Archive for the '黄昏コラム' Category

嘘の代償

越してきた当初、自分の原付バイクをこっそり隣のマンションの駐輪場に置いていた。現在住むマンションには駐輪場が無い。駅に近いこの物件であまり乗る機会も無く、そのまま数ヶ月ほったらかしにしていた。

ある日、近所のバイク屋にメンテナンスに出そうと思い、駐輪場へ行くとバイクが無くなっていた。TOMOSはエンジンキーが無く、自転車と同じようにチェーンで施錠するしかない。ロックされている方の車輪をスケボー等に乗せれば簡単に移動させることが出来るために盗難されやすいバイクだ。だから真っ先に(盗まれた!)と思った。

暗澹たる気分で交番に行き、ナンバーや車体の特徴などを伝えて盗難届の書類を作成した。交番を後にして数十分後に携帯に連絡が入った。『レッカー移動されて杉並警察署にあるみたいです。』もう半分諦めていたので飛び上がるほど嬉しかった。なぜレッカー移動されたのか考える余裕は無く、ただ所在が明らかになって安心した。

タクシーに乗り込み警察署に向かう。まず受付でレッカー代を払わされた。なぜ駐車違反を取られたか腑に落ちなかったが5千円を支払った。
『どこにあったんですか?』と聞いたのが間違いだった。受付氏は不思議そうな顔でこちらの話を聞く。そして中年の婦人警官を呼び出した。そこでバイクを違法駐車した覚えがないことを説明すると受付横にある応接セットに案内された。

面倒なことになったが、正直に話すまでだ『最後にバイクを触ったのは数ヶ月前で、もちろん公園の脇に駐車したことなど一度も無い。』婦人警官は白い紙にボールペンで供述を書き留めた。こちらを射るような強い眼差しで、彼女の顔筋は緩むことを知らないようだった。バイクは公園脇にカバーが半分めくれた状態で放置されていたということをそこで初めて知った。
彼女はたびたび席を離れ、先程の交番と連絡を取り始めた。幾度も電話とソファの間を往復し、仲間の婦人警官と小声で話をしていた。

実は最初に交番に行った際、隣のマンションの駐輪場に置いていたことは伏せていた。ビルの間の路地に駐車していたと嘘をついてしまったのだ。それは後ろめたい自分の行動をごまかすためのとっさに出た嘘だった。交番からの報告でそれを知った婦人警官は疑いの目で自分を見始めた。この嘘のせいで全ての信頼を失うことになる。『貴方を信じてたのに。』と無表情で婦人警官は言い放った。

それから二人の中年の婦人警官の事情聴取が始まった。
最後に駐車した日付と時刻(何時何分まで)、駐輪されていたのは何台か、駐車した時壁から何センチ離れていたか、バイクと両隣の自転車との間隔は何センチあいていたか、駐輪の間隔は何センチだったか、自転車やバイクの種類(色や形、カバーの有無)、駐輪の正確な位置関係(何センチ間隔で駐輪されていたか)。
駐輪場の図を書かされ、ものすごい量の質問を次々とぶつけられた。そしてその質問のほとんどが普段気にもとめない細かい事象についてだった。図を書き直したり数値を言い直すと『さっきと違うわね!』とものすごい形相で睨まれた。数ヶ月前の日常の記憶をセンチ単位で正確に思い出せるわけがない。しかしそれを訴えたところで脅迫的な眼差しは変わらない。『警察はね・・・、徹底的に調べるのよ。』何を言っても反論される。最早こちらの話は全く信じてもらえない。その高圧的な態度の前に無力だった。

彼女たちは駐輪していたマンションに入っているテナント全てとその物件のオーナーと不動産に連絡を取っていた。”そのようなバイクは見たことがない”、”動かした覚えは一切無い”というのが彼等の共通の回答だったようだ。そしてその回答を自分に叩き付けた。数ヶ月の間駐輪していたことを証明する人すら居なかったのだ。

二人の婦人警官の間では、駐車禁止のペナルティーを逃れるために盗難に見せかけ、交番に行って盗難届を出したというストーリーが完全に出来上がっていた。馬鹿げたシナリオに驚愕し、声も出ない。バイクが無くなっていることに気付き、どれだけ自分が動揺したことか?けれども弁解したところで『貴方は最初に嘘をついたから』と冷たい視線を投げつけられるだけだった。

