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ELLEGARDEN 〜Eleven Fire Crackers Tour -United Solitude- @幕張メッセ

『オマエらそんなんでいいのかよ?一生に一度かもしれないぜ?そんなんでいいのかよ?』
ライブの中盤に細美氏は真顔で危惧する言葉を吐いた。
ステージにメンバーが登場すると、ひしめきあうオーディエンス達は一斉に前に詰めかける。演奏が始まるや否や、怒号のような歓声が響き渡る。しかし細美氏は(まだいけるだろ?)と言わんばかりだ。

彼はライブ中も会場のオーディエンスの一挙一動を本当によく見ている。見ているだけではなく感じているというべきか。それはどこか楽しむことを遠慮しているようなオーディエンスの心を見透かした発言だった。
直後の ”Supernova” 。その言葉に挑発されたかのように会場のボルテージは一層上がる。

今夜は幕張メッセの3ホールをぶち抜いて巨大な会場が設営された。ステージから後方へ伸びる長方形を3つに区切り、前からZ、Y、Xというブロックが設けられた。今夜は一番前方にあたるZブロックの後方での参戦、ステージも肉眼で充分に見える。

『やる前は後ろの方はどうかなぁ?と思ってたんだけど、もう・・・すげー伝
わってくるよ。愛される経験ってそんなに無いけど、すげー伝わってくるよ。受け止め切れねぇくらい!』
MCの途中、遙か後方から起こる拍手は威力を増しながら前方にまでなだれ込む。それは大きな波に自らが飲み込まれる瞬間のようで、前方ブロックにいた人々が、何事かと後ろを振り返るほどであった。気付きにくいけれど、今夜は後ろに2万人が控えている!

『俺ら今だにペヤングとかエロ本とか好きだし、こうやってライブしてない時は、ほーんとオマエらと何も変わんねぇんだよ。有名になったりCDが売れたりすると変わったり、そうなる人がほとんどじゃねぇかと思う。でもさ、前となーんにも変わってねぇ俺らを、こんな大きいステージに上げてくれて、本当にありがとよ。』

ある日いつものようにライブハウスに会場入りしようとした細美氏は、会場の外にいたファンに声を掛けられた。彼女は正規の手段ではどうにもチケットが取ることかできない現実や、心ない者によってオークションなどでチケットが高額取引されることに対する憤りや悲しみを彼に直接訴えた。彼女はチケットを持たずして会場に詰めかけた熱心なファンの一人だった。

彼女と話したその日のうちに、幕張メッセでのライブ開催を決めたという。しかしそれは「今」ファン達に出来ることを考えた結果で、恒例にするつもりではない。幕張メッセでライブを行うことは、バンドにとっては想定外のハプニングに近かったかもしれない。
今夜は昨年から続く ”Eleven Fire Crackers Tour” を一旦終了した後の公演。ツアー真っ只中に幕張メッセ公演の開催がアナウンスされ、今夜のライブにはUnited Solitudeという特別な副題がついた。

”Can You Feel Like I Do” のメロディーに身体が覆われていく。真正面から訴えかけてくるような誠実さに、呆然と立ち尽くす。
皆が人差し指を宙に掲げた ”ジターバグ”、語りかけるように歌う ”高架線”。それに応えて会場中が飛び跳ねる!ELLEGARDENの音楽はどこか憂いを湛えている。時にはその憂いに寄りかかり、テンションの高い曲に飛び跳ね、MCの発言に共感し、笑いながらライブは進行する。

_____ さぁ、ライブハウスに帰ろうぜ。
本編最後、”Red Hot” 前のMCで細美氏はこう言った。優しく穏やかな、語りかけるような口調で。ライブハウスがこそがその居場所。彼の表情は頑なな意志を感じさせた。

しかし今夜、彼の中に新たな感情が生まれたことは明らかだった。『あー、曲が進んでくのが勿体ねぇ!』細美氏は顔を歪めて言う。そして『どうしてもまだやりたくてさ!』とバンド自ら2度のアンコールに応えた。彼は終始『ありがとう』を連呼し、全身からなる雄叫びを上げてステージを去っていった。

