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平常心で言い放つ。

渋谷のとあるビルディングには妙なビジネス用語(らしきもの)が潜んでいる。ここは『マター』や『なるはや』が飛び交うオフィス。若者たちはその言葉を発するとき、はにかんだりもしいないし、してやったり、とも思わない。あくまで平常心で言い放つ。

その平常心は相手に通じないはずがないという前提の元に宿る。
他の皆はさして気にならないのかもしれないが、もはやその可笑しさは誤魔化しの利かないところまできてしまった。

この会社にも、春に大学を卒業したばかりの新入社員達がいる。スーツのポケットが飛び出ていたり、一番目立つところになんだかよくわからないシミをつけたりしているけれど、彼らは毎日意気揚々と出勤してくる。

新入社員達は業務に意欲的で、初めて聞くことへの興味が尽きないみたいだ。そして皆が「誰よりも早く一人前になりたい」と思っている。IT用語も、ビジネスマナーも、時には説教じみた ”人生を成功に導く方法” でさえも、与えられた知識はなんでもかんでも吸収していく。彼らは真っすぐな眼差しで相手を見据え、身をかがめては細かい字でメモをとる。

そうやって増えたとっておきの知識は新入社員同士でシェアしているみたいだ。彼らが集うSNSのコミュニティを覗くと、覚えたばかりの言葉が堂々と放出されていた。
中に『レバレッジの効いてる営業』というトピックがあった。トリッキーな見出しにそこはかとなく漂う前のめり感。覚えたばかりのビジネス用語で得られる優越感の類。

そうこうしているうちに新入社員達の日常会話はいつの間にかビジネス用語に侵食され、よくわからない会話が誕生する。
『ヒアリング口頭ベースでいいかな?』
『それさぁ・・・かーなりニッチだよ。』

ここで頻繁に使われている言葉のひとつに『そもそも論』がある。正しくない日本語の正しい使い方を探りたい。しかし、実際に使ってみたくてもどういうシーンが適しているのかすら判らない。『そもそも論ですがこちらの案件は、』とか『いわゆるそもそも論ですけどねぇ・・・』と聞こえた瞬間気もそぞろになり、そのあとに続く言葉が頭に入っていかないのだ。

その夜、強引に仕事を切り上げ同僚氏と一杯やっていると、話は彼の過去の恋愛話に及んだ。同僚氏は『マー、オレもいろんな経験を ”経て” るわけだよ。』と訳知り顔であった。

『へてへて論だね、ソレ。』と言うと、彼は『そーそ、へてへて論。』とニヤリと笑った。持つべきものはちょっとした可笑しさを共有できる同僚だ。へてへて論ではありますが、彼はちょっと面白い青年である。


本日の1曲
Barely Legal / The Strokes


Mugs!



ある分野において、”モノは揃っていない方がいい” という勝手なマイ美意識がある。日常生活においては、食器やファブリック類がこれにあたり、スプーンや皿やピロケースやタオルなど、気に入ったものはひとつずつ揃えてきた。将来、自分でダイニングをセッティングすることがあれば、大きなテーブルに種類の異なるイスを配置したいという野望を抱えて生きている。
ひとつずつ揃えたばらばらのマグカップは、そういうささやかな美意識を手軽に叶えてくれている。

FireKingはアメリカ生まれの耐熱食器ブランド。30年前に生産が終了しているのにも関わらず、今も世界中にファンが多い。市場ではヴィンテージの商品が結構なプレミアつきで取引されている。
個性的な形とグラデーションが特徴の ”キンバリー” は南アフリカにあるダイヤモンド鉱山のひとつ、キンバリー鉱山の ”火成岩” をモチーフに作られている。
これは吉祥寺の雑貨店で3000円程で購入。(一応それなりのプレミアがついているということだ)キンバリーのグラデーションの濃淡には個体差がある。店頭で見比べながら2つを選び、ひとつは友人にプレゼントした。

ニューヨーク生まれのデリカテッセン、DEAN&DELUCAはキッチンウェアも充実している。ロゴが秀逸なマグカップは「是非家に持ち帰りたい」と思わせる雰囲気を持っていた。DEAN&DELUCAのオリジナル商品は人気で、中でもロゴ入りのトートバッグは渋谷駅構内で見ない日はない。使い込んでくたっとした姿もサマになるバッグである。