最初についた嘘のせいで一切の信用を得ることが出来なくなっていた。普段の自分の行動や思想は何の役にも立たなかった。
悔しくて涙が出た。静かに泣いたわけではない。号泣しながら事実を訴え続けた。『確かに交番で嘘をついた。しかし警察署に来て嘘はついていない!』と叫んだところでまるで状況は変わらない。職員や来訪者も入り口脇のこちらの問答を奇異の目で見ている。精神錯乱状態の若者が喚き散らす文言に呆れかえる婦人警官、という風に見えていたはずだ。はっきり言って絶望的な気分だった。こうやってえん罪は生まれるのだとさえ思った。

その問答は二時間以上繰り返された。精神的疲労でぐったりしていた。『じゃあ今回だけ特別に貴方の話を信じましょう』と言う婦人警官に、最早頷く気力も無い。誓約書にこの一日に起こった全てのやりとりを何枚にも渡って書き、最後は謝罪の言葉で締めくくった。最もこちらは婦人警官に言われたことを書いただけだ。”警察署長様、二度とこのようなことは致しません。”
泣きながら誓約書を書く自分にこれみよがしに「何かあったらまた来なさい」等と言う。悪いがもう二度と会いたくない。

帰宅してからも部屋で泣き続けた。もうバイクを見るのも嫌だった。その数日後に業者を呼び、実家にバイクを搬送してもらった。
あれ程自分の発言が空回りする様は人生で二度目の体験だった。いくら声を荒げても相手の心には何も訴えない。それはとてつもなく恐ろしい。

交番のおまわりさんに嘘をついてしまったことを今でも反省している。しかしながらあの二人の婦人警官が自分に向けたあの脅迫的視線は一生忘れることはないと思う。そうして見事なトラウマを残してくれた杉並警察署であった。


本日の1曲
A Certain Shade of Green / Incubus


ソフトケース化のススメ

2日前にコラムをアップした後インターネット検索で『フラッシュ・ディスク・ランチ』なるものを発見。普段タワーレコードを利用している人ならピンときたのでは?レジ横にて販売されているそのCDソフトケースは収納に頭を悩ませる人々の救世主。プラケースから移し替えることによって厚さが3分の1になり「収納効率何と3倍!」と謳っている商品だ。

ユーザーのリアクションをネットで見る限り好評の様子。タワーレコードに集まる人々が所持するCDは数百枚、数千枚に及ぶはずで、レジ横に大々的に商品が積まれている理由も理解できる。いくら部屋の片付けをしてもなんとなくいつもCDが散らばっている我が家。片付けても積み上がるばかりで収納しようにも棚にスペースが無い。これは導入する価値がありそうだなと好感触。

月曜の夜に休日前の買い物よろしく新宿のタワーレコードに立ち寄った際に試しに購入。50枚入りで1セット1890円(税込)。試しにというわりに2セット購入。きっとやり出したらハマって明日の休日も買い出しに来る、という自分の性格を充分に考慮した賢い選択である。

さて、帰宅して作業を開始する。歌詞カードを抜き、CDを取り出し、背面のCDケースをバキッと外し裏ジャケを取り出す。塩ビケースにそれぞれを移し替え、最後に脱落防止のフタを内側に折り返して一丁上がり。うむ。見栄えも悪くない。塩ビケースは一般的なものより厚みがあって安っぽくないし、フタがあるのもきっちり仕舞った感があってよい。
さっき買ったばかりのCDはちょっと移し替えるのがもったいない気もするけれど、一気にやる。鼻歌をフフンと歌いながら作業は進む。はっきり言ってかなりハマってしまった。

今日の昼間もその作業に費やす。これが全く飽きない。歌詞カードに挟まっているとっくに終わったツアーのチラシや購入者アンケートのハガキを眺めて感慨に浸ったり、これインディー時代のレア盤じゃん!などと興奮しつつ手先を動かしているとあっという間に(実は数時間経過している)100枚の移植が終了。

手前が通常のプラケース16枚。奥がソフトケース50枚。うむ。かさは3分の1になった(満足)。年季の入ったプラケースはバキバキに割れていたりショーユなのかコーヒーなのかよくわからないシミが付いていたり結構汚れている。真新しいソフトケースに移し替え心も晴れ晴れ。紙ジャケ的なビジュアルにも満足。愛着が増した気さえする。

