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Geniusに会いに

今日はiPodの修理を相談するため夕刻に渋谷のApple Storeに赴いた。
渋谷にApple Storeが誕生したのは昨年夏。銀座に国内初のApple Storeがオープンしたのは2003年だった。銀座店のスケルトンエレベーターには驚いてしまったが、渋谷店はそれに比べると造りは大人しい。
Store内では毎日ワークショップが開催されている。購入時にバンドルされているソフトのワークショップは無料のものが中心だから、新規のユーザーもMacintoshを堪能する準備が出来るのだ。

さらにApple Storeでは頻繁にライブイベントが催される。インストアライブの音源はiTunes Music Storeで販売されることもある。先週末に渋谷店に入店した時もライブの真っ最中でスタッフのお兄さん氏との会話が困難なほどであった。『え?』『何ですか!?』と、会話の半分が会話にならない状態にはちょっと笑ってしまった。
Apple Storeでライブを行ったあるアーティストは『店舗なのに音量の制限がほとんど無くてびっくりした』と言っていたけれど、それは音楽文化に重きを置くAppleらしいエピソードだと思う。Apple Storeは単なる商品の「売場」ではなく、Appleという企業を知るための多目的スペースなのである。

驚いたことにMacintoshの世界シェアはわずか2%であるらしい。iPodは世界的なヒット商品だが、途中でWindows用が発売され、今では同じiPodでどちらのOSでも利用できるようになった。実際に利用しているのはWindowsユーザーの方が多いことになる。

今年中には新しいMacintoshを購入したいものだ。現在マシンは従来のPower PCからIntellへと変革期を迎えている。そんな自分が一番発売を待っているのは実はATOK(辞書ソフト)の新製品だ。現行のバージョンはIntellプロセッサ搭載のMacintoshには対応していない。メーカーのジャストシステム社は現在両方の環境で使用できる製品を誠意開発中である。
Blogを始めて文章入力の機会が増え、「ことえり」では正直物足りない。特別な操作をせずに一発変換で正しい文章が表示されることがあまりない。従って何度も「撃ち名御氏(打ち直し)」を余儀なくされている。

Genius Bar(修理カウンターをAppleはこう呼ぶ)のGenius氏の判断により持ち込んだiPodは新品iPodに交換され、手元に帰ってきた。
第5世代iPodおかえり!新しいiPodが破壊してから10日余り、代替えに使っていた第2世代はバッテリーも持たないし音量も上がらない始末で欲求不満が加速していたのだ。

まだ保護シールのついたままのiPodを受け取り、TOWER RECORDへ向かう。ケーブルテレビのオンエアで気になった音源を見てまわる。ところでレコードショップでお目当ての商品を探す時、未だにABCの歌を歌わないとアルファベットが出てこないのは自分だけだろうか?特に「R」や「T」のあたりが怪しい。皆心の中では歌っているのだろうか?愚問である。

帰宅後3時間半かかってiPodのアップデートは無事完了した。もうiPodなしの生活は考えられない。Appleは自分にとって一番身近な企業のひとつだ。


本日の1曲
Music Is Power / Richard Ashcroft



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2/9   『深夜のiTunes Music Store
1/22 『iPod購入
1/18 『iPod買い換え直前


SUMMER SONICのOMOIDE

ここ日本で催される夏の音楽フェスティバルのうち、海外バンドも招集されるFUJI ROCK FESTIVALSUMMER SONICは、ラインナップの充実度で2強と言える。
前者は新潟県苗場スキー場での開催だがSUMMER SONICは千葉県の幕張で開催されるため都心からのアクセスも容易く、日帰りも可能である。会場の環境の魅力はフジロックには勝てないが、都市型フェスティバルとして日本の夏に根付いたと言える。

