Archive for the '黄昏コラム' Category

豚の骨に恋して

西新宿からタクシーで大久保へ向かう。賑やかな大久保通り沿いにある韓国料理店『ソウルハウス』は、お客さんも大入り。前日にテレビ番組で紹介されたらしい「ビビンバ」は必ず食べなくてはならないだろう。我々の鼻息は荒い。いつも予約の得意な友人氏が先にリザーブしておいてくれる。当の友人氏は体調不良で欠席したが、構わず店に向かう。

雑居ビルの地下に店舗はある。道端の黄色い看板を見逃してしまったら見つけるのは困難だろう。ところでソウルハウスはなぜか店舗が二つに分かれている。レジや厨房のある主な店舗のほうに優先して客を案内しているのか、片方の空間には客は誰もいなかった。(ちなみに帰る頃には満席になっていた)

座敷につき、オーダーを終えると小皿が4つ運ばれてきた。ナムルやカクテキの小皿はおかわり自由なのである。腹をすかした3人、早くも前菜に食らいつく。

もう大体頼むものは決まっている。春雨と野菜の炒め物、各種チヂミ、カムジャタン、今日は青海苔入り石焼ビビンバを初オーダー。
カセットコンロがテーブルに置かれ、まずは肉を焼く。ネギ味噌をつけたら豪快にサンチュで巻く。海鮮チヂミはオムレツのようにふわふわしていて、酢醤油のタレにつけて食べる。はみ出たイカの足をつついていると、ビビンバが登場した。すると友人氏はスックと席を立ち上がり、無言でビビンバを混ぜ始めた。頼りになる。

しかし言うまでもなく本日のメインディッシュはカムジャタンだ。同席していたお姉さん氏は、一度食べてそのスープの虜になってしまったようで最近は『食べたいよねぇ・・・アレ。むふふ』で通じる仲になってしまった。鍋に山盛りの豚の骨、ネギとじゃがいもが入っている。骨部分についている肉を削ぎ落として食べる。旨過ぎて『旨過ぎる』としか言えない我々。

スープは真っ赤だが、見た目ほどは辛くない。濃くてまろやかなこのスープがあれば、何をぶちこんでも旨いだろう。幸せな食卓が約束されるが、これは家庭では出せない味なのではないだろうか。
店員氏にご飯を入れることを勧められたけれど、いつも最後に鍋が運ばれてくる頃には腹も8割いっぱいになっちまっていて今夜もご飯までは辿り着けなかった。

通りには韓国人の若者が大勢いて、異国の言語が飛び交っているし、韓国食材や韓流タレントのグッズショップなどの商店も夜遅くまで営業している。JR大久保駅までの道程はまるで韓国旅行に来たかのようだった。


本日の1曲
Good Taste / ZAZENBOYS




韓国家庭料理 <ソウルハウス>
03-3200-6979

新宿区大久保2-19-1 セントラル大久保ビルB1
山手線新大久保駅より徒歩5分
(明治通りと大久保通りの交差点を西へ250メートル)

ランチ  11:00〜15:00
ディナー 15:00〜07:00

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4/23 『コリアンタウン


ドラえもんの方程式

腹を抱えて笑う自分の前で、彼女は深刻な表情で訴え続けている。我々の間の温度差はなんなのか。その惨劇はいにしえの彼女のキャラクター好きに起因するものである。

それはとあるグッドセンスなカフェバーでの会話。彼女は店内を見渡し、自分好みの空間に満足していた。『ひとり暮らししたら絶対こういう部屋にするんダァ!』と決意を固めたようだった。連れてきてよかった、とこちらも満足する。しかし次の瞬間『でも絶対無理・・・』と落ち込んでいる。

