Archive for the '黄昏コラム' Category

倍数の哲学

ここ何年かは “お笑いブーム” と言われているそうで、そのせいか「芸人の話およびそのネタ」は我々の会話に日常的に介入している。
『なにそれ?』と聞けば、大抵「芸人の話およびそのネタ」の話題で、その度に『YouTube見ろ』だの『ググれ(Googleで調べろ)』だのと言われることになる。

そんな風に最近「3の倍数」や「世界のナベアツ」という言葉に接触する機会が増えた。たまにテレビをつければ、やっぱりその言葉が聞こえてくる。楽しそうにしている共演者の意識はある事象を介して共鳴している様子。一人暮らしの部屋にほんのりと漂う、置き去り感。

「ナベアツ」という名称は、スポーツ界の重鎮を思わせる。きっと、巨人の偉い人(おそらくナベツネ)や、川渕チェアマン的なポジションにつき、「世界の」とつくからには、イチローのような高名な人物であろうことは容易に想像がついた。

ナベアツが名誉会長に就任したとか、ナベアツ主導のストライキが起こっているとか、スポーツ界全体に関わるアクションがあったに違いなく、今や連日のようにナベアツという青い文字がスポーツ新聞の見出しに踊っているのだ。きっと。

ところで、毎日必ずチェックするウェブサイトのひとつに、ほぼ日刊イトイ新聞の「気まぐれカメら」がある。糸井氏の愛犬ブイヨン氏が愛らしく、なにかというとすぐにページを開く癖がついてしまった。

4月5日の記事には「ちょっとちょっとブイちゃん、それじゃ、3のつく数と、3の倍数のときだけする顔だよ!」とある。
悔しいけれど、何のことか全く察しがつかなかった。

言うまでもなく、糸井重里氏は言葉の人である。きっと “ハムレット” や “欲望という名の電車” などの古い戯曲に出てくる決め台詞に違いない。倍数という概念を用いるあたりがそんな雰囲気を決定付けていた。そんな深い意味が含有された3の倍数の哲学は、今は判らずともいつかは理解できるだろう。やはりシアターコクーン青山劇場あたりか。

ところが先週、ある青年氏と話していて、あっさりと「3の倍数云々は世界のナベアツという芸人のネタ」であることが判明した。しきりに感心する自分の前で、『ボクは8の時の気持ちいい顔が好きです』と言い、『はぁひぃ〜〜(8〜〜)』と恍惚とした気持ちいい顔を見せてくれた。YouTubeだのGoogleだの言わず、その場で白目を剥いて説明してくれるとはなんて優しい青年なんだろう! 8の時は気持ちいいのだ!

なんともプリミティブな芸を目の当たりにし、いくつかがパキパキと繋がっていった。糸井重里が言及した意味不明な文言も、これでようやくつじつまが合う。見返してみると、該当記事のタイトルは「世界のぶいよん」であったが、3の倍数をするときの顔が単なる「アホ面」のことを差しているなんて思ってもみなかった。

そういえば「世界のナベアツ」をレクチャーしてくれた優しき青年氏と、以前エレベーターに乗り合わせたことがあった。彼は3階のボタンを押す時、甲高い声で「タンっ!(3!)」と叫んだ。
きっと仕事のストレスが溜まって、やりきれない気持ちなんだろう。若さというのは厄介なものだ。意味のない奇声を発したくなる時もあるよな。

大人の包容力をもってその場をやり過ごしたつもりだったけれど、それは単に世界のナベアツのネタだったのだ。お笑いを知らないと、いろいろと勘違う。


本日の1曲
Wow / Kylie Minogue



——————————-
>>connection archive >>
2006/09/22 『妙なあだ名の王子さま
2006/04/01 『稲葉ウアー


スケッチブックの憂鬱のもと

あの頃、不安はいつも近くにあって、まるで身体に濡れた布がまとわりついているようだった。だから眠くなるまで誰かと一緒にいて、明け方の歩道で手を振って別れた。

まだそう長くはない人生を振り返っても、10代最後のその年は密度の濃い一年間だった。当時住んでいた狭すぎるワンルームは、ものを考えるのには適していたけれど、考えているうちに何がそこまで気分を憂鬱にさせているのか判らなくさせた。出どころの曖昧な不安は、夜になると小さな四角い空間をひたひたと満たしていった。

