Archive for the '黄昏コラム' Category

誇らしげなリサイクル

今夜も部屋中にミネラルウォーターの空きペットボトルが散乱している。先日体調を崩したこともあって、最近はミネラルウォーターばかり飲んでいた。
一番多いのは2リットルの大型ペットボトルで数えたら15本もあった。冷蔵庫の上には乗りきらず、床に立たされたり、キッチンの棚に横たわっている。

実は今までペットボトルを不燃ゴミとして処分していた。週に一度の回収で数本ならば許されるんじゃないかと言い訳をしていたのだった。しかし今夜、目の前には鎮座まします15本のペットボトル。

ここ杉並区はリサイクルに関心のある人が多いと聞いたことがある。なるほど、スーパーで持参したビニール袋に買ったばかりのお総菜や精肉を移し替えている人も多い。見るとプラスティックのトレイはその場でリサイクルボックスに投入されている。
「とんかつ」や「イカのみりん付け」がヒョイ!とビニール袋にジャンプインする光景は、高円寺に越してきて初めて見たもののひとつであった。

今夜は記念すべき”ペットボトルを初めて踏み潰した日”である。15本ものペットボトルをどう運んだらよいのかと、数十秒考えてしまったのが情けない。レジ袋を有料化しているスーパーではレジ袋を「買い」、不燃と可燃の判断すら怪しい人間にとっては大きな一歩だった。

試しにひとつ踏んでみるとこれが結構な快感であった。ラベルとキャップを取り外したペットボトルを床に並べスリッパを脱ぐ。そして武者修行よろしく踏みまくってやった。初めて目にする飼い主の奇行にネコ氏も驚いている。

ペシャンコになったペットボトルを45リットルのゴミ袋に詰め込む。真夜中のコンビニエンスストアの軒先で、誇らしげなリサイクルは完了した。


本日の1曲
Love Me Slowly / Ken Yokoyama


Barneys Syndrome

この季節になると、新しいマフラーや帽子が欲しくなる。ショップに入店すると目についた商品があった。広げたりひっくり返したりする。価格も手頃で、品質にも特に問題はない。色もデザインも好みであるのに、コレといった決め手がない。店内を周回しながら購入を考えあぐねているといつも同じことを思ってしまう。
(もし同じものがバーニーズにあったなら・・・)

BARNEYS NEWYORKは1923年創業の老舗デパートメント。有名ブランドから若手デザイナーの前衛的なブランドまでが揃う。国内にも直営店(銀座、新宿、横浜)がある。

以前ニューヨークに行った時は鼻息荒く入店した。ゴトゴトと音を立てる旧式のエスカレーターをあがると、フロアには色とりどりのニット帽がディスプレイされていた。見ると200ドル前後のものが多く、決して買いやすい値段ではない。

しかしながら大切にディスプレイされた帽子達は確実に魅力的だった。大切に扱われた商品は購入意欲をそそる。ひとつひとつの商品にはゆったりとしたスペースが与えられ、遊び心のあるディスプレイに惹かれた。
その中に気に入った商品があれば無理してでも購入しただろう。何度もフロアを往復し、後日あらためて売場を訪れるかもしれない。
そういう時、人々は「運命」という言葉を軽々しく用いて購入に踏み切ってしまう。

実は買い物をする時、価格が手頃なのはたいした理由にはならない。同伴者が見掛けに寄らない高額な商品に眉をひそめても、気に入ってしまった本人の耳には届きにくい。価格は商品の魅力のバロメータである。購入意欲は価格とは無関係に訪れる。

少しだけ高額なプライスカードの存在は(やっぱりいいよね!)と自分を納得させる作用があり、購入した後はいい買い物をしたという実感が生まれやすい。(似たようなの持ってるし・・・)が(イヤー、この違いは大きいネ!)になる可能性がある。
プライスカードにはその売り場の雰囲気も、購入に踏み切る時の心情も含まれているからだ。

購入まであと一歩という商品に出会った時はいつもバーニーズのフロアを思い出す。もしもそこがバーニーズのフロアであったなら多分少々無理をしてでも買ってしまうだろう。


本日の1曲
It Ain’t Over Til It’s Over / Lenny Kravitz


黄昏ジャーナル

最近紙に文章を書く行為を見直している。まずは箇条書きでどんどん文章を書き、文章をMacintoshに打ち込む。最後にブログの編集画面を使って推敲する。この”段階”のお陰で文章を書く時の緊張は幾分解ける。最初から文章をうまく書こうとするとなかなかペンが進まない。気軽に文字を書きつけることを長らくしていなかったようにも思う。