聞くと彼女の部屋にはドラえもんグッズが沢山あるようだ。確かに彼女の目指すインテリアにはキャラクターグッズは似合わない。
彼女のドラえもん好きはちょっと有名だったらしい。そのせいで未だに旅行土産や誕生日のたびに新たなドラえもんグッズが彼女の部屋に投入され続けている。友人の間では「あいつにはドラえもん」という方程式ができあがっているらしい。困ったことに誕生日仕様の豪華なドラえもんは『結構デカイ』らしい。

人知れずドラえもんの増殖に悩んでいた彼女は名案を思いついた。将来産まれるであろう自分の子供に押しつけることを。
しかし最近ドラえもんの声が変わってしまった。彼女の所有するグッズの中には喋るドラえもんが多く含まれている。深刻な事態だ。
『オカーサンこれドラえもんの声じゃないヨー、って言われるしサァ、きっと・・・』彼女は一層肩を落とす。笑いすぎて腹が痛い。

彼女の父親はホワイトディにピロケースを送った。もちろん「ドラえもん」の。可愛い娘のために綺麗に包装されてはいるが、この瞬間彼女の部屋には新たなドラえもんグッズが彼女の部屋に増えてしまった。
彼女はまたしても『ありがとー!』とその場で嬉しそうな表情を作り、部屋に持ち帰って困惑した。そうして彼女のピロケースは意味もなく2重になり、うっすらとドラえもんが透けているそうだ。


本日の1曲
Other Side Of The Wall / BEAT CRUSADERS


授業より大切な音楽?

高校生の頃、授業中にCDウォークマンで音楽を聴いていた。その頃、毎日繰り返される退屈すぎる授業に嫌気が差していた。高校生にもなると”将来に役立つ、役立たない”の区別がつくようになる。もっとも、志望していた大学の試験は国語と英語で事足りた。余計に他の教科に興味がなくなる。

しかしよりによって授業中に聴かなくてもいいんじゃないかと思う。教室の後ろの席で、おもむろに頬杖をつく。
COウォークマンを机の引き出しに入れ、コードを制服のシャツの下に通す。胸元に出したイヤホンのコードをソデに通す。手のひらのイヤホンを耳に押し当て再生する。
音漏れはしていなかったのか?教師に怒られなかったのか?怒られた記憶がないことを思えば相当うまくごまかしていたはずだ。

もっともそんな裏工作をせずに堂々と授業をサボるなり、イヤホンを耳に突っ込むなりすればよいのだ。教師に叱られることもなくうまくやっていたのだろう。教師によって態度を変えていたのかもしれない。

高校生はうまくやる。将来役に立ちそうもない堅苦しい授業に疑問を感じながらも、宿題を提出し、勉強して進学する。放棄した宿題をごまかす為に、人のいない職員室に忍び込み、提出名簿に素早く丸をつける。テスト前の徹夜すらも面倒になり、言い訳がましい答案を提出し、赤点を免れようとする。不器用でピュアな高校生は実はなかなかいないのかもしれない。

教師達に口答えするでもなく登校拒否をするでもない。授業をサボりすぎると面倒になるからぼんやりと着席している。そのうちぼんやりと着席するのにも飽きて、音楽を聴くようになった。
そこまでして音楽を聴きたかったのだろうか?そう思う反面、今でもやっていることはあまり変わらなかったりする。


本日の1曲
Strong Enough / Sheryl Crow


イカントモシガタイ男

タバコ臭くて狭い部屋も、適当な生地で作った安っぽいソファーも気が滅入る。カラオケはだけは避けて通りたい。選曲本を見ながら、パチパチと適当な拍手をして、必死にリモコンを操作している姿も、歌い出した途端にキーを器用に調節する素早い指の動きも、採点ゲームに興味のないふりをしながら点数をあげようと語尾を延ばしている姿も、我慢できない。のびのびと人の作った歌を歌いあげ、褒められて照れながらも確実に悦に入っているような人間は、信用できない。

