受け取る側の充分な想像力があれば不可能ではないが、目の前に差し出された作品だけで理解を得ることはやはり難しい。
作品は常に作者の心情を饒舌に語っている。だから出来る限り想像してみる。そうして敬愛する表現者達への好奇心はいつまでも尽きることがない。


本日の1曲
暗号のワルツ / ASIAN KUNG-FU GENERATION


トーキョー生活事情

NIPPONは世界屈指の物価の高さで知られている。タクシーは高すぎて頻繁に利用できないし、その辺のお店でランチを食べると1000円を超える。
23区内でのひとり暮らしは毎月の収入と支出のアンバランスに悩まされる。生活費は心がけ次第でコントロールできても、都内の家賃はやはり高い。

10年前に上京してから4件目のマイルームであるが、引越をする度に家賃は高くなっている。それは一定の広さを保ちながら都心に近づいているということであり、その便利さには代え難い。一般的には収入の3分の1程の金額がその個人に適した家賃の目安と言われているが、我が家の家賃をを3倍すると月給を超える。古い建物ながら駅から近いせいで賃料は一丁前だ。

物件を借りている限り、月末の家賃の振り込みイベントは避けられない。他行宛の振り込みは一定の手数料がかかる。引越当初、振込手数料を検証するためにオーナーの口座のある銀行の支店に行き、現金で振り込んでみたことがある。手数料は幾分安いかもしれないが家賃分の紙幣が金額がATMの機械にスッと吸い込まれていく様をポケッと見ているのは虚しい。このお金があれば新しいMacintoshも、ルイガノのクロスバイクも買えるのに・・・といたたまれない気分になる。きっとマヌケ面でATMを眺めていたはずだ。
その後は手数料云々を考えるのはやめ、心を無にして口座から口座へと機械的にマネーを移動するようにした。家賃とは、東京に住んでいる限り自由への代償として割り切らなければならない支出なのである。

電気、ガス、水道、電話、携帯電話、ケーブルテレビ視聴料、プロバイダ使用料、各種クレジットカードの請求、通勤定期代。仕事の合間に飲むカフェラテはやめられないし、野菜の価格が高騰していても野菜炒めを食べたい日もある。日常的にシビアに節約しているわけではないので支出は一向に減らない。自分にとって書籍やCDの購入は大事なイベントであるのであまり我慢するということがない。そうしていつまで経っても経済的余裕を得ることが出来ないでいる。

NIPPONの中心のトーキョー・シティにひとりの若者が住むということは金銭的サバイバルと言っても過言ではない。もはや自転車操業は日常茶飯事だ。それでも東京の空気を求めている。東京の文化と、その空気感に支えられて早くも人生の3分の1以上を東京で過ごしている。


本日の1曲
In This Home On Ice / Clap Your Hands Say Yeah


愛しのハク 〜眠れぬ夜は君のせい編〜

その頃自分なりに真剣に腰痛に悩んでいた。本当に腰痛持ちの人から比べたらたいしたことはないと思うけれど毎朝起きる度に寝違えたような鈍い痛みがある。どうしたものか。一応姿勢正しく寝ているはずなのに。

思い立って枕を替えてみた。当時話題だったテンピュールに飛びついてみた。ふむふむ。確かに頭にジャストフィットする。立っている姿勢のまま横になるのが好ましいらしい。当初はNASAの技術に過大な期待を寄せたがやはり腰痛は治らない。起き抜けに腰をさすり頭を傾げる。

ほぼ毎晩ネコ氏と共にベッドで寝ている。ひと声鳴いて布団に入れろとせがむ様は非常に愛しい。そして彼はモソモソと布団にもぐり込み、シングルベッドの中央に寝る。しかもベッドと垂直に横に寝る。スヤスヤと気持ちよさそうなネコ氏だが、こちらはベッドの端っこで壁との隙間に落ちそうな状態だ。退かそうとおしり部分を手で押すと不愉快なうなり声を上げるのでなんだか遠慮してしまう。そしてこちらは「く」の字で寝ることになる。確かにテンピュールは頭にフィットしているがこれでは意味がなさそうだ。

冬の明け方に寒さで目が覚めることがある。見ると隣に寝ているネコ氏に全ての敷物がかかっている。寝ている間に気付かずネコ氏に布団を掛けているらしく、彼は「かまくら」状態でスヤスヤと寝息を立てている。布団を取られるとまたしても不機嫌になるのでスイマセンネと謝りながら布団に入れてもらう。

我が家のネコ氏は一日に20時間は寝ているんじゃないかと思うくらいよく寝る。ある日帰宅すると玄関に毛布が無造作に放ってあった。

たいして気にせず靴を脱いで部屋に上がったが、よくよく考えてみるとひとり暮らしの我が家ではなかなかあり得ない光景だ。どうやらネコ氏が玄関までズルズルと引きずってきたようだ。見るとベッドから玄関までの道のりの細々したモノがなんとなく脇に移動している。驚愕の眼差しでネコ氏を見るが彼は呑気に床に寝っ転がっていた。

同じように玄関に枕が放り出されていたこともあった。テンピュールの枕は結構重い。こうしてまたもや都市伝説が生まれた。たまには違うところで寝てみようとしたのだろうか。


本日の1曲
Sleep All Day / Jason Mraz


——————————-
>>connection archive >>
2006/03/01  『愛しのハク 〜MY CAT LOST編〜
2006/02/11 『愛しのハク 〜ルームメイトは白猫氏編〜