昼間のグランドでは好むと好まざるとに関わらず大量の放水を浴びることになる。スコール状態で全身ずぶ濡れになるがこれをやらないと倒れる人が多発してしまう。水分補給をしグランドに突入する!ライブが終わるとスタジアムの外には日焼けと興奮で顔を真っ赤にしたキッズ達がコンクリートに寝転がっている。最早倒れこんでいるという方が近い。

2003年の各日のメインアクトはオフスプリングとガンズアンドローゼスだった。高校時代によく聴いていたオフスプリングは今もキッズ達を熱狂させているようだ。片や全く聴いたことのないガンズアンドローゼスはスタンドに座って焼そばを食べながら観戦。ハードロックを生で聴きながら屋台の焼そばを食べる経験はなかなか出来ないと思われる。

昨年のメインアクト、OASIS登場前のスタジアムは異様な興奮に包まれていた。マリンスタジアムはこれほどの人数を収容したことはあるだろうか?通路にも階段にも人が溢れかえり、『席の無い人はスタジアムに入らないで下さい』とバイト氏も必死の形相だ。2階スタンド席からグラウンドを見下ろすとオーディエンスは天日干しされたシラスみたいに見えた。

機材トラブルで1時間程開演が遅れ、途中で登場したMCが『喧嘩ではありません。』と説明に出る事態だった。(もしかしたらもしや!?)という悪い予感が払拭され皆が胸を撫で下ろした・・・かはわからないが、とにかくギャラガー兄弟の不仲は音楽界的にはかなり有名である。あろうことかライブの最中でもぷいっと帰ってしまうこともあったくらいだから気が抜けない。そして待ちきれず『オーエイシス!!』コールやウェーブが起こる。
メンバーが登場するとスタジアムは地響きのような歓声に湧いた。『Don’t Look Back In Anger』は会場内が大合唱だ。

あるミュージシャンが映画館で映画を観た後、そこにいた人々がそれぞれの家に帰ってゆくところを見て(この時のために音楽をやっているんだ)と実感して堪らない気分になると言っていた。すなわち、現在OASISのライブに熱狂している人々にも個々の生活がある。皆が家のCDデッキの再生ボタンを押しOASISの音楽に耳を傾けているということだ。熱狂的ファンもそうではない人も一緒になってこうして同じ空間を共有してライブを楽しんでいる。そして皆がそれぞれの生活に戻っていく。
OASISは素晴らしかった。そしてそのせいでライブ中にそんなことを考えて胸が熱くなってしまった。こういう世界的バンドをこの状況で観れたことを幸せに思う。

サマーソニックは2日間、幕張と大阪の当時開催で翌日には出演者がごっそり入れ替わるというシステムになっている。東京駅からは会場近くの海浜幕張駅までは快速で30分だ。年々参加者は増え、2005年には計16万6千人を動員した。

国内でも続々と音楽フェスティバルが誕生し、音楽ファンはお目当てのバンドが来日するか、そしてどのフェスに出演するか、日々情報収集を迫られる。出来ることなら全てに参加したい!が、とかく自分の経済状況を顧みては悶絶する日々である。


本日の1曲
Don’t Look Back In Anger / Oasis


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2/28 『FUJI ROCKのOMOIDE


Video of Smashing Pumpkins

持っているDVDソフトのうち、一番多い割合を占めるのは映画ではなくライブ記録やミュージックビデオ集である。その映像見たさにケーブルにも加入し、毎日ありとあらゆるミュージックビデオを拝聴している。

最初にミュージックビデオの魅力に気付かされたのはSmashing Pumpkinsの作品である。残念ながらバンドは解散してしまったけれど、今でも時々その作品群には感嘆してしまう。
なによりもその世界観は強烈だ。彼らのキャラクターと曲の世界観、その存在感はビデオの中で一層引き立っている。そして丁寧に作られているせいでどのビデオも素晴らしい。
今回は特に好きな3作品を紹介。