むずむず。どうしてもこの続きをやりたい。明日の仕事帰りに寄ればいいじゃないか、と言いたいところだがやり出したら止まらない性格なのは自分が一番よく知っている。昨夜の決断虚しくやむなく総武線で新宿タワーレコードへ向かう。
しかしながら休日にタワーレコードを散策するのは非常に楽しい。たっぷりと視聴の旅を楽しんだ後、フラッシュ・ディスク・ランチをさらに2セット購入。

鼻息荒く帰宅し作業再開。現在150枚の移植が終了し、そして150枚分のプラケースは45リットルのゴミ袋いっぱいになった。嗚呼、快感。

『背表紙フェチ』を公言しておきながらその収納方法には常々頭を悩ませていたのだ。プラケースに比べると背表紙は見にくくなったが、今は(洋邦問わずあいうえお順に並べようかな)、(やっぱインデックスつけなきゃな)と完全にソフトケースの虜になってしまった。

今度はCDを収納する箱的なものを模索中である。インターネットで商品を調べ、表示されている収納可能枚数を3倍してニヤリと笑っている。


本日の1曲
Seasons and Silence / Comeback My Daughters



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3/20 『背表紙フェチシズム


背表紙フェティシズム

休日の前の日は買い物が楽しい。購入した商品に休日の楽しみが約束されたような気分になる。ついついブックファーストやタワーレコードに吸い込まれてしまう。文庫本を買い、CDを買い、新書に手を出し、普段はあまり縁がないマンガを買い、時には奮発して写真集を買ったりする。

そうして我が家は書籍やCDが週ごとに増える。本来そういう超個人的文化遺産を買い集めるのが好きで、モノを捨てることが苦手だ。したがって生活しているだけでモノが増える。

それらのフォーマットも様々な為になかなかうまく整頓出来ない。我が家には文庫本用、CD用、単行本&マンガ用、雑誌用とそれぞれにラックがあるが最早その知的財産は収まり切らなくなってきた。広めの部屋を選んでいるつもりでも、これ以上棚が増えたら壁面が埋まってしまう。スペースが無いとライブラリになってしまう恐れがあるので棚は増やしたくはない。

しかしながら実のところは背表紙フェチである。おうち大好きなインドア人間の自分は、部屋で音楽を聴きながらネコ氏と戯れ、棚に並ぶCDや書籍の背表紙をぼんやり眺めるのに幸せを感じてしまう。「好きなものに囲まれている感」がたまらないのだ。

作家毎に色の分かれた文庫本の背表紙やこれまた色とりどりのCDジャケットの背面ロゴを眺めていると何とも言えない満たされた気分になる。

だから出来る限り目に見えるところにモノは置いておきたい。学生時代に買ったCDラックは連結できるのがウリだったのだけど、いつの間にかどこの店でも商品を見かけなくなってしまった。もっと普遍的な商品を選ぶべきだったのだ。最早CDは部屋に散乱している枚数の方が多い。

何故か昨年末あたりから我が家のネコ氏はコンポのデッキの上で寝るようになった。暫くしてそれが温かい為であることに気付いたのだけど、ネコ氏がコンポの上にピョンとジャンプする度にCDがガシャガシャッと落ちる。それで目が覚めることだってある。

遊びに来た友人氏に「どうやって寝てるの・・・?」と控えめに驚愕されたことがある。これだけ頻繁に訪問しておきながら「いつも気になっていたけど聞けなかった」そうだ。
なるほどベッドの上には本やCDが常に散乱している。寝る前には本や雑誌をめくり、聴いているグッドミュージックの歌詞カードを眺めたくなるのだ。そして目が覚めるとそれらは見事にベッドの下に落ちている。言うまでもないが、毎日その繰り返しである。


本日の1曲
Luna / Smashing Pumpkins


COOK and COOK!

