Archive for the '黄昏コラム' Category

42枚分の生活

数年に一度サイフを買い替える理由は大体「壊れる」からだ。友人に言わせるとサイフは古くなったら替えるものであんまり壊れないらしい。
それは自分の持ち歩くカードの数に起因しているようだ。ふと思いついてサイフの整理をする時がある。レシートの類いを捨てカードを本来あるべき場所に移動させる。カードを数えてみたら41枚あった。しかもそのうちの半分程はハードなタイプだ。サイフの重さよりも体積が気になる今日この頃である。

巷で売っているサイフはどれもスマートな作りで収納スペースが確実に足りない。以前は二代に渡ってジッパー開閉のものを使っていたが、ほどなく壊れた。その多角形に形を変えたサイフはジッパーを開けなくても中身が取り出せた。便利と言えなくもないが、これでは保安上問題がありそうだ。

昨年新しいサイフを購入する際はかなり比較検討した。主に収納能力について。
なるべくならポケットがたくさんあって、リベットで留めるタイプがよい。いっそオーダメイドがよいかと思ったが、スーパーのレジで取り出すのがためらわれる程の惨状だったため、今回は見送ることにした。もはやサイフにあるまじき、多次元的な様相を呈していたのだ。

サイフと別にカードケースを持ち歩くのも面倒だ。いつも同じカバンを使うわけでもない。ずぼらな性格の自分にそういう機転は期待できない。数あるカードの中には半年に1回行くか行かないかのお店のカードも入っているが、半年に1度行くならカードは入れておきたい。一応少し考えてからやはり元に戻すのである。整頓したところでカードの数は一向に減らない。

こういう自分の「何でも持っていたい症候群」を恨んでも仕方ないけれど、旅行に行く時も荷造りにものすごく時間がかかる。これじゃなきゃだめというもの以外は現地調達すればよい。それはわかっているつもりでも、自分の場合これじゃなきゃだめというものが人より確実に多い。あれも、これも。これはかさばらないから、と自分に言い訳をしつつ荷造りをしていると結局ものすごく重い荷物の塊が出来上がる。

先日自宅近くのホームセンターでネコ氏のフードを購入した。レジのカウンターの上には作り途中と思われるカードが無造作に散らばっていた。(こういうアバウトさがこの店の魅力である)お客を待つ間にそのバイトの女子高生氏がラミネート加工された券の角部分を丸く切っているのだろう。刃が開いたままのハサミもある。ファンシーな色づかいのそのカードに踊る「10パーセントオフ」の文字に釘付けになりながらもチラ見にとどめる。

ネコ氏のプレミアムフードは結構お高くつく。ソワソワしつつもクールに会計を済ます。下心を悟られてはいけない。会計を済ませサイフの口を閉めていると「これで5月末まで毎週金曜日ペット用品10パーセント割引になりますのでどうぞ」とすごい早口でカードを差し出された。階段を上りながらニンマリする。これは嬉しい。是非使わせていただこうじゃないか。

そうして新たにオリンピック高円寺店の「ペットDAY 10パーセントオフ券」がサイフに加わった。手作り感たっぷりでとても気に入っている。使う時はクールに差し出さなくてはいけない。だが果たしてウィークデイの金曜日に買い物に行く余裕はあるのだろうか。


本日の1曲
Mighty lovers / The Pillows


ナビゲート ミー!

昨年夏に実家に帰った時、両親の車にカーナビが導入されていて驚いた。パソコンすらない我が家に、先にカーナビがやってきた。
「どこに居ても帰り道ボタンを押せばここまで案内してくれるのよン」と母親も自慢げだ。実家に帰ってくる楽しみはドライブにもある。久々のドライブを応援してくれているような頼もしい言葉だ。

友人と水族館に行く計画があった。東海大学海洋博物館までは1時間半ほどの道のりだ。カーナビを頼って一切の下調べはしていない。小学生の頃に両親と行ったきりで、その所在地の情報もほとんど知らない状態だった。

自宅の駐車場で画面にタッチ、目的地を登録する。「スタート」だ。
バイパスを使い静岡市内へ入る。ここまではよく知った道だったがそのうち知らない道に出た。しかし我々には心強いパートナー、カーナビ氏がいるじゃないか。目指すは海。ルートはカーナビ氏が示してくれる。
「コノサキ 700メートルヲ ミギ ホウコウデス」
「はいはい」と返事をしながら快適ドライブは続いた。カーナビがこんなに便利なものだとは思わなかった。