彼は理想を理解しない人々に揶揄されながら、それでも歌うことをやめなかった。ライブ終盤、細美氏は胸に手を当てて『・・・今日初めてここの穴が埋まったよ。』と声を詰まらせた。その言葉にオーディエンスは沸き返る。自分達に向けられた何万の人間の「音」。こんな体験ができる人はそういない。
かつて ”The world is lonesome enough to me.” と歌った彼は、今夜何万のオーディエンスに囲まれて、ステージで涙を流した。

SETLIST

01.Opening
02.Fire Cracker
03.Acropolis
04.Can You Feel Like I Do
05.The Autumn Song
06.虹
07.Pizza Man
08.Lonesome
09.Gunpowder Valentine
10.(Can’t Remember) How We Used To Be
11.Supernova
12.Spacesonic
13.風の日
14.Missing
15.Salamander
16.Middle of Nowhere
17.Sliding Door
18.Surfrider Association
19.Marie
20.No.13
21.高架線
22.ジターバグ
23.Red Hot

-encore1-
24.Winter
25.Make A Wish

-encore2-
26.スターフィッシュ
27.金星


本日の1曲
Can You Feel Like I Do / ELLEGARDEN



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2006/12/31 『ELLEGARDEN 〜COUNTDOWN JAPAN @幕張メッセ
2006/07/16 『ELLEGARDEN @NANO-MUGEN FES.2006
2006/08/13 『A Song For Kids!


ほんの少し先の変化

高校生の時、アルバイトをしたいと家族に相談すると、当時駅前にあったラーメン屋のマスターに話をつけてくれた。父親の長年の友人であるマスターが一人で切り盛りする小さな店だった。
アルバイト初日、昼の時間になると次々と客がやってきた。接客をし、お金を扱い、食べ物を運ぶ。店の運営を自分のような高校生に任せてよいのかと不安になった。

そんな「重大な」ことをしているにも関わらず、仕事の説明らしきものはほとんどなかった。不安な気持ちのまま最初のお客さんがやってきて、マスターは淡々と料理を作り始めてしまった。ラーメンの汁をこぼさないように運び、省略して呼ばれるメニューの名前も覚えた。

そのほかにいくつかアルバイトを経験したけれど、その度にろくに説明も受けないまま勤務が開始された。
社会に出るということは突然放り出されることだった。充分な説明を得られないまま、最善の方法を自らが考えなくてはならない。その時、今まで自分がどれだけ加護されて生きてきたかということを思い知った気がした。
上京する時も、大学に入学した時も、初めて勤務先に出社した日も。いつもその感覚が蘇ってきた。

今夜友人から携帯にメールがあった。そこには”今度家族が増えるから・・・”と事も無げに書かれていたが、それは初めて知る彼女の近況だった。そういえば元同僚の彼女とは昨年の夏から暫く会っていない。

職場でメールを見たあと、帰り道に彼女のことを考えていた。こちらがまだ呑気な大学生活の最中に彼女と知り合った。彼女はアルバイトをしながら学費を捻出し、1個100円のキャベツでおかずを作っては、職場に弁当を持参していた。こつこつと勉強をし、国家試験を突破してハードな仕事に就き、長く付き合っていた彼氏と昨年結婚した。
どれもが人生の転機というべき出来事だった。彼女に起こった出来事の全てを知っているわけではないけれど、知り合ってからの5年半で、彼女の生活は刻々と変化しているようだった。

彼女はその間何度も「放り出されて」きたのだろう。現実感が湧いてこないまま予測できないほんの少し先の未来を選び取ってきたはずだった。それがよい変化であれ、意図しない変化であれ。
自分は、何をしていたのだろう。
環境が変わることを大袈裟に恐れ、生活を維持することを第一に考えてきた。たった5年半の彼女の生活を反芻していると、ほんの少し先の変化にすら怯えていた自分がひどく情けなくなった。

新たな一歩を踏み出す時はそれなりの覚悟が必要ではあるけれど、適度に肩の力を抜かなくては乗り切れない。踏み出した一歩はきっと面白い世界を見せてくれる。
帰宅してから自分に言い聞かせるようにそんなことを思っていると、ラーメン屋の狭くて細長い店内を往復していた頃の自分の姿を思い出した。