以前、街の激安カラオケ店で、選曲本に焼きうどんが挟まっていたことがある。しかも1本や2本ではなかった。ほぼ1人前と思われる量が分厚い冊子にぺちゃんこになって挟まっていた。こう扱われるのがカラオケのメニューの宿命なのか。
薄っぺらい冷凍ピザや、化学調味料の味しかしないピラフ。適当に作ったラミネート加工されたメニューも嫌だ。そもそも激安カラオケ店の食事に期待するほうが間違っているのだ。一人暮らしの部屋で食べる料理の方がまだマシだ。

男性が眉毛を整えるのも許せない行為のひとつだ。見渡すと若者で眉毛を加工していない男子は稀。細眉をキメた男子達は自分の顔の面積の広さに気がついていないのだろうか?今や高校球児ですら細眉の時代だ。オリンピック選手も練習の合間に眉を整えているのだろうか。

街中に溢れる細眉の男達はまるで信用できない。いくら偉そうに人生を語っていても、自室で鏡を覗き込んで毛抜きやハサミで眉毛を整えているところを想像したら、一気に説得力が失せやしないか。

ある時友人氏と話をしていて、『そういえばtasoは眉毛いじってる人嫌いなんだよネー』とライトな感覚で同意を求められたことがある。その瞬間に頷くのをためらったのは、そこにいた一人の男子大学生の奇異な眉に内心釘付けだったからだ。
眉毛をキチンと刈り込んだ上に、カラオケを熱唱している若い男子、これでは二重に信用ならない。


本日の1曲
MANGA SICK / Number Girl


いつの時代もマイベスト

中学生の頃、男子達はこぞって好きな女子にマイベストテープを渡していた。そして渡された女子は一様に困惑の表情を浮かべていた。マイベストは技量が問われる。彼が背伸びして作った「俺ベスト」。渡した本人は悦に入っていたが、冷静なクラスメイトは失笑した。

まだCDが普及して数年しか経っていない頃は、皆がCDをレンタルしてはカセットテープにダビングしまくっていた。
付属しているシールによって、カセットテープはオリジナルにデコレーションされた。テープにも好みがある。ラベルの位置もメーカーによって異なるし、スライド式のケースが発売されたときは、カッケー!とそれに群がってみたりもした。

そのうち完成度にこだわるようになってくる。収録分数にあわせてテープを選択し、A面とB面の収録分数に合わせて楽曲の収録順を決定する。(60進法の計算は慣れないと骨が折れる)
レタリングシートはAの数が多いのにも関わらず、Aが一番最初になくなるのが不満だった。

録音を開始すると、なんとなく黙ってしまうのは、テレビをラジカセで録音していた数年前の名残だろう。ラジカセの窓を覗きながらテープの厚みで残り時間を目測する。あと何秒かのところで無常にもテープが終わってしまうこともある。ガッチャン。という虚しい音。すると最初からやり直し。中学生の頃はテープ作りに命を懸けていた。

テープ文化は淘汰されてしまった。MDだって、もう危ないかもしれない。昨年購入したHDレコーダーの編集はやっている。CS放送が見れない友人達に勝手にマイDVDディスクを押し付けようという魂胆だ。ライブ映像にインタビュー、音楽好きには堪らない。日々悶絶しながらREC! REC!しているのである。

Macintoshでラベルを作成し、プリンタにDVDディスクをセットして印刷し、悦に入る。作業に熱中するあまり休日を使い果たし、おかげで翌日は寝不足。
友人氏もパソコンでマイベストCDを作っては、ラベル印刷をして楽しんでいるようだ。今ではWebで素材を拾えばいとも簡単に海賊版が出来上がる。
友人氏はいつも「上野で売ってそうだよネー」と連呼する。なぜ上野なのかはいつもちょっとした疑問なのだけど。


本日の1曲
Stellar / Incubus


基地の街のアメリカのにおい

福生市は東京西部に位置する米軍基地の有名な街だ。国道16号沿いに横田基地があり、中心を滑走路が貫いている。
外からも白い集合住宅が団地のように連なっているのが見える。基地内には学校やスーパーマーケットもあるらしい。