まだ一般に普及する随分前のこと、電器メーカーに勤める親戚のおじさん氏は自社のカーナビを搭載した愛車に乗せてくれた。運転しながらその機能を雄弁に語り「世の中便利になったもんや!わっはっは!」と誇らしげだ。「すごいねぇ」と感心する親戚一同に彼も満足そうだった。

海沿いの道を走っていた時、ふと画面を見ると現在位置を示す矢印は着々と海の中を突き進んでいた。言うまでもないが、そこは確実に道ではない。その驚くべき異変に気付いているのは助手席に座った自分ひとりであるようだった。この重要な局面において後部座席では世間話に花が咲いている。
「この車、水上バスにもなるの?」と言うと「まだ開発途中なんや!わっはっは!」とおじさん氏は高らかに笑った。
そのよろよろと定まらない矢印を凝視しながら、先端技術に一抹の不安を感じていた。

水族館からの帰り道、静岡市から高速に乗れという命令が下された。こちらとしては高速ではなくバイパスで帰りたかったのだが、カーナビ氏の意志は確固たるものであるようだった。高速の乗り口を過ぎてもなかなか諦めてくれない。正しいルートを示す赤線はしつこくUターンを勧めるあまり、見当違いな方向へ我々を導こうとしていた。バイパスを使った帰り道の案内はどうしてもしたくないようだった。

そこで母に言われた「帰り道ボタン」を試しに押してみたが、自宅の住所は登録されていなかった。母は登録したつもりになっていたようだ。あんなに得意げだったのに。混乱を極めたカーナビ氏の画面は回転を伴うほどにめまぐるしく動き出した為、丁寧にお礼を告げてから電源を切った。
・・・OFF。

なかなか意のままには動いてくれなかったが、行きに関しては大活躍だった。帰りの目的地が自宅でなかったら素直に従えたのだろうに。結局は自分の経験に基づいたルートが安心なのだ。


本日の1曲
Cruel Age / Asparagus


WWWの網の上

かつてポータルサイトの存在すら知らなかった自分も、今ではインターネットヘヴィーユーザーである。必要な情報を収集し、ネットバンクで預金を管理し、週に何回かはネットショッピングをし、blogも立ち上げた。

すべてが悪い側面で語られるべきではない。
今はそんな発言も不毛であるほどにインターネットは我々の生活に根付いているが、当時は急速な普及の最中にあった為にその賛否は充分な話題になった。ヒューマニズムの欠落と匿名性の恐怖。情報の流出と不法サイトの数々などが。

自宅のMacintoshをインターネットに接続したのは大学3年生の時だった。23時から8時までは繋ぎっぱなしの状態でも月額を超えることはないNTTのテレホーダイに加入していた。自宅に電話がかかってくるとブツッと回線が切れたことすら懐かしい。当時はプロバイダの基本料金も高く、常時接続は大学生には夢のような話だった。
23時を待ってインターネットに接続した。そして目の前に突然開けたその世界に夢中になった。オンラインゲームやチャットに参加してみた。そこに集まった何百人という面々の多くは翌朝8時になると画面からいなくなった。

そのうちインターネット上で友達が出来始めた。友達が友達を紹介し、気の合う仲間が徐々に集まっていった。全国各地、暮らす環境は様々だった。聞くと皆がほとんど同世代だった。
そして毎晩のように「会う」ようになった。もっとも実際に会ったことは無かったが、1年ほど顔を合わせているうちにひとりひとりの性格も把握できるようになっていた。

理工学部の大学院生の彼は研究の手を休めてはチャットに現れた。
>>この実験、朝までかかりそうだ・・・。
区役所に勤めていた彼は毎日決まった時間に現れ同じ時間に去っていった。
>>外国人の取材に行ったんやけど、だーれも英語話せへんで困ったでー。
お姉さん的存在の彼女は彼氏とのデートのエピソードを教えてくれた。
>>バスローブのまま廊下に出たら鍵締まっちゃってさあ!