___ それはここまで気分を落ち込ませるほどのことなのだろうか?

ある時何気なく、目の前のスケッチブックに、今少しでも不安に思っていることを書き出してみた。薄暗い部屋でスケッチブックに覆い被さるようにして10程度の項目を書いた。

とりとめのない大きな問いを除けば、そのうちの多くは日常の些細な出来事に起因していた。時がたてばやり過ごすことのできそうなものも多かったし、答えが明らかな単純な悩みもあった。(明日のテストが嫌だ、とかそんなことだった気がする)

箇条書きにされた “憂鬱のもと” は、どれも大したことがなかった。
そう、驚いたことに、大したことがなかった。

それ以来、スケッチブックに憂鬱のもとを書き出すようになった。
一人暮らしを始めたばかりで、真夜中の憂鬱の解消法を他に知らなかった。

それは悩みの解決を試みることとは少し違う。靄(もや)のような不安を千切って眺めれば、少しそれが遠退いていくような気がしただけだ。言葉を書き出せば、なんとなく不安と折り合いをつける方法を見つけたような気になった。

浪人生の身分だから、翌春のためにやらなくてはいけないことはたくさんあった。克服しなくてはならないデッサンモチーフのことや、覚えなくてはならない英語の構文も山積していた。今、前進するためには、不安を追いやらなくてはならないと思った。

___ なんだ、大したことはないじゃないか。

だから、そう思えることが重要だった。理由のつけられない憂鬱は邪魔だった。不安な夜は憂鬱のもとを眺め、そのスケッチブックのおかげで、次の春には大学に合格することができた。

今では憂鬱のもとを書き出すこともなくなった。
もう、不安を追い払おうとしなくなったのかもしれない。あの憂鬱の種類を持たなくなったのかもしれない。何かを目指して貪欲に前進する必要も、無くなった。
あの頃スケッチブックを覆ったのは、まだ何にでもなれると信じていた頃の憂鬱のもとなのだ。


本日の1曲
Swallowed / Bush


日曜日の夕方症候群


友人の部屋の本棚には、全く同じ文庫本が二冊並んでいた。聞くと、持っているのを忘れて同じ本をまた買ってしまったのだという。その時、なぜ自分が買った本を忘れてしまうのか不思議に思った。確かに彼は読書家だけれど、さすがに自分の読んだ本くらいは覚えているもんなんじゃないかと思ったのだ。

日曜日の夕方はなぜか本を買ってしまう。高円寺駅の北口にはこぢんまりとした書店があって、日用品の買い物のついでにいつも立ち寄る。それはなんとなく周回コースのようになっている。
___ これからゆっくり夕食を作って食べ、夜は本でも読もう。
日曜の夕方はそう思わせる何かがある。

そうして日曜日がやってくるごとに書籍が増えていく。かといって購入した本を必ずその日に読むわけではない。読んでいない本が増えるのに、翌週末はまた本を買ってしまう。

本を購入する時、「カバーはかけますか?」という店員氏の声に、反射的にハイと答えてしまう。本を読み出す時にカバーを外し、本体だけの簡素な物質を掴む。我が家において、書店のカバーはまだページの開かれていない未読本の目印みたいなものだ。

しかし書店のカバーは買った本を探す折に少々やっかいである。単行本だったか、文庫本だったか、「紀伊國屋書店」か「ブックファースト」か「ブックスオオトリ高円寺店」か。日曜日の夕方に本を買う習慣がついてからというもの、カバーを外して中身を確認する回数は確実に増えている。
時々、買ったことを忘れていた本を見つけたり、買ったはずなのになかなか見つからない本もある。(それはつまり買っていないということだ)

