5月 18th, 2006 by taso
大学生の頃、負けてばかりいる癖に麻雀の虜だった。今夜の計画が持ち上がったら、素早く人数を確保して開催場所を決める。大抵は友人宅で行われ、徹夜になるので開始時間も遅い。原付で友人宅へ向かい、途中のコンビニに立ち寄り飲料やおにぎりを調達する。
それから夜通し熱戦が繰り広げられ、大体朝8時くらいにお開きになる。煙草の吸い過ぎで肺が痛い。直視出来ない朝の光の中そのまま学校へ行ったり、家に帰って泥のように眠ったりする。
麻雀は運だけでは勝てない。牌をツモるのは運かもしれないが、ツモった牌を生かすも殺すも自分次第である。せっかく良牌をツモっても、その後の展開に生かすことができるとは限らない。
そして自分の押し進める「手」が危険な賭けに出る価値があるかどうか「場」を読んで判断する。相手の捨牌を睨みながら牌を切る。相手は相手が既に捨てた牌であがることがないが、明らかに危険な牌を切る必要に迫られることもある。その緊張感ときたら!
そして無謀な賭けを繰り返すと、持ち点が奪われ、気付いた時にはリーチ棒すらない状態に陥る。
麻雀の打ち方で個人の性格は露になる。気持ちよく勝つ人間と、いさぎよく負ける人間は歓迎されるが、勝ち方がセコかったり、負けると不機嫌になる人は場を白けさせる。度胸の無い人間は勝利出来ず、すぐに諦めてしまう人間はいつまでも負けを取り戻せない。
緑の卓を囲むと、どういうわけか初対面の人とでも会話が弾む。その日に都合のつく人をかき集めるため、知らない人と卓を囲むことも多かった。顔を突き合わせ、麻雀の動作をしながら身の上話を聞いたりしていると親しみが湧き、普段人見知りな自分も話がしやすい。そしていきなり麻雀で、初対面の相手であっても性質を察することが出来てしまう。
一日の対戦が終わると、卓上に現金が集められる。
大負けした日の朝、あまりの情けなさに部屋で一人で泣いていたところを突然訪ねて来た友人氏に目撃されてしまった。こちらの表情に驚く友人氏だったが、まさか麻雀で負けて泣いているとは言えなかった。その情けない朝の様は今でも語りぐさである。
雀卓を囲めば年齢、性別、職業は関係ない。誰とでも対当な立場になることが出来るからだ。
今は麻雀から離れてしまったが、その奥深さを一度知ってしまうと暫くは抜け出せない。
本日の1曲
SASU-YOU / Number Girl
5月 17th, 2006 by taso
本日は所用のついでに中野駅周辺を散策。書店で買い物をした後、ブロードウェイ内を散策することにした。
中野ブロードウェイは1階から5階までは店舗、上階はマンションになっている。古い建物は慣れないと出口もわからない、巣窟のようなたたずまいである。
地元民の皆様には地域密着型ショッピングモールとしてお馴染みのブロードウェイだが、今や「まんだらけ」のあるビルとして有名だ。まんだらけは当初漫画専門の古書店として開店したが現在では名高い「おたくショップ」として日本中に知られている。
扱い商品の性質ごとに細かく店舗が別れているため、館内にはまんだらけの店舗は20以上ある。やはり書籍は充実していて、そんじょそこらの書店では見つからないサブカル、同人系書籍が溢れている。
レアなポスター、サイン色紙を販売する「ギャラリー」では宮崎駿や手塚治虫の生原稿(イメージボード)が展示販売されている。
「カード館」ではトレーディングカードに高値が付いている。価値がわからない人には到底理解出来ない金額だ。商品をまじまじと見つめるとその価格に幅があることがわかる。小学生の頃に一世を風靡したビックリマンを見つけ懐かしく見入る。
「買取処」を通りかかるとマニアな人々がお宝を手に査定待ちの列に並んでいた。「買い取りですか?」と店員氏に声を掛けられたが、あいにくお宝は持ち合わせていなかった。カウンターの奥では他の店員氏がアルバムに入ったトレーディングカードを鋭い眼差しで査定中であった。
通路の端に陳列されているショーケースを覗くと森山大道の「にっぽん劇場写真帳」が展示されていた。しばし見入る。知らぬ間に口が開いてしまう。横尾忠則の画集や寺山修司の詩集も同様にプレミアがついているが、眺めているだけでも興味深い。それらは滅多にお目にかかれる品物ではないからだ。関連書籍やプロフィールでしか知らなかった伝説的書籍が目の前にある。こうなるとその辺の美術館よりも余程意味がある。