店から出た10メートル先にはボートが停泊しているBLUE BLUE YOKOHAMA。まさにMINATOを地で行くロケーションに深く頷きこのカップを購入した。「MINATO」の名が入ったこのマグは横浜店と神戸店でしか扱われていないそうだ。
つるりとした陶器にデニムブルーの手書き風ロゴがほっとさせてくれる。

最後は国分寺に住んでいた学生時代に、近所の古着屋で買ったもの。まじまじと見るとひび割れていたり、フチが欠けたりしていたけれど、オールドスクールなたたずまいを一目で気に入り購入した。飲み物を注ぐとじんわり中身が染み出してくるのもご愛嬌なのだ。

もちろんマグカップはまだある。我が家にはマグカップがやけに多い。来客を見越した用意でもなければ、単に洗うのが面倒なわけでもない。おそらくマグカップ好きというやつだ。
次から次へと違うマグカップを使うものだから、気がつくと部屋の至る所にマグカップが点在している。まるでホームパーティーの後みたいに。


本日の1曲
I Don’t Want Control Of You / Teenage Fanclub


愛しのハク 〜クッションのあたたかな凹み編〜

一人暮しで猫を飼っていると言うと、『じゃあ家に居ないときはどうしてるの?』と聞く人は多い。不思議と猫の品種や名前の話にはなりにくい。ハクと暮らして10年、何度このやりとりが行われただろう?

それに留守中の飼い猫の様子は誰にもわからないから、頻繁に繰り返されるその質問にはいつまで経っても答えがでない。一体何をしているんだろう。

外出する時は、キャットフードと水の量をチェックし、必ず猫の姿を確認してから家を出る。それから(聞いていようがいまいが)猫に向かって『行ってくるよ』と声を掛ける。

ウィークデイには最低でも12時間は家を空ける。出掛ける時にはそれなりに気を配らなくてはいけない。猫が落ちないよう洗濯機の蓋を閉め、いたずらされたくないものは隠すか片付ける。部屋の空気が篭らないように浴室の窓を開け、カーテンとブラインドで室内の明るさを調節する。そうした一連の流れは身に染みついていて、身支度のついでにほとんど無意識に行われる。

ハクにとって留守番は普通のことであり、出掛ける寸前に甘えて困ることもほとんどない。今や、鞄を持って玄関に向かう飼い主をちらっと横目で見遣るのみで大して気にしている様子もない。・・・慣れたものだ。

玄関のドアがばたんと閉まった時から、半日に及ぶ猫の留守番が始まる。こちらが自動改札を通り抜ける頃、彼はおもむろに居眠りを再開したり、思い付いたように用を足したり、昨日と違うフードの味見を始めたりするんだろう。
人間は仕事、猫は留守番。なにしろハクの留守番歴も今年で10年になる。

しかし部屋に残された愛猫を思うと、ちょっと落ち着かない気分になるのは今も変わらない。誰も居ない部屋に爪研ぎの音を響かせ、時折部屋を迂回して遊び相手を探しているんだろう。
猫氏は消し忘れた家電のスイッチを切ってくれるわけではないし、なにかあったら携帯に電話をよこすわけでもない。ハクと暮らしだしてから外泊は滅多にしなくなり、用事が済んだらなるべく早く帰る人になった。

ある夜、暫くの間ハクの姿を見ていないことに気付いた。名前を呼んでも返事がない。心配になり姿を探すと、狭い隙間から出られなくなって暗がりでじっと息を潜めていた。こちらの手助けがなくてはどうにも脱出不可能な事態だった。
友人氏は『そういうのは、誰か居る時にやるって決めてんだよ』とちょっと感心したように言った。そうか。「成功するかわからないチャレンジ」は飼い主の在宅中にやっとくルールを会得したのか。

玄関を開けると、いつもそこにハクが待っている。足音がするたびにここに来ているのか、飼い主の足音を聞き分けられるのか。
さっきまでハクが寝ていたと思われる温かなクッションの凹みに手を当ててはなんとなく彼の留守番を想像したりする。