そんな風だから、全く同じ本を二度買ったとしてもおかしくはない。しかし意外にもこれまで同じ本を二度買ったことはなかった。ホラ、やっぱり買った本は覚えているじゃないか。我が家の本棚に全く同じ本は二冊無い。
しかし先日、ついにその神話が崩されてしまったのである。

ある日曜日の夕方、またしても書店の棚の前にいた。今夜読みたい本を物色し、ある本を手にとった。ベッドの脇あたりで見かけたような気もしたけれど、今夜読みたい本が手元に無いよりはマシな気がして、買って帰ることにした。

部屋に戻って、ベッドの脇に積みあがった文庫本の中から数冊を引き抜いた。床にバラバラと崩れた中から何冊かのカバーを外していくと、ついさっき購入した本と同じ本が出てきた。

文庫本にかけられた帯は、“夏のキャンペーン” から “映画化の告知” に変わっていて、8版が18版になっていた。

本棚に同じ本を二冊並べた友人氏からは、その本の話を何度か聞いたことがある。有名な作家の著作でありながらなかなか日の当たらないその作品に、いたく感銘を受けているみたいだった。彼はそこまで思い入れのある本を何故気づかず二度買ってしまったのだろう。


本日の1曲
DOOR OF THE COSOMOS (THIS STARS ARE SINGING TOO)
/ SPECIAL OTHERS


仕事で役立つメモ.txt

今の会社に入るまで、Excelに触ったことがなかった。不慣れなソフトを克服するために、会社のパソコンのデスクトップには『仕事で役立つメモ.txt』というファイルがある。同じことを二度聞かなくても済むように、教えてもらったことをどんどん上書きしていくメモだ。

同じチームの同僚氏は、器用にExcelを使いこなしている。わからないことを彼に質問すれば、たいていその場で解決してしまうくらいだ。
しかし彼にも長らく解決できていない問題があった。Excelの「区切り位置」の問題である。

「区切り位置」とは、指定した文字や記号で文字列を分割する機能。例えばURLを「.(ドット)」で区切れば、「 http://living-tokyo 」と「 com 」を二つに分けることができ、大量のURLのドメイン統計も簡単に調べることができる。

しかしどういうわけか、パソコンを起動して初めて「区切り位置」の命令を下す時、一度目が空振りに終わる確率が高い。続けて同じ操作をすると二度目にはちゃんと操作が完了する。要するに一日に一度は「区切り位置」の完了ボタンを押しても、Excelのデータに何も起こらず、何も完了しない。

頼れる同僚氏に聞いてみたけれど、それは彼も同じみたいだった。我々は首をひねった。そうして「区切り位置」が初回に機能しないことについては、長く未解決なままだった。

「tasoさんわかりましたよ!!」
ある日の午後、同僚氏は突然そう言った。確信に満ちた表情でこちらを見据えている。彼は区切り位置問題に終止符を打つ、なんらかの技を習得したらしい。

これまでにいくつものテクニックを教えてもらった。時間がかかって仕方なかったデータ処理も、彼の教えに従えばあっという間に片付いてしまう。そんな彼なら、きっとこちらが驚くようなテクニックを見つけたに違いなかった。早く知りたくて身を乗り出した。

「それはですね・・・、グッと押すんです!!」
彼は “グッ” に力を込めて言った。表情は妙な達成感に包まれ、口が真一文字になっていた。大真面目に言い放つ彼は最高に妙だった。説得力は無いかもしれないが、間違いなく面白かった。どこかから「IT企業にあるまじき精神論。」という声が聞こえた。

次の日、彼の教えに従って “グッ” と押してみたけれど、やはり結果は同じだった。それを告げると、同僚氏は信じられないという顔で「それはおかしいですね!」と大袈裟に首を傾げた。

「・・・・ここでグッ!と押す・・・ホラ!できるじゃないですか!」
またしても彼は誇らしげだった。そして効果検証に成功した彼は満足げにどこかへ行ってしまった。

後日、サーバーエラーでアクセスを拒否された彼は、今度は勢いよくキーボードを叩いてパスワードを入力していた。彼の跳ね上げた右手が視界に入った。(その時は彼の気合いが通じなかったみたいだった)