今まで接点の無かった人と話をするのは楽しかった。彼等にもそれぞれの生活があり、彼等にも話したいことはたくさんあった。モデムから伸びる黒く細い一本の線が自分と仲間を繋いでいた。

無論モニタの向こうにいる相手の表情を知ることは出来ないし、文字だけで感情のニュアンスを伝えるのはテクニックがいる。時にはうまく伝わらないこともある。キーボードを操作するだけの会話で嘘をつくことだって容易い。しかし我々は互いに嘘をついていたか?
例え姿は見えなくても彼等の言葉からはいつも人間を感じることが出来た。毎晩アクセスする度に必ず誰かがそこにいた。当時の自分にとっては最も「身近な」友人達がそこにいた。

森田芳光監督の『(ハル)』という作品がある。
1996年の公開当時はまだパソコン通信の時代だ。どこか空虚な生活を送る若者同士が映画フォーラムで出会う。通信を重ねる度に互いの人間を理解し始め、自分以外の人間の人生を考える。そして生活の隙間にその存在が徐々に入り込んでゆく。
独特のカメラワークや、字幕使いなどのちょっとした遊び心もストーリーを一層魅力的なものにしている。人間同意の繋がりがどれ程尊いものか思い知らされる素晴らしい映画だ。

たとえ姿は見えなくても、その繋がりはとても尊い。今では疎遠になった友人達のことを考える時、WWWの網の上で出会った彼等のことを思い出す。


本日の1曲
Hold Me / Weezer



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(ハル)
(ハル)

1996年・日本・118分
監督:森田芳光
出演:深津絵里 内野聖陽 ほか


ハイスクール・デイズ

島田市には川幅1キロはある大井川が流れている。高校の敷地を出ると目の前に河川敷が広がる。通っていた静岡県立島田高等学校は大井川の土手近くにあり、通称ドテ校と言われていた。
毎朝国道1号線を自転車で通学していた。川風のせいで朝の通学時は向かい風が強く、反対に帰り道は追い風に背中を押されて帰ってくる。国道沿いの人気のない中古車センターとパルプ工場の縞模様の煙突を思い出す。

これまでの自分の人生を顧みても、誇れるようなエピソードの無かった3年間だ。それまで家族や友人や教師達に向かって取り繕っていた体裁は崩れていった。

学習塾に毎日のように通って入学した高校であったが、程なくして勉強に対するやる気を失った。当然成績は思わしくなかった。日本史教師氏が学年集会で放課後の追試について言及したが、追試の教室に現れたのは自分ひとりだった。日本史教師氏は自分に気を遣っていたのだ。数学に関しても一切興味が沸かなかった。定期テストで数回に渡って採点不可能の点数を採り、数学教師氏に申し訳なさそうに謝られた。言うまでもないが、彼に責任はない。
風邪で一週間休んでいる間にサイン・コサイン・タンジェントの単元は終了していたけれど、例え授業に出席していたとしても到底理解できない数式だったと思う。

当初入部した運動部も1年も経たずに退部し、活動しているかどうかわからないような部に籍をおいた。数週間に1度のその集まりにさえ参加しなかった。高校には文化祭や体育祭があるが、それらの行事にも参加しなかった。体育祭でガチャピンの着ぐるみを被ったクラスメイトを横目に頬杖をついた。もっとも、ほとんどの物事の進行は自分の知らないところで進行しているようだった。

文化祭の閉幕式で片付けの段取りの説明を聞くよりも、自分の抱えていた苦痛の方が重要な問題だった。式が行われる体育館には行かず、教室に作られた巨大で陽気な迷路の中で友人とボソボソ会話をしながら窓の外の景色を眺めていた。
そんな憂いの最中にクラスの担任氏が教室に現れた。彼は陰に隠れた我々の存在に気付き、怒り狂って教室の壁や扉を蹴飛ばし始めた。怒り出すと収集のつかなくなるその教師氏は顔を紅潮させて唾を飛ばしているに違いない。隣にいた彼は煙草まで吸っていた。ばれてしまったら停学になるだろう。
数分後、他校の友人が身代わりになって出て行った。平謝りをする教師氏の声に安堵し顔を見合わせる。その後、転がり落ちる勢いで階段を降り保健室のベッドに逃げ込んだ。きっとものすごく怪しい二人組であった。

ちょうどその頃、想像していたよりも自分がもろい人間であることに気づいて愕然としていた。逆境にぶち当たると自分が粉々になる感覚を味わった。それまで突発的イベントと捉えていたその弱さはどうやら自分の「性質」であるようだった。その厄介なエゴと対面してしまったのも高校時代だった。

