Archive for the '黄昏コラム' Category

I’m a Day Dlipper.

以前からその友人氏が会社のボスに腹を立てているのはよく聞いていた。どうやら短気で、頑固で、癇癪持ちのようだ。入社して1年程経ち、大分ボスの扱いにも慣れてきたらしいが、その日もまた会社でいざこざがあったらしい。

その時、ボス氏は電話の相手に腹を立てていた。ガシャンッ!と受話器を置いた後、周りのモノに当たりまくり、彼女にも当たり散らした。他人に向けられた怒りが部下に飛び火する壮絶な職場である。日頃から彼女に同情している自分は熱心に話を聞く。
『もー!すごいトビッチリだったよ!!』
言いたいことは理解できるが、そこに頷き難い雰囲気が漂った。ボス氏の話で腹を立てている彼女には言いにくかったがそれはおそらく「トバッチリ」である。

ある時は思い出話に遠い目をして愛おしそうに彼女は言う。
『なんかセンチメタルだよねェ・・・』
なんだか感傷に浸る暇も無くせわしないギンギンのギターが聴こえてきそうだ。感傷に浸っている彼女には言いにくかったがそれはおそらく「センチメンタル」である。
彼女は「惜しい」発言が多い。それがどんなに怒れる話題でもその勘違いで笑い合い、深刻過ぎない雰囲気になるのは彼女の愛しい一面だと思う。

普段は指摘役の自分だが、実はこのBlogの副題も惜しい勘違いである。
先日ある友人氏がかしこまった様子で自分に問う。彼女の頭上にはハテナマークが踊っている。
『ねぇ「デイドリッパー」ってどういう意味・・・?』

そういえばなんとなく感覚的につけてしまったこのBlogの「高円寺在住のデイドリッパー、黄昏コラム。」という副題であるが、よくよく考えてみるとそんな言葉は存在しない。格好をつけた副題に満足していた自分は認めたくなかったがそれはおそらく「デイトリッパー(Day Tripper)」である。

「Day Dreamer」と「Day Tlipper」が混じってしまった。なんとなく音感に惹かれて深く考えもせずに決めてしまった。
その勘違いを認めざるを得ない状況にたじろぐ。指摘されて初めて自分の勘違いに気が付いた。
それを告げると彼女はすっきりした面持ちであった。ここ何週間か彼女はその疑問で釈然としない気分だった。しかしながら自分になかなか聞くことが出来ず、辞書を調べすらしたらしい。

しかしながら、辞書に載っていない言葉は格好良い気もする。綴りは違うが「ドリップ(Drip)」は「したたる」という意味もあって考えようによっては悪くない。
だから『Day Dlipper』は自分が生み出した造語だ!と言い切ることに決めた。

<新訳>
『Day Dlipper』という言葉は一般的には用いられない。誤用だと思う人もいるかもしれないが、これは完全に自分の作った造語であるから安心して欲しい。
勘のいい人ならお分かりかと思うが『Dlipper』とは「Dreamer」×「Tlipper」の意味である。
従って『ひねもす夢見がちな放浪者』という意味であり、『オノレとの対話(ここでいうコラム)にうつつを抜かしながら、人々の間を渡り歩く旅人』という解釈をしていただきたい。


本日の1曲
Scar Tissue / Red Hot Chili Peppers


カレッジ・デイズ

美術大学といえども一般教養は必修である。生物学や法学、民俗学。美大生は絵だけ描いていると思われがちだが実際はそうではない。結構大学生っぽい一面もある。
その頃、自分の興味の範疇に無いものを仕方なく履修していたに過ぎない。初年度から減退したやる気のまま、授業にもロクに姿を見せず年度末のレポートだけを適当にこなすという有り様だった。当然出席は足らず、当然単位を落とす。

美大の場合、一般教養と実技科目に単位は二分されている。前者は講堂での講義、後者は科ごとに与えられた教室での作業だ。それぞれが規定の単位を満たしていないと進級できない。講義では出席数とレポートやテストの優劣が判断の基準になるが、モノづくりの分野においては余程適当な作品を提出しない限り、単位が貰えないという事態には陥らない。