IT企業にそぐわない精神論。気合いでなんとかしてやろうという根拠無き暴走。
その発想は結構チャーミングだけれど、「グッと押す」と「勢いよく叩く」が『仕事で役立つメモ.txt』に書き足されることはなかった。


本日の1曲
One Shot / Yuppie Flu


星をあやつる

【校正】こう-せい
[名]スル
1. 校正刷りと原稿とを照合するなどして文字や内容の誤りを正し、体裁を整えること。

通勤に利用している山手線の車両モニタに、時々占いが流れる。電車を降りたら結果なんて忘れてしまうくせに、自分の星座の順番がやってくる前に降車するのはなんだか歯痒い。ドア付近に立っている他の乗客達も「今日の運勢」が映し出されると、それを見つめているような気がする。

今日は入稿がいくつか重なっているから、いつもに増して忙しいかもしれない。一体何時に帰れるんだろう?

編集部の僕には、原稿執筆と校正の仕事が待っている。最近担当したとある占い企画は、読者に評判が良くて、ブログでも結構話題になったみたいだった。
大手代理店の担当者も上機嫌で、インフルエンザにかかりながら苦し紛れに考えた次の企画もあっさり通ってしまった。社内で表彰もされ、僕はリボンのついたトロフィーを手に入れた。

でも、その占いの診断に一喜一憂する人達を見ると、僕は少し困惑する。占いを校正したのはこの僕だからだ。

それが文章である限り他の原稿と同様に手を入れなくてはならない。本来、校正は文章を読みやすくするためのものだけれど、言葉を置き換えることでオリジナルのニュアンスが失われてしまうことだってある。占いだって例外ではない。

この会社に入る前、そこら中で目にする「占い」は、もっと適当にでっち上げられていると思っていた。占いのできるライターなのか、モノを書ける占い師なのか素性はわからないけれど、会社が契約しているライター達は決まった納品日に来月の運勢をEメールで送ってくる。彼らはそれぞれにロジックを持ち、“それなりに真っ当な” 結果をはじき出しているみたいだ。

けれども提出した文章について、クライアントに大胆な内容変更を要求されることもある。前回の結果と似たようなものであってはいけないとか、最下位になってしまった人にも何か救いになるような言葉を足してほしいとか。全体的に暗いからもっと明るい感じにして欲しい、と言われることだってある。

占いなんだから仕方ないんじゃないか?と内心思う。
入社したての頃、僕は全く違う結果になってしまった原稿を前に途方に暮れた。そんな困った事態を上司に相談したけれど、彼は「クライアントが言ってるなら仕方ないよ。」とだけ言ってさっさと取材に出掛けてしまった。

もしその占いが乙女座の人達にとって有効であっても、牡牛座の人が嘆いてはいけない。 希望は平等に与えられなければいけない。
全ての星座に平等な愛と希望を!

僕は今日も自分の机で、星の数を増やしたり減らしたりする。“金運” を減らしたり、“恋愛運” を上げたりすることだってできるわけで、こうやって二本の指で煙草をつまんで吸いながら前回の結果を思い出している。


本日の1曲
Today / Smashing Pumpkins



彼の個人的な足跡

フリーメールのメールボックスを何気なくページ送りしていたら、開封し忘れていたメールを見つけた。昨年9月に受信したそのメールは、上下をスパムメールに挟まれ、上目遣いでこっちを見ているみたいだった。

このブログで公開しているメールアドレスには、時々読者からのメールが届く。記事の感想や最近の近況など、丁寧に書かれたメールを読んでいると、人々が自分に向けてくれた誠実さがじんわりと染みてくる。中には本文さながらの長文メールもあって面白く読ませていただいている。

ブログを運営している人ならわかっていただけると思うけれど、ブログは読者の存在がなかなか表に現れない。律儀に廻るカウンターの数値を見ただけでは、文章が「実際に」どれほど読まれているかはわからないからだ。
それに記事を閲覧した人のうち、実際にコメントを書き込む人の割合は数パーセントと言われている。少ないように思える数値もアクセスログと照合すればつじつまが合う。ブログを初めてみて、人々の反応を知ることが思っていたよりも困難なことを知った。