ストレイテナー @恵比寿みるく

狭い!地下の空間は四方を壁と階段に囲まれ、ドラムセットを置くとスペースが埋まってしまうような小さなステージだった。400人程が詰め込まれたその空間の一番後ろを陣取りバンドの登場を待つ。

そして思いがけずマネージャー氏の前説が始まる。普段のライブではまずマネージャーは顔を見せないが、今日はアルバム購入者の中から抽選で選ばれた人のみが参加できるフリーライブだ。そのせいか会場内にはどことなくフレンドリーな雰囲気が漂っている。

メンバーが登場すると、観客がどっと前方に押し寄せる。ライブは「White Room Black Star」で幕を開けた。皆が拳を突き上げ、ジャンプする!開場してから開演までの時間を共にぼけっと過ごしていた周りの人々が一斉に跳ね回る様には毎回驚く。それは(同じ音楽で集まった人達なんだなぁ)と感じる幸福な瞬間でもある。

ステージ位置が低くメンバーの顔はよく見えなかったが、bassの日向氏は時々PAモニタの上に立ち、オーディエンスを煽る。時間が経つごとに飛び散る汗が増量する。曲間にdrumsナカヤマ氏の雄叫びが聞こえる。彼の突き上げるドラムスティックが照明に光る。

発売直後のアルバムからのナンバーは熱狂をもって迎えられた。『Blue Sinks In Green』は既に定番曲のような盛り上がりだ。そして『Discography』『Killer Tune』はテナーファンにはもはや説明の余地がない。これぞディスコチューン、チュチュンチューンである。
そして明らかに周りの温度が上昇し、一気に空気が薄くなるのを感じる。曲が終わるとメンバー同様、オーディエンスの息もあがっている。

ストレイテナーは曲間のMCを最小限に止める。水分補給をし汗を拭いたらストイックに演奏し続ける。後方で腕を組みながらの観戦だったが、前方からは何人もギブアップした人々が流れてきた。オーディエンスの波が前方、後方と流れを変えながらうねり続けていた。voのホリエ氏も最後にモニタ上に上がりギターを掻き鳴らす。その姿は非常に色めき立っていた。

このライブはいわゆる「レコ発ライブ」だ。アルバム購入者にシリアルナンバーの記載された用紙が配布されインターネットで申し込む。当選すれば予約番号がメールで通知され、ローソンの店頭でチケットと引き換える(この時点で初めてライブが入場無料ということに気がついた)。応募期間が短く、開催直前の告知であった為か運良くチケットを手にすることが出来た。


本日の1曲
Blue Sinks In Green / ストレイテナー



——————————-
>>connection archive >>
08/01 『ストレイテナー @FUJI ROCK FESTIVAL2006
01/18 『ストレイテナー @渋谷QUATTRO


戦争を歌うということ

ある音楽雑誌編集者が「この時代にロックをやるのは難しい」と言っていた。「全面戦争の時代なら戦争反対を叫べはいいし、平和な時代なら退屈だ!と歌える」と。
全世界的に平和主義者(支持者)が増え、アンチ戦争の気運は高まっているのにも関わらず一向に戦争は無くならない。善悪がほぼ等しい比率で混じり合うカオスの時代。

この所、何組かの身近なバンドが戦争をテーマにした楽曲を発表した。それは判りやすい反戦歌ではないが、彼等は無意味な戦いの虚しさを歌う。いちリスナーとして、今までにないテーマの楽曲に驚いた。初期衝動は去った。今こそ伝えたいことがある。そう言っているようにも思えた。

けれども音楽や芸術で反戦を叫んだところで、簡単に世界は変わってくれない。戦争が繰り返されるたびに表現者達は平和を呼びかける作品を送り出してきたではないか。芸術の無力さについて考えざるを得ない。

戦火が絶えないどこかの国でインスタレーション(芸術的空間演出)を企てたアーティストが、その国の現状を知る人に作品の展示を止められたというエピソードがある。彼が用意したのは光を発する装置を使った幻想的な作品であったが、その国ではその装置すら盗難の対象になる。
貧困に喘ぐ人々の前に、現代美術は無力だった。彼のコンセプチュアルな作品よりも、その国の人々に求められているのは金であり、今日の食料であった。

そんなことを考えていたら恐ろしい夢を見た。ある外国兵が戦車でお寺の敷地に乗り入れ、自分は敵ではないことを必死に訴え、戦車の中で夜を明かすことを承諾してもらう。そしてお寺の関係者は彼を友好的に迎えた。

しかし夜明けが訪れて、彼は戦車ごと自爆し辺りは火の海と化した。上空に高く舞い上がった彼の体を間近で見たところで目が覚めた。

悪夢だった。起きてから暫くは気分が滅入って何もできなかった。平和な朝にもたらされたリアル過ぎる夢。争いが続く限り、こういうことは世界のどこかで確実に起こっている。
夢の中のその兵士は、自爆する前、境内の大きな木の樹皮に額を押しつけ、両手で巨大な幹を抱きしめていた。それは繰り返される裏切りで疲弊した人々の悪夢のような現実だった。暖かなベッドで見た絶望的な夢は、ある人々にとっては夢ではない。

反戦を歌うことに意味はあるか?
ひとりの人間が個人的意見を世にアピールすることは本当に意味があるのか?
手榴弾を投げる手を止め、命令のスイッチを押す手を止めることが出来るか?

明確な答えが出せない自分の鈍感さが本当に嫌になる。しかしながら、その意思表示に意味があると思わなければ、一切の芸術活動は無意味になってしまう気がしている。


本日の1曲
American Idiot / Green Day