小平市に住んでいた大学生の頃、暇を持て余して何度かバイクで福生を訪れた。肩に一眼レフを下げて大体30分の道程は電車で行くより随分と早い。
道端にバイクを停めて国道沿いを歩く。16号を隔てて、右側はアメリカ軍敷地、左側にはこじんまりとした店舗が並んでいる。

雑貨店や飲食店はどれも建物は古く、個性的なつくりをしている。家具屋には米軍放出品のアンティークファニチャーが並び、既に売約済の札が貼られているものもある。
アメリカンレストランに入れば、豪快なTボーンステーキが鉄板を賑わす。FireKingが似合う種類の店だ。

基地の街のアメリカのにおい。雑貨屋に出入りする若者や、国道を走る国産車が日本を感じさせるけれど、人のいない時間にここを歩いたなら印象は随分違うかもしれない。
新宿や渋谷に慣れてしまった自分は低く広がった空を見ることも珍しい。独特の空気に漬かりながら、時間を過ごす。ネオンの種類も、光の具合も街のそれとは異なっている。

夕暮れの基地の風景は素晴らしい。滑走路に発着する戦闘機。頭上に響く轟音。夕暮れの青と赤の大気のラインが鮮やかだ。空が闇に包まれる少し前の時間にこの街は色気を湛える。

高円寺に越してきてから初めて福生に行ったのは確か昨年末だった。高円寺から中央線で立川へ。青梅線に乗り換えて約1時間半かかる。
夕暮れ前の基地周辺を歩くが戦闘機が飛ぶ気配がない。警備員氏によるとその日は”飛ばない日”らしかった。しばらく基地周辺を歩きながら写真を撮り、東福生から電車に乗った。

東京に居ながら感じる心地の良い違和感は、福生ならではのものだろう。ここで完結する生活も悪くなさそうだナ、といつもそう思う。


本日の1曲
Ize Of The World / The Strokes


メキシコ産の彼

『メキシコ産なんだって、オレ。』
『メキシコ?メキシコってあのメキシコ?』
『そう。”あの”メキシコ。』

我々の住んでいた町には、インターチェンジがあった。インターチェンジを降りた大型トラックが決して広くはない田舎の畑道を飛ばしている。畑の脇の乱暴に折れ曲がったガードレールが交通量の多さを物語っている。

インター近くには、摩訶不思議な建物がいくつか建っていた。幼い頃、車で通りかかるたびに目を奪われた。遊園地かアトラクション施設のようにも見える。それは洋菓子のようでもあり、絵本に出てくるお城のようでもあった。夜は建物全体が電飾でデコレーションされ、看板が派手に光っている。

しかし昼間に見る建物は異様だった。建物は一様に古ぼけていて、外壁の塗装は所々剥げている。昼間の真っ白い光に照らされると、夜の間の魔法が解けてしまったように素っ気なかった。それらの建物には唐突で、何の脈絡も感じられない名前がついていた。

駐車場に入る太いビニールののれん。車はこっそりと奥に吸い込まれていき、薄汚れたのれんがボンネットを撫でる。
子供の頃はその建物がなんなのかはっきりとわからなかった。けれども家族には聞いていけないような、いかがわしさは理解していた。

彼の両親は、時々居なくなったらしい。両親の留守中に彼の家にやってきた親戚のおじさんは、『まーたどうせメキシコだろ。』と言い放った。彼がその真意を理解したのは、随分あとになってからの話だ。


本日の1曲
sweet memory / エレファントカシマシ


7割と繋がる足元

子供の頃、地球上の7割を海洋が占めているという事実を知った。そして自分の立つ大地よりも広くて果てしないものの存在に驚いた。海は無限に広がるように思われた。海底には子供たちの知らない生物が生息し、生態系を構築している。それを神秘と形容する人もいるけれど、自分にとっては恐怖の権化に過ぎなかった。