ところで、“余程適当” な作品を提出したことがある。
それは入学して間もない「彫塑」の授業でのこと。与えられたお題は確か「階段」であったと思う。まずそのイメージをデザインし、立体物を作製、型を取って石膏を流し込み、磨き上げる。
課題に真剣に取り組むクラスメイトを横目にいつものように友人氏と教室を抜け出し、つなぎ姿で構内をウロウロ、たばこプカプカ、食堂でモグモグ。課題に取り組もうという姿勢が皆無な我々であった。

そのうち作品の提出期限が迫り、クラスメイト達は作品の仕上げに取りかかり始めた。今急いだところで作品の完成は不可能である。そしてまたしても校内を放浪していた我々が見つけたものは、他の科の校舎のロッカーの上に無造作に置かれた石膏の作品だった。長い間そこに放置されていた様子でゴミのように放ってあったが、サイズも材質もぴったりである。そして抽象的な解釈をすれば課題からかけ離れているというわけでもない。(抽象的な解釈が許されるのは美大の利点である)
その物体を見上げ(これでよくネー?)という空気が我々を包む。

そして工房に他人の作品を持ち帰り、水道で汚れを洗い流し、さも自分の作品であるかのように提出した。それは皆の作品に比べて不自然に色がくすんでいた。そして驚くべきことに1年生の成績でその作品だけが「良」の判定だった。自分で製作したその他の作品は「可」であったのに。

心を入れ替えるでもなく、そのままだらだらと学生生活を過ごしてしまったせいで卒業間際で皺寄せがきた。
本来ならば卒業を目前に控えた1月、学生生活課に張り出された「卒業予定者のリスト」に自分の名前はなかった。そのまま大学5年目の生活に突入し、週に一度だけの授業に仕方なく通った。

あの無気力な状態はもうやってこないだろうか?時間に追われているわけではないけれど、今は決まった時間に仕事に出掛け、給料を貰って生活している。相変わらず時間の使い方はうまくはないが、曜日感覚を喪失するような生活でもない。しかし、今大学生に戻ったとしたらやはり同じような時間を過ごすような気がする。

今思い出してもあの時間の過ぎようは貴重だった。
カフェテリアにポケっと座って食べた紙皿のパンケーキを思い出す。昼間にパンケーキを食べることも今ではなくなってしまった。


本日の1曲
Stop Whispering / Radiohead



——————————-
>>connection archive >>
3/2 『ハイスクール・デイズ
2/15 『クールなキッズには時間がない


ノン・クレーマー

まだ大学生だった頃、宿泊したホテルから荷物を送ったら、両親の荷物が東京の自分のアパートに届き、自分の荷物は遥か静岡の実家に配達されてしまったことがある。本来であれば怒って然るべき事態である。

母親はホテルに電話を架け、我が家にも連絡が来た。
ホ氏:『この度は多大なご迷惑をお掛け致しまして、大変・・大変申し訳ございません。』
自分:『・・・あー、いやいいんですヨ。』
ホ氏:『taso様のお宅へお詫びに御伺いさせていただきます!』
自分:『うちにですか!?』

当時住んでいたのは東京郊外である。都心からわざわざ謝罪のためにやって来るという。幾度も断り続けようやくホテルマン氏の気は済んだようだ。
『人間、間違いはありますから・・・ネ。』と自分のような若造になだめられるホテルマン氏であったが、それはさすがサービス業!とこちらを感心させたエピソードであった。(後日そのホテルのサービスチケットが届いたが、あれはどこにいってしまったのだろう?)

先週インターネットでベッドシーツを注文した。紫と赤とクリーム色が鮮やかな3色のファブリックを一目で気に入った。自分にとっては理想的な配色のシーツの配達は待ち遠しい。
1週間後、到着した商品を開封すると、マルチボーダーのシーツが現れた。今は望まれていない緑やカラシ色も鮮やかに。最早それは「イメージと違う」というレベルではなく明らかに商品が違う。
思うに前シーズンの写真をそのまま掲載していたためのミスだ。楽しみにしていただけに落胆も大きい。返品するのも面倒だし、注文が入ってから縫製するためまた待たされるであろう。

釈然としない気分だったがシーツを洗濯機に放り込み、店舗にメールをする。ネットショッピングで商品画像の掲載違いは致命的なミスだ。
『先程、注文した商品が届きましたが、掲載の画像と異なっています。〜(中略)今後このようなことがないようにお願いします。』

商品に同封されていた挨拶状には店長の写真入りだ。写真を見てしまったせいもあってきついクレームを言えなくなる。分量は少ないが好きな紫色も入っていないわけではない。数時間後に謝罪のメールが届き、買い物の失敗は頭の隅に追いやることにした。