本日の1曲
Somewhere There’s A Feather / odani misako・ta-ta


『お疲れさまです。』の口

歩く度に『お疲れさまです!』と喋るスニーカーがあったらいい。
俯き加減で、伏せ目がちに歩くとそれっぽく見えるよ。
すれ違いざまに押せる『お疲れさまですボタン』を首に下げるのはどう?
あ、でも、あまり仕事していない上司には押してはいけないよ。
ははは。

毎日毎日、数百人の同僚と過ごしていると、挨拶がちょっと面倒になる。が、挨拶をやめるわけにはいかない。しかし一日で100回以上は繰り返される挨拶には少々マンネリを感じてしまう。

iPodの再生を停止し、片耳のイヤホンを外す。出勤してオフィスのエレベーターホールに到着した時から、挨拶をする心構えが必要になる。見知った顔の同僚達にはもちろん、時にはフロアボタンを確認し、同じ会社で働く人にも会釈をする。
中には全く挨拶をしないポリシーの人もいるが、会う人会う人全員に挨拶をするせいで、なかなか席に戻れないお人好しもいる。丁寧にお辞儀をしまくる人は、10秒前に顔を合わせたのも忘れているようだ。

『お疲れさまです。』というのにも飽きて『こんにちは。』や『おはようございます。』に変更したりするが、油断していると無意識に『お疲れさまです。』の口になってしまう。何年も続けてきた習慣はあなどれない。
挨拶をしないと決めてしまえば良いのかもしれないが、長い廊下をすれ違うまでの間、なんとなくソワソワしている相手の動向を見ると、お互い様なのだと納得したりする。

人に出くわすと条件反射で『お疲れさまです。』と言ってしまう。相手の顔を確認もせずにその言葉を発すると、実は相手がよく知った同僚だったりする。関係にそぐわない少々かしこまった挨拶口調に、気のゆるみを見透かされたような気分になる。

仕事が終わって帰宅する時、一日中惰性で発してきた『お疲れさまです。』という言葉はやっと自分に向けられる。
(お疲れ!自分!)と意気揚々と入店した居酒屋の廊下で店員氏に出くわす。そしてまたしても条件反射で『お疲れさまです。』と言ってしまう。


本日の1曲
土星にやさしく / ザ・クロマニヨンズ


番外ブログ 〜お知らせとお願い〜

いつもブログをご覧頂きありがとうございます。

この度(と言ってももう1ヶ月以上前の話ですが)、ドメインを取得しブログのアドレスが変わりました。
以前のアドレス(http://livingtokyo.jugem.jp/)でブックマークしてくださっている方はお手数ですが新しいアドレスhttp://living-tokyo.com/に変更をお願いいたします。
(2006年12月以前にブックマーク登録していただいた方は旧アドレスの可能性がございます)

今後ともリヴィング・トーキョーをよろしくお願いいたします!

taso拝


ほぼ日手帳はいとたのし!の巻

他人の手帳は面白くてためになる!『ほぼ日手帳の秘密2007』では、ほぼ日手帳ユーザーが手帳の中身を公開している。自由な使い方を推奨しているだけあってバリエーションは実に豊か。見ているだけで楽しくなってくる。

漫画家、気象予報士、ミュージシャン、会社社長・・・。様々な職業を持ったほぼ日ユーザーが登場し、その使いこなし術を披露する。主婦は家族全員の予定を書き込み、農業経営者は農作業日誌代わりに。イラストを交えて日記をつける新人漫画家、芸人はネタ帳がわりにアイデアを記録する。1日1ページの特徴をいかして趣味の占い日記をつけたり、その日に披露した演目の覚書に使うマジシャンだっている。

学生は4mm方眼を実験計画のタイムラインとして使い、住宅を購入する人は理想の間取りを書き記す。罫線ではなく、方眼を採用したことによって、用途は更に広がったみたいだ。もちろん方眼を意識せずにじゃんじゃんメモをして活用してもいい。
手帳に仕事の予定のみを書き込む人もいればプライベート専用にしている人もいる。

そうした数々の事例は多くの人にとってほぼ日手帳がなくてはならないものであることを説明するのに充分だった。(中にはお財布より大事と豪語するユーザーもいる)それに他人の手帳はなかなか見る機会がない。