まんだらけはインターネット上でオークションも開催している。人気作品(ドラゴンボールやジブリ作品)のセル画は数十万で取り引きされ、年代物の希少本には100万円以上の値がつく。ちょっとした財産になりうる金額だ。
趣味を極める人々にとって、まんだらけは宝の山だ。今や中野は秋葉原に次ぐ萌えカルチャーの発信地でもある。扱う商品の種類も多岐に渡り、その年代も様々であるから、たとえ「アニメおたく」でなくてもきっと思い入れのある商品に出会える。中野に行った際は是非立ち寄ってみて欲しい。
まずは所狭しとならんだおもちゃや書籍に圧倒され、きっと懐かしい漫画や伝説の希少本に出会えるはずだ。
本日の1曲
Basket Case / Green Day
5月 15th, 2006 by taso
非喫煙者の皆様はご存じないと思うけれど、街の喫茶店ではイス取りゲームよろしく、喫煙席の争奪戦が繰り広げられている。少なくとも自分の通う喫茶店では。昨日も今日も店の喫煙席は満席であった。そして一度は禁煙席に腰掛けても、未練がましく喫煙スペースの方向を眺めてしまう。
街の喫茶店は続々と改装工事を進め、禁煙席を拡大している。都市部では入店した店で煙草が吸えたらラッキーという状態になりつつある。
分煙の飲食店では順番待ちをする客に「禁煙席ならばすぐ御用意できます」と説明している光景をよく見かける。状況によっては仕方が無く席に着くが、大抵は「待つ」。
昨年あたりから煙草のパッケージに大々的な警告文が印字されるようになった。全体の寸法からしてもかなり大々的である。これでは綺麗な色や書体で女性向けにデザインされたパッケージも台無しである。雑誌広告にスタイリッシュな広告を掲載してみたところで、下部にはおどろおどろしい警告文を載せなくてはならない。
さらに追い打ちをかけるように国内でもたばこ増税が決議され、1本につき1円の値上げが実施される。
ニューヨークを訪れた3年前、出発前に「こっちは煙草が高いから持ってきた方がいいよ」と友人氏のアドバイスがあった。当時マルボロライトは1箱7ドル。彼女は「ちょっとしたランチが食べられる金額」と言っていた。マンハッタンでは東京以上に煙草が吸える飲食店を探すのに一苦労で、入店したジャパニーズIZAKAYAですら禁煙だった。凍える外気にさらされながらも店の外で喫煙したのは言うまでもない。
今日では路上喫煙はもってのほか、新宿駅のホームからも灰皿が消えた。思い出してみると3、4年前までは歩き煙草をしていたが、いつしか灰皿の無いスペースでは喫煙を控えるようになった。嫌煙の呼びかけで世の中の風潮が変化したということなのだろう。
しかし、灰皿が街から消えることは必ずしも良いことではない。以前灰皿があった場所によく吸い殻が散乱している光景がそれを物語っている。愛煙家にとって、喫煙する行為は生活のリズムに組み込まれている。街で一服する場所も大体決まっていて、灰を落とす際に初めて灰皿の消失に気付くこともある。
嫌煙団体の抗議によって、かの有名なビートルズの『アビイ・ロード』のジャケットから1本の煙草が消えた。ポールが持っていた煙草はデジタル処理で消去され、今後新しくプレスされるジャケットのポールは煙草を手にしていない。
なぜそこまで、と思う人が大半なのだろう。音楽史上重要なこの1枚のアルバムのジャケットか改ざんされようとは。これまでも様々な逸話で有名なこのジャケット写真にまたひとつエピソードが加わったようだ。
本日の1曲
Oh! Darling / The Beatles
5月 14th, 2006 by taso
総武線の座席の端に腰掛けると、すぐ隣に傘が立てかけられていた。カラフルな水玉のスリム傘は、新宿駅で降りた乗客の忘れ物だろうか。あるいはずっとそこに留まって千葉と東京郊外を往復し続けているのかもしれない。
高円寺のホームに電車が到着し、荷物を持って電車を降りた。降りる間際に誰かが傘を忘れたことを告げるかもしれないと思ったけれど、周りの人々は一様に他人には関心がなさそうに見えた。それに自分の傘ではないことをどうアピールすればよいのだろう?