幼い頃は毎晩のようにダイニングテーブルに集まった家族に料理を振る舞っていた。星形に切り抜いたこんにゃくに生クリームを乗せたり、ゼリーと味噌をあえてみたりした。それは子供のままごとをリアルな食材で実践するという暴挙だった。冷蔵庫から食材を選び、いろんな引き出しを開けながら日々前衛的なシロモノを創造していた。家族はテレビを見ながら我が子が運んでくる奇想天外な料理の数々を喝采してくれた。

18歳で上京するまで、家事を手伝ったことがなかった。ひとり暮らしを始めるにあたって特に危惧していたのは自炊だった。実家から持参した食器に、サラダを根気よく盛り続けた。「ひとり暮らしは野菜不足になりがち」というスリコミがあったのだと思う。毎日のように忠実にレタスをむしり、きゅうりをスライスした。そのうち友達が出来始め、体の半分くらいはファミレスの食事で生成されるようになった。

今のように頻繁に自炊をするようになったのは高円寺に越してきてからだ。これまで住んでいた家は近所にスーパーが無かったが、高円寺駅には24時間営業の東急ストアが隣接している。だから真夜中に思い立って買い物に出かけ、おもむろに料理を始めることもできる。2年前に24時間営業に切り替わった当時は真夜中のスーパーの需要にさして関心が無かったが、いつでも食材が揃うというのは思いの外便利であった。

ひとり分の自炊では食材が余る。そうして必然的に同じものを食べ続けることになるが、本来凝り性であるため飽きるまで同じものを食べ続ける傾向がある。過去にはぶり大根、ゴーヤーチャンプルー、ひじき煮、スパゲッティーボロネーゼなどにハマり、毎食数週間は食べ続けた。同居人がいれば気を遣うのだろうが、そうして同じメニューを食べ続けていても誰も文句を言わない。ちなみに自炊を始めてみて一番好きな野菜がネギだということに気がついた。

パスタの類は食べる分だけ作ることが出来るひとり暮らし向けのメニューである。もっとも簡単にできる納豆パスタを勝手に紹介させていただく。
『茹でた麺の上によくかき混ぜたひきわり納豆をかけ、温泉卵を乗せる。めんつゆを軽くかけて味を付け、最後に刻みネギをぶちまけて出来上がり』
最早料理と呼べるのかも怪しいスピーディーさであるが納豆好きには受け入れてもらえるメニューだと思う。フライパンで麺と納豆を炒める方法は部屋中にニオイが充満してしまうけれど(結構あとあとまで臭う)、この作り方ならその心配もない。納豆はやはり「ひきわり」が麺に絡んでおいしい。

当初は危惧していた自炊だが今ではそれなりにレパートリーが増え、毎晩何を作ろうかと考えるようになった。しかしながら友人達に料理を振る舞う段になると分量を間違えてへんてこな味になるのは、常にひとり分しか作らない独り者の悲しい性である。


本日の1曲
Heaven’s Kitchen / Bonnie Pink


想像力。

敬愛する表現者達の、そのまた敬愛する作家へとルーツを辿る道程は楽しみの一つである。例えば好きな小説に巡り会って、その作家の作品を全て読む。そしてその作家の敬愛する作家の作品を読んでみる。文中に登場する関連書籍をまた読んでみる。そうしていつまでもその好奇心の糸は途切れることがない。そしてまた最初に触れた作品に戻る道程に費やした時間にはとても意味がある。その道程にずるずると引き込まれていくのは心地のよい泥酔である。

敬愛する表現者達がどんな人物や事象から影響を受け今に至るか。そのバックボーンを知ることこそが面白い。自分にとっては偉大な表現者も、一個人であり自分と同じである。彼等の作品群はこの上ない親近感でこちらに語りかけてくる。

ライブには音楽を聴きに行くのではなくその生き様を目撃するために足を運んでいると言っても過言ではない。音楽の振動を体感しながら、集まったオーディエンスや彼等自身の想いを想像してみる。アーティスト達は自身の表現の可能性や、希望や、相反する無力さと日々対峙しているに違いない。そして自分と同じくその作品を支持し集まった大勢のオーディエンスにもそれぞれの生活風景がある。

想像することによって他人の存在を身近に感じることができる。そしてその想像の先にある何かに辿り着きハッとすることがある。最早その感覚は他人への感情ではない。

表現者達の発言に耳を傾けると、彼等がどんな経緯でその作品を発表しているかが手に取るようにわかる。そして歴代の作品に込められたテーマの一貫性を理解する。受け取る側の充分な想像力があれば不可能ではないが、目の前に差し出された作品だけで理解を得ることはやはり難しい。
作品は常に作者の心情を饒舌に語っている。だから出来る限り想像してみる。そうして敬愛する表現者達への好奇心はいつまでも尽きることがない。