買ったばかりの手帳を前に使い方を数日熟考する。ページ全体がスケジュールで埋まるわけでも無いが、日記帳として使えば持ち歩くのに抵抗がある。いっそもう一冊購入しようかと思ったけれど、それではほぼ日手帳の意味が無い・・・。
結局、事前にスケジュールを書き込み、当日空いたスペースに雑文を書くことにした。(勿論、雑文でも見られるのは恥ずかしいのだけど)

実は以前からスクラップブックに憧れがあった。買った雑誌は一定期間取っておく癖がついていても、目当ての記事がどの号のものかわからなくなることも多い。専用のスクラップブックの大きな誌面を埋めるのは苦労するけれど、文庫本サイズのほぼ日手帳なら気軽に始められそうだった。役立ちそうな情報や、気になった記事はどんどんハサミで切って貼り付けていく!ことに決めた。

先日渋谷ロフトの分具売り場を彷徨い、ステーショナリーを大量購入した。どれもがほぼ日手帳ライフを楽しくするための小道具と言っていい。
要するに見事にほぼ日手帳に「ハマって」しまったのだ。


本日の1曲
朝日のあたる道 AS TIME GOES BY / オリジナル・ラヴ


世界一有名なティーンエイジャー 『マリー・アントワネット』

ソフィア・コッポラはこれまでにも未熟な精神の揺らぎを描き続けてきた。ティーンエイジャーや孤独なものへのこだわりは彼女のあらゆる表現活動のテーマであり続けている。
マリー・アントワネットは有名過ぎる。有名であるが故に噂話の犠牲になり、それを信じた民衆は怒った。誰も彼女がティーンエイジャーということに気付いていなかったみたいに。監督のソフィアですら例外ではなかった。

『私は、どれだけ彼女とルイ16世が若かったかに気付いていなかったのです。』
(『マリー・アントワネット』OfficialSiteより)

ソフィア・コッポラは、かつてジェネレーションXと呼ばれた、次世代を代表するクリエイターでもある。特に彼女はデザイナー、フォトグラファー、映画監督、脚本家、女優と多くの肩書きをこなすニュータイプの表現者だった。映画監督フランシス・フォード・コッポラを父に持つ環境が彼女のキャリアを押し上げたのは言うまでもないけれど、彼女のセンスあるクリエーションによって彼女のオリジナリティはすぐに認められた。

時代の主流であったクラシック音楽ではなく、ロックミュージックを用い、色彩や質感へもこだわる。青春グラフィティー、ガーリー、ロマンティック。ソフィアのクリエーションのキーワードがちりばめられ、そのさじ加減がなんともソフィア的で期待を裏切らない。

散らかった部屋や、食べ残しのぐちゃぐちゃになったケーキのカットはフォトグラファーの感覚で描かれている。ベルサイユ宮殿での壮大なロケーションを含め、作品全体が写真を撮るための壮大な計画のように完璧だった。


アートを学ぶ学生が思い描いた夢のような原案を莫大な費用と関係者の協力によって作り上げた、例えるならこういう感覚に近い。

世界がソフィアのクリエーションを求め、構想が構想にとどまらないところが彼女の強みである。こちらが手を加えたくなるインディペンデント作品的危うさ。その絶妙な加減がなんともジェネレーションX的な創造といえる。

革命直前、経済情勢が悪化し国民が混乱を極める中、王妃は自然に溢れた敷地で子供と花を摘む。史実を説明する目的であれば、ベルサイユの陥落に向けてフランス国民の姿を映し出すだろう。 史実を忠実に映像化するのは他に任せ、ソフィアは自分の感覚で物語を作り上げた。

ベルサイユに乗り込んできた民衆の怒号が不気味に轟くシーンは奇妙な現実感を感じさせ、いかに宮殿の中での生活が世間と隔離されていたかを表現するのに効果的なトリミング術だった。
彼女はマリー・アントワネットという実在した人物の感情をより身近に想像することを試みた。それは本当の意味でのクリエーションで、とても意味のある作品なのではないかと思う。

マリーアントワネットの作品というだけあって、この作品は多くの人にアピールできる。スタイリッシュなマリー・アントワネットはきっと現在のソフィアにしか撮ることができない。
王妃マリー・アントワネットはその昔、世界一有名なティーンエイジャーだった。不安定で素直な心は大人だからこそ与えられる価値がある。