墜落した旅客機、沈没した客船、沖で行方不明になったボートやセスナ。広くて深い海洋に存在する死者の魂や、海底で朽ち果てた人工物の塊。
その陰で巨大な生物がひっそりと息をひそめているだろう。光の届かない深海で、鈍い色のぬめった巨体がうごめいているに違いない。誰にも知られることのない生物。
なんて孤独なんだろう。次々に想像しては、恐怖で縮み上がった。

家族と大阪の海遊館に出掛けたのもその頃だった。水族館の目玉、ジンベエザメは自分の背丈よりあろうかという巨大な口を持っていた。無表情で、這うように水中を進む鉛色の生物。それに群がる小魚や小さいサメ。言葉を話さぬ海中の生物たちを目の当たりにして足がすくんだ。

分厚いガラスの水槽の向こうには沈黙の世界が広がっていた。この水槽が崩壊したら、自分も家族も、ここにいる幸せそうな人々も、沈黙の世界に飲み込まれてしまうのだ。

物心ついてから、数えるほどしか海で泳いでいない。海に入らない理由は他にもいくつかある。海水がべとつく。着替えがめんどくさい。鼻がツーンとする。体質的に日焼けが苦痛。そもそも暑い夏が苦手ときている。

目の前で足を浸した海水は地球の7割と繋がっていて、その先に横たわる孤独を想像した日から海が怖くなった。子供の頃に感じた恐怖の感情は、未だに根強い。


本日の1曲
Motion Picture Soundtrack / Radiohead


絶対かかりたくない病院

その病院を発見した時は、ある種の感動を覚えた。歓楽街のすぐ裏手、古い建物はそれ自体が黄ばんでいるように色褪せていて、看板を照らす蛍光灯は時々チラチラと点滅している。無数のヒビの入った外壁に掲げられた看板。病院名の字体もおどろおどろしい。

長年たまった汚れのせいで四隅が不透明なドアの向こうに受付が見える。丈の短い黄ばんだカーテンが垂れ下がり、診察券入れは凝固してしまったようにそこにある。入り口のドアは何年も開閉されていないように見える。開くのかも怪しい。座面の破れた黒い合皮のベンチ。蛍光灯の光をぼんやりと反射するリノリウムの床。全てが不吉だ。

病院の規模を考えると入院施設もありそうだ。きっと院長は佐野史郎みたいな人物で、オペの最中にほくそ笑む薄気味悪い看護婦は渡辺えり子が適役だろう。個性的な演者と最高に不気味なロケーション。まるでつげ義春の世界だ。
救急車で搬送されたら、瀕死の状態でも必死に拒否するだろう。不必要な薬を大量投与され、ドクター・キリコにとどめを刺されそうだ。逃げたくても入り口のドアは外側からしか開かない気もする。
うむ、妄想が止まらない。

小学生の時、くるぶしに鈍痛を感じて整形外科に通院したことがある。今思えば、単なる成長痛に過ぎなかったのだが、自分には心当たりのない鈍痛と、初めて行く整形外科にただならぬ緊張感を感じていた。薬品のにがい臭いと、肌にはりつく淀んだ空気。隣に座っている祖母も黙っている。不気味な沈黙が一層緊張感を高め、一刻も早くそこから去りたかった。

薄暗い待合室から見える、いくつかの部屋。ドアの上方には不可思議なピクトグラムが描かれていた。そのうちのひとつにはメスやハサミが単調に描かれている。この部屋で今から足を切られるのだろうか。その部屋のドアが開いて、自分の名前が呼ばれたら・・・。

一人暮らしならではの悩みのひとつに病院選びがある。居を転々としているせいで東京にはかかりつけの医者もいない。
庭の鉢植えが荒れていたり、窓が汚かったりすると、どうしても拒否したくなる。世の中には絶対かかりたくない病院があるものだ。