『Tonight, Tonight』は彼らの代表作と言える。全編が舞台劇で構成されていて、登場するモチーフはファンタジックでビデオの中で彼らもまた素敵な衣装に身を包み楽器を奏でている。創りこまれたノスタルジックな世界観にここまでしっくりくるバンドはそういない。
ある男女が古びた宇宙船に乗って新婚旅行に出掛け、月面の未知の生物に襲撃されたり、海底で宴を楽しんだりするのだけど、窮地に陥った時に率先して戦うのが女性だったりして結構面白い。

表現手法は1902年にフランスで製作された『月世界旅行』が原型になっている。原作はモノクロのサイレントフィルムであり、映画好きには有名な作品のようで、我が家でこのDVDを観た友人は咄嗟に「メリエス(監督名)だ。」と言い当てた。独特の色彩とそのアナログ的手法で今なお語り継がれる傑作。本作品は1996年のMTV VIDEO MUSIC AWARDSでVideo of the yearにも選ばれている。



『Stand Inside Your Love』はモノクロの映像である。世界は四角く切り取られた画面の中でなんともグラフィック的に描かれている。衣装も、メイクも美術も全てにぬかりがない。彼ららしさが一番よく現れている様に感じる。即ち、ため息が出る程格好良い。
登場人物達は妖艶でアヴァンギャルドな面々。邪悪な王が捉えられた若く美しい女性を前に舌なめずりしている。その中にあってヒケを取らないビリーの佇まいに感嘆する。どこを切っても絵になる映像の完璧さ。



『Ava Adore』はカメラを長回ししてワンカットで撮影された秀作である。撮影所にはいくつものセットが用意され、それぞれのシーンで異なる世界を描いている。レールに乗ったカメラがスルスルと動き、カメラも人物も移動しながらの撮影であるにも関わらずどのカットもキマリまくっている。

DVDに収録されたメイキング映像は非常に面白い。ビデオの中では完璧にこの世界の住人と化しているvoビリー・コーガンがフレームアウトしてからちょこちょことカメラの背後を移動し、次のカットに備えているところは微笑ましくもある。

Smashing Pumpkinsのミュージックビデオがほぼ全て収録されたDVDが発売された時は、勇み足でタワーレコードへ向かった。そして今でもその作品を観てはひっくり返っている。
その作品はバンドの世界観があってこそのものだ。お金を掛け、有名なディレクターを起用しても、そのバンドに個性がなければ意味が無い。Smashing Pumpkinsはどんなに凝った演出とも渡り合える唯一無二の存在感を放っていた。


本日の1曲
Tonight Tonight / Smashing Pumpkins


愛しのハク 〜違いのわかるオトコ編〜

本日amazonから荷物が届いた。段ボールを開封し中身をチェックしている隙に、我が家のネコ氏は素早くその中にジャンプ・インしていた。そしてちょこんと座ってこちらを見ている。まるで捨て猫気取りである。

ネコは適度な個室感覚を好む。スーパーのビニール袋に体を突っ込み、短いしっぽだけが覗いている時もある。紙袋などにはとりあえず一度は入ってみることにしているらしい。中でジッと瞑想に耽っているようだ。

困ったことに我が家に訪れる友人氏のカバンにも入りたがる。こちらが会話に熱中している隙にゴソゴソと人様のカバンに入ろうとしているのだ。もう入ってしまっている時もある。さすがに友人氏に申し訳なくなるのだが、引きずり出された当の本人は非常に不服そうだ。

そして現在、キャットハウスの購入を検討中である。
インターネットでペットグッズを検索しているとそれなりのお金を出せばなかなか素敵なハウスが買える。藤編みのドームハウスは通気性も良さそうだ。ちょっと値が張るけれど買ってみようかという気持ちになった。
しかし、購入寸前で思いとどまった。ネコ氏は気に入ったものにしか興味を示さないからだ。今までにも空振りに終わった商品はいくつもあるではないかと。