本日の1曲
What Ever Happened? / The Strokes


良い大人

ついこの間『夢は何ですか?』と問われ、思わず言葉に詰まってしまった。それはこれまで幾度となく繰り返され、苦もなく答えていたはずのありふれた質問だった。

若者にとって「夢」という課題はしばし好まれる。まだ十代だった頃、友人達が集まるといつしかその話になった。そこで具体的に夢を述べることが出来ない人間は異質だった。
ある彼女はいつも『良い大人になりたい。』と言った。皆が具体的な職業を列挙する中で、彼女のその「夢」は異質だった。そこに居た皆は横槍を入れた。

何しろ皆の夢は具体的だった。画家になりたい。グラフィックデザイナーになりたい。代理店でCMを作りたい。彼女のそうした返答が望まれていないのは明らかだった。それでも彼女は少し考えてからいつも同じ台詞を言った。

発言の真意を見出そうとして、彼女の表情をいつも窺っていた。大勢に囲まれると仕方なく職業らしきものをあげたりしたが、時折首を傾げる仕草を見せてなんだか納得していないように見えた。
解りやすい夢を列挙する若者たちにとって、彼女の発言は掴みどころがなかった。「夢」という言葉を超越した彼女の強い意志を感じもしたが、友人の自分ですら「良い大人」を上手くイメージすることは出来なかった。それにその頃はまだ大人という存在は漠然としていて他人事のように思えた。
これから我々を出迎えるであろう心躍るイベントからいくらでも夢はすくい取れる気がしていた。(楽しい大学生活や、素敵な恋愛を信じて疑わなかった)

年々「夢」という言葉が自分の中で具体性を欠いている。夢があるのは良いこと、やりたいことがあるのは良いこと、いつもそう言われてきた。
自分が本当に望んでいるものや大切にしたいものの輪郭は日に日にはっきりしてくるのを感じる。なりたい自分を思い描くことも出来る。しかしうまく言葉に出来ない。

帰り道、夢を答えられなくなった自分が信じられないでいた。そしてかつての彼女の発言を思い出した。『良い大人になりたい。』もしかするとあの頃の彼女も同じような心境だったのかもしれない。
表現することで人間とコミュニケーションを取りたい。その手段は何であれ。


本日の1曲
タイトロープ / ASIAN KUNG-FU GENERATION


ポタリング・トーキョー 〜としまえんで映画編〜


練馬区に住む友人氏はユナイテッド・シネマとしまえんがお気に入りみたいだった。大きくて綺麗で割引もあって、なにより空いているらしい。確かに新宿や池袋から近いものの、わざわざ「練馬の」映画館に足を運ぶ人は少なそうだ。
練馬方面に伸びる環状七号線を北上すれば、我が家からも自転車で30分以内で辿り着けるはずだった。

まずは予定通りに夜の環七を北上。大和陸橋を通過。引越の時最後まで候補に残ったマンションを懐かしく見上げる。目の前の歩道橋にのぼり車道を見下ろす。
再度自転車にまたがり、西武新宿線野方駅に到着。線路を越え商店街を通過、新青梅街道に出る。都立家政駅周辺を散策してさらに北上すると目白通りにぶつかる。
人通りの無い歩道とカーブを描く広い車道。時折高架を西武池袋線がゴォーと通り過ぎていく。好みの景色を立ち止まって眺める。
練馬区はなかなかフォトジェニックな街であることが判明した。

地下道をくぐり、としまえんに繋がる道を真っ直ぐに進む。地図で見た町名を確認しながら走っていると突如左手にユナイテッド・シネマとしまえんが現れた。
実はこの時既に上映時間を過ぎていた。開演時間を調べてあったものの、初めての土地の景色にはしゃぎ過ぎたせいで到着時間をオーバーしてしまったのだった。

それにしても!立派な映画館!
建物内をダウンライトが照らし、吹き抜けのロビーからは階上へエスカレーターが伸びている。
最近の嫌煙傾向にも慣れ、そそくさと外へ向かっていると立派な「SMOKING ROOM」を発見する。木製のベンチやライトはモダンなインテリアで、暖房もしっかり効いて空間も広い。喫煙所にあるまじき贅沢な空間だった。
次の回まではあと2時間。閉園日のとしまえんを見に行くことにする。