授業をサボり、その時間を大井川の河原で過ごした。川岸のブロックに腰掛けて石を投げた。ざわざわと流れる川と山肌の茶畑、視界の両側には隣町とを繋ぐ橋が2本。進学、恋愛、家族、そして自分自身。今ここにいる場所が全てだった。今思えばライ麦畑的な高校生の憂鬱である。

そしてちょうど10年前の今日に高校の卒業式があった。当日は大学受験で東京にいた為に式には参加していない。それにはっきり言って卒業式なんてどうでもよかった。どうしようもなく保守的な人間の東京生活がこれから始まろうとしていた。


本日の1曲
Whatever / Oasis


風に舞う風花

昨日の時点では今夜半から雪の予報だったが、現在の東京23区は空気こそ冷たいが雪は降っていない。
数日前は初春の陽気だった。もう春が来たんだ。お気に入りのコートの出番はもうないのか。ちょっと寂しいな。クリーニングに出さなければならんな。でも近所のミッキーの偽物が壁にデカデカと描かれているクリーニング屋は果たしてちゃんと仕事をしてくれるのかな、などと考えていた。
そして翌日、春物の上着を着て外出し今度は寒さに震えながら帰宅した。

支度をしていて今日はあったかいんだナーと、それが呑気な朝風呂の名残りと気づかずに外気に震えることも多い。天気予報を見ずして、自分の勘だけに頼った結果である。
外出するときに雨が降っていなければ傘は持って出ない。今は駅近くのマンションに住んでいるので多少の雨ならば気にならないし、雨に濡れることは自分にとってそれほど深刻ではない。

今年の冬の東北地方は深刻な雪害に見舞われた。さかんに報道されたその事実を知らず、地元の豪雪を嘆く東北出身の人に「でも・・雪は毎年降りますよね?」と的外れで不謹慎な反応をしてしまい、ニュースを見て自己嫌悪に陥った。
ヘッドラインぐらいはチェックしなくてはいけない。

大学4年生の時、東京にも数十センチの積雪があった。当時卒業制作の真っ只中で、提出直前の1週間はほぼ寝ていなかった。作品の完成は絶望的だったが、中途半端でもそれなりの中途半端を目指さなければならない。友人たちに協力してもらい自室に缶詰になって昼夜作業を続けた。

実は卒業制作展は既に始まっていた。その笑えない状況の中、教室の見張り当番の順番がまわってきてしまった。はっきり言って人の作品を見張っている場合ではなかったが、決められた当番を放り出すわけにはいかない。
目を血走らせ、雪に足を取られながら大学までの道のりを全力で走った。これほど雪を疎ましく思ったことはなかった。

またある年は引越当日に雪が降った。
新居はエアコン取り付け前であったし、木造アパートの大きな窓にはまだカーテンすらついていなかった。荷物もロクにほどいていない状態で、とりあえず毛布と小さな電気ストーブを出し、ネコ氏と一緒に毛布にくるまった。3月末は春ではなかったか?よりによって何故引越日に雪が降るのだ?ガチガチ震える状態で片付けをするどころではなかった。

生まれ育った静岡には雪は滅多に降らない。まだ小学校に上がる前、雪が数十センチ積もり近所の公園に黄色いレインコートを着て雪を見に行った。祖父が撮ったと思われる当日の写真も実家には残っている。それから18歳で東京に出てくるまで、静岡でそれほどの雪景色は見たことがない。

気温が下がると「風花」が舞う。カザハナと読む。それはたんぽぽの綿のようにふわふわしていて地上に漂着するとすぐに溶けてしまうが、静岡の冬の光景に欠かせない。風花はいつも、制服のブレザーの肩に舞い降りては消えていった。


本日の1曲
粉雪 / ASIAN KUNG-FU GENERATION


Drunken Hearted

人々はオノレの愚劣な行動を、度々酒のせいにする。酒が飲めない人にとってはその「酒の勢い」が果たしてどれほどまで威力のあるものなのかがわからない。

酒の勢いがなかったら結婚しなかったし、酒の勢いがなかったら日本は更に少子化が進行するわね、と彼女は言う。普段の彼女の「なり」をみている限り、想像できないような大胆発言である。