出掛けたついでに購入したおもちゃをお土産に帰宅し、購入した経緯などを嬉々としてネコ氏に説明しながらビニールを取る。その傍でネコ氏もお座りをして開封を待つ。

ジャーン!とおもちゃをネコ氏に披露した瞬間、彼はプイッと背を向けどこかに行ってしまう。そうか・・・駄目か。気に入らないのだから仕方がないが、留守番をするネコ氏のことを考え、あーでもこーでもないと考えた時間が徒労に終わった瞬間である。必死のチョイスも彼の気に入らなかった。去り行く背中を眺めながら(お前のこと、理解できていないんだナ)と少し凹む。

そのくせ三角に折り畳んだビニール袋や錠剤の抜け殻や、ビン飲料のフタなどには興味を示し、転がしまくってはヒートアップしているのだ。なんともはや。

一人暮らしをしているせいで昼間はネコ氏は部屋で留守番をしている。昨夏は記録的猛暑だったが、留守中に運転していたエアコンから発火したというニュースを見たせいで外出時にはエアコンを切っていた。

そこで「冷んやりアルミボード」なるものを購入。真夏の室内において、この上に寝転がるとさぞかし気持ちよいであろう。隣でネコ氏も開封を待つ。しかし残念ながらこれも彼の気に入らなかった。
苦し紛れにマタタビの粉末を撒いてみる、厭がるネコ氏を無理矢理乗せてみる。逆効果だった。
去り行く背中に向かって「結構高かったんだヨ」と言ってみたところで無駄だった。それ以来、外出時はドライ運転を余儀なくされている。

今座っている椅子を巡っては毎日椅子取りゲームである。彼のこの部屋の一番のお気に入りスポットのようで、普段座面をネコ氏が陣取っているために常に半分しか腰掛けることができない始末だ。腰が痛い。そんなネコ氏の為に購入したフカフカのシャギークッションも今では客人専用になってしまっている。これも駄目か。

結構お高い藤製のキャットハウスがただの爪とぎになる可能性もある。だから注文に二の足を踏む。


本日の1曲
犬と猫 / 中村一義


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2006/03/16 『愛しのハク 〜眠れぬ夜は君のせい編〜
2006/03/01  『愛しのハク 〜MY CAT LOST編〜
2006/02/11 『愛しのハク 〜ルームメイトは白猫氏編〜


うつ

テレビを見ていたら『うつ』のコマーシャルが流れた。「それはうつ病かもしれません。その症状が続いたら、病院へ。」
時代は変わった。以前はこんなに親切なコマーシャルは放映されていなかった。ここ何年かでうつへの偏見はやわらいだように感じる。人々は以前ほど、街のクリニックに通うのに抵抗は感じなくなったのではないか。

大学時代に鬱に苦しんだ。なんとなく気分が乗らないという鬱ではなく、原因が明らかだった。それは落ち込み、悩み、再生するというこれまでの過程とは全く違っていた。思考は滞ったまま、起きていても寝ていても常に地獄のようだった。

現実を直視出来ない為か幻覚を見た。夜な夜な叫び声を上げながら嗚咽した。そのせいで頭が激しく痛み、風呂にも入らず食事もままならず、ベッドから出ることすら困難だ。
しばし朝日は希望の象徴の様に語られる。しかし朝日が昇ってもその「新しい」一日は何の変化ももたらさないことがわかる。ただ、また同じ一日が始まってしまうことが恐ろしい。また朝が来てしまった、と絶望的な気分が増長されるだけだ。朝日は同じ一日の始まりを無情に告げるだけの存在であった。

状態は長く治まらなかった。「時間が解決する」と言った人の笑える程ありきたりの言葉にすがってみたものの、一向に状態は収まらず憤るばかりであった。鏡に映る醜く歪んだ自分の顔に、一層絶望的な気分になった。
どんなに声を荒げても伝わらないことがある。一番わかって欲しい人に届かないこともある。こんな状態で生きることに意味はあるのか。その事実はとてつもなく残酷である。