本日の1曲
暗号のワルツ / ASIAN KUNG-FU GENERATION


トーキョー生活事情

NIPPONは世界屈指の物価の高さで知られている。タクシーは高すぎて頻繁に利用できないし、その辺のお店でランチを食べると1000円を超える。
23区内でのひとり暮らしは毎月の収入と支出のアンバランスに悩まされる。生活費は心がけ次第でコントロールできても、都内の家賃はやはり高い。

10年前に上京してから4件目のマイルームであるが、引越をする度に家賃は高くなっている。それは一定の広さを保ちながら都心に近づいているということであり、その便利さには代え難い。一般的には収入の3分の1程の金額がその個人に適した家賃の目安と言われているが、我が家の家賃をを3倍すると月給を超える。古い建物ながら駅から近いせいで賃料は一丁前だ。

物件を借りている限り、月末の家賃の振り込みイベントは避けられない。他行宛の振り込みは一定の手数料がかかる。引越当初、振込手数料を検証するためにオーナーの口座のある銀行の支店に行き、現金で振り込んでみたことがある。手数料は幾分安いかもしれないが家賃分の紙幣が金額がATMの機械にスッと吸い込まれていく様をポケッと見ているのは虚しい。このお金があれば新しいMacintoshも、ルイガノのクロスバイクも買えるのに・・・といたたまれない気分になる。きっとマヌケ面でATMを眺めていたはずだ。
その後は手数料云々を考えるのはやめ、心を無にして口座から口座へと機械的にマネーを移動するようにした。家賃とは、東京に住んでいる限り自由への代償として割り切らなければならない支出なのである。

電気、ガス、水道、電話、携帯電話、ケーブルテレビ視聴料、プロバイダ使用料、各種クレジットカードの請求、通勤定期代。仕事の合間に飲むカフェラテはやめられないし、野菜の価格が高騰していても野菜炒めを食べたい日もある。日常的にシビアに節約しているわけではないので支出は一向に減らない。自分にとって書籍やCDの購入は大事なイベントであるのであまり我慢するということがない。そうしていつまで経っても経済的余裕を得ることが出来ないでいる。

NIPPONの中心のトーキョー・シティにひとりの若者が住むということは金銭的サバイバルと言っても過言ではない。もはや自転車操業は日常茶飯事だ。それでも東京の空気を求めている。東京の文化と、その空気感に支えられて早くも人生の3分の1以上を東京で過ごしている。


本日の1曲
In This Home On Ice / Clap Your Hands Say Yeah


捨てられない症候群

人々はモノの捨て時期をどう見極めているのだろうか?この部屋の押し入れには2年前に引っ越してきてから一度も開けていない巨大な段ボールがいくつかある。2年間開けていないということはおそらく段ボールごと捨てても生活に支障はないということだ。しかしながらいつか使うかもしれないと思うと捨てられない。第一その段ボールの中身を開けてしまったら丸一日が片付けで潰れてしまう。

捨てられないモノの最たるは書籍である。大学時代に買い漁った文庫本や単行本、小説やエッセイは捨てることができない。元から捨てる気がないとも言える。自分にとっては重要指定文化財に相当する。追加で買った棚も次々と埋まってゆく様を眺め、数ヶ月に一度雑誌類を選考にかけ、選考に漏れたものを渋々捨てる。しかしながら『Esquire』や『STUDIO VOICE』はやっぱり捨てられない。一度10年近く前のモノを集めて紐でくくってみたが、やっぱり捨てられずそのままになっている。

下着や、靴下の類の捨てるタイミングがわからない。果たして人々は脱いですぐに捨てているのだろうか?さっきまで身につけていたモノをポイとゴミ箱に捨てるのはなんだか抵抗がある。生ゴミなんかと一緒に捨てるのは妙な感じがしないだろうか。そして洗濯をしてから捨てようと思い、洗濯機に投げ込む。干す。風呂上がりについつい身につけてしまう。そうしていつまで経っても捨てられなくなる。糸がほつれていたり、ゴムが伸びていても身につけられないわけではない。