そんな彼女は酔っぱらって犬小屋に上半身を突っ込んで寝たこともあるし、爆睡して山手線を何周もしたこともあるらしい。起きてから財布を覗くと丁度タクシー代くらいの金額が減っているそうだ。お見事。
『不思議なんだけど翌日はちゃんとお家のベッドで目覚めるのよ・・・。』と話す彼女は本当に不思議そうな顔をしている。そんな日には決まって目にものもらいができているらしいが、どこで何を触ったか?それは彼女にも解らない。

聡明な顔をした美人でありながら、それは驚くべき有様である。一度彼女にCCDカメラ付きのヘルメットをかぶせてその行動を観察してみたい。

浪人時代のクラスメイトの彼は程なくして予備校に姿を見せなくなった。大学に進学するよりも意味のある思想を手に入れたのかもしれない。
それから数ヶ月してクラスの飲み会が行われた時、彼はあろうことか額に油性マジックで「酒」とでかでかと書いて現れた。(おまけに腕には「デッサンが好き」と書かれていた)
思うに彼はクラスメイトと楽しく話をしたかった。しかし姿を眩ませた時間の隙間を埋めなくてはならないし、いきなり現れて馴染めない可能性だってある。

彼は額の「酒」の文字をうまく反転させるために鏡も使わなければいけなかったはずだ。並々ならぬ気合いを感じさせる心温まるエピソードだ。当日の彼のノリノリの写真を見る限り、その試みは大成功であったと確信する。

そんな自分も学生時代には大勢で居酒屋に集まることもあった。しかし「生ビール○○人分とレモンサワー1つ」のレモンサワー的な人間だった。これまでに飲んだビールを注ぎ合わせてみても、おそらく中ジョッキ1杯にも満たない。
彼等の列伝は充分にこちらを楽しませてくれるけれど、今のところは万年素面である。


本日の1曲
Drunken Hearted / NUMBERGIRL


NEWYORK TIME LAG

日本列島の本州すら出たことが無い自分が初めて海外に行ったのが2002年の秋である。当時ニューヨークに住んでいた友人に会う為にJFK空港で待ち合わせをした。

飛行機の先頭へ伸びたタラップを渡り機内へ入る。スチュワーデス氏が並ぶその脇に座面のゆったりとした椅子が配置されている。肘掛けも広い。チケットを見せるとにこやかに「このままお進み下さい」と案内される。
(そうだよな、これがエコノミーのはずがない)とふむふむしながら進むと一回り椅子が小さくなった。立ち止まりチケットを覗き込んでいるとさらに奥へ案内された。
(そうそう、飛行機は縦に長いんだった)と奥へ進むと、座席がぎゅう詰めになった空間に出た。エコノミーシートだ。これなら帰省する時に乗る新幹線こだま号の座席の方がまだ広い。

しかし離陸してすぐにそのエコノミーショックは過去のものとなった。初めてのフライトである。成田空港付近ののどかな景色がみるみる小さくなってゆく。
数時間経ち一度目の食事も終わり、機内の照明は落とされた。乗客は横になったり本を読んだりしてくつろいでいるが、自分は小さな窓から見える景色に釘付けになっていた。

座席前方のモニタで高度と現在位置を確認する。雲の合間から見たことのない外国の街が見えた。眼下に広がるその街ではで会ったこともない人々が生活している。太陽の当たらない球面を移動している時は無気味な闇が広がった。はっきり言って映画を見ている場合ではない。自分は今、世界を俯瞰している。

ロッキー山脈は荒々しく、五大湖は地図帳で見た通りの形状だった。この景色を見てからだったら少しは地理の授業に興味を持てたかもしれない。
仮眠の後の朝食を終えると到着時刻が近付いてきた。マンハッタン!


空港に降り立ち入国審査を終えゲートをくぐる。ユナイテッド・ステイツ!
見渡すとまだ友人の姿は見当たらない。重いスーツケースを携えて壁際に並んだ固いイスに腰掛ける。一緒に搭乗していた人々はひとしきり知人と再会を喜んだあと、皆どこかへ行ってしまった。そして誰もいなくなった。

第7ターミナルはお世辞にも洗練されているとは言えない。そこは時々通り過ぎる人の足音が響くだけでしんとしている。昼間であるのに太陽光が差し込まない空間は蛍光灯にさらされて青白く自閉的な印象を受ける。目の前にはインフォメーションブースがあるが、本来インフォメーションするべき職員の姿はない。モップを持った猫背の清掃夫が通り過ぎ、黒人氏がなにかがなりながらうろついていた。
そのカウンターの上方に円を描く電光掲示板に流れる文字を眺めながら思う。
ジョン・F・ケネディ、ここは本当に君がいたアメリカか?