宗教や、ドラッグでこの苦しみから逃れられるだろうかと考えた。しかしそれで事態が解決するとは思えなかった。酒に酔うことも、薬に頼ることもなく素面の状態で苦しみを経験することは生き地獄のようなものである。その時自殺する人の気持ちが初めて分かった気がした。

数年が経ち、ようやく生活が戻りかけた頃にまたしてもある事件が起こった。その事件に対する落ち込みよりも、またあの日々がやってくると思うと恐ろしくて錯乱状態に陥った。

大学の相談室に行き、カウンセリングを受け心療内科に紹介状を書いてもらった。気は焦り、睡眠薬や抗鬱剤を早く処方して欲しい一心であった。すぐに心療内科へ電話を架けたが予約でいっぱいですぐには診てもらえないという。その後も何件かに電話をしたがどこも回答は同じだった。
結局その時は重度の鬱に何か月も悩まされることは無かった。ある種の免疫が出来、状況を食い止めようと抑制が働いたのかもしれない。

大学時代に経験した鬱体験はその後の自分を大きく変えた。
信じられるものと信じられないもの。信じたいもの。価値のあるものと価値のないもの。自分が一番恐れていることと一番望んでいること。大切にしなければならないもの。人間の尊さや揺るぎないもの。気が付いたことは沢山ある。それが浮き彫りになったおかげで、価値観も随分変わった。

今まで考えても考えきれなかったことにそれなりの意見を持てるようになった。自分の中の善悪の基準が明らかになった。それを人々に披露したところで必ずしも賛同を得られないことはわかっている。しかし揺るぎない自己が確立した重要な時期の出来事である。
ならば鬱を経験してよかったのだろうか。あんな経験をするくらいなら一生浅はかな人間のままで良かった気もするが、その経験こそが今の自分を形成している。
世の中はこんなにも残酷で荒み、それでも回転を続けているのだということを知るのは果たして幸福なのだろうか。

苦しみに喘いでいる人の前で帰宅の時間を気にしたり、簡易な言葉で慰めを言う人もいた。しかしそんな状態の友人を前にすべてを投げ捨てて身を捧げる覚悟が自分にはあるだろうか。人間に多くを期待するのは間違っている。その諦めの感情は今でも根深く残っている。

自分の経験をどう形容すればよいのか、喋れば喋る程、真実から遠ざかるような気がして虚しくなる。そして未だにその鬱が自分のすぐ傍にあるのを感じる。
世の中に完全にわかりあえる人間関係は存在しない。そう一度諦めた上で、ならばわかりあおうじゃないかと、互いに歩み寄ることこそが一番尊い。その経験で得た、一生の教訓である。


本日の1曲
黄金の月 / スガシカオ


ヘルシーな人々

ある時期のスーパーマーケットでは「きなこ」や「寒天」や「スキムミルク」の品切れが続いていた。その手の情報に疎い自分でもなんとなく健康ブームに関係がありそうだと感じる。身近な人々もその例外ではない。今夜は帰ったらバナナ酢を作る!と意気込んでみたり、宿便を排出するためにプチ断食にトライする人もいる。

運動もしない、通勤には電車とバスを利用しほとんど駅構内しか歩かない。酒こそ飲まないけれど、チェーンスモーカーである。体の不調にもとことん鈍感で、健康診断は色んなアラが露になりそうで恐くて受けられない。自分はアウトドアが苦手な深夜活動型インドア人間である。

上司氏の机に「おーいお茶 濃い味」のペットボトルが置かれていたが、どう見ても「濃い味」より色が濃い。疑いの目で真相を追求したところ、自慢げに引き出しを開け青汁の粉末を見せてくれた。そしてシャカシャカとペットボトルを振り、作り方を説明してくれた上司氏(with照れ笑い)は間違いなく健康おたくである。それは職場で青汁を飲んでいる人を初めて見た衝撃的な日だった。