この間、自分の履いていた靴下のかかと部分に穴が開いていた。明らかにそれは履きすぎによって擦り切れていた。五本指ソックスを気に入りすぎるきらいがある。穴に気付いた時はひとりで赤面するほど恥ずかしかった。指ならまだしもかかとが擦り切れたのは初めてだった。すぐに履き替えたい衝動に駆られたが案の定仕事中だった。帰宅してからすぐに脱いでゴミ箱に捨てた。今回こそは輪廻を逃れなければいけない。

この上無くコンフォータブルなパンツに出会い、トイレに入った際にタグを見るとユニクロのロゴが入っていた。(へぇ、ユニクロも結構やるじゃん)と用を足したのだがよくよく考えてみるとユニクロで下着は購入した覚えがない。きっと誰かのパンツを履いてしまっている。ひとり暮らしの我が家に泊まっていった誰かのパンツである。ちょっとした戸惑いを感じながらもそのパンツもまたいつしかその輪廻に飲み込まれていった。数回洗濯を繰り返せばもはや自分の持ち物である。

ある作家はレコードの収集家で、自宅のオーディオルームには何万というレコード盤が眠っているそうだ。そこで彼は時々自分の年齢を考えて(死ぬまでに聴くことはないだろうな)というレコードに見切りをつけて大胆に処分するらしい。それまたすごい心境でまだまだ真似できそうにない。
だからモノが増が増え続ける。日々こんなにゴミを廃棄しているのに膨れあがるばかりの我が家である。


本日の1曲
JUMP / 真心ブラザーズ


ヨコハマ・トルネード

友人が鎌倉に引越をした。その友人のナビゲートで横浜に赴いた。最後に横浜に行ったのはまだ静岡に住んでいた高校生の頃だ。上京してからは縁がなく、ちょっとした小旅行気分で横浜に向かった。昼間から街を散策するなんてヘルシーだ。横浜駅で待ち合わせをした友人と中華街を目指す。

海兵達のパレードでごった返す通りを抜けると中華街に出た。中国人のあまりの素っ気なさに喝采しつつ、店を出て山下公園まで歩く。ずっしりとした首都高の高架が頭上に走り、ベイブリッジが遠くに見える。こういう海の近くの大雑把な風景がとても好きだ。

土曜日の山下公園はとても賑わっていた。海の見える芝生の上で昼寝をする人やベンチに腰掛けて読書をする人もいた。自宅から歩いてここに来られる人はきっと休日を有意義に過ごせる。海を眺めるのは静岡に帰省した時くらいなものだ。そして普段の自分の休日のインドアぶりを思い出し彼等を羨ましく思った。

若者のグループが円になって歌を歌っていた。アコースティックギターの音も聴こえる。彼等は50人ほどの大円団で、しかも曲目は吉田拓郎の『落陽』だった。なんの集まりなのかが非常に気になった。そして久々に聴くメロディーにこちらもフフンと鼻歌で参加しながら海っぺりを歩く。

大型船の前でハンドマイク片手に歌謡曲を熱唱している女性がいた。バブルをタイムリーに経験したであろう年齢の彼女は超ミニスカート姿で茶色い髪を振り乱し、アイドル的な微笑みを振りまいている。脇には立派なスピーカーが据え付けられていて無許可でやっているような雰囲気はない(横浜市公認のアイドルなのだろうか)。その場にいる大勢の人は好むと好まざるとに関わらずその歌を聞くことになる。彼女の写真を撮っているおじさんや彼女の近くで突っ立っているおじさんがいた。ファンなのだろうか。大多数の奇異の目に臆することもなくアイドルは溌剌と歌い続けていた。

ビルの合間に見える観覧車は横浜のランドマークだ。存在は知っていたが実際に来ることは初めて、という場所のオンパレードにテンションが上がる。コスモワールドは見事な都市型遊園地だった。夕暮れのビル群にアトラクションのイルミネーションが鮮やかだ。
アトラクションはどれも空いていてすぐに乗ることが出来るのもいい。目の前にくねくねと螺旋を描くピンク路の線路を見やり、ジェットコースターに乗ってみることにした。
そそくさとチケットを購入し階段を上がる。見下ろすとそのピンク色の線路はプールの真ん中の不気味な穴に突っ込んでいる。どうやら地上からこの穴めがけて突っ込むようだ。見なければよかったと焦る。ギブアップ寸前の友人氏を必死に丸め込み搭乗した。荷物をロッカーに預け、帽子を脱ぐ。