耳にイヤホンをしていたが音の途切れた隙に「傘」という単語が聞こえて振り返った。後方には水玉の傘を手にしてホームに体を半分乗り出している中年の男性がいた。彼は必死に何かを叫んでいた。半分は予想していた状況だったが、本当に起こると思わなかった瞬間でもある。咄嗟に顔の前で手を横に振った。「違います。」
ある日、改札を抜け南口を出ると盲の男性が立っていた。杖をついた男性は行き場がわからなくて立ち止まったのだろうか。単に考え事をしているだけなのかもしれない。
すると自分の前方を歩いていた若者がさっと男性の手を取り、「大丈夫?駅ここだよ。」と言った。男性は微笑んで頷いた。
若者はボロボロのジーンズにウォレットチェーンをつけているような今時の若者だった。彼の口調は同世代の友人に接しているようにさらっとしていて「気兼ね」が無かった。
ある友人と駅のホームを歩いていた。先方の階段にキャリーカートを担ぐ老婦人が見える。一緒にいた友人は何の前触れもなく早歩きで歩み寄った。彼女は老婦人に追い付くと、黙って後輪を持ち上げた。婦人は階段を昇りきると振り向いて軽く会釈をして去って行った。そして自分のところに戻って来た友人は先程と同じ口調で会話の続きを始めた。
考える暇も無く彼らはその行動を取った。それは、こちらがあれこれ考えている間の、一瞬の出来事だ。
本日の1曲
踵鳴る / eastern youth
5月 12th, 2006 by taso
このMacintoshのハードディスクは20GB。外付けの装置も持たない為に作業をすると空き容量が一気に減り、いつクラッシュするかヒヤヒヤしてしまう。
日常的にネガスキャンした写真データをMacintoshに保存している。取り込んだ後は、トリミングをし、細かなキズを除去する。出力用にサイズを整え完璧なデータを作り上げるためだ。
あらためて保存されている大量の写真データを眺めると、どうも1枚のデータサイズが大きすぎる。写真のみならずイラストをスキャンしたファイルも重く、ファイルが開くまでにやかんでお湯が沸くくらい時間がかかる。そこで本日はデータのシェイプアップよろしく解像度変更に明け暮れた。
数年前に取り込まれたデータは「アナタそれ、ポスターにするのですか」というくらい無駄にデータが大きい。実際はA4サイズに出力するのであるから1200dpiは大きすぎる。
勿論、読み込みにも時間がかかる。1枚の写真をスキャンするのに20分くらいかかる。取込みが終わると音楽がかかるように設定し、U2のボノ氏は何度も作業の終了を知らせてくれた。
普段作業をするたびにHDの容量を嘆いていたけれど、実は解像度の仕組みを根本的に理解していないのだ。解像度とはdpiで表される画質の鮮明さの尺度で、dpiは1インチあたりのドット数(dots per inch)を指す。数値が高いほど、実際に近い滑らかな画像になる。
だからなんとなくスキャンする時には解像度をMAXにしてしまう。スキャナを購入して間もない頃のデータが特に大きく、スキャナのパフォーマンスを最大限にいかそうと試みた形跡がある。
一日の作業で随分とデータはスマートになった。初期状態の大きな容量のファイルはiPodにまとめて保存した。iPodはデータ記憶装置としても使用可能で30GBの容量は重宝する。こんなに小さいのに、どっしりとしたG4よりも容量が大きいことになる。(感嘆)
週末に出力予定のデータ整理のため、一日中Macintoshの前に座りっぱなしだった。息抜きのインターネットも含めて。座面の後ろ半分をネコ氏に乗っ取られたままの作業は、腰痛の元だ。
本日の1曲
アンダースタンド / ASIAN KUNG-FU GENERATION
5月 10th, 2006 by taso
小学生の頃は毎年友達を呼んで誕生会を開いていた。そこでは呼んでもいない知らない子供がテーブルにちゃっかり座っていたり、友達の「とよくん」にものすごくいらない人形を貰ったりした。(家族内でその人形は誰かに貰ったものを使いまわしたのではないかという説まで流れた)