今まで何冊もの秘密の日記帳を鍵のかかった引き出しに仕舞ってきた。誰にも見せられない日記をつけ、ひどく恥ずかしい文章を書いてきた。
小学生の時につけていた”夢日記ノート”が、ある日突然祖母の雑記帳になっていて青ざめたこともあるし、中学生の時の”世にも恥ずかしい日記張”は今となっては開くことすらできないシロモノだ。主の不在で隠れ場所をなくしてしまったノート達を処分する勇気も無く、帰省する度に見て見ぬフリをしている。

それならばとある時、Macintoshで日記を書くことを思いついた。大学生活の暇すぎる日々、こんな時間は二度と訪れないだろう。日記ソフトをダウンロードし、(然るべき時に備えて)パスワードでロックをかけ、誰にも見せるアテのない文章を自室のMacintoshでこそこそとタイピングした。
しかし一ヶ月と経たないうちに飽きて、そのうちパソコンがクラッシュしてデータもあっさり消失した。誰にも見せない日記は向いていないのかもしれない。

ベッドに寝転がって、メモパッドを前にペンをブンブン振り回していると、キーボードをタイピングするのとは違う思考回路を使っている実感がある。
発信できるメディアとしてブログは面白い。たとえ意見と呼べる程立派なものではないにしても、鮮度があって、偽りは少ない。それに秘め過ぎた日記は後の取り扱いに困る。


本日の1曲
The Skin Of My Yellow Country Teeth / Clap Your Hands Say Yeah


高い手数料

ここ東京で人気のライブに行くのは容易ではない。ライブに参加するには事前から準備が必要なのだ。真夏には秋の先行が始まるし、この季節になると来年のツアースケジュールに照準を合わせなければならない。
理想は「当日に」ライブハウスへ赴いてチケットが買える状況なのではないか。まだまだ先のライブの申し込みをしているとつくづくそう思う。

まずライブ開催の告知が発表される。後日先行予約の日程とその方法がアナウンスされる。抽選の申込みや抽選結果の確認は決められた期限内に行わなくてはならない。申し込んだら終わりというわけにもいかない。チケットを獲得するまでにはあらゆるスケジュールに気を配らなければいけないのである。
大抵はインターネット上で手続きができるが、一枚のチケットを手に入れるまでの一連の手続きは「結構面倒くさい」。

インターネットでサービスを利用する為には会員登録も必要だし、時にはクレジットカードの番号も入力しなくてはならない。
ライブ会場に女性が多いのは、このメンドクサイ手続きのせいもあるかもしれない。

ある友人はライブに行きたい気持ちはあるが、チケットを購入する手間がどうしても面倒なようだ。実は最近あるアーティストのライブに行こうか迷っていた。チケットの価格は10000円。S席だと15000円する。
悩む。こっそりとチケットの売れ行きをインターネットでチェックする。今なら、まだ買える。

そんな時彼はぶっきらぼうに『金半分出すからチケット取ってよ、S席で。tasoとオレと友達の分3枚。』と言った。電話で予約するのも、発券のためにコンビニに行くのも、彼は本当に面倒らしい。
後日ぶっきらぼうに口座に4万円が振り込まれた。4万円は予定の金額よりも多い。彼は『端数が面倒くさいから』というが、結局チケット代を1万円負担していることに気付いているのだろうか。


本日の1曲
Vertigo / U2


快感と悪意と歯磨きのメゾット

こちらの知る限り、彼女は普段から便秘に悩まされていた。サプリメントを口いっぱいに含む彼女を見ていると、彼女の腸に同情してしまうほどだ。
『”脱糞の快感”ってあるんだって。』
ある時彼女は会話のついでにこういった。可愛い顔に不釣合いな「脱糞」という言葉はいつも以上にインパクトを増した。語尾から察するに、彼女はどこからか「脱糞の快感」の情報を得たのだろう。