本日の1曲
今日はなんだか / SUGAR BABE


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2006/12/11 『愛しのハク 〜純白のファッショニスタ編〜
2006/11/26 『愛しのハク 〜我が家の冬支度編〜
2006/11/09 『愛しのハク 〜のっぴきならないお出かけ編〜
2006/10/27 『愛しのハク 〜オレ関せず編〜
2006/10/11 『愛しのハク 〜ハクの宅急便編〜
2006/09/29 『愛しのハク 〜研いで、候。編〜
2006/08/11 『愛しのハク 〜3時間のショートトリップ編〜
2006/07/18 『愛しのハク 〜人知れずタフネス編〜
2006/07/04 『愛しのハク 〜勝手にしやがれ編〜
2006/06/11 『愛しのハク 〜飼い猫も潤う6月編〜
2006/05/03 『愛しのハク 〜おかか純情編〜
2006/04/10 『愛しのハク 〜違いのわかるオトコ編〜
2006/03/16 『愛しのハク 〜眠れぬ夜は君のせい編〜
2006/03/01  『愛しのハク 〜MY CAT LOST編〜
2006/02/11 『愛しのハク 〜ルームメイトは白猫氏編〜


The Pillows “Wake up! Tour” @渋谷 CLUB QUATTRO

今夜、The Pillowsの “Wake up! Tour” 初日。客電が落ちる ”あの瞬間” をできれば見たい。走りながら右腕の時計をリストバンドにチェンジ!道玄坂を横切り、ブックファースト脇をすり抜ける!

今夜のライブは19時開演。19時の定時に会社を飛び出し、QUATTROへ向かって走る。コインロッカーの上に鞄を放り投げ会場に入ると、すぐに客電が落ちた。

暗がりの中、歓声に沸き返る空間にしばし呆然とする。考えてみればこうして慌ただしくライブ会場に駆け込むのは初めてかもしれない。会社からわずか10分足らずでライブ会場の喧噪へ飛び込んだせいで、あるべき場所へ戻されたような幸福な気分に満たされていく。

『会いたかったのか?』とvo.山中さわお独特のなじるようなMC。The Pillowsがツアーに出るのは昨年冬の “LOSTMAN GO TO CITY” ツアー以来半年ぶり。オーディエンスはそれぞれに熱狂し、呼び掛けに応えている。皆がこのツアーを心待ちにしていたみたいだ。

演奏中、Dr.佐藤氏がコーラスを録音したマシンを叩き間違え、別曲のコーラスが繰り出されるハプニング。メンバーを見やり、笑いながら歌う山中氏。
『(パットが)6つあるからわかるようにテープ貼っとけ、って言ったんだけど、いいっていうからさ』、『初日っぽいなー!』とその後のMCでアクシデントの詳細を解説する場面もあった。

MCでの宣言通り、今夜はの長めのセットリストとなった。開始早々、狭い会場は酸欠状態で、山中氏は序盤から『暑い!』を連発し、スタッフに会場の換気を ”真剣に” 依頼する場面もあった。
開演前に差し入れの滋養強壮ドリンクを飲んだものの『もうだめ!』と笑い、ステージ脇の扇風機に移動したりする。

最近手に入れた「今まで所有した楽器の中で一番高い」アコースティックギターを嬉しそうに自慢したかと思うと、口にピックをくわえたまま唐突に演奏を始めた。アコースティックギター特有の強い弦の音が響き、和やかなMCから一転、空気が張り詰める。

歌い出す瞬間、口に加えていたピックを肩越しに吐き捨て、サイモン&ガーファンクルのカバーを披露。そして唐突に演奏を止め、汗のせいで思いがけなく右腕に張り付いたピックを指差して楽しそうに笑っている。
瞬時に空間の空気を変えてしまうのは音楽の力か。アーティストの存在感というのは、・・・こういうことなのかもしれない。

イントロが始まるや否や会場が一段と沸き返ったのは、”YOUNGSTER (KentArrow)” 。ハンドクラップが盛り込まれたこの楽曲は「ツアーの映像を思い浮かべながら狙って作った」だけあって、この日一番の盛り上がり。力強く、歯切れ良く、見事に揃ったハンドクラップに思わず顔がにやける。みんなこれがやりたかったはず。
The Pillowsアンセムのひとつ ”Ride on shooting star” では最早お馴染みのギターとベースのネックが宙を切るアクション。山中氏のジャンプは今夜も高い!