ゴトゴトと最初の山を登り始めた。トワイライトの景色は確かに美しかったが、それどころではない。もう10年以上ジェットコースターに乗っていないせいで自分の高所恐怖症を忘れていたのだった。ゴゴゴ!!と急カーブの線路に豪速で滑り込む。車両の点検はちゃんと行われているのだろうか?もし車両が線路から離れてしまったら海に放り出されるよな?もう乗ったから仕方ないよな!頑張れコスモワールド!と次々に沸き起こる不穏な妄想を追いやる。

そして搭乗前に見た不気味な穴に向かって・・・落ちる!!グググイと安全バーに体を押しつぶされ思考が停止した。非常に、非常に恐ろしかった。考える暇もなく自らの人生にグッドバイを告げてしまったような瞬間だった。

そして恐怖から解放され、異常に饒舌になった我々は小一時間ジェットコースターの運転を眺め続け、他の客の絶叫を聞いてはユカイに笑った。

初めてに近い感覚で横浜の街を探索した充実した休日だった。そして思っていたよりも横浜の街は多彩であった。湘南新宿ラインを使えば、新宿〜横浜間を30分で移動することが出来る。行きも帰りもウトウトしている間に到着してしまった。人々が便利だと賞賛する路線なだけはある。そして次回はまた違うアトラクションに乗ってみたい、と懲りない自分である。


本日の1曲
KILLER TUNE / ストレイテナー


ひとりっ子は雨ニモ負ケズ

ひとりっ子は遊びにも工夫がいる。天気の良い日は友達と集まって公園の遊具で遊んだり自転車レースをすることが出来るが、ドンヨリとした雨の日には家で時間を潰さなければいけない。幼い頃は様々なひとり遊びで雨の日をしのいでいた。

ひとりジャンケンはシンプルでありながら難易度が高い。始める前は頭の中を真っ白の状態にしなければならない。正しくグー・チョキ・パーを出すのにもコツがいる。勝ち負けの思考が片手に偏るのを防ぐためにまず目をつぶって精神を統一する。そして「ぽんっ!ほいっ!!」と唾を飛ばしながら必死の形相で戦う(その声を聞いて子供の行く末を心配しただろう)。そしてそれぞれの手が勝った数を「正」の字で表にする。「やっぱり右手が強い」という結果にふむふむと妙に納得してみたりする。

父親が教えてくれたのはチェスだ。今ではすっかり忘れてしまったそのルールも小学生の頃には熟知していたと思われる。他にもオセロやドンジャラのようなボードゲームをプレイするときは盤を挟んで移動しながらそれぞれのプレイヤーになりきって策略を練る。それに相手側をプレイする時は先程練った「敵」の戦略を忘れ去る努力をしなければならない。小学生にしては高いハードルを課していたものだ。それはひとりぼっちの孤独なゲームだったが、何故かフェアプレイにはこだわりをみせていた自分である。

ひとりっ子だったせいか親は随分自分に甘かった。欲しいと言えば大抵のものは買って貰えた。当時はファミコン全盛期でプラスティックのボックスに収められたソフトの数は近所一の品揃えを誇っていた。学校から帰宅すると近所の子供が自分より先にファミコンで遊んでいることもあった。そして毎日何時間もゲームに興じていた。
今一歩の所で敵に敗れて記録が台無しになったりすると悔しくてしょうがない。我が家のコントローラーには悔しさの証の歯形がいくつも刻まれていた。

当時はひとりっ子の数は少なかった。周りを見てもクラスでひとりっ子の子供は数人しかいなかった。羨ましいわけではなかった。ただ、家族の中で一番歳の近い父親でも30歳近くの年の差があるということを当時もぼんやりと考えていた。
ある写真家が『僕は自宅にいても一人になりたくなることがよくあります。決して孤独が好きなわけではなく、むしろ寂しがり屋な方ですが、「自分の世界にこもりたい」というのは、一人っ子の典型的な行動パターンなのかもしれません。』とコラムに書いていたけれど、彼の言葉はひとりっ子の性質をよく言い表している。