真っ暗な入場ゲートをぼんやり眺めていると、目の前の豊島園駅を降りた人々はするするとゲート脇の道へ消えていった。どうやら通り抜けができるようだ。彼等の後をおそるおそる歩いているといつの間にか人影は消えていた。
すると目の前には巨大なウォータースライダー、”ハイドロポリス”が姿を現した。真っ暗でしんとした空間に不気味な白いチューブが上空に渦を巻いている。
プールの水面はどす黒く底なし沼のようで、わずかに浮かび上がった白いチューブは視界を覆い尽くした。まるで遊園地の廃墟を見ているかのようで、すぐに道を折り返した。休園日のとしまえんは夜来るところではなかった。

カフェのような映画館のロビーで書き物をしながら『マリー・アントワネット』の上映時間を待つ。0時近くに終演し、空いている車道を軽快に走り帰宅した。


本日の1曲
I Still Remember / Bloc Party


SLにのぼって

公園の入り口には真っ黒なSLがどっしりと構えている。遊具に改造されたそのSLの先頭には「D51」と書かれた重厚なプレートがついていて「D51(デゴイチ)は有名なSLだっけだよ」と父は教えてくれた。

実家の隣にある通称「SL公園」には遊具がたくさんあった。ブランコに滑り台、カラフルなアスレチックやコンクリの迷路など。夏休みのラジオ体操は決まってそこで行われたし、避難訓練や町内の運動会などで常に住民の中心にある公園だった。

幼い頃、ひとりで公園に出掛けてはSLのてっぺんに登って持ってきた駄菓子を食べた。上から見ると視界が違う。ソーダ味のアイスの棒に続けてアタリが出たことがあった。そしてその度に駄菓子屋に行きアイスを貰い、またSLの上に登って食べた。それを4回も繰り返したのであった。そうして子供達が駄菓子を持って集まるために、SL内のあちこちに駄菓子の袋が散乱していた。

公園の後方、国道一号線のすぐ手前には児童センターが併設されている。それはコの字をした煉瓦色の建物で、1階の両側は職員が待機する事務所とトランポリンや鉄棒などが置かれた遊具スペース、2階は小さな図書館と会議室になっていた。そこで沢山の絵本を読んだし、竹馬やフラフープで遊んだ。

建物の上部には半円形の銀色のドームが乗っかっている。普段はロープが張られているそこへ上る階段も、天体観測会の時だけ開放された。黒いフェルトが敷き詰められた狭い階段を上がると屋根裏部屋のような真っ暗な空間に出た。半円形ドームの内側だ。真ん中に天体望遠鏡が空に向かって突き出している。
何といってもこの日ばかりは堂々と夜に外出できた。夕飯を食べた後に近所の友達に会えるのも嬉しかった。普段は夕方に閉館する児童センターに夜入れるのはこの日だけで、「しゅうごうじかんは8じです」と掲示板に開催の「おしらせ」が貼り出されるとわくわくしてその日を待った。子供達とその親は代わる代わる望遠鏡を覗いては歓喜した。

1階の事務所には常に2人の職員が居た。たまに人が入れ替わって新しい世話役がやってきた。毎日のように通う自分はその事務所の「常連」だった。灰色のスチールの机の下には無数の紙芝居が積まれていて、床にぺたんと座ってはそれを眺めた。
それまでいた職員は中年のおじさんやおばさんばかりだったが、ある日めがねをかけたお兄さんが配属されてきた。いつも白いポロシャツを着ていたお兄さんは片方の足がなかった。事務仕事中には時々義足を外して見せてくれた。
ある日周りに誰も居ないのを見計らって彼の飲みかけのお茶に修正液をたらして混ぜた。その後あっさりと悪事はばれ、怒られた。(勘が鋭いな)と子供ながらに感心したのだが、どうしてばれてしまったのかは今でもよくわからない。