実家に帰省した際には我が家に到来した健康ブームを目の当たりにすることになる。
ダイニングテーブルに置かれていた大学ノートを開くと、懐かしい祖母の字で丁寧にメモが取られていた。それはお昼の情報番組の知識を記した「健康ノート」であった。まるで放送大学みたいだけど、テレビを見ながら真剣にメモを取っている姿を想像したら妙に胸が熱くなった。

両親が数年前に始めたウォーキングは今では生活の一部として根付いたようだ。腰に万歩計を付け、リュックを背負い、反射板の付いたタスキを掛け、母親は夜店で買ったピカピカ光る指輪までつけている。田舎の夜道で我が両親がどのような目で見られているのかは想像したくない。

ダイエットを目的に始められたウォーキングも、行き先が焼き肉屋ではあまり意味が無いのではないか、と思う。しかしながら仲良くウォーキングに出掛ける姿を見ると最早行き先はどこでもいいじゃないかと思えてくる。
健康に関して好奇心旺盛な人々はイキイキしているからだ。


本日の1曲
七色の楽園 / 原田知世


ケータイ自分史

数年前の雑誌を眺めていたら携帯電話のニューモデルの写真とそのスペックが載っていた。丁度自分が以前に使用していた端末だ。それがなんと時代遅れであることか!

初めて携帯電話を契約したのは大学に入学した1997年。携帯電話を持つまでの通信ツールといえばポケットベルだった。当初は数字だけしか入力できなかったが、そのうちカタカナ入力が出来るようになった。当時としては充分革新的であった。開発者も若者のコミュニケーションツールとしてここまで浸透すると予測していただろうか?しかし、今更予測してみたところでとっくの昔の話であまり意味が無い。話を携帯電話に戻そう。

現在使用している機種は6台目。最初に持ったのはIDO(現au)の携帯電話で四角くて分厚いブロック型の端末だった。もちろん液晶はモノクロ。操作時には画面がブルーに光った。
やがてモノクロだった画面は256色カラーになり、背面にカメラがつき、今はテレビも見れるしラジオも聞ける。カメラは202万画素にまで進化した。携帯で音楽を再生し、携帯が財布代わりになる時代だ。携帯電話の進化のベクトルは数年前には思いつかなかった方向に向いてゆく。

携帯マニアではないのでスペックにはさしてこだわらないけれど、購入して数カ月後に(こんなこともできたのネー)と突如新機能を発見したりする。逆に誰が使うのかわからない機能にまで気付く。携帯を振って9種類のショートカットが使い分けられる「モーションコントロール機能」は全く使ったことがないどころか、そんな機能があることに今気付いた。


こうして並べた携帯を改めて眺めると懐かしい気分になってくる。ある一定の期間を共に過ごした端末には(あの人とよくメールをしたナ)とか(旅行に持っていったのはこれだナ)と、それぞれに幾つかのエピソードがある。ボタンの手触りまで思い出されるくらいだ。
そして現在最新型のモデルも数年後には、それがなんと時代遅れであることか!という事態になるであろうことに戸惑う。

昔使っていた携帯電話を部屋の隅で見つけ、おもむろに電源を入れてみたりする。『といいつつ期待!ヒエー』という友人氏から来たメールに謎が深まる。暫く考えてみるが一体何が『ヒエー』だったのか、なかなか思い出せない。


本日の1曲
Hi-Fi / DOPING PANDA


食をデザインするDEAN&DELUCA



ここトーキョーには多くのお洒落ショップがひしめき合っている。近年のカフェブームや、家具ブームやらで以前に比べてセンスの良い店が増えたと思う。

店舗がオリジナリティーを発揮するのは簡単なように思えるが、街中のカフェは結局似たような店になりあまり印象に残らない。個人的好みで東京のカフェスポットを3つあげれば、神保町の『さぼうる』、福生市の『DEMODE DINNER』、恵比寿の『喫茶銀座』。そして3件ともがここ数年でオープンしたというわけではない。