そして周りを見ると東京でひとり暮らしをしている人は意外と少ないことに気付く。兄弟や親や友人と同居しているケースは多い。現実的な経済負担は大きいけれど、それでもひとり暮らしが快適なのはそんな理由もあるのだろうか。


本日の1曲
Big Me / Foo Fighters


時給580円

そのラーメン店は当時駅前にあった細長い作りの店だった。父親の知り合いが経営するその店には小さい頃から何度も訪れたことがある。「先生が来たら隠れな」と店長は気遣ってくれた。通っていた高校はアルバイト禁止だったのだ。偉そうにカウンターに座って新聞を読んでいて優しく注意され、実際にないメニューを厨房に向かって叫び苦笑いされることもあった。今も帰省すると親戚一同で訪れる。初めてのアルバイト体験をさせてくれた思い出深いその店舗も今は移転し立派な店構えだ。

次に選んだのはファミレスの厨房だった。皿洗いは新人の仕事なのだろう。次々に食べ終わった食器が目の前に積まれていく。ファミレスの食べ残しは驚くほど大量で驚くほど簡単に廃棄される。他人の残飯にまみれ冷たい水に手を突っ込んで皿を洗った。家事を手伝ったことがなかった自分には充分過酷だったが、厨房の片隅で途方に暮れていても店長に怒られるだけだ。スニーカーの底がすり減って穴が開く程必死に働いていたが辞めるときは何故か「留学することになったので」と嘘をついた。その後暫くはそのファミレスに近づくといちいち言い訳を考えた。

おそらく一番長い期間働いたのはコンビニエンスストアだった。今考えれば580円という法外な時給にも驚くが、田舎の町で高校生がアルバイトするところは限られている。当時の最低賃金はもう少し高かったと思うのだがわがままは言えない。

そのコンビニは神社の目の前という立地のせいで正月は時給が1300円に跳ね上がった。高校生には刺激的な金額だ。しかしその混雑は想像を絶するもので、レジの行列は店内をぐるりと囲み、一日中お客でごった返していた。我ながら迅速なレジさばきで次々にお客を片付けるが、一向に列は途絶えない。
鼻息荒く次の客を迎えるとニンマリとした表情の両親が立っていた。あまりコンビニに縁がない両親だったが、おにぎりやおつまみを抱えて満足そうだ。何もこんな忙しい日に様子を見に来なくてもいいのではないかと思った。こちらは絶賛テンパり中だった。

棚の下段に陳列された駄菓子は子供達の興味をそそるようだった。今やコンビニが駄菓子屋の役割もしているのだ。30円のお菓子を3つ買うのに1つずつ3度レジに持ってくる子がいた。くじやおまけがついていてどれを選ぶか悩んでいるのだと思っていたが、それが消費税の課税を避ける手段だと気付いた時は感心した。当時はまだ消費税は3パーセントだったので1つずつ買えば3円節約できる計算になる。こどもの知恵は消費税にも対応しているのだ。

あるおじいさんはいつも枝豆と小さなパックの牛乳を買っていった。夕刻に現れてゆっくりとレジの前を過ぎ、迷わずその2品を手に取った。枝豆と牛乳以外は買うことがなかった。毎回繰り返されるその行動で、おじいさんの顔をみると270円(くらい)の合計金額を連想するようになっていた。ひとりで食べているのかな、そうでないといいな、といらぬ心配をしたものだ。

売り物のアイスクリームをレジの陰に隠れて食べ、おでんのつゆに入った虫をおたまですくってこっそり捨てた。授業中にボールペンと定規で書いたバーコードを読み取ると「シャケ弁当」と表示され妙な気分になった。バイトが終わると一緒に働いていたクラスメイトの友人と賞味期限切れのお総菜をどっさり持ち帰り、電子レンジに詰め込んで温めて食べた。そうして稼いだ小遣いは放課後のドーナッツ代やCD代になった。

高校時代にした3つのアルバイトはどれも貴重な体験だった。当初の戸惑いが薄らぎ、環境に順応していく課程を実感できた。往々にして我々はある日社会にポンと放り出される。その度に(そのうち慣れる、大丈夫さ)とあの頃を思い出しては自分に言い聞かせている。


本日の1曲
青春狂走曲 / サニーデイ・サービス