アンコール終了後、メンバーが去ると会場のSEが ”YOUNGSTER” に切り替わる。オーディエンスの多くがその場に残り、興奮した表情で歌詞を口ずさむ。ここでもハンドクラップは完璧に揃っていた。


先月発売されたアルバム ”Wake up! Wake up! Wake up!” のレコ発ツアーが今夜から始まった。
『渋谷からお台場までを4ヶ月かけて移動します。お時間のある方はお付き合いください』とDr.佐藤シンイチロウは淡々と言った。

SETLIST

01.Wake up! dodo
02.Skinny Blues
03.BOYS BE LOCKSMITH.
04.シリアス・プラン
05.プライベート・キングダム
06.WALKIN’ ON THE SPIRAL
07.Kim deal
08.ターミナル・ヘヴンズ・ロック
09.プロポーズ
10.ROCK’N’ROLL SINNERS
11.つよがり
12.Like a Lovesong(back to back)
13.MY FOOT
14.BOAT HOUSE
15.GIRLS DON’T CRY
16.スケアクロウ
17.空中レジスター
18.YOUNSTER (Kent Arrow)
19.プレジャー・ソング
20.サードアイ
21.Century Creepers (Voice of the Proteus)
22.Sweet Baggy Days

-encore-
23.Sad Sad Kiddie
24.Ride on shootingstar
25.LITTLE BUSTERS


本日の1曲
YOUNGSTER (Kent Arrow) / The Pillows


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2006/12/16 『The Pillows TOUR “LOSTMAN GO TO CITY” @SHIBUYA-AX
2006/09/07 『The Pillows 〜音楽と人 presents Music & People EXTRA 2!〜 @STUDIO COAST
2006/02/13 『The Pillows


ポタリング・トーキョー 〜コンテンポラる荻窪編〜


トーキョーバイクに乗る時は毎回、タイヤに空気を入れてから出掛ける。出発前に入念に空気を入れたにも関わらず、暫くすると後輪ががたつきだした。
トーキョーバイク、初めてのパンクである。人知れず慌てる。しかし近所の自転車店に駆け込み、呆気なくパンクは完治。健康になったタイヤで高円寺通りをするすると心地よく進んでゆく。

今日の行き先を荻窪に決めた。高円寺からは二駅の距離である。
高円寺パル商店街を横切り、くねくねと住宅街をすり抜けて阿佐ヶ谷駅北口に到着。駅前のケヤキ並木が美しかったので、中杉通りを走ることにした。

通りで信号待ちをしていると、背後にいた御老人に話しかけられる。御老人はタイヤの細さに驚いているようで、何事かを呟きながら感心したように後輪を凝視している。

トーキョーバイクのタイヤは細く、男性の親指程の幅しかない。御老人は『そんなタイヤでパンクしないのかい・・・?ふーむ?』と興味津々である。ほんの10分前にパンクを直したばかりであるのに『コレね、意外と大丈夫なんですよ。へへへ。』と余裕を振る舞う。御老人に会釈をし、さらに中杉通りを南下。清々しいにおいに満ちた雨上がりの街を走る。

青梅街道を右折してしばらくすると、上り坂が見えてきた。普段は左折する道を直進。良い景色の予感に一気に坂をのぼりきるが、陸橋は塀に囲まれていた。
ひとしきり壁画を鑑賞した後、塀のフチに脚をかける。背伸びをすると、眼下には中央線の線路と杉並の街が見えた。こんな何でもない景色にも、なぜか東京っぽさを感じてしまう。いつもひとりで眺めているからかもしれない。

天沼陸橋を越えると荻窪駅前に到着。駅を過ぎ、環八手前まで来たところで、きれいな建物が目についた。建物のまわりを一周し、それが杉並公会堂であることを確認。「開館一周年」とある。
さっそく地下の駐輪場に自転車をとめ、建物に入ってみる。路面に面してガラス張りになったカフェスペースには、ぽつぽつと人が座っていた。

環八沿いを走っていると、前方のビルの一室にカラフルなオブジェのようなものが見えた。窓は開け放たれ、人の姿も見える。
きっと、こんてんぽらりーあーと(現代美術)のいぐじびしょん(展覧会)に違いない!興奮し過ぎてなぜか英語で確信する!