彼女は頷きながらその言葉を反芻していた。そんな彼女を見ていると便秘でない自分は「脱糞の快感」が味わい尽くせていないのかもしれないと、なんだか損をした気分になってきた。世の中には多くの快感があるが、これからは「脱糞の快感」も付け加えなければならない。それからはトイレで用を足すたびにその言葉を思い出すようになってしまった。

またある日の彼女は憤慨していた。店舗で買い物をした際、紙袋の「持ち手」部分を店舗名の入ったテープでぐるぐる巻きにされたのだ。買い物から戻ってきた彼女は、その「ぐるぐる巻き」と格闘していた。眉間に皺を寄せ、口を尖らせてテープの切れ目を必死に探している。彼女は気の利かない店員に腹を立てているのは明らかだった。

『・・・悪意しか感じない。』
耐えきれず発したその言葉には思わず『そうだ!悪意だ!』と賛同してしまう迫力があった。店員によってはテープの端を折り返してくれるが、それでも悪意のぐるぐる巻きに時々出会う。はさみで切るのも面倒だと、引っ張れば引っ張るほどビニールは固くなっていく。そんなシーンではいつも彼女のその言葉を思い出してしまう。

歯磨きの上手な彼はペーストを搾り出してから延々とブラッシングに勤しんでいる。長時間ブラッシングを続けているにも関わらず、細かく泡立ったペーストは不思議なことに口からこぼれていない。
彼の真似をして歯を長時間磨いてみることにした。するとみるみるうちに口元から泡が溢れてしまった。口を閉じ気味に試してみてもTシャツに泡が垂れた。

それを見た”歯磨きの上手な彼”は『口を閉じすぎるからだよ。』と事も無げに言った。彼の助言は逆転の発想に近かった。その時は『ふうん』と気のない返事でやり過ごした言葉も、歯を磨く度に思い出すようになった。

彼らが発したいくつかの言葉は何故かいまだに記憶にとどまっている。印象付けを狙ってもいない言葉に反応し、何年も経っても忘れないのは奇妙な現象でもある。きっと条件反射のようなものだ。脱糞と買い物と歯磨きは日常的に繰り返される。


本日の1曲
NOW / サニーデイ・サービス


ほっとけーき

幼い頃に両親が離婚した。その後小学校に入学するまでは父親の家と母親の家を期限付きで往復していた。母親の実家は清水市にあり車で1時間以上はかかる。
古い木造の一軒家は縦に長く、玄関を開けると廊下の突き当りにキッチンが見えた。中央には大きな丸太を切ったような丸机があり、その周りをシンクや戸棚が囲んでいた。今思えば変わったつくりのキッチンだったが、あの時あれほど巨大に思えた丸机は実はそんなに大きくないのかもしれない。

その家は普段母親と母方の祖母の二人暮しだった。そこに時々期限付きの子供がやってきた。居間からはこぢんまりとした庭が見え、板の間のロッキングチェアーはいつも庭の方を向いていた。便器は和式で、ある日壁に大きな蜘蛛が這っているのを見てから蜘蛛が大嫌いになった。

不思議なことに、3人で一緒に食事をしたことや、テレビを見た記憶は思い出せないままになっている。幼すぎて覚えていないのかもしれない。

ある日母親はホットケーキを焼くと言ってキッチンに立った。何か手伝いたくてその周りをうろうろしていた。
すると母親はホットケーキの箱の裏側に書かれている「作り方」を読むように言った。それは想像しなかった仕事だった。当時5歳くらいで、まだ漢字が読めなかったからだ。

躊躇していると母親は『読める字だけでいいから。』と言った。漢字を飛ばした文章で「作り方」がわかるのか不安だったけれど、母親の傍らでひらがなだけを大きな声で一文字ずつ読んだ。

『わかる?』と聞くと母親は頷いて
『わかるよ、わかるよ。』と言った。

なぜそのシーンを鮮明に覚えているのだろう。母親の顔もろくに覚えていないというのに。”あの家”で一緒に過ごした頃の母は、今の自分と同じくらいの年齢かもしれない。


本日の1曲
Age Of Innocence / Smashing Pumpkins



ファビコン


Webブラウザのアドレスパー、左端に表示される小さなアイコンを【ファビコン(favicon)】という。”favorite”と”icon”とを組み合わせた造語で「お気に入りアイコン」とも呼ばれる。