翌日、その店舗から携帯に留守電のメッセージが入っていた。『誤ってセミダブルサイズの商品が発送された可能性があります。』
思わず『おいおい・・・』と声が出る。柄の次はサイズ違いか。

まだ新しいシーツに取り替えていなかった。帰宅後確認するとやはりセミダブルサイズであった。今度こそは頭から湯気が出そうになる。しかし電話したところで平謝りされるだけだ。メールで報告をする。
早急に商品を発送し直すというメールが来て、本日帰宅したら宅急便の不在表が投函されていた。ここ何日間シーツが取っ払われたベッドに寝ている。もうサイズがあえば柄は妥協だ。

明らかに相手のミスだと思われる事象に対してもクレームを言うことが苦手だ。もっとも、ミスは時間が経てば帳消しになるが、その後のフォローで如何でその企業に対するイメージは変わる。利用する前よりもイメージが良くなることさえある。
だからそのホテルの宿泊を避けることはないが、地方の布団店には気をつけなければならない。


本日の1曲
All I Wanna Do / Sheryl Crow


バルセロナ発、中野着、papabubble。

昨夜中野の友人宅に向かう途中でそのお店を発見し、どう見ても視線が釘付けになっている自分に『アメ屋さんなんだヨー。たまにネ、飴伸ばし・・・』と説明する友人氏を半ば置き去りにして鼻息荒く入店。・・・飴!?
一見何のお店かわからない外見のその店は『papabubble』というキャンディー専門店だった。

ドアの右手には大きな作業台があり、棚には瓶詰めされたキャンディーが陳列され、壁にもビニールのパッケージに入ったキャンディーが20種類程。全てお店の鉄板の上で作られた手作りキャンディーであるようだ。
ダウンライトのムーディーなスペースににはradioheadが流れている。飴屋にあるまじき佇まいである。あまり広くない空間だが、たった一つ置かれた商品陳列棚とキャッシャースペースがあるだけでその他の無の空間が雰囲気を醸し出している。

閉店間際の21時近くの入店だったが店内には我々のほかにお客さまが3名。おばちゃん2名とおじちゃん1名。
そしてよく見るとただの飴ではないことがわかる。ストライプやフルーツの絵が非常に精密に施されている。そう言えば先日行ったDEAN&DELUCAでこのキャンディーを見た。手に取ってまじまじと見つめたそのキャンディーはここ中野の店で作られていたのだった。

おばちゃん方は『こないだはネー、赤いの買ったのよォ〜』と地域住民もお気に入りの店のようである。『おいしかったわよッ!』と嬉々としているおばちゃんの意見を参考に購入を決める。商品には値札がないが、コソコソ値札を確認するのは結構恥ずかしい。洋服屋で袖の中に手をつっこんで値札をまさぐる行為が苦手である。そしてこのなんともお洒落なキャンディーは心配した程の値段ではなかった。

これは友人氏へのちょっとしたプレゼントに最適。キャンディーの中に文字を入れてくれるオーダーサービスもあるらしいから、おめでたい時には大々的にキャンディーを配りまくるのもいいかもしれない。あー、やってみたい。
今日は一目で虜になったキウイのキャンディーを友人氏へのお土産に購入した。色味も、種のつぶもキウイそのものである。不揃いな長さにもなんとも味わいがある。

帰宅しホームページを見るとどうやらこの店はのバルセロナにヘッドオフィスがあるらしい。・・・バルセロナ!?そしてアムステルダムとトーキョーに店舗があるらしいがトーキョーの店舗が何故、中野の商店街の中にあるのだろうか。そのいきさつは興味をそそる。むむ。
運が良ければキャンディー製作の実演も見ることができるようで、既に次回の来店を目論んでいる。


本日の1曲
Her Voice Is Beyond Her Years / Mew



<papabubble>
中野区新井1-15-13(薬師アイロード内)
03-5343-1286
tue – sat 10:30am to 9:00pm
sun 10:30am to 7:00pm
on monday closed 
Yahoo! Map