今年の正月に帰省した際にその公園を訪ねると、プールが無くなっていた。家族に聞くともう何年も前に撤去されたそうだ。毎年実家に帰省していながら、自分が思っていたよりも長い期間この公園に足を踏み入れていなかったことに気がついた。
平坦なコンクリの地面を靴底で撫でるように歩いた。プールの中でこっそり用を足した自分の尿も分子レベルで残っているかもしれないな、とどうしようもないことを考えた。
公園のシンボル的存在だったSLの周りにはロープが張られていて立ち入り禁止になっていた。話題の有害物質がその車体に使われていたらしい。
階段を上って荷台部分を覗くとあの頃と変わらないどぎつい赤のペンキが剥げかかった床が見えた。そしてあの頃と同じように駄菓子の包み紙がたくさん落ちていた。

現在はゲートボールをしたり、夏には盆踊り大会が催されたりしてそれなりに活気があるようだ。祖母はゲートボールを始めたようだった。そしてこちらが「ゲートボール」という度に「グランドゴルフ」と訂正してくる。祖母はきっと老人の象徴のようなその呼び名に抵抗を感じているのだ。一度その「グランドゴルフ」を見に行ったことがあった。
一眼レフをぶら下げて現れた孫の姿を見つけ、そこにいた30名程に声を掛け記念撮影をしてくれと言う。「はーい、取りますヨー」と片手を上げてからシャッターを切った。おばあちゃんもその仲間達もすごくニコニコしていた。

久々に歩いた冬の日の公園は、あの頃の輝きは無かった。20年前と変わらない遊具の数々はどれも覇気が無かった。あんなに大きかった滑り台も高いコンクリの丘も、驚くほど小さく、素っ気ないほど色彩は単調に褪せていた。

今でも地域の人々にはたったひとつの公園であり、賑やかな小中学生の通学路であることには変わりはないのだろう。けれども現在の自分がその公園の存在から遠く離れてしまったのを感じて少し寂しくなった。


本日の1曲
ミラーボール / クラムボン


TRACK NUMBER4

高校生の時、『アルバムの4曲目は名曲説』があった。CDラジカセで毎日音楽を聴いていた感覚だと、2曲目あたりにヒットシングル、4曲目でアルバムの要となる名曲が収録されているパターンが多いように思えた。
それを聞いた友人氏はひとしきり感心していた。彼は後日『おお、やっぱり4曲目だ!おおー、すごい!』と興奮していた。(ように思う)

近年音楽を聴く環境が自由度を増すに連れて、アルバムの収録曲順への意識は薄れつつある。アーティスト達が考え抜いた曲順も、パソコンを使えばあっさりと編集できてしまうからだ。
アルバムに収録されている楽曲はデジタル音楽配信では1曲単位で購入できる。もう欲しい曲目当てにわざわざアルバムを買う必要も無い。そうして(あのCDの何曲目!)という感覚は日に日に薄れてくる。

我が家でもiPodは頻繁にオーディオシステムに接続されている。iPodのプレイリストにお気に入りの音楽を放り込んでおけば、気に入らない曲をスキップする手間も省けるし、いちいちCDを入れ替える必要も無い。デジタルミュージックの便利さは家庭にも手軽に持ち込むことができる。

友人にCDを貸すのも随分と手軽になった。曲データは手元に残り、CD自体を手放しても同じように音楽を楽しめるようになった。貸したがために聴きたい時にCDが無い!という状況も起こらなくなった。所有しているCDの音源を全てアイポッドに取り込めば、コンポの上も散らからない。

iPodで再生順序をシャッフルにすれば曲順はランダムに再生され、幾度となく聴いたアルバムもこれまでとは違って新鮮に聴くことができる。しかしその新鮮な方法はいつの間にかスタンダードになって、アルバムから解体された音楽に慣れていく。それに慣れてしまうと、個々の楽曲がどのアルバムに収録されているかの認識すら希薄になってしまう。その証拠に収録曲順のイントロがなかなか思い浮かばなくなった。

『ライブでも、できることならアルバムの曲順そのままに演奏したい。』アーティスト達は度々こういう発言をする。それ程に曲順には思い入れのあるものなのだ。リスナーによって解体され続け、アルバム一枚の重みが失われていく。
だから最近「CD」を聴いている。
ひとつひとつのアルバムのカラーを感じながらじっくり一枚を聞く。アルバムの余韻に浸っていると突然始まるシークレットトラックに体がびくっと動く感覚も久し振りで、悪くない。


本日の1曲
All Apologies / Nirvana