様々なサイトのアドレスバーにファビコンが表示されているのにお気づきだろうか?当初ファビコンの表示はInternet Explorerのみ対応していたが、今ではほとんどのブラウザで表示が可能になっているらしい。(OSによっては表示できない可能性もある)

ある時、アドレスバーの左端のファビコンの存在に気付いた。それからファビコン使用率は日を追う毎に高くなっているような気がする。現在ではファビコンは様々なサイトで用いられるようになった。

小さな画像ゆえに、情報を詰め込みすぎると判読できなくなってしまう。それぞれが四苦八苦している様子が伺えて面白い。簡潔なロゴマークを持つ企業はここでも強い。迷う必要もないだろう。

最近ではオリジナルのファビコンを設置する個人サイトも増えてきた。まずは16×16ピクセルの小さな画像を作成する。ホームページやブログサービスのサーバーにアップロードしたらHTMLにタグを追加すればよい。
実際に作ってみるとファビコンはアイコンよりもずっと小さい。ドットと格闘しながら作成するのも面白いかもしれない。

専門サイトFavicon Japanではファビコンを『16×16の小宇宙』と称している。訪れてから去るまでの間表示され続けるファビコンはトップページと同じく、サイトの雰囲気作りに一役かっている重要なパーツなのだ。


本日の1曲
On The Other Side / The Strokes



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Favicon Japanに登録されているFaviconをランダムに120個表示しています。
(Faviconをクリックするとそのサイトが別ウィンドウで表示されます)


リクルート

大学3年の夏頃から学内で企業説明会が行われ始めた。就職活動に意欲的な学生は内定獲得のための活動を開始する。
当時は慢性的無気力状態が続き、説明会の告知に目を通しもせず、虚ろな日々を過ごしていた。就職のチャンスは今しかないというのは十分わかっていたつもりだった。

その頃新しい校舎が堂々と完成し、1階に就職課ができた。数十台のマッキントッシュが並び、棚には毎日のように求人情報のチラシが追加された。そこには全国各地の求人情報が掲載されていた。2000年当時は”就職氷河期”などと言われていたが、毎日追加される膨大な求人情報を見ると、そんなの嘘みたいに思えた。
「その気になれば」就職出来る。しかしその気になれないまま時は過ぎ、求人のピークは過ぎていった。

就職をしないことを堂々と宣言する勇気もなく、他の学生たちと同じように大学生向けの就職支援サイトに登録をした。企業の多くはインターネットによるエントリーを受け付けていた。
希望の職種を登録しておくと、ほぼ毎日求人の情報が続々と送られてきたが、やがてそのメールに目を通すのも面倒になっていった。

内定が決定した学生はサービスを解除していく。年が明けた頃には学生を励ますような文言が増えていった。解除すら面倒で登録は暫くそのままになっていた。そのうち単位不足で卒業保留の知らせが来た。実質的な留年勧告に実家の家族は騒然としていた。

大学4年が終わる3月は必死にアルバイトを探した。わずか6単位を補填する授業は週に一日しかなかった。
暫くしてWebデザイナーの仕事と、キャドオペレーターの仕事が見つかった。Webデザインにもキャドにも知識はなかったが、あっさりと働ける環境は用意された。何故その時その仕事を断り、親の仕送りを食いつぶしていたのだろう。留年の身分で街をふらついていた。

就職できない理由は自分にある。能力のある人だけが就職出来るわけではない。まずは就職活動が出来る人にならなければいけないんだろう。一度乗り損なうと軌道修正には時間がかかる。


本日の1曲
Middle Of Nowhere / ELLEGARDEN


おばあちゃん、来たる。

高円寺のこの部屋にまだ祖母は来たことがなかった。時々東京に遊びにやってくる両親は一度この部屋に立ち寄ったことがある。両親からの報告を聞いて、祖母は早く来たがっていたが、今までタイミングが合わなかった。
一ヶ月前には職場に休みを申請しなければならないし、祖母が骨折したとか腰が痛いとか、お互いの理由で東京訪問は延期されていたのだった。その間に高齢の祖母がいつ来てもいいように、木製の椅子を買った。