——————————-
>>connection archives >>
4/6   『食をデザインするDEAN&DELUCA


打ち明け話

皆でお揃いの黄色いTシャツを着て大きなリュックを背負い、大井川鉄道のSLに乗り込む。それは小学5年生の夏のキャンプの記憶だ。数十人の小学生がそれに参加していた。世話役の少数の大人と、地元の高校生が同行した。おそらく青年会議所が主催したそのキャンプには「わんぱく合宿」という名前が付けられていた。

はんごうでご飯を炊き、大きな鍋でカレーを作った。まな板の上で野菜をぶつ切りにしていると知っているおじさんがやってきて『いつも手伝ってるっていうのがわかるナァ!切るのがうまい!』と周りの人々を捲し立て自分を褒めたが、料理の支度など手伝ったこともなかった。何を根拠にそんなお世辞をいうのか(大人って結構いい加減だな)と思ったのを覚えている。
何かレクリエーションがあったかもしれないが、そのキャンプで行われた細かなイベントは思い出せない。

夜は、川岸にテントを張ってそこに泊まった。ひとりで川岸に腰掛けてぼんやりと川を眺めていた。用意されたライトの光もここまでは届かない。背後ではガヤガヤと人の声が聞こえる。すると、ひとりのお姉さんが歩いてやってきた。彼女は隣に腰掛けた。

ひとりで川岸に座っている間、何を考えていたのかは思い出せない。しかしながらこの時、彼女とした会話はよく覚えている。それは、初めて家族の悩みを他人に打ち明けた日だった。

彼女は後に自分が通うことになる島田高校の学生だった。身なりはさっぱりしていてストレートの髪を肩の上で切り揃えていた。皆と同じ黄色のTシャツにジーンズを履いていた。そのお姉さんは清潔な感じのする美人で好感を持った。

小学生の世界は狭い。近所の幼なじみと、学校のクラスメイトと、家族だけだ。抱えている悩みを一度口にしてしまったら今まで取り繕ってきたことが台無しになってしまう。それまで誰かに対して心を開くということが無かった。兄弟もいず、学校の先生は片親の自分をひいき目で見ている気がした。

ボソボソと話をしている間に、握った石は次々と乾いていった。そしてまだ濡れている石を探してはそれを握るのを繰り返した。乾いていく石に自分の心の動揺を感じてそれを悟られまいと必死だった。
お姉さんは話を静かに聞いてくれた。そして話が終わると「行こ。」と言い自分を皆の輪に連れて帰った。

その後高校2年生になるまで家族の悩みを誰にも話すことはなかった。
その時、自分に向けて語り始めた彼もまた、その重大で彼を苦しめ続けていた悩みを他人に打ち明けるのは初めてだった。だから自然に、こぼれるように言葉が出てきた。

キャンプのお姉さんのことを今でも時々思い出す。互いの顔もよく見えないような状況で静かに流した涙の感触と、川向こうの黒々とした木々の重なりの風景を今でも鮮明に思い出すことができる。


本日の1曲
Close to you / The Carpenters



——————————-
>>connection archive >> 
3/29 『リリー・フランキー 『東京タワー』


チョー(超)方言。

東京出身の人々は日常的に地方CMを見ることがない。幼い頃からそれを見て育ったせいで東京のテレビ番組に一切地方CMが流れないことが衝撃だった。田舎者にとって、常に金のかかった全国区のCMが流れているのは驚愕に値する。

正月に実家に遊びにきた生粋の東京人氏は静岡の民放で日夜繰り広げられる地方CMワールドに釘付けになっていた。「ねー、これも!?これもそう?」とはしゃいでいる。「望月商事」や「コンコルド」のCMは結構パンチがあるし、深夜帯になると呉服町のパブのCMまで放映される。しかも動かない画像にナレーションが入るだけという惨状だったりするから気が抜けない。

しかし地方性の最たるはやはり「方言」である。
静岡は突拍子もない方言は少ないように思う。簡単に言うと語尾が変わる。「だら」「ずら」は頻繁に用いられる。「だっちょーよ(らしいよ)」というのもあるがこれは自分がおばあちゃん子であるために咄嗟に浮かんだ方言で、若者は使わないディープな表現だと思われる。
『あんま東京と離れてないもんでぇ、言ってることンまるでわからんってわけでもないと思うだけん、どうかやー?』とこんな具合に。・・・わかるら?