鼻息荒く建物の前へまわると、そこがアートギャラリーではなく、室内クライミングをするスペースなのだということがわかった。それはまるで壁にジェリービーンズがくっついているみたいな眺めだった。
ひとつひとつが有機的な形をしていて、とても愛嬌のある空間になっている。前面がガラス張りの空間は窓が開け放たれ、カラフル色使いのせいかとても明るく感じた。

中では、トレーニングウェアを着た人々が談笑している。もちろんインドア・クライミングにチャレンジ中の人もいた。どうやら今週オープンしたばかりであるらしい。

再度人通りの多い駅前に突入する。駅前には古い雑居ビルが建ち並ぶ。大学生の時、友人氏がアルバイトをしていた ”ユアビル” を懐かしく眺めた。

駅前を巡回していると焼鳥屋を発見。上京してからの長い間、多摩地区に住んでいた。中央線が荻窪駅に停車するたびに香ばしい焼き鳥の匂いがして、いつの間にか「荻窪イコール焼き鳥」という数式が完成した。ここが匂いの元だったのかもしれない。焼き鳥の匂いに刺激され、春木屋の中華そばを食べてから帰宅した。


本日の1曲
Wound / Smashing Pumpkins


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2007/04/01 『ポタリング・トーキョー 〜サクラサク代々木公園編〜
2006/12/29 『ポタリング・トーキョー 〜雨上がりの和田堀公園編〜
2006/12/24 『ポタリング・トーキョー 〜としまえんで映画編〜
2006/12/17 『ポタリング・トーキョー 〜西新宿騙し絵界隈編〜
2006/11/25 『ポタリング・トーキョー 〜真昼の青梅街道編〜
2006/11/12 『ポタリング・トーキョー 〜夜の新宿編〜
2006/11/08 『ポタリング・トーキョー 〜ガード下で行く吉祥寺編〜
2006/11/05 『トーキョーバイク


正直であれ

できることなら、いつも正直でいたい。納得しないことには首を縦にふりたくはない。しかし環境がそれを許さないこともある。蓄積された不満は鈍痛を伴って気分を滅入らせ続ける。

人の間違いを執拗に叱責する、人の発言を無視する、気に入らないことがあれば人にあたり、ストレスを撒き散らして他人を困惑させる。全ては自分の機嫌次第で、否定されることは好まない。その場の空気を淀ませていることにも気付いていないある種の人々。

その中に押し込まれると、次第に正直でいることが面倒になってくる。
落胆と怒りを繰り返すうち、口を閉ざすことを覚えた。不愉快さを表明した時に自分に注がれる冷たい視線や、相手が一瞬狼狽する情けない表情は一層気分を滅入らせるからだ。

その違和感に悩むうち、自分が深刻な「ふり」をしているだけなのではないかと疑ってみたりする。けれども、常につきまとう鬱屈とした気持ちはぬぐい去ることが出来ず、楽しいはずの時間を楽しく感じられないほど無表情になり、浅い溜息が日常的に放出されるようになった。

まだ大学生だった頃、ある友人は書きためた散文を見せてくれた。そのうちの一枚には正直でいることの困難さが綴られていて、冒頭の一遍は特に印象的だった。

私はずっと 正直であれと言われてきました
親や先生には嘘をついてはならないと言われ 
学校の道徳の時間にもそう言われました

中学生時代からの付き合いになるけれど、彼女が体裁を取り繕っているところや、都合の悪い失敗をごまかしているところを見たことがない。場合に応じて愛想笑いはするものの、心から優しく微笑むことを知っている人だ。

彼女がどうしてその詩を書くに至ったのか。きっかけになるエピソードがあったのかもしれないけれど、直接聞いてみたわけでもない。
しかしその時、彼女は自分を偽らないが故に、正直でいることの困難や苦悩を「知っている」のだとはっとした。

思った疑問を口にして、納得できないことには首を傾げ続ける。そうやって正直な反応を示すことも、受け入れてもらえるとは限らない。単に面倒くさい人・わかりが悪い人として片付けられてしまうこともある。

__当たり障り無く人と接して、よく思われたい
周りをみると、皆が口ごもって本心を言っていないように見えた。それは堪らなく奇妙な光景ではある。
しかし鈍感を装って、その違和感をやり過ごしている自分もまた、正直な人間から遠ざかっているのだと、最近思う。


本日の1曲
Sweet Baggy Days / The Pillows


サブとメインと内線プラン

とある友人氏は、最近2台目の携帯電話を契約した。同一キャリアへの通話が無料になるプランが目当てだったようだ。格安のプランでキャリア替えを促せば、ユーザはおいしいところだけを頂戴する。そして普通の人々が複数台の携帯電話を使うようになる。