そして久し振りに祖母が東京にやってきた。待ち合わせの時間を遅刻して新宿駅のホームに着くと、キヨスクの前に祖母が立っていた。会うのは正月に帰省した以来だったが、また一回り小さくなった気がした。

祖母が我が家にやってくるのは、4年振りくらいだった。その時はまだ国分寺のアパートに住んでいて、祖母は駅からの長い坂道を嫌った。高円寺は新宿からも近く、我が家は駅からも近い。商店がたくさんあって便利そうだと、祖母もこの家が気に入ったみたいだった。

折角東京に来たのだから、どこかへ行こうと提案してみても家から出たがらない。昼間はずっとNHKを眺め、食事時になると外食するために部屋を出た。
初日の夜、横浜からやって来た大学生の従兄弟と3人で居酒屋に行った。ホームページに掲載されていた割引券をプリントアウトして持っていくと、祖母は感心していた。

居酒屋に初めて来た祖母は『こういうとこは不良が来るとこだと思ってたけど、いいもんだねぇ。』と言って、店内をぐるりと見渡した。刺身も、おにぎりも、ステーキも、焼き鳥も、沢山のメニューが店内の短冊に書かれていた。祖母はお皿を片付けにやってきた若い店員の女の子に『おいしかったです。』とお礼を言っていた。

今回の滞在で、祖母は一度も料理をしなかった。高齢で料理をするのが面倒なのだろう。普段はお漬物や佃煮を食べているみたいだ。
この部屋の近所には飲食店がたくさんあり、お店を巡るのは楽しかった。その一方で祖母の手料理が食べられないのは少し寂しくもあった。でもなんとなくそれは言えなかった。
おばあちゃんは2泊して静岡に帰った。明日はご近所仲間と鎌倉にバス旅行に出掛けるみたいだった。


本日の1曲
ハナレイ ハマベイ / ハナレグミ


真夜中の都心散歩

珍しく週末に外出し、時刻は25時を過ぎていた。電車もバスももう走っていない。そして初台から高円寺の自宅まで歩いて帰ることを思いついた。バイクを牽引しながら不動通りを歩く友人氏と別れ、真夜中の住宅街に突入した。

このあたりは渋谷区と中野区の区境である。高円寺の自宅に戻るためには中野駅方面に向かえばよいのだけど、住宅街を歩いていると方向感覚が麻痺してくる。
頭に思い描いた地図を頼りに幾つもの道を曲がり、微妙なズレを危惧しているうちに方南通りに出た。勘を頼りに右に曲がる。(今考えれば、左に曲がった方がよかったかもしれない)

この辺りを歩くのは初めてだった。新宿駅までの線路は大きく旋回している。普段は電車の移動ばかりで、この辺りは丁度エアポケットのような地域になっていた。直線で結べば新宿までは近いけれど、用事がない限りは歩くこともない。
方南通りを山手通り方面に歩くと、新宿副都心のビル群が見えた。真っ黒いビルが夜空に聳えている眺めはゾッとするような美しさがあった。そして大いにこの地域が気に入ってしまった。
 
高層ビルやランドマークの多い都心では、どこを歩いていても周りを見渡すと大体の位置が把握できる。しかし住宅が密集しビルが乱立するこのあたりでは、上空の見通しも悪い。ビルが見えても飛行機灯以外は真っ暗でそれがなんのビルかわからない。時刻は真夜中で、住人達は寝ているか、留守にしているかどちらかみたいだった。

道路工事の眩しい明かりに目を細め、板を渡した不安定な足場を歩きながら方南通りを左折し山手通りに入った。青梅街道に出ればわかりやすい。誰も居ないセルフサービスのガソリンスタンドが眩しい。派手な看板と白い壁には明るすぎる程の照明に照らされている。
歩いて自宅まで帰る計画は、不覚にもトイレに行きたくなってしまった時から雲行きが怪しくなってきた。

深夜の山手通りを走行する車両の半分近くはタクシーだ。歩きながら片手をあげてタクシーを捕まえようとするが、数台に無視される。やがて1台のタクシーが止まり後部座席にそそくさと乗り込んだ。
タクシーが発車してからすぐ、中野新橋の駅前を通過した。この青梅街道を西へ走れば高円寺にも近い。深夜料金で約1300円の道程、いつか歩いてみたいと思う。


本日の1曲
Eric.W / the band apart