だから、少しでも何かを伝えたいと思ってくれた人がいたならば、その気持ちを逃したくないと思った。コメントを書き込むのにためらう人がいるかもしれないからと、プロフィール欄にメールアドレスを載せた。そしてこれまでにいくつかの私信を受け取り、その全てに返事を書いてきた。

ところで、以前導入していた解析ツールには、都道府県別の訪問者を表すグラフがあった。やや関東圏に集中しているものの、ぽつぽつと全国の県名が並んでいる。

「都道府県」のグラフを眺めていると不思議な気分になる。「検索ワード」や「使用ブラウザ」は、サイトを活性化するのに役立つデータではあるけれど少々味気ない。それに比べて「都道府県」別の訪問者数は、その人の生活と結び付く個人的な足跡に思えた。

そこはどんな天気なんだろう。
自宅の窓から何が見えるんだろう。
その街には何色の電車が走っているんだろう。
並んだ地名を眺めていると、そんなことをつい考えてしまう。

ある日グラフの中に「沖縄」という文字を見掛けた。他の地名よりもなんだか目立ってしまう沖縄県。都会の人々はその地名を口にする時、目を細めて憧れの表情をつくる。もちろん自分だって例外ではない。
その日以降「沖縄」は何度かグラフの中に現れた。マウスで選択して反転した「沖縄」を見つめながら、もしかすると沖縄にいる誰かが「定期的に」訪れてくれているのかもしれないと思った。そう思うと不思議な気分になった。

はじめまして。僕は沖縄に生息してます。 あなたのファンです。

スパムに埋もれていたのは、沖縄から送信されていたメールだった。メールにはこのブログを訪れた経緯や、読んだ記事の感想などが書かれていた。
まるで解析画面に存在していた「沖縄」という文字が急に喋り出したみたいだった。やはり沖縄に読者はいて、やっぱり不思議な気分になった。

今日、『リヴィング・トーキョー』は開設2周年を迎えた。昨年転職してからは以前のようなペースで記事を更新できなくなってしまったけれど、それでも時々様子を見に来てくれる人がいることがとても嬉しい。

このブログは、頻繁に会うことのない友人達への近況報告でもあり、膨大な自己紹介でもある。400以上書いた記事を眺めれば、どれも紛れもなく自分の断片であることを実感する。
Webという巨大の網の中に彷徨っているちっぽけなこのブログ。思いつきで始めたにも関わらず、今では多くの人とのコミュニケーションを叶えてくれる大切な場所になった。

いつも話題を与えてくれる個性豊かな友人達や、コメントで参加してくれた全ての人達。毎日読者を呼び込んでくれる賢くて気まぐれな検索ロボット氏にも感謝しなくてはならない。もちろん、誠実なメールをくれた沖縄の彼と、全国に少しはいるであろうまだ見ぬ読者の方々へも。


本日の1曲
Angel Of Harlem / U2




カラス飛ぶ


国道沿いのドラッグストアに行った時、何か買うものがないかと電話をすると、祖母は白いタクアンが食べたいと言った。そして「クスリ屋にタクアンは無いよ」とお互い笑いあった。正月に帰省している間、そんな日常的なやりとりにいちいち感傷的になった。たとえ声を出して笑った後だとしても。

祖母が一人で住む母屋と、両親が再婚後に建てた家。静岡の実家は隣り合って二軒ある。上京するまで母屋に祖母と一緒に暮らし、長い間祖母が母親の代わりだった。
若い母親達に比べると祖母はやっぱり不利だった。小学生の頃、孫の風邪を心配して毎日替えの洋服を持たせ、授業参観の度に担任に着替えの手伝いをするように頼む祖母が嫌で仕方がなかった。中学生の頃は、煮物ばかりで色彩の乏しい弁当箱を開けることが恥ずかしかった。