そんなトーキョーにニューヨーク生まれの『DEAN&DELUCA』が上陸したのは約3年前である。現在は丸の内、渋谷の2店舗の展開。丸の内、青山、羽田にはカフェがある。渋谷店は改札を出てすぐの『東急のれん街』の中にあり、夕刻になると狭い店内は客でごったがえす。品川店も駅構内(アトレ内)にある。こちらは店内が広くカフェも併設されている。

まだ渋谷店がオープンする前、とある雑誌の特集を目にしてそのソフィスティケートっぷりに目を見張った。その空間を早く体験したい!と興奮状態で品川店に入店。
左にはカフェスペース、入り口右には花も売っているではないか。世界各国の紅茶やお菓子が並び、ピクルスやトマトペーストのピン詰めが色鮮やかだ。そのラベルを眺めているだけでも楽しめてしまう。

しかしながら一番目を惹くのはオリジナル商品である。値札や商品説明タグ、オリジナルのキッチンツールには最早「DEAN&DELUCA書体」というべきロゴが踊っている。

オリジナルのスパイスやお菓子は、シルバーグレーの小さな缶におさめられている。白いシールにブランドロゴと商品名が印字されているだけなのだが、そのさりげなさすら心憎いばかりである。

デリではサンドウィッチ、パスタ、ベーグルなどが扱われている。そしてまたもや不完全かつ完璧なパッケージデザインに唸る。商品を包むラップはロゴ入りのシールでラフに止められ、グレーのシンプルなデリボックスは食材の鮮やかさと質感を一層引き立たせている。この店では人工色は最小限に押さえられているようだ。(稚拙な絵柄がプリントされた容器で食べる料理ほど虚しいものはない。)

店内には大量の商品が陳列されているにも関わらず、そこにはちゃんと「マーケット」の雑多さが残っている。初めて品川店を訪れた時、友人氏と「すげぇ」を連発してしまった。突っ込みどころが無かった。

DEAN&DELUCAはガチガチのスタイルではなく、絶妙なサジ加減で、ラフにデザインをやってのけている。そこには「食を愉しむ」為のデザインがある。少し高い金額を支払ってでも持ち帰りたくなる特別感を演出できる店はトーキョーにだってなかなか無いのだ。


本日の1曲
Whats Goin On / The Louis Hayes Group


坂口安吾『桜の森の満開の下』

どうして桜は人々を魅了するのだろう?
その疑問を呟いた時、友人氏は『桜の木の下には死体が埋まってるからだよ』と言った。だからこんなにも華やかなのだと。それ以来、桜の季節になると決まってその文句を思い出すようになった。

近頃は桜の花の下といえば人間がより集まって酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまうという話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。
ー坂口安吾『桜の森の満開の下』

桜の季節になると峠を越える旅人は決まって『気が変』になった。その妖艶な様は昔の人々に恐れられていたという。
物語に登場する山賊は、街道へ出ては都から来た人の命を絶ち、窃盗を繰り返している『むごたらしい』男である。ある日男はいつものように街道で女をさらい、それを8人目の女房にした。

女は今までのどの女房よりも美しかった。女は山の生活を嘆き、しきりに都の生活を恋しがった。山賊は都の景色を見たことがない。この山が彼の全てであった。
女はまた山賊以上に残虐な心を持っていた。共に暮らす代償に山賊に首刈りを迫ったが、彼にとって他人の首を切ることなど『大根を斬るのと同じようなもの』であった。山賊は夢中になって女の欲しがるものを手に入れた。