神奈川県民氏は『静岡の人って「だもんでー」っていうよな!』と笑った。悔しい。でも確かに「だからさー」の意味で「だもんでー」はよく使う。
その接続語は静岡県内に蔓延しており、大学の友人が使うその語句のおっぴろげ感に彼は驚いたそうだ。「だもんでー」は「も」がアクセントで、言われてみると結構唐突な気もする。

上京した当初、東京もんの言う「チョー(超)」に馴染めなかった。静岡では「チョー」の代わりに「ばか」を使う。『ばーかかっこいいらー?』というのは『チョーかっこよくネー?』と同義である。
「チョー(超)」は北海道では「なまら」だし、名古屋では「でら」だし、大阪では「めっちゃ」やし、兵庫では「めっさ」だし、長崎では「がんじり」である。(taso調べ:追加募集中)

新幹線で帰省し、実家に着いた途端に口調が見事に静岡弁に戻るのには我ながら感心してしまう。同じ静岡出身の友人達と話す時も自然に方言にシフトしている。

東京で生活していると様々な地方の方言を耳にする。全国各地から集まった人々の地方話を聞くのは面白い。しかしながら友人の口から知らない方言が聞かれた瞬間、聞き耳をたててしまうのは、そこに自分の知らない友人氏を垣間見るからだ。
ここでは皆がそれぞれの地方を背負って生活している。それはなかなか興味深いお荷物であると思う。


本日の1曲
Local Boy In The Photograph / Stereophonics


うつ

テレビを見ていたら『うつ』のコマーシャルが流れた。「それはうつ病かもしれません。その症状が続いたら、病院へ。」
時代は変わった。以前はこんなに親切なコマーシャルは放映されていなかった。ここ何年かでうつへの偏見はやわらいだように感じる。人々は以前ほど、街のクリニックに通うのに抵抗は感じなくなったのではないか。

大学時代に鬱に苦しんだ。なんとなく気分が乗らないという鬱ではなく、原因が明らかだった。それは落ち込み、悩み、再生するというこれまでの過程とは全く違っていた。思考は滞ったまま、起きていても寝ていても常に地獄のようだった。

現実を直視出来ない為か幻覚を見た。夜な夜な叫び声を上げながら嗚咽した。そのせいで頭が激しく痛み、風呂にも入らず食事もままならず、ベッドから出ることすら困難だ。
しばし朝日は希望の象徴の様に語られる。しかし朝日が昇ってもその「新しい」一日は何の変化ももたらさないことがわかる。ただ、また同じ一日が始まってしまうことが恐ろしい。また朝が来てしまった、と絶望的な気分が増長されるだけだ。朝日は同じ一日の始まりを無情に告げるだけの存在であった。

状態は長く治まらなかった。「時間が解決する」と言った人の笑える程ありきたりの言葉にすがってみたものの、一向に状態は収まらず憤るばかりであった。鏡に映る醜く歪んだ自分の顔に、一層絶望的な気分になった。
どんなに声を荒げても伝わらないことがある。一番わかって欲しい人に届かないこともある。こんな状態で生きることに意味はあるのか。その事実はとてつもなく残酷である。

宗教や、ドラッグでこの苦しみから逃れられるだろうかと考えた。しかしそれで事態が解決するとは思えなかった。酒に酔うことも、薬に頼ることもなく素面の状態で苦しみを経験することは生き地獄のようなものである。その時自殺する人の気持ちが初めて分かった気がした。

数年が経ち、ようやく生活が戻りかけた頃にまたしてもある事件が起こった。その事件に対する落ち込みよりも、またあの日々がやってくると思うと恐ろしくて錯乱状態に陥った。

大学の相談室に行き、カウンセリングを受け心療内科に紹介状を書いてもらった。気は焦り、睡眠薬や抗鬱剤を早く処方して欲しい一心であった。すぐに心療内科へ電話を架けたが予約でいっぱいですぐには診てもらえないという。その後も何件かに電話をしたがどこも回答は同じだった。
結局その時は重度の鬱に何か月も悩まされることは無かった。ある種の免疫が出来、状況を食い止めようと抑制が働いたのかもしれない。

大学時代に経験した鬱体験はその後の自分を大きく変えた。
信じられるものと信じられないもの。信じたいもの。価値のあるものと価値のないもの。自分が一番恐れていることと一番望んでいること。大切にしなければならないもの。人間の尊さや揺るぎないもの。気が付いたことは沢山ある。それが浮き彫りになったおかげで、価値観も随分変わった。