中学生くらいから家族からの誕生日プレゼントは現金になった。「子供の欲しいものがわからなくなってきた」ということなのだろう。以来我が家では旅行の際にも土産物は現金というシステムになっている。そして現金と一緒に差し出される「若干の土産物」はこちらを困らせる程使い道がない。
ある年の誕生日、近所のコンビニで買い物をしていると思いがけず花束を持った友人T氏が現れた。我が家に向かう途中だったらしい。彼は情感たっぷりに「ハァ〜ピィバァァ〜スデェイツ〜ゥユ〜♪」と歌いながら現れた。そして花束は菊だった。当時花屋でバイトをしていた彼は余り物を拝借して来たらしい。
昨年の誕生日に友人S氏は自宅で焼いたパンケーキを布に包んで持参し、我が家でデコレーションしてお祝いしてくれた。我が家に集まるはずの友人達の到着が遅れていたので高円寺のケーキ屋に一人で自分のバースデイケーキを買いに行った。慌てて店先に掛けて来たS氏は既に選び終わったケーキを「見ないで!」と言い張り、何故か中途半端に秘密主義だった。
その後の誕生会は非常に内容の濃い面々が集結した。0時になると明かりを消して皆が歌を歌ってくれた。『Happy Birthday Dear〜〜♪』の〜〜がそれぞれの呼び名になっていたりして、今思い出しても胸が熱くなる。
こうして思い起こしてみると毎年誰かが我が家で誕生日を祝ってくれているようだ。
昨夜から今朝にかけて沢山の友人氏達からお祝いのメールが届いた。20代最後の1年が今日から始まった。
本日の1曲
Today / Smashing Pumpkins
5月 9th, 2006 by taso
このところのエコブームでショッピングバッグは一般的になったし、スーパーではレジで会計を済ませた後、イソイソと肉や魚を持参の容器に詰め替える人も見かける。プラスティックのトレイやペットボトルはスーパーやコンビニの回収BOXに捨てられる。皆が資源を届けに行くのだ。
ごみの分別の正確さには個々の性格がよく現れる。恥ずかしながら以前は分別とは無縁だった。判断基準は要るものと要らないもの。要するに自分にとってごみか、そうでないかだった。これは立川市、小平市、国分寺市に謝らなければいけない。
焼却場の火力ならプラスティックも燃えるはずと言い訳し、分別しないで燃えないゴミの日に全てを捨てるといった友人氏の意見に本気で感心していた。
そんなある日、ごみ収集車が作業中にごみを出した。すると中身を確認したであろう作業員氏がバタバタと追って来た。早足で部屋に駆け込んだが、外から「そこ!」「その部屋に入った!」と仲間達の怒号が聞こえる。逃がすもんかというその勢いにビビる。間もなくしてドンドンと玄関が叩かれ、見事にごみを突っ返された。ワナワナとその場で生ゴミだけを差し出した非常に情けない出来事である。
ある友人氏が帰宅すると、マンションの玄関に今朝出したゴミが置いてあったそうだ。完全に分別されていないごみの中を漁り、個人情報の書類で突き止めたのだろうが、ごみを収集する側も分別を徹底する為に必死なのだ。
燃えないごみの収集は週1回。この日を逃してはいけない。収集車の作業の音を聞き飛び起きる。そして慌ててごみ袋を持って外へ出ると、ごみ置き場で収集の作業中であった。
こちらを見て「燃えないゴミね?」と確認する作業員氏に「うん。燃えないよ。」となぜかため口で答えてしまった。動揺している。
今ではちゃんと分別するようになったが、ごみを突っ返された苦い経験が祟っている。
本日の1曲
アダルト・オンリー / Original Love
5月 8th, 2006 by taso
『男前豆腐店』は豆腐屋にあるまじきブランドイメージと商品展開で、みるみるインターネット上で話題になった。
公式ホームページは「豆腐」の文字がなければなんのサイトかわからないような作り。またしても「豆腐屋にあるまじき」ファンキーさである。
元来豆腐のパッケージは地味で個性が無く、購入の基準も価格を見る程度だ。一般的に100円前後と相場が決まっている。
毎晩立ち寄る高円寺の東急ストアでも「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」は販売されている。(細長い形状のパッケージはサーフボードがイメージされているそうだ)他のがんもどきやこんにゃくに混じってその商品は地味な売場で異彩を放っている。