4年前、関西で生まれ育った従兄弟が神奈川で一人暮しを始めた。彼は大学が休みに入るとドライブがてらこの家にやってくるみたいだった。
かつてはピアノの音や犬の鳴き声がしていた家族の家。家族が行き交っていた日当たりの良い部屋も、今では年中シャッターに閉ざされ、年に数回やってくる彼が使うだけの部屋になってしまった。

仕事を理由に正月に一度帰省するだけになった自分と、時々やってくる従兄弟と、祖母。揃ってダイニングテーブルに腰掛けると祖母が嬉しそうな顔をするので、食事が済んでも席を離れてはいけないような気になった。ストーブの上でシューシューいうヤカンの音を聞きながら我々はお茶を飲み、正月のお笑い番組を見た。

部屋のベッドに横になっていると、時折廊下から聞き慣れない音がした。それは足を引きずりながら歩いてくる祖母の足音と、板張りの廊下に鈍く響く杖の音だった。祖母が杖をついているところを初めて見た冬だった。

祖母は以前から老いることを嫌っていた。口癖のように「老人にはなりたくないねぇ」と言っていた。だから杖をついたり、寝る前に紙おむつの支度をする祖母を見てはいけないような気がした。祖母にやってきた老いを認めたくなくて、無愛想に部屋のドアを閉めた。

ある日外から帰宅すると、祖母はとても満足そうな顔をして、従兄弟の運転する車で病院に行ってきたと言った。彼はいつも祖母の身体を支えたり、着替えを手伝っていた。
正直に言うと、いつもファッションブランドや社会人の平均年収の話ばかりする彼を疎ましく思うこともあった。そんなことばかり考えて何になる?そう言ったこともある。

従兄弟が神奈川の自宅に戻る日、渋滞を避けて早朝に出発するといっていたのに、彼は昼過ぎまで祖母の買い物のために市内を車で駆け回った。彼のほうがずっと、自分よりもずっと、祖母に向き合っているような気がして情けなくなった。

東京に戻る帰り際に祖母は、「あんたが帰ったらまた一人だよ」と微笑みながら言い、咄嗟に「こっちだって一人だよ」と言い返した。

ドラッグストアで買い物を済ませたあと、友人は夕暮れの空を見上げ、カラスが年々増えている気がすると言った。山の方角には何十羽のカラスが飛び回っていて、国道沿いの電線はカラスの重みでたわんでいた。

「東京もカラスが多いけど、こんな風景は久々に見たなあ。」
そう言うと、この町に暮らす家族のことや、徐々に変化する町の風景がまるで他人事のように響いてしまった。


本日の1曲
セブンスター / 中村一義


ライカと古着と別れた彼女

とにかくその会社は汚かった。細長い雑居ビルのフロアに灰色のスチールの机がひしめき合い、その上にはもれなく書類やらOA機器やらが積み上がっていた。考えてみればその会社にいる間、フロアの奥まで “到達” したことは一度もなかった。事務所の奥にいる社長の顔もずいぶん後になってから知った気がする。
大学生の時、そんな視界の悪い会社で2ヶ月間アルバイトをしていた。

社長は時代遅れの大きなシルエットのスーツを着た人物だった。40代半ばくらいの腹の出た大男だ。一度、お札を渡され人数分の夜食の買い出しに行ったことがある。顔さえろくに覚えていないのに、お札を渡す行為が「社長」という存在を妙に印象付けた。それまで他人に札を渡されたこともなかった。

その会社の主な業務は、都内全ての「橋」のデータを収集して都の機関に納品することだった。河川に架かる大きな鉄橋もあれば、またいで渡れそうなどぶ川に架かった橋まで全て。与えられた仕事は、サービス判サイズの写真を図面に貼る作業だった。

まず「測量班」が現場で橋の実寸を計測し、その数値を元に「製図班」がパソコンで図面を作成する。出力された大判の図面は「写真班」の机の上にどっさりと積み上がり、我々は様々なアングルで撮影された橋の写真を該当箇所に一枚ずつ貼付けていく。出来上がった図面は特製の分厚いバインダーに閉じられる。完成。

「写真班」は4つの机を付き合わせて座っていた。段ボールの囲いを机の端に置き、写真の裏面にスプレー糊を吹き付ける。一日に何百回もそれを繰り返すために、囲いの中に綿菓子のような糊の塊が出来ていく。霧状の糊は自分にも跳ね返り、買ったばかりのカーディガンもすぐにべとべとになってしまった。

その会社には10人くらいの社員と、同じくらいの数のアルバイトがいた。
後ろの席には、作業着を着た男性が座っていた。白髪混じりの初老の男性は明らかに最年長だったけれど、なぜか自分と同じアルバイトだった。社員達は初老の古株アルバイターをとても慕っていて、わからないことをよく相談しにきていた。
彼は「撮ることより分解するほうが好き」という典型的なライカコレクターで、売れないジャズミュージシャンだった。窓際の特等席の、一段と高く積み上がった書類の間から時々陽気なハミングが聞こえてきた。

向かいの席で作業している若者は、古着屋の開店を目指して複数のアルバイトを掛け持ちしていた。彼は「古着屋の時給がいかに安いか」や「原宿で古着屋を経営するリスク」について切々と説いた。

ある日、断られるのを承知で席で煙草を吸っていいかと社員に尋ねると「ウチは紙が多いから火の元には気をつけてネー。」と呑気な調子でやってきて、銀色の灰皿をカチャリと置いた。なんだか頼りない社員に囲まれ、毎日朝から晩まで糊と格闘しているのだ。それくらいは許されていいような気もした。でもオフィスの自席で喫煙するなど、今ではちょっと考えられない。

当初の契約は延長され、アルバイトは2ヶ月目に突入した。年度末が近付くにつれ、図面と写真がうんざりするほど積み上がっていった。しかし社員達は定時を過ぎると皆あっさり帰っていった。全ての書類の納品が翌朝に迫った日でさえも。

そのさまに呆気に取られながらも、それならばと会社に泊まり込んで作業を続けた。やっとのことで作業を終えると、汚い床に段ボールを敷いて寝た。
『寝かしといてやんなよ、疲れてるんだから。』という声に目を覚ますと、すでに何人かの人が出社していた。狭い通路に寝ている全身糊だらけの大学生のことをもうみんな気にしていないみたいだった。

都会のど真ん中にあるオフィスはすべて綺麗で、働いている人全員が立派なビジネスマンであるというのは、単なる浅はかな幻想だった。
社員達は昼飯時に中華料理屋の円卓を囲み、未練たらしくにやつきながら別れた彼女の話をしていた。社会人は学生と違って大変だと聞いていたけれど、こんなに気楽な人達もいるのだと知って騙されたような気分だった。

でも会社の愚痴を言っている人はいなかったし、職場仲間のつまらない噂話も聞いたことがなかった。みんなはそれぞれ「ライカの内部構造」や「古着屋の経営状態」や「別れた彼女」に興味があるみたいだった。
新宿のあの雑居ビルには、まだあの会社があるんだろうか?


本日の1曲
Again / Lenny Kravitz


ジェイミーのしんぱいごと

もうずっと前、僕には大切な友達がいた。僕らは毎日のようにいろんなことを話してた。
そのころは家族や勉強の悩みは一大事だったし、大人になったらしたいこともたくさんあった。大好きな本や映画の話もよくしたな。

不思議なことにいくらでも話したいことは見つかったし、意見がくい違ってもあんまり気にしなかった。(たまに頭にくることもあったけど)
僕らはベッドカバーの柄や嫌いな俳優の髪型や ”つまようじ” だって話題にした。身の回りにあるものはすべて語り尽くしたんじゃないかって思うくらい。

友達は僕が知らない場所の話をよくしてくれて、そのとき想像した景色は今でもよく覚えてる。濃い色をした空と、その下を走るハイウェイ。見たこともない広くて長い道を僕は思い浮かべることができた。

そんなわけで僕と友達は “ある期間” をとても親密に過ごしていた気がする。
僕らはリラックスできる相手をやっと見つけた同士って感じだった。

友達は困ったことがあると遠くからでも僕を呼び出した。大事な用事をすっぽかしたのに気付いて焦ってるときも、ギャンブルで大儲けして取り乱してるときも。いちばんに僕に報告してきたもんだ。

そういうとき僕はいつも通りに相づちを打つ。ひと通り話し終わると、友達はなんだか慌てたみたいに帰ってくんだ。振り返りもせずにまっすぐに。

ぼくはその友達がほかの人といるところをあんまり見たことがなかったけど、友達は気にしていないみたいだった。「記憶喪失になってもきみがいれば大丈夫だ」って笑った。

友達に会わなくなってずいぶん時間が過ぎた。僕に起こったちょっとしたことに戸惑っている間に時間がたって、お互いがどこでなにをしてるのかもわからなくなった。街でぐうぜん見かけたとしても、声を掛けるのをためらうくらいの長い時間だよ。

誰かに話したいことがあるとき、その友達はどうしてるのかなって時々思う。

実を言うと、僕はその友達に話したいことが山ほど出てきちゃうときがある。
こんなに雨がざんざん降っている夜なんかはとくにそうなんだ。


本日の1曲
Mykel And Carli / Weezer


——————————-
>>connection archive >>
2006/08/22 『ジェイミーのまほうのはなし


非効率なひと

君はそう思わないかもしれないけれど、世の中には効率化されてはならない領域というものがあるんだよ。効率的な芸術なんてあり得ないし、効率的な自分の人生なんて想像がつかない。
10年間同じ人を想い続けることだって、とても効率的な人生とは言い難いだろう?

先日、新しい上司がやってきた。前職では何百人の部下を従え、最初の就職以外はすべて “引き抜き” で今日に至ったというキャリアウーマンである。彼女は「業務の効率化」を遂行するためにここにやってきた。

彼女は徹底的にタスク管理を “強いる”。各々の業務にかかる時間を算出し、リスト化してグループ内でシェアする。金曜の時点で翌週5日分のタスクリストを練り上げ、忠実に数値化されたリストに基づいた無駄のない行動を心がける。仕事というものは見積もった時間より手間取ることのほうが多い。予定がずれ込めば「何故手間が取られたか」を自問し、それが業務フローを改善するきっかけになる。

その結果、業務は効率化され、クオリティも向上する。
確かに、我々の周りには、時間的余裕がなくて後回しにしていたやらなくてはいけない業務が山積しているのだ。

___これはトレーニングだ。

そう思えばやってみるのも悪くない。無駄な行程を省き、業務に集中することで残業から開放されるのは素晴らしい。しかしなぜこんなにも拒否反応が起こるのだろう?

余分な思考や、時間のロスを忌み嫌う効率化の世界では、無駄のない行動が好まれる。質問と答えは、常に簡潔に。
「効率化」について少し考えてみる。これまで効率化を求められたことも、それを目指したこともなかった。
この違和感は美術大学を選択したパーソナリティと深く関係があるのだと思う。芸術的創造は効率の対極にあるけれど、ビジネスでは「言葉にならない想い」や、「逃れられない怠惰」は通用しにくい。

曰く、良いビジネスパーソンになるためには『なぜ?』という言葉を相手に10回言うのが効果的だそうだ。相手の話を鵜呑みにせず、常に疑問を提示する姿勢が必要だと。(成る程、社内にはその言葉を好んで使う人々がいる)
しかしその物言いは使いようによっては相手を追い詰める危険な言葉ではないのか。実際に言われてみると気分が良いものではないし、気分が悪い理由を聞かれても答えようがない。

一日の半分の時間を捧げる「仕事」を効率化すれば、あとの時間を有効に使うことができる。しかしその一方で、効率化に馴染めない人間は、一日の半分を窮屈に過ごすことになりかねない。理屈は理解できても、10回聞く人間になりたいかどうかは、また別の話だ。


本日の1曲
Oil And Water / Incubus