今まで考えても考えきれなかったことにそれなりの意見を持てるようになった。自分の中の善悪の基準が明らかになった。それを人々に披露したところで必ずしも賛同を得られないことはわかっている。しかし揺るぎない自己が確立した重要な時期の出来事である。
ならば鬱を経験してよかったのだろうか。あんな経験をするくらいなら一生浅はかな人間のままで良かった気もするが、その経験こそが今の自分を形成している。
世の中はこんなにも残酷で荒み、それでも回転を続けているのだということを知るのは果たして幸福なのだろうか。

苦しみに喘いでいる人の前で帰宅の時間を気にしたり、簡易な言葉で慰めを言う人もいた。しかしそんな状態の友人を前にすべてを投げ捨てて身を捧げる覚悟が自分にはあるだろうか。人間に多くを期待するのは間違っている。その諦めの感情は今でも根深く残っている。

自分の経験をどう形容すればよいのか、喋れば喋る程、真実から遠ざかるような気がして虚しくなる。そして未だにその鬱が自分のすぐ傍にあるのを感じる。
世の中に完全にわかりあえる人間関係は存在しない。そう一度諦めた上で、ならばわかりあおうじゃないかと、互いに歩み寄ることこそが一番尊い。その経験で得た、一生の教訓である。


本日の1曲
黄金の月 / スガシカオ


ヘルシーな人々

ある時期のスーパーマーケットでは「きなこ」や「寒天」や「スキムミルク」の品切れが続いていた。その手の情報に疎い自分でもなんとなく健康ブームに関係がありそうだと感じる。身近な人々もその例外ではない。今夜は帰ったらバナナ酢を作る!と意気込んでみたり、宿便を排出するためにプチ断食にトライする人もいる。

運動もしない、通勤には電車とバスを利用しほとんど駅構内しか歩かない。酒こそ飲まないけれど、チェーンスモーカーである。体の不調にもとことん鈍感で、健康診断は色んなアラが露になりそうで恐くて受けられない。自分はアウトドアが苦手な深夜活動型インドア人間である。

上司氏の机に「おーいお茶 濃い味」のペットボトルが置かれていたが、どう見ても「濃い味」より色が濃い。疑いの目で真相を追求したところ、自慢げに引き出しを開け青汁の粉末を見せてくれた。そしてシャカシャカとペットボトルを振り、作り方を説明してくれた上司氏(with照れ笑い)は間違いなく健康おたくである。それは職場で青汁を飲んでいる人を初めて見た衝撃的な日だった。

実家に帰省した際には我が家に到来した健康ブームを目の当たりにすることになる。
ダイニングテーブルに置かれていた大学ノートを開くと、懐かしい祖母の字で丁寧にメモが取られていた。それはお昼の情報番組の知識を記した「健康ノート」であった。まるで放送大学みたいだけど、テレビを見ながら真剣にメモを取っている姿を想像したら妙に胸が熱くなった。

両親が数年前に始めたウォーキングは今では生活の一部として根付いたようだ。腰に万歩計を付け、リュックを背負い、反射板の付いたタスキを掛け、母親は夜店で買ったピカピカ光る指輪までつけている。田舎の夜道で我が両親がどのような目で見られているのかは想像したくない。

ダイエットを目的に始められたウォーキングも、行き先が焼き肉屋ではあまり意味が無いのではないか、と思う。しかしながら仲良くウォーキングに出掛ける姿を見ると最早行き先はどこでもいいじゃないかと思えてくる。
健康に関して好奇心旺盛な人々はイキイキしているからだ。


本日の1曲
七色の楽園 / 原田知世


ケータイ自分史

数年前の雑誌を眺めていたら携帯電話のニューモデルの写真とそのスペックが載っていた。丁度自分が以前に使用していた端末だ。それがなんと時代遅れであることか!