その存在の出現は山賊に人間的な感情を与えた。それは人間同士の営みの産物であったが、彼の手には負えないものばかりであった。毎晩のように首を欲しがる女に山賊は毎晩のように首を捧げた。退廃した生活の先には暗黒が広がるのみで、何の希望もない。その『明暗の無限のくりかえし』を考えると頭が痛んだ。
桜が題材でありながら、その文章は醜さや裏切りに満ちている。人間の感情の推移を描いた傑作であると思う。

新宿へ向かう中央線の車内から、線路近くの駐輪場の桜が見える。今年は桜をゆっくり眺めてすらいない。桜の見頃は過ぎたと思っていたが、そのモコモコとした花は、今まさに満開であった。
この時期には望まれない強風や雨で歩道に散った花びらは、来週になれば人々に踏まれ縮こまってしまうだろう。
限られた瞬間のこぼれるような生命力と淡い色彩の佇まいに我々は心を奪われてしまう。


本日の1曲
桜のダンス From シブヤROCKTRANSFORMED状態 / Number Girl



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桜の森の満開の下
桜の森の満開の下
講談社文芸文庫・坂口安吾著


インターネット図書館、
青空文庫でも読むことができます。→『桜の森の満開の下』ページへ


西新宿エレクトロ

新宿には大型家電量販店が点在する。『ヨドバシカメラ』『さくらや』『ソフマップ』『ベスト電器』、数年前には『ビックカメラ』が華々しくオープンした。ここ新宿だけで、国内で販売されている家電製品はほとんど全て揃ってしまう。

今ではメジャーになったポイント制を考案したのも家電量販店だ。そして我々は往々にしてその虜になる。インターネットでいくら安い商品を見つけてもポイント還元を考慮するとどうしても新宿に足が向く。
(還元を考慮すると33800円で買えることになるからァ・・・)と最初の買い物をし、次の買い物で(ポイントを使うとこれだけの現金で買えちゃうんだよなァ!)と悦に入るものの、還元の仕組みを頭でこねくりまわしていると段々訳が分からなくなり、実際はどの程度「得」をしているのか定かではない。

上京してからどれくらいの金額を新宿で使ったであろうか?
Macintosh(2台)、Macintosh用モニタ(2台)、iPod(2台)、スキャナー(2台)、プリンター(2台)、コンポーネントシステム、一眼レフカメラ、コンパクトカメラ、DVDプレーヤー、DVDレコーダー、エスプレッソマシン等々。新宿に落としてきた金額は軽く100万を超える。

中でも足繁く通うのはヨドバシカメラだ。なんとなく最初に家電を買い始めてから同じものがあったらヨドバシで買う、という気質になってしまった。

そして今夜もヨドバシカメラに入店。ヨドバシカメラ新宿西口本店は扱う商品ごとに建物が違う。「マルチメディア館」「カメラ館」「修理・サービス館」など付近にはヨドバシゾーンが広がっている。飲食店のネオンと相まって一層賑やかな西新宿の夜の光景である。

商品のせめぎ合いを横目にオーディオコーナーへと急ぐ。近年営業時間が22時まで延長されたが、今夜は閉店まであまり時間がない。
マルチメディア館店内の粗雑なエレベーターに乗って上昇。そしてイソイソとSONYのオーディオケーブル(5m)を購入。地味な買い物であるが、昨日のコンポの位置替えによって生じたスピーカーとDVDデッキの隙間を埋めてくれる貴重なアイテムである。ライブDVDはテレビのスピーカーだけでは心許ない。

店内に閉店のアナウンスが流れている。辞書ソフトやコンピューター関連書籍もじっくり購入検討したいところではあるが後ろ髪引かれる思いでエスカレーターを降りる。ひとりで店内を巡回しているといつの間にか数時間が経過してしまう。要するに電気屋好きである。近日中の来店を誓う。

新宿の雑多さは夜が更けると一層露になる。大型家電量販店のネオンは容赦なく存在を誇示している。その節操のなさは最も新宿らしいランドマークである。


本日の1曲
Technologic / Daft Punk