そうして1時間が経過しようとしていたが友人は来ない。携帯を持たない彼女と連絡を取るのは容易いことではない。自宅に電話をすればルームメイトがいるかもしれないと思いついたところで公衆電話の使い方もわからない。第一、到着時間に彼女が来ないということも考えにくい。冷たく固いベンチに座って待つ。

そして暫くして向こうから友人がやってきた。アメリカ合衆国は10月の最終週に時間を1時間早める。
そう、サマータイムを解除する。東京からやってきた訪問者とニューヨーカーの時間の認識も1時間のラグがあったのだ。
そのように、アメリカに到着して最初の1時間は合衆国によって失われたなんとも奇妙な1時間だった。


本日の1曲
A Praise Chorus / Jimmy Eat World


新宿アンダーグラウンド

その日もいつものカフェでサンドウィッチを食べた。細長く少し固めのパンに、クリームソースで蟹をあえたものとスモークサーモンが挟まっている。毎日のように通うカフェのいつもと同じサンドウィッチだ。
仕事に戻って1時間ほど経ってから右手のリングが無くなっていることに気が付いた。お手拭きを使う時、無意識のうちにリングを外す癖がある。
きっと、サンドウィッチの皿の下になったリングに気付かずに店を出てしまった。

店に戻ったが、1時間前のゴミはもうここには無いと言われた。あまり広くはないその店舗には満足なゴミ置き場が無いようだ。
なんとか諦めをつけようと妙な冷静さでエレベーターに乗り25階へ上がる。
しかし仕事が手につかない。
今まであまりリングを身につけなかった自分が気に入って購入した8石のターコイズは、このビルのどこかのゴミ集積場にまだあるのかもしれない。

再度店に行きゴミをどこに運ぶのかを尋ねると、もうトラックが運んでいったと若い店員は頼りなく苦笑いするばかりだ。残念ながら彼にとっては他人事であった。その対応に見切りをつけビルの警備室に駆け込み、インターホンで警備員を呼び出した。
時刻は夕方過ぎ、地下のゴミ集積場に案内してもらった。

体積の広いエレベーターで地下2階へ降りる。正面の管理室には既に1階の警備室から連絡が入っていたようで事務所へ通された。机に座っていたスーツ姿のお兄さん氏に事情を説明すると彼は少し上方を見ながら立ち上がり「とりあえず見てみましょうか」と友好的に頷き、ゴミ集積所に向かって歩き出した。

その空間の広さもさることながら、次々と運ばれてくるゴミの量も相当なものだった。委託している清掃業者も何社かあるらしく、その会社ごとに与えられた倉庫がいくつも並んでいた。
巨大なオフィスビルのゴミ集積場はやはり巨大なのだ。カフェから出たゴミを判別するだけでも大変な作業なはずで、勢いで来てしまったことを後悔した。

案内してくれたお兄さん氏が見当をつけた場所へ行き、ゴミ袋に片っ端から手を突っ込んだ。突っ立っていても仕方がない。
「レシートの時間を見るといいですよ」と彼もスーツの袖を捲って一緒になってゴミの袋に手を突っ込む。「エンゲージリングかい?」と周りで作業中のおじさんがこちらに目をやる。そして1時間ほどゴミを漁り続けた。

リングは見つからなかったが、彼の助力を得て諦めがついた。
同じエレベーターで1階へ戻る時、倉庫で会ったひとりのおじさんが心配そうに声を掛けてくれた。コーヒーの出がらしや煙草の吸い殻、マスタードのついたビニールに突っ込んだ手は、何度洗っても臭いがとれなかった。

数日後に店から電話があり、リングは見つかった。
しかし、リングが見つかったのはこの話のおまけのようなものである。
明らかに動揺して饒舌な自分に付き合って、直接関係のないゴミに手を突っ込んでくれた彼に感謝している。


本日の1曲
Pretty, Pretty Star / Billy Corgan


番外コラム

約1か月前、そもそもblogがなんなのかもよくわからないまま勢いで始めた黄昏コラムのカウントが1000を超えた。今月に入ってカウンタを設置してみたが、毎日その数字の推移を興味深く眺めている。