本日の1曲
Get What You Get / Hot Rod Circuit


カードは君の手の中に

昼間のパートタイマーのおばさん達はテキパキと手際よくお客をさばく。豆腐や果物はバーコードを通したついでにビニール袋に小分けしてくれるし、買い物袋の大きさの見極めも正確だ。合間の営業スマイルも見事で仕事にソツがない。

この度スーパーに新しいバイトの女の子が入った。彼女には申し訳ないのだが、お世辞にも仕事が出来そうには見えない。一言で言うと、覇気が無い。
駅近くのスーパーはいつも大繁盛だ。皆が電車を降りてから一斉にスーパーになだれ込んでいく。会社の仕事が終わる夕方過ぎから終電近くまで、電車を降りた客が常にスーパーになだれこんでくるはずだ。その一番忙しい時間帯に彼女は働いている。

夜のレジ係が少ないのは見て明らかだ。商品陳列棚の間に客が列をなしている。列に並ぶ為に遠回りをしなくてはいけない状況である。
彼女がそんな時間帯にシフトインしてしまったから、大変だ。動作はのろいが確実に動揺している。『カードを作りますか?』はっきり言って、今それを勧めるのは無茶なんじゃないか。しかし何故かその時『じゃ、作ります。』と反射的に言ってしまった。

これは大変なことをしてしまった、と気づいたときにはもう遅い。こうなったら彼女の動きを徹底的にアシストするしかない。ものすごい勢いで申込み用紙に記入を始めると、『あ、あの、ここではなくてあっちで書いてください。』と彼女は言う。指差す先には、カウンターがあった。そうか、これだけ長い列が出来ているのだから無理もない。機敏に移動し、記入を再開。記入を終える頃、彼女は自分のところへやってきた。

ナイスだ。ナイスタイミングだ!とラストスパートをかけると、『ボールペンをどうぞ。』と言われた。言うまでもないがボールペンはもう借りた。なんとなく戸惑っている(なぜだ!?)彼女に記入を終えた申込書を渡した。
一仕事終えた満足感でレジ方向を振り返ると彼女のレジは見事に停止中だった。長い列に並んだ客達は、怪訝そうな顔で彼女と自分を見ていた。

さぁ、次はレジに戻ってカードを発行しなくてはならない。しかし、とある客の精算は途中で放り出されたままになっていた。財布の口を開けたまま、会計を待つサラリーマン氏。まだ合計金額すらはじき出されていない。
時間をおいてしまったせいで、どこまで仕事をしたのか忘れてしまったらしい彼女はレジスターのけたたましいエラー音と共に、あくせくと働き出した。一度再開してしまった仕事に区切りがつけられないのか、その日はカード発行までに随分時間がかかった。

後日、苦労して作ったカードを持って、並んだ列はまた彼女の列だった。カードをあらかじめ商品の一番上に置いておけば、差し出すタイミングを図る必要はなくなる。彼女は一通り商品をバーコードに通した後、カードを両手で大事そうに握った。
次の瞬間、『カードはお持ちですか?』とこちらに問いかけてくる。彼女と自分の間の空間を見ているようなぼんやりとした顔をしていた。君が手に持っているのはなんなのだ。
『・・・ソレですよね?』と控えめにカードを指差すと、彼女は表情ひとつ変えることなく、『お預かりいたします。』と言い、視線をレジに戻したのだった。”何事もなかったかのように”とはこのことを言うのか。

どういうわけか彼女の列に並ぶことが多い。あみだくじみたいなもので、列の後ろからはレジを打つ人間は見えないのだ。
スーパーのレジ係の仕事は意外と頭を使うのかもしれない。バーコードのついていない野菜は手打ちしなくてはならないし、会員カードもスキャンしなくてはならない。
現代のレジスターは預かり金額を打ち込めば、おつりが自動排出される仕組みらしい。おつりの硬貨を勘定するレジでなくて本当に良かった。
それに最近の彼女は、幾分会話の歯切れも良くなり、レジさばきも板についてきた様子だ。


本日の1曲
Warning / Green Day