メインとサブを使い分ければ、高額な請求書にひっくり返ることも少なくなるだろう。それに何人かの友人とはより気楽に通話を楽しむことができる。(実際に友人氏が契約した2台目の携帯電話から頻繁に電話がくる)

通信関連のインフラ(基盤)はここ10年で大きく進化した。我々にとってのここ10年は、すっぽり20代という世代に当てはまる。新しいツールの利用に積極的なその期間に、携帯電話とインターネットはみるみる普及していった。だから尚更「ここ10年」というくくりが印象深い。
通信インフラの進化は、勉強のやり方や遊びの方法に変化をもたらした。恋愛の仕方だって変わったかもしれない。

友人氏は2台目の携帯電話で、実家の家族と頻繁に通話を楽しんでいるみたいだった。同じキャリアの姉に電話を掛けさえすれば、姉の携帯電話は2階の個室から1階のリビングへ移動し、結局家族全員と話すことができる。もはや家族割引すら不要な事態だ。

しかし問題はある。その会話がほとんど『コレ通話料かかってないんだよ!すごいよね!』という内容に終始していることだ。友人氏は「・・・人生を無駄に過ごしているような気がする。」と、笑いながら肩を落としている。

通話料の呪縛から開放され、携帯電話はますます内線電話の感覚に近くなった。通話料を気にせず話せるなんて、ちょっと前まで考えてもみなかった。

携帯やインターネットの不在に不便を嘆くことすらなかった時代。
携帯電話の通話料とインターネットの通信料に、月数万円を払っていた時代。
その時代を通過してきた我々は、携帯電話が内線化している今日の状況を熱っぽく語らずにはいられない。


本日の1曲
4 track professional / Number Girl


見つめるヨガ

我々は真夜中にベンチに腰掛け、視界の右から左に流れる大井川を見下ろしていた。目の前には長い木造の橋が延び、その下には人気のない河川敷が横たわっている。
明かりといえば、後方の自動販売機だけ。まるで高感度の暗視カメラを覗いているようなザラリとした景色だった。

ゴールデンウィークに帰省するのは何年ぶりだっただろう。
我々はベンチに腰掛け、静かで不気味な田舎の夜の景色を懐かしく眺めた。
向こう岸には真っ黒に連なる山々、川岸のひんやりした空気に思わず深呼吸する。なんとなくヨガのポーズを試みたくなる気分だ。

ヨガには以前から興味があった。それは 「ヨガのポージングで瞑想する時、自分は何かを考えるのだろうか」という興味でもある。
そんな疑問を口にすると、すかさず隣にいた友人氏がレッスンへの参加を提案した。彼女が週に一度通うヨガ教室は、ちょうど明朝に開催されるという。

翌朝、首からバスタオルを掛け、帽子をかぶり、自宅を出発した。意気揚々と道路を歩いているだけで、一歩ずつ健康に近づいている気さえした。

スタジオでは既に女性達が床にバスタオルを敷いて座っていた。
ほどなくして女性トレーナー氏がCDプレーヤーを再生した。するとなんとも「ヨガ的」な音楽が流れてきた。

まずは脚を投げ出して床に座り、爪先のストレッチから。徐々に動作は大きくなり、体中の筋をひとつひとつ伸ばしていく作業が始まる。
トレーナー氏は解説を加えながら体勢の指示をする。そして指示した動作が心身にどんな効果を与えるのかを説明する。柔らかな口調は心地よさを増長させた。

つま先を見つめると、足の爪を切らなきゃならないな、と思う。関節を曲げながら、内臓の存在を意識する。
毎朝慌ただしく出勤、夜までたっぷり働いて、自宅のベッドに横になれば知らない間に寝てしまう。ゆっくりと自分の身体を見つめることを暫くしていなかった。

自分の身体を見つめる体験は実に新鮮だった。ヨガの呼吸法は、思いの外コントロールが難しく、ひとり不自然な呼吸を続け、1時間のレッスンでじんわりと汗がにじんだ。
そしてヨガというエクササイズには、思った以上にその後の生活意識を変える力があることが判明した。

しかし実のところ、レッスンの間中タバコが吸いたくて仕方がなかった。
「ヨガのポージングで瞑想する時、自分は何かを考えるのだろうか」
小難しい顔で自分に問うたその答えは、ちょっと期待はずれな普通の欲望だった。