初めて携帯電話を契約したのは大学に入学した1997年。携帯電話を持つまでの通信ツールといえばポケットベルだった。当初は数字だけしか入力できなかったが、そのうちカタカナ入力が出来るようになった。当時としては充分革新的であった。開発者も若者のコミュニケーションツールとしてここまで浸透すると予測していただろうか?しかし、今更予測してみたところでとっくの昔の話であまり意味が無い。話を携帯電話に戻そう。

現在使用している機種は6台目。最初に持ったのはIDO(現au)の携帯電話で四角くて分厚いブロック型の端末だった。もちろん液晶はモノクロ。操作時には画面がブルーに光った。
やがてモノクロだった画面は256色カラーになり、背面にカメラがつき、今はテレビも見れるしラジオも聞ける。カメラは202万画素にまで進化した。携帯で音楽を再生し、携帯が財布代わりになる時代だ。携帯電話の進化のベクトルは数年前には思いつかなかった方向に向いてゆく。

携帯マニアではないのでスペックにはさしてこだわらないけれど、購入して数カ月後に(こんなこともできたのネー)と突如新機能を発見したりする。逆に誰が使うのかわからない機能にまで気付く。携帯を振って9種類のショートカットが使い分けられる「モーションコントロール機能」は全く使ったことがないどころか、そんな機能があることに今気付いた。


こうして並べた携帯を改めて眺めると懐かしい気分になってくる。ある一定の期間を共に過ごした端末には(あの人とよくメールをしたナ)とか(旅行に持っていったのはこれだナ)と、それぞれに幾つかのエピソードがある。ボタンの手触りまで思い出されるくらいだ。
そして現在最新型のモデルも数年後には、それがなんと時代遅れであることか!という事態になるであろうことに戸惑う。

昔使っていた携帯電話を部屋の隅で見つけ、おもむろに電源を入れてみたりする。『といいつつ期待!ヒエー』という友人氏から来たメールに謎が深まる。暫く考えてみるが一体何が『ヒエー』だったのか、なかなか思い出せない。


本日の1曲
Hi-Fi / DOPING PANDA


食をデザインするDEAN&DELUCA



ここトーキョーには多くのお洒落ショップがひしめき合っている。近年のカフェブームや、家具ブームやらで以前に比べてセンスの良い店が増えたと思う。

店舗がオリジナリティーを発揮するのは簡単なように思えるが、街中のカフェは結局似たような店になりあまり印象に残らない。個人的好みで東京のカフェスポットを3つあげれば、神保町の『さぼうる』、福生市の『DEMODE DINNER』、恵比寿の『喫茶銀座』。そして3件ともがここ数年でオープンしたというわけではない。

そんなトーキョーにニューヨーク生まれの『DEAN&DELUCA』が上陸したのは約3年前である。現在は丸の内、渋谷の2店舗の展開。丸の内、青山、羽田にはカフェがある。渋谷店は改札を出てすぐの『東急のれん街』の中にあり、夕刻になると狭い店内は客でごったがえす。品川店も駅構内(アトレ内)にある。こちらは店内が広くカフェも併設されている。

まだ渋谷店がオープンする前、とある雑誌の特集を目にしてそのソフィスティケートっぷりに目を見張った。その空間を早く体験したい!と興奮状態で品川店に入店。
左にはカフェスペース、入り口右には花も売っているではないか。世界各国の紅茶やお菓子が並び、ピクルスやトマトペーストのピン詰めが色鮮やかだ。そのラベルを眺めているだけでも楽しめてしまう。

しかしながら一番目を惹くのはオリジナル商品である。値札や商品説明タグ、オリジナルのキッチンツールには最早「DEAN&DELUCA書体」というべきロゴが踊っている。

オリジナルのスパイスやお菓子は、シルバーグレーの小さな缶におさめられている。白いシールにブランドロゴと商品名が印字されているだけなのだが、そのさりげなさすら心憎いばかりである。

デリではサンドウィッチ、パスタ、ベーグルなどが扱われている。そしてまたもや不完全かつ完璧なパッケージデザインに唸る。商品を包むラップはロゴ入りのシールでラフに止められ、グレーのシンプルなデリボックスは食材の鮮やかさと質感を一層引き立たせている。この店では人工色は最小限に押さえられているようだ。(稚拙な絵柄がプリントされた容器で食べる料理ほど虚しいものはない。)

店内には大量の商品が陳列されているにも関わらず、そこにはちゃんと「マーケット」の雑多さが残っている。初めて品川店を訪れた時、友人氏と「すげぇ」を連発してしまった。突っ込みどころが無かった。

DEAN&DELUCAはガチガチのスタイルではなく、絶妙なサジ加減で、ラフにデザインをやってのけている。そこには「食を愉しむ」為のデザインがある。少し高い金額を支払ってでも持ち帰りたくなる特別感を演出できる店はトーキョーにだってなかなか無いのだ。


本日の1曲
Whats Goin On / The Louis Hayes Group