我々の食卓に馴染みの深い食材だけにこの商品を目にしている人は多いと思う。ご当地限定商品や、季節限定商品には一風変わったデザインも多いが、これはレッキとしたトウフであり、日常的にスーパーに陳列されている商品だ。
フザケ過ぎてもいないけれど、見たことのない形状やそのネーミングはやはり気になる存在だ。
なぜ、ジョニーなのか?『男前豆腐店』は茨城県の豆腐メーカー、三和豆友食品のブランド。社長の子息氏が自称ジョニーを名乗っているのだ。日本人なのに「ジョニー」というのが面白いからジョニーを名乗り、豆腐にもジョニーと名付けた。商品を見るだけで、伝統的豆腐屋を継いだ二代目が暴走している感じが伝わってくるではないか。
パッケージデザインが目立つだけに、人々は中身の品質に厳しくなる。しかし男前豆腐店の商品はB級なパッケージで人目を引き、味で満足させる。男前豆腐店の肝心の味へ対する評価も高い。今回は「ジョニー」を冷や奴として食べてみた。味は濃厚で甘みがあり、その舌触りは豆腐というよりはヨーグルトに近い。ホームページに掲載されているレシピも丼からドーナッツまで幅広いのが「らしい」。
先月には男前豆腐店の豆腐達がガシャポンで発売され、昨年は玉川高島屋SCに直営店をオープンした。
豆腐屋にも馴染みが無く、豆腐を選んで購入したのは初めてだ。面白そうだから買ってみよう、と脇役的存在の豆腐を人々の手に取らせた功績は大きい。
本日の1曲
Blitzkrieg Bop / Ramones
5月 6th, 2006 by taso
友人氏と共に井の頭公園方面を目指す。公園付近にはモクモクと煙が立ちこめ、その香ばしい香りは隣のスターバックスのコーヒーの香りすらかき消す。吉祥寺でごはんを食べる段になるとついつい足が「いせや」に向いてしまう。東京に遊びに来た友人氏との折角のディナーだが、コジャレた店には縁がない。
いせやに来るのは久し振りだ。必ず注文していたレバ刺はメニューから無くなっていた。品数もさほど多くないので以前はメニューすら見なかった。『シューマイとギョーザともつ煮。タンとカシラとシロとネギ2本づつ。ネギだけタレで。』といった具合だ。焼き鳥は1本80円。昨夜は二人で会計が3000円に満たなかった。
公園口店は吹き抜けのスペースの周りに畳の座敷が点在し、階段を上ると広い座敷がある。階段の周りにもテーブルが並べられている。店内は結構な広さなのにも関わらず相席は当たり前だ。店内はテーブルに座りながら直に蛍光灯に照らされる座敷の小さなテーブルや、壁にかかった年代物の扇風機を眺める。乱雑さが居心地の良さを生む。その雰囲気は実にアジア的だと思う。
大学生の頃はよく吉祥寺をほっつき歩いていた。住んでいた鷹の台から西武線で国分寺へ出て中央線に乗り換える。吉祥寺の適度な街感が心地良い。新宿や渋谷には出る気になれない時、吉祥寺をよく散歩したものだ。だからいせやのテーブルにつくと、かつてそこで友人達と交わした会話やその雰囲気を思い出して懐かしい気分になる。
いせやは閉店時間が早い。豪快に焼き鳥を食らった後は、隣のスターバックスで購入したドリンク片手に井の頭公園を散歩する。池の橋を渡り、黒い水面を眺めながらベンチに座る。付近のベンチはカップルも多い。酔っぱらった若者グループの喧騒や、ストリートミュージシャンがボンボコと太鼓を叩く音などを遠くに聞きながら会話は弾む。
吉祥寺は住みたい街の上位にランクインする人気の街であるから、不動産事情もなかなか厳しい。前回も、そして前々回も吉祥寺で部屋探しをしたが断念してしまった。なにしろ家賃が高いし、迅速に判断を下さないと次々に空室が無くなってゆく。
高円寺に引越した今も時々、休日にひとりで吉祥寺に向かう。行き帰りを黄色い総武線に揺られて雑貨屋や本屋を巡っているとあっという間に時間が経ってしまう。
近い将来に是非住んでみたい。吉祥寺は住んだことがないのに身近な街だ。
本日の1曲
Sunday Morning / The Velvet Underground