本日の1曲
Born & Raised / Joy Denalane


CONVERSE ALLSTAR

足首まで延びる紐、ボリュームを押さえたフラットなシルエット。掃きやすく、足に沿う薄目の生地。トゥとソールの白色のアクセント。ああ、なんて美しいスニーカーなのだろう。
コンバースオールスターは世界一有名なスニーカーと言っても過言ではない。

これまで何足もオールスターを履き潰してきた。制服にオールスター、バイト先の妙なかっぽう着にもオールスター。大学のキャンパスでも、社会人になったオフィスでもオールスターを履き続けている。

ところで、オールスターはデッサンのモチーフとしても優れている。
美術系予備校に通っていた人なら、一度は靴のデッサンをした経験があるのではないかと思う。生徒たちはその日に履いている靴をテーブルにごとんと乗せてデッサンする。あらかじめそれが知らされていれば、皆はそれぞれに描きたい靴を履いてくる。

ここでもオールスターは人気がある。ハイカットのくたっとした風合いは描きごたえがあるし、シューレースをほどいた姿もまたコンバースらしく、文字通り絵になる存在感がある。そういうわけで、自分にとってオールスターは予備校時代を思い出させるスニーカーでもあるのだ。

アメリカのバンド、IncubusのBrandon Boydは自分にとって最もファッショナブルなアーティストのひとりである。品のある容姿にストリートファッションがよく似合い、朱色のタトゥーが施された右腕でマイクを握るさまはなんともセクシーである。

そして彼はいつもオールスターを履いている。もっとも、オールスター以外のスニーカーを履いているところをあまり見たことがない。ライブでもミュージックビデオでもプライベートでも、ドレスアップしたパーティーでさえもいつもオールスターを履いているから、彼のファッションを凝視するたび、黒か白のオールスターを目にすることになる。

昨日下北沢で黒いレザーのオールスターを買った。昨年購入したオールスターもそろそろソールが剥がれそうになってきた。
考えてみれば、同じメーカーの同じモデルを履き続けるということはオールスター以外にない。昨日は発見から会計まで、わずか数分。これからも時々思い出したようにオールスターを買い続ける気がする。


本日の1曲
A Crow Left Of The Murder / Incubus


ほぼ日手帳に集合知を感ず!の巻

ほぼ日手帳を使い始めて2ヶ月半が経過。いつもバッグに手帳を入れ、用がなくても、ついつい開いてしまう存在になった。

ウィークデイはデイリーページ上部の「To Doリスト」にその日の仕事を箇条書きにして日報代わりに。出掛けた週末はショップカードやチケットの半券などをスクラップする。

日記代わりに書き付けている散文も、徐々に字数が増えてきた。一日の終わり、ベッドの上で手帳に向かう時は、あまり多くを考えず、思いついたままに文章を書く。どんな文章でも後にとても意味のある記録になる、というのは周知の事実だからだ。
わずか2ヶ月半とは言え、感情の移り変わりが見て取れて、既に読み返すのが興味深くなってきた。

お小言に落ち込んだ日も、ライブで思いっきり騒いだ日も。放っておけばそのうち目につかないところに追いやられてしまうただの紙片も、手帳にスクラップすれば、その日の行動を記す手掛かりになる。

忙しくて空白のままになっている週間も、なにも書き込む気になれなかった自分にとっての特別な日もある。ほぼ日手帳は、その日一日を確認させてくれる貴重な存在なのだ。



今日のインターネットの特徴を現すキーワードのひとつに「集合知」というものがある。今やインターネットは情報を「受ける」だけのものではなく、レビュー機能やブログの普及によって、個人の「情報発信」が日常的になっている。インターネットの発展が、人々の「知」を容易に集めることを可能にしたのだ。

そんな背景もあって、商品開発の段階で多くのユーザー参加が可能になった。現に、ほぼ日手帳はユーザーのアンケートを募って年々改良を重ねている。去年より使いやすく。より多くの人の希望に応えるために。

薄いけれどハリのある紙質や、しっとりとして光沢のある本革のカバーをナデナデしていると、(これこそがインターネットの有意義な使い方なんじゃなかろうか)としみじみと思う。自分にとって、ほぼ日手帳は一番身近なインターネットとの繋がりのような気もしている。


本日の1曲
Hard To Explain / The Strokes


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2006/12/27 『ほぼ日手帳はいとたのし!の巻
2006/12/21 『ほぼ日手帳を買った!の巻