管理画面にログインすると、検索エンジンで何を検索して自分のblogに辿り着いたのかわかるのだけど、中には(こんなの書いたっけ?)的な検索ワードもある。「U2 ホテル 会う 2006」で検索した人は今度来日するU2のメンバーの泊まるホテルを調べていたはずで、きっと意図せずここに辿り着いてしまった。iPodの話題で「U2」が登場する1/18の記事と、浅草の「ホテル」で両親と「会う」2/5の記事がひっかかったのだろう。
他のサイトで情報は見つかっただろうか、と少し気に掛けてみたりする。

そっと誤字・脱字を指摘してくれる人や、メールで感想を送ってくれるシャイな人、旦那さんと共にページを眺めてくれる人や、毎日アクセスしくれる人もいる。どうもありがとう!
今までインターネットを利用するだけでそこに参加することはなかったから、発信側にまわって1000ヒットを数えたことは素直に嬉しい。

普段よく会う人たちも、そうはなかなかいかない人たちも、このblogで繋がっていられるとしたら立ち上げた意味は大ありなのだ。


極東の巣窟

今日初めてドンキホーテ中野駅前店に入店した。関東近郊にお住まいの方ならばお馴染みの激安の殿堂である。多くの人は一度は入店したことがあるのではないだろうか?

中野在住の友人は入店してすぐサササとエレベーターのある場所に向かった。『6階行く?』6階もあるのか!とおののきながら待つその空間がなんと狭いことか。そもそもエレベーターの位置が売り場に埋もれていてパッと見ただけではわからない。店内にベタベタと貼られたチラシ群やファンシーな携帯のマスコットなどを無駄に眺めながらエレベーターを待つ。

安売りをアピールするシールがてんこ盛りの商品を眺める。店内はさながら祭りのようである。(田舎出身者はよくこの表現を使う)衣類売り場にはメイド衣装を売るコーナーまであった。中野は秋葉原、池袋に続くオタクTOWNであるらしい。

しかしながら店内はものすごい騒音である。ラジカセからは本来趣味の良いミディアムテンポの音楽が爆音でかかっている。極東の激安の殿堂でパワープレイされることになると彼は想像しただろうか。しかも彼の美しい歌声はたまに音飛びする。

階段で下階に降りると日用品コーナーに辿り着いた。やっと現実的な商品に巡り会いホッとする。
するとまたしても彼女はサササとデンタルケアグッズのコーナーに移動した。非常に熱心に商品に見入る彼女を横目にドイツ製デンタルペースト、settimaを手に取る。これ使ってみたかったんだよナ。
彼女は頼んでもいないのにホワイトニングアイテムを数点手に取り、やや一方的に「買ってやる」と言い放つ。それは最近彼女がホワイトニングに目覚めたからなのか、それとも彼女なりの警告なのか真意は不明だがおとなしく買ってもらうことにする。

以前住んでいた小平市にもドンキホーテがあった。その建設前、付近で建設反対の看板をいくつも見かけた。深夜営業の店舗は若者の溜り場になり騒音も迷惑だ、という理由なのだろう。
一方大学生で暇を持て余していた自分は(早く出来ないかナー)と開店を心待ちにしていた。当時の暇つぶしスポットはコジマ電機とカメラのキムラヤ、レンタルビデオのGEOだった。その一帯を勝手に「小平のメガロポリス」と呼び、店舗のはしごをしていたのだ。

そして数カ月後ドンキホーテがオープンした。開店後数日してからメガロポリスに出掛けると、ものすごい人混みである。反対していた住民は本当にいたのか!?と思うほどの盛況ぶりにやはり祭りを連想する。

国分寺には「ピカソ」という店があった。店構えはドンキホーテとほぼ同じ系列店であるが、なぜ店名がピカソなのか?周りの友人も誰も知らなかった。24時間営業している駅近くの店舗は居酒屋の帰りの日用品の買い物に重宝した。よくゴミ袋や洗剤を購入したものだ。

自分の思い浮かべるドンキホーテ的アイテムの最たるはヒョウ柄の座椅子だ。できればピンク色が好ましい。まったく節操のないヒョウ柄と座椅子という日用品の組み合わせは、この上なくドンキホーテ的である。


本日の1曲
